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08:教授からの手紙、双頭の鴉

 午後三時。

 書類作成が一段落し、遅い昼食を取ったのち、龍進は執務室の窓際で一服していた。

 口から吐き出した紫煙が、ゆらゆらと半分ほど開けた窓の外へ流れていく。屋外からは歩兵連隊の兵達が行進するかけ声が聞こえてくる。

 睡蓮が作ってくれた重箱弁当は、秋の味覚をふんだんに取り入れた、彩り鮮やかなものだった。

 さつまいもご飯に、焼き鮭、れんこんのきんぴら、きのこのおひたし、鶏のいためもの、椎茸、栗、人参や竹の子の煮物、などなど。

 最初に黄金色に輝く、小さく刻まれたさつまいもを、ご飯と一緒に口の中にいれると、途端にほろほろほどけ、甘みが感じられた。続いて、一口大に切られた焼き鮭を一口かじると、ほどよく焼き目のついた皮のパリッとした食感とともに、ふっくらした味が口の中いっぱいに広がった。

 それからは、夢中で箸を動かすのみで、気づくと重箱の中は空になっていた。

 彼女の料理の腕前はかなりのものだった。料亭の仕出し弁当と言われても、わからないだろう。

 しかし、これはこれで困ってしまった。

 龍進は普段、昼はパン食などで軽く済ませるか、忙しいときには食べないことも多い。日中は最大限、業務のために時間を確保し、部下や上官のために時間を使いたいからだ。ただ、これから睡蓮が毎日このような弁当を持たせてくれるというなら、考えを改めた方が良いかもしれない。彼女の本心がどうであれ、作り手には敬意を持つべきだからだ。

ただ、量は多少加減してもらう必要はあるのだが。

 短くなった煙草の火を灰皿でもみ消し、執務を再開しようとしたときだった。部屋のドアが三回ノックされた。


「どうぞ」

「如月少佐、失礼いたします」


 入ってきたのは、二階堂軍曹。手には封がされた茶色の封筒を抱えている。


「昨日、ご依頼いただきました件の報告書が得られましたので、お届けにあがりました」

「はやいな」


 と、二階堂がやや恨みがましい顔で言った。


「ですが、少佐。柳本教授が、帝大の総長だということは、事前に教えていただきたかったですよ。学務室で、『ああ、総長ですね』と言われてしまい、すっかり肝を冷やしました……」

「それはすまなかった。あの方は総長と呼ばれるのがあまり好きではないみたいでね。あくまで一線の研究者でいたいらしい。それで、教授とは会ったのかい?」

「いえ、昨日も今日も、講義中ということで、秘書の方にご対応いただきました。秘書の方からは、くれぐれも少佐によろしくお伝えください、というお言葉を預かっております」

「そうか。今度、お礼に千疋屋の果物でも持って伺うとしよう。二階堂くん、ありがとう」

「はっ!」


 敬礼をする二階堂だが、その表情はどこか物足りなさそうだった。書類になにが書かれているのか気になっているのだろう。つくづく正義感の強い男だ。

 それを察した龍進は一言付け加える。


「書類を精査した後、必要があれば、君にも相談させてもらうことにする。足が長い話になりそうだからな」

「かしこまりました。なんなりとお申し付けください」

「期待しているよ。……ああ、それと」


 そう言いつつ、龍進は先ほど書き上げた別の書類を手に取り、二階堂に差し出す。


「ここに、君の力を借りたい案件があるのだが、どうだろうか」


 相手が書類に目を通しながら、次第に戸惑いの表情を浮かべる。


「少佐殿、これは……」

「つい先日見つかった、新時代主義活動家らしき者たちが拠点にしている四谷のビルの情報だ。昨今のテロとの関連も含めて捜査を手伝って欲しい。中佐の承認を得た上で、正式に指示を出す。予定では三日後だ」


 二階堂は、一瞬、言われたことが理解出来なかったのか、困惑した表情のまま問い返す。


「で、ですが、我々が出張ると、警察がうるさいのではないですか?」

「その件はすでに承諾を取り付けている。先ほど、あちらに少し貸しを作ったのでね」


 二階堂の表情から、みるみる気持ちが高ぶっていくのが見て取れる。


「君の手腕に期待しているよ」

「…………! かしこまりました。確実に任務を達成してご覧にいれます!」


 そう言うと、二階堂は最敬礼をし、興奮を隠せない面持ちで、足早に部屋から出て行く。

 龍進はその背中を見送りながら思う。この国を護るためにも、彼のような任務に忠実な部下は大事にしなければならない。


「さてと……」


 それから龍進は、受け取った茶封筒をペーパーナイフで開封すると、中から三つ折りの手紙を取り出した。

 紙面には達筆な柳本教授の文字が綴られている。


『如月龍進君

 前略 元気そうでなによりです。

 さて、ご依頼をいただいた「双頭の鴉」の入れ墨ですが、正直なところ、少々、難儀しそうです。

 民俗学研究室の研究員を総動員して調べていますが、私たちが知る限り、ヤクザ者や河原者、遊郭などの色街、あるいは、サアカスといった流浪集団も含めて、あの入れ墨をいれている集団は見当たりません。

