張磨蔵権
「どうも、張磨蔵権言います。はぁ、あの温泉の。ちゃうちゃう漢字がちゃうねん。弓を張るの張に、研磨の磨で張磨言いますねん。ほんで名前も珍しいうて、蔵に権で蔵権いいますねん。増えたり減ったりはしまへんけど、減らず口は得意やね。なはは、阿保かて。てなわけで、今日は名前に関するお話を一つ 寿限無」
ガタゴトと揺れる度にケツに痔ができるんじゃねぇかと、おっかなびっくりしながら、馬車の荷台の中でおれは一人で話し始める。荷台にはむさくるしいほどの男男男が複数人いて、そのむさ苦しい男の空間を爽やかにしてやろうと思い立ったのがついさっき。
「あぁ、あんまり名前が長すぎてこぶが引っ込んじゃった。おあとがよろしいようで」
古典演目寿限無をしても、男共は首を傾げたり、鼻で笑ったりするだけだった。それもそうか、異世界とやらでは、和尚さんもいなければ、名前も違う。異世界風にアレンジしないと惹きつけらねぇか。
「うるさいぞ。長く発言する時は許可を得ろ」
「へいへい、こりゃあ失礼しやした」
前方の御者席からおしかりを受ける。そう言いつつも、しかった本人はおれの噺の虜だ。だったら最初から注意しておけばいいのにな。まぁこの馬車の全員はしっかりと聞き耳はたてて、邪魔しなかったという事実があるから、悪い気はしない。
「あの・・・」
「うん? どうした青年」
席の端の方で俯いていたフードを深く被った青年が、申し訳なさそうな第一声で話しかけてきた。俺と同時期くらいに入所してきた奴だったかな。部屋は違う部屋だったから、よくは知らないが、かなりの大物らしい。人は見かけによらないな。
おれは座席交換してもらい、青年の隣へと移る。
「お願いしてもいいですか?」
「下ネタ系じゃなければいいよ~」
「そ! そんなんじゃ!・・・なくて、あの、その、えっと」
人一人分くらいの間を空けたのに、隣に座ると、青年は身体をさらに壁の方へと寄せた。そっちは壁だが、パーソナルスペースを大事にする人なのかもしれない。
ここまで近くに座っているのに、目を合わせて話してもらえないのは、おれの見た目が厳めしいからなのかもしれない。噺家なのに愛嬌がない。ついているのは箔ではなく、不幸だ。
厳格な老人がおれの目の前に立っていたと思えば、大阪のおばちゃんがあめちゃんを渡すのよろしく、スキルとやらを無理やりにでも手にねじ込んできた。それで言霊のスキルを手に入れた。いやおれは噺家で、そのスキルとは相性が抜群。話の導入としては落語みたいだけど、未だに落ちなし。
そもそもおれは、高座のライトが頭に落ちてきたのが不幸の始まりだ。変なスキルを持たされたところで、この口と命という物種があれば食いつないでいける。
んまぁ、でもその口がスキルで呪われたせいで、落語ができないのなんの。言霊は、おれの落語の中の何かを再現する。例えば、ガマの油を演ったとすると、聞いていた人物の腕から血が噴き出すなんてことも。
おれはそれでお客さん全員に傷害を与えたとして、裁判をするために、王都へと護送されているのだ。
「時そば、やってもらってもいいですか?」
時そば。簡単に説明するとそばの値段をちょろまかすお話だが、肝はそれを実行した人間と、実行できなかった馬鹿の落差で笑いを誘うこと。話の内容よりも、時そばを知っている人間に会ったことに、少々テンションが上がる。
「お、青年は落語がわかるのかい?」
「は、はい。あ、でも、そんなに詳しいわけじゃくて、有名なやつなら・・・」
「はっはっは、そんな詳しくなくてもいいねん。お客さんは聞いてくれるだけでいいねん。で、楽しませるのはこっちのお仕事や。まぁ関心を持ってくれるのは噺家冥利に尽きるけどな」
古いものが害と決めつけて迫害するのは、世の常で若輩者の性。落語は脈々と受け継がれてきた笑い話や生活の知恵の話。おれがやる古典落語も時代の中に消えるかもしれない。多分先人たちも同じ悩みに突き当たったのだろうが、こういう若い芽を大事にしてきたのに違いない。
「んー、演ってあげたいのも山々なんだけど、そろそろなんだよね~」
「何が・・・です?」
「不幸?」
言霊は制御が効かないスキルかと思ったが、何が発動するかの条件は分かりやすかった。今回は・・・たんこぶかな。
馬が嘶いたと思ったら、身体が宙に浮いて、背中を預けていた布に前頭部をぶつけて、地面のような固い感触を味わう。
来ると分かっていても、どういった方法でたんこぶを作ることになるのかは分からないのが、このスキルの制御しきれない部分。おそらく馬が驚いて、馬車が転倒したのだ。おれはいち早く立ち直って、外で馬の下敷きになっている護送兵から剣を奪って、手縄と足縄を切る。
「ふぅ、これで解放されたってもんだ」
笑顔にするお客さんを傷つけたのは確かにおれだ。だが、その裁きが最終的に処刑ってのは些か不満がある。おれを正当化しようとは思わないが、言葉で傷つけてしまったのなら、言葉で癒すしかないってのがおれの信条だ。エゴイスティックだろうが、我儘だろうが、譲れない部分の我を通さなきゃ漢が廃るってもの。
「きさっ・・・まっ」
護送兵が必死に馬をどかそうとしているも、馬はどうやら死んでいるらしい。
「堪忍な。独房で良くしてくれたのは感謝してる。けどおれも死にたいねん」
「うっ・・・」
「これ餞別や思うて」
「うしろ」
監獄期間によくしてくれた護送兵に、街の貴族からくすねた金子を渡そうとすると、後ろを指さされた。
阿保が見る豚の穴かと思ったが、おれにもハッキリと、後ろに気配を感じる。唾が飛んできそうな荒い呼吸音が生々しく生物がいるということを教えている。しかもその呼吸音が、長身であるおれの頭よりも上から聞こえてくるのが恐怖心を煽る。
振り向くのが怖いが、対応しないと死にそうだったので、勢いで振り向く。
魔物というやつだ。熊のような体躯でライオンのような鬣を持つ魔物。それがおれが直ぐに振り向いたせいで、敵対行動と見なしたのか、獰猛で鋭利な巨大な爪を振り下ろした。
パチンと乾いた音が鳴った。
次の瞬間に、魔物の眼球が発火して、叫び声をあげながら、その場でのたうち回った。
今度は乾いた音をたてた主の方を向く。そこには左手で頭を押さえている先ほどの青年がいた。
おれはのたうち回る魔物の喉元に剣を突き立てた。血があぶく音と共に生命活動が弱まっていくのが手に伝わってきた。
その後に魔物が息絶えるのを目もくれず、青年に駆け寄って、腕と足の縄を切った。この青年は大事だ。おれにとって裨益になる存在だと思った。だから誘った。
「青年、走るのは得意か?」
「えっと、微妙です」
「そうか。でも今は走る時だ。行こう」
おれと青年は、護送車を背にして走り出した。行先は真っ暗だが、この青年とならば微かな光がある気がする。