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04:人斬り少女と青年将校の静かな夕食

 少女は夢を見ていた。

 霞のかかったような、薄ぼんやりとした夢の中で、彼女は昼間にもかかわらず薄暗く湿った路地裏の地面に座り込んでいる。

 そして、小さく骨張った手には、泥の付いた焼き芋が一つ、握られていた。

 彼女は口の中を火傷するにも構わず、小さな口を開けて、芋を頬張る。

 おそらくは三日ぶりの食事。空腹を満たすには全くもって少ないが、それでもなにも胃に入れないよりはましだ。


「ごほっ……、ごほっ……!!」


 水が無いのにがっついたせいで、芋の欠片を喉に詰まらせ、激しくむせる。

 喉に手をやりつつ、それでも、吐き出しかけた芋を再び飲み込む。

 夢の中で少女は思う。

 確かこれは、仕事を失い、街中を彷徨っていたときの記憶だ。女中として働いていた遊郭に警察の手入れが入って逃げ出したときだ。

 私はなんでこんな昔の夢を見ているんだろう。

 ……ああ、もしかすると、これが走馬灯というものなのかもしれない。

 そして、最後の欠片を口に入れようとしたとき。


「見つけたぞ!」

「あいつだ! あいつが芋を盗みやがった!」

「逃がすな!」


 男達の怒声とともに、こちらに駆け寄ってくる複数の足音が聞こえた。

 逃げる気力も無かった少女は、地面に座ったまま、自分の回りを取り囲む男達を虚ろな目で見上げる。

 途端、男の一人に、横に蹴り倒された。

 ぬかるんだ地面に身体が沈み、芋の欠片が転がると同時に、次々と男達の蹴りが全身に入れられる。

 足に、腹に、顔に。

 少女は胎児のように身体を丸めたまま、ただ嵐が過ぎ去るのを待つしかない。

 十分ほどが経ったときには、少女の粗末な木綿の服は破け、身体の至る所から血が流れていた。口からは血の混じった泡が流れ落ちている。

 意識が急速に遠のいていく。

 そして、少女の頭蓋めがけて、男の足が振り下ろされようとしたときだった。


「それくらいにしておけよ、いい大人だろうが」


 どこかから、少年の声がした。声変わり前ではあるが、ひどく粗野な印象を抱かせる声。

 直後、男達の怒号に混じって、周囲に身体と身体がぶつかり合う音が響いた。

 ややあって、周囲は静まりかえる。

 少女が視線だけを動かすと、ぼんやりとした視界の片隅で、自分を今まで取り囲んでいたであろう男達が、皆、地面に倒れ伏していた。

 と、眼前にひょこりと顔が覗いた。

 まだあどけない顔つきの少年。年の頃は少女より二、三歳上だろうか。

 ただその左目の上には大きな傷があり、光が無い。彼は隻眼だった。


「生きているか?」

「…………」


 少女は辛うじて、小さくうなずく。


「そうか。命拾いしたな」


 この少年が、男達をのしたのか。

 それから彼は彼女の右肩のあたりを指さして言った。


「おまえを助けたのは、その入れ墨が気になったからだ。それはおまえの出自を象徴しているものだと考えて良いのか?」


 わからない。自分には遊郭に売られる前の記憶がほとんど無い。入れ墨の存在に気づいた遊郭の主人には、人に見られると面倒ごとになるかもしれないから、隠しておけ、と言われていた。

 ……そう少年に言おうとしたが、全身の痛みと、喉の渇きで、声を出すことは出来なかった。

 だが、彼には表情から少女の言わんとしていることが伝わったらしい。


「まあ、得てして本人にはわからないものだよな」


 そういいつつ、己が持っていた水の入った竹筒を、彼女の前に差し出してきた。

少女はそれを震える両手で持つと、口元へと運ぶ。口の中の傷が染みるのにも関わらず、喉を鳴らして水を飲む。

 その様子を見ながら、少年が言った。


「なあ、おまえ。俺の仕事をうけないか? その代わりに飯の保証はする。金もやる」


 少女は意味が出来ずに、竹筒を口から離し、相手の顔を見つめる。


「……ん? 仕事内容はなにかって?」


 そして、彼は口の端を曲げてにやりと笑って言った。


「『人斬り』だ」


 途端、少女の足下が泥に変わった。

 ずぶりずぶり、と少女の身体が泥の中に沈んでいく。

 いつの間にか、彼女の右手には短刀が握られており、彼女が両手を振り回してあがく度に、汚泥は赤い血の色を帯びていく。

 彼女はこれが、夢の中であることを思い出し、夢から覚めようと更にあがくが、血の泥は、まるで現実のものであるかのように、彼女の全身にまとわりつき、息苦しさを与えてくる――。


       *


 目が覚めた。

 視界には薄闇の中、見知らぬ天井が映っている。

 どこだろう、ここは。

 秋の虫の鳴き声が、どこかもの悲しく聞こえてくる。風に吹かれて、かたかたとガラス戸が音を鳴らす。

 少女は、自分が指示された陸軍将校の家に侵入し、そこで暗殺の対象であった本人に取り押さえられたことを思い出した。

 あのとき、彼女は確かに死を覚悟した。ずっと己が待ち焦がれていた死が訪れたと、安堵の気持ちすら感じた。

 なのに、今、彼女は、畳敷きの部屋で、布団に寝かされている。

 汗でぐっしょりと濡れた身体を起こし、両手を眺める。続いて自分の身体を見ると、右の上腕部と左脚に、包帯が巻かれているのに気づいた。誰かが手当をしてくれたのだろうか。