 ただ、文明開化以降、様々な文化が勃興した以上、我々の採集が追いついていない状況でもあります。近年では、西洋の影響を受けた浅草オペラなど、新しい大衆文化も興っているようですから。

 なんにせよ、今後は調査対象範囲を広げるとともに、如月君からも、もう少し詳細な情報をもらう必要があります。

 ついては、この入れ墨を持つ人物の、日頃の振る舞いを観察し、なるべく事細かに書き記したものを送っていただけないでしょうか。そこから得られる手がかりもあると考えます。ご検討ください。


 追伸・軍にご奉職するのも結構ですが、やはり、君には研究の道が合っているように思えます』

 

 手紙を机の上に置き、小さく息をついた。そうすぐには、素性が判明するはずはないか。

 とすると、ここは教授の言うとおり、当面は睡蓮の特徴や普段の行動を観察し、報告するしかない。

 龍進は彼女の特徴を思い浮かべる。夜目がきき、かつ、異様に鼻がいい。人斬りとして手練れである一方、作る料理が美味である。それは彼女の手先が器用だということでもある。

 あとは……。

 顎に手をやり、睡蓮の顔を思い浮かべる。彼女は、鼻筋が通った美人だ。化粧をすれば、それこそ浅草オペラの女優として、舞台に立っていてもおかしくない。であるならば、当然、その血筋について気になるのが自然な流れだろう。

 そのような少女が何故、このような境遇におかれているのか。

 つらつらと考えていたとき、執務室の扉が叩かれた。


「少佐、失礼いたします」


 ひげ面の両国中尉だった。龍進の隊において、実務一切を取り仕切っている優秀な部下だ。龍進は一旦、思考を中断し、教授からの手紙を引き出しにしまう。


「次の師団会議に向けた資料の素案を作成しましたので、ご確認いただけないでしょうか」

「ありがとう。助かる」


 中尉から書類を受け取り、目を通す。決して綺麗というわけではないが、丁寧に書かれた文字から几帳面さがにじみ出ていて、好感が持てる。


「いつも通りよく出来ている。僕が指摘するようなところはない」

「ありがとうございます。ですが、どんな些細なことでも結構ですので、ご指導を賜れれば幸いでございます」

「相変わらず勉強熱心だな。では、強いて言うならば、資料冒頭にまとめられた、現状の課題に関する記述をもう少し手厚くした方がよいだろう。参加者によって、前提となる知識はまちまちだからね」

「はっ。承知いたしました。すぐに修正いたします。ご指導、感謝申し上げます!」

 資料を彼に返しながら、龍進はふと思い出した。

「中尉、確か君は結婚していたよな」

「はっ。五つ年下の妻がおります」

「そうか。であるなら、君は詳しそうだな。実は、今、婚約の証となる髪ざしを探していてね。良い店を知っていたら、教えてくれないだろうか」

「………………は?」


 両国は鳩が豆鉄砲を食ったかのように、口を半開きにしたまま固まってしまった。


「僕の婚約者に贈りたくてね。それで良い見立てをしてくれる店が知りたい」

「………………っ!? こ……、こん……やく……?」


 両国は大きく目を見開くと、よろめくように、二、三歩、後じさりした。それから、頬を両手で挟み込むようにぴしゃりと叩くと、


「こ、これは大変、失礼いたしました……! 少佐に婚約者がいらっしゃる件は、初めてお伺いしたものでしたので。いや……、その……、お、おめでとうございます!」


 水原中佐も同じような反応をしていたが、自分が婚約したという事実は、そんなにも他人を驚かせるものだろうか。正直、解せないが、これなら叔父に伝えるときも気にとめた方がいいだろうなと思い、言葉を付け加える。


「驚かせてしまってすまなかった。まあ、僕が婚約した件は、現時点では、あまり口外はしないでほしいのだが、いいだろうか」

「と、当然であります……!」


 驚きに目を白黒させたまま、両国は何回か深呼吸をした後、動揺を抑えながら続けた。


「……そ、それで、髪ざしの店ですね。でしたら、最近出来たばかりの日本橋の四越デパートがよろしいかと。店員が大変丁寧で、なんでも相談に乗ってくれると大変評判です」

「なるほど、とても参考になる。助かったよ」

「いえ、少佐のお役に立てたのでしたら光栄です」


 そう言って部屋から出て行った両国を見送ると、龍進は顎に手をやって考える。

髪ざしを選ぶなら、彼女を連れて行った方が良いだろう。となると、その前に、髪結いの手配をする必要がある。いつまでもあんなに長い髪では、なにかと不都合に違いない。今日の帰りにでも、髪結い床に寄って依頼することにしよう。

 そう決めると、龍進は業務を早めに片付けるべく、書類仕事にとりかかった。

 窓の外から聞こえていた行進のかけ声はやんでいて、代わりに龍進の紙にペンを走らせる音と、秋風に揺れる葉擦れだけが静かに響いていた。

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