鎧の並ぶ街
寄依峠の交差点は今日もまたごった返していた。朝は通勤する人々で、夜は安酒を求める人々で一杯になるここいら一帯は、道沿いに鎧が整然と並べられた景観を名物としている。その大きさや形は様々で、赤銅色の丸っこくて小さいものから、常人には装着することすらままならないほどに極端な細身の青銅器のものまで、並び方とは裏腹に鎧そのもののデザインは無秩序そのものである。もちろんこの鎧の群れは地名の由来でもあるが、鎧はともかく峠らしき地形はこの近辺には特に見当たらない。
「昔は名前の通り本当に峠に鎧が並んでいたのよ。でも不安定なところに立たせてあるものだから、ちょっと風が吹いただけですぐドミノ倒しみたいに倒れちゃって、いちいち立て直すのが大変だったのよ」
くすくすと笑いながら縹霰が教えてくれたところによると、もうだいぶ昔に大工事があって、あらゆる凹凸を徹底して平らにならしてしまったのだという。大きな峠がひとつあったのではなくて、いくつもの小さな山がそこら中にあったのだというから、途方もない苦労だ。どうしてそんなことをわざわざしたのかと尋ねると、縹霰はさらに肩を揺らして笑った。
「だからね、ヨロイ峠っていう地名の由来は守りたかったのよ、あの人たちは。でも鎧は峠に置けないっていうことになったから、仕方なくどちらかを諦めることにしたのよ。で、鎧をなくしたらただのでこぼこした場所だってことで、鎧を残すことにしたのよ」
それならもっと平らな場所にヨロイ峠の名を譲ればよかったんじゃないかとさらに尋ねると、その案は住民が断固拒否したそうだ。結果、いくつもの峠の名残を残すため、斜面に立たせていたせいで傾いたまま肩を寄せ合っていた鎧の様子を寄依と表記し、もともと鎧峠と表記していたのを廃したのだそうだ。
当時の人々が骨を折った甲斐があってなのか、現在この寄依峠は歓楽街としては都市の中でも有数の繁栄をみせている。だがそれはあくまで結果論で、やはり当時人々の鎧に対する愛着は相当なものだったと言って間違いないだろう。数百体か、あるいはそれ以上にも及ぶ金属の人形がずらりと列をなして胸を張っているのを見ると、一体誰がこんなものを作ったのかというのは当然誰もが疑問に思うところだろう。しかし往時の寄依峠を知る縹霰でさえも、「それは知らないわ、気づいたらいつの間にかあったというくらいだもの」と言うくらいなのだから本当に昔からあったということになる。死神の中には、あの鎧は実は残滓の一種ではないかと考える者もいるそうだ。
(じゃあ、都市が天使の勢力下に入ったら、この鎧も撤去されちゃうのかな)
残滓──ずっとずっと遠くに起きたという戦争がこの世にあったことを示す、得体のしれない生物たち。天使と死神が、戦争のころとその前の記憶を持たないこの現状では、太古の事柄を今に伝えるのはもはや彼らだけしかいない。しかし一方で、彼ら自身は僕たちに語る言葉を一切持たない。どころか、新しく人間やその他の動物が生まれては死に、その魂が下水に流されては残滓に生まれ変わっているのだから、もはや当時から今に至るまでを生きこの世に存在し続けている残滓などほとんどないはずだ。とすると、鎧峠を平らにならした人々はその歴史的価値を見込んであの鉄くずの山を残そうとしたのかもしれない。
(いや、それなら野ざらしにしたままにせず大事にしまっておくか)
とりとめもないことを考えているうちに、いよいよ太陽は沈みかけていた。うっすらと、天国を囲む魔法の結界から透き通って届く弱い光が細い線となって、立ち飲み屋の上に張られたテント屋根の上にしま模様を作っている。