 そもそも何故、自分の手足は拘束されていないのか。

 戸惑いを隠せずに、周りを見回す。

 十二畳ほどの部屋。庭に面している障子戸と、他の部屋につながっている襖戸。家自体は古いものの、障子や襖は張り替えたばかりらしく、よく手入れがなされていることがわかる。

 そのとき、襖の向こう側に人の気配がしたかと思うと、戸がゆっくりと開いた。


「気分はどうだ」


 静かで、落ち着いた、男性の声。

 薄闇の中に、紺色の羽織を着た青年が立っていた。

 昨晩、彼女が殺せなかった相手だ

 少女は戸惑いつつ、相手を見上げる。


「ずいぶんうなされていた」

「…………」

「もし立てるなら、風呂に入ってくるといい。この部屋を出て、まっすぐ左に進むと風呂だ。脱衣所にある手拭いは自由に使ってもらって構わない」


 そう言うと、彼は少女に背を向け、


「風呂からあがったら、夕餉にしよう」


 そう付け加えて、奥の部屋へと戻っていった。

 少女は微かに戸惑いの表情を浮かべ、しばらくの間、開け放たれたままの襖戸をぼう、と見つめる。

 殺そうとしていた相手から風呂をすすめられ、かつ、夕食を用意されるという今の状況がよく飲み込めない。

 男の言うことに従う必要も無いが、かといって、相手の接遇を拒む理由も無い。

 布団の上でそんな逡巡を続けていたとき、台所の方からか、包丁でなにかを刻む軽やかな音が聞こえてきた。それとともに、ご飯の炊ける良い匂いも漂ってくる。

 少女は思わず鼻を鳴らした。

 そして、彼女は自分でも説明の出来ない力に誘われるかのように、ゆっくりと立ち上がった。


  

 身体を流したのは三日前の夕立のとき以来で、風呂に入ったのは数ヶ月ぶりだった。

 タイル張りの風呂場で簡単に湯浴みを済ませ、脱衣場に上がると、そこには着替えとして真新しい着物が置かれていた。少女は一瞬、ためらったものの、着物に袖を通す。

 それから廊下へ出ると、ほのかに味噌汁の香りが漂ってくるのに気づいた。香りに導かれるように足を進めると、そこは囲炉裏のある客間で、炉端には二人分の膳が並べられていた。

 困惑して客間の入口に立っていると、座布団に座った青年がちらりと視線をこちらに向けて言う。


「まだ髪が濡れているな。そこに座ってくれ」


 そう言って彼は別の部屋から大きな綿多越留(タオル)を持ってくると、少女の背後に回り、長い髪を包み込んだ。軽く叩くようにして丁寧に水気を取っていき、正面に回り込むと、少女の目を覆う長い前髪をそっと左右に分ける。

 少女の視界が開ける。

 一瞬、青年と目があった。

 彼のやや青みがかった、透明で切れ長の瞳の中に、少女自身の鼻筋の通った小さな顔が映っていた。

 微かに青年が息を呑んだ気配がした。

 と、すぐに、つい、とその目がそらされ、青年が右手でなにかを少女の前髪の間に差し込む。


「髪留めだ。この長い髪は、髪結いに整えてもらった方がいいな」


 少女は困惑して、前髪に手をやる。露わになった額に空気が触れ、落ち着かない。


「さてと、折角の料理が冷めないうちにいただこう」


 青年に促され、膳の前に座った。玄米ご飯に味噌汁、魚の干物という献立だ。

 一見、よくある家庭の夕食に見えたが、味噌汁は具だくさんで、人参や牛蒡、里芋に加え、豚肉まで入っている。

 青年が手を合わせて箸をつける様子を、少女は正座したまま、じっと見つめている。


「食べたらどうだ? 毒は入れていない」


 彼の問いかけに、少女は少し迷った末に、


「…………はい」


 小さな、消え入りそうな声でつぶやき、味噌汁の入った椀を手に取った。


 ――今更、毒が盛られていようが、構わない。なぜなら、私は昨晩、この人に殺されていたはずなのだから。


 そう思う一方で、たち上ってくる味噌汁の香りが、しきりに少女の食欲を刺激する。

 お椀に、そっと、小さな口をつける。

 一口飲んだ途端、少女は、目を微かに見開いた。


「……美味しい……です……」


 無意識のうちに発した一言。


「そうか。良かった」


 青年は淡々とそう言うと、玄米ご飯を口に運ぶ。

 空腹の胃が刺激された少女は、ためらうことなく、目の前の夕食を平らげ始める。茶碗を手に玄米をかきこみ、魚の干物も丸かじりしてしまう。

 行儀が悪いとは思ったし、遊郭で女中として働いていたときならば平手打ちが飛んできたとは思うが、空腹には勝てなかった。

 やがて、夕食を終え、青年がお茶を淹れながら、表情を変えずに尋ねてきた。


「毒は入っていなかっただろう?」


 少女はこくりと頷く。

 目の前に置かれた湯飲みを持ち上げ、煎茶をすする。温度もちょうど良く、口の中に甘い味が広がった。

 しばらくの間、二人でお茶をすすった後、青年が居住まいを正して少女に向き合った。


「さて、これから、君に少し話を聞きたい。君が何者で、なにを目的に僕を殺そうとしたのか、ということだ」

「…………はい」


 少女はお湯飲みを膳に下ろす。当然、聞かれると思っていた。

本作をお読みいただき、ありがとうございます。


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