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43:最後の毒

「龍進、今いいか?」


 三郎の声だった。

 それを機に、二人の身体はそっと離れる。

 龍進の顔は、いつもの表情に戻っていたが、その頬はほのかに赤く染まっているように見える。

 睡蓮も自分の顔が少し熱を持っているように思える。


「……どうぞ」


 ドアが開き、三郎とともに、洋服を着た一人の男性が現れた。

 大君殿下だった。

 彼は、龍進達のもとに歩み寄ってくると、敬礼をしようとする二人を押しとどめ、苦笑いをして言った。


「相変わらず兄さんは、無茶をしますね。三郎から話を聞いて、心臓が止まるかと思いましたよ」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」

「いえ。謝らないでください。そうではなくて、私は国の元首として今回の一件についてお礼を伝えたいのです。兄さんと、そして……」


 大君が視線を睡蓮に向けて微笑む。


「睡蓮様。お二人のおかげで、大事にならずにすみました」


 複雑な表情になった龍進が三郎に尋ねる。


「三郎、人的な被害はどれくらいだったんだ?」

「駅から逃げる際に、軽い怪我をした者が、数名程度と聞いている」

「女王陛下は?」


 三郎が困ったような顔をすると、大君が代わりに答えた。


「ああ、全く以てご無事です。兄さんたちの一報でいち早く待避する事が出来ました。今はお車で投宿先の品川に向かわれています」


 続いて、大君は龍進に向き合って、ゆっくりとした口調で言った。


「ちなみに、女王陛下から、兄さん宛の伝言を預かっているのです」

「…………」


 龍進の目が、不意に大きく見開かれた。


「『ご立派になられてなによりです。今後も国の発展のため、そして、両国の友好のため、力を尽くしてください。遠くの地より見守っています。

 ――母より』」


 龍進はしばらくの間、天井を見つめていたが、やがて息を押し出すように、気丈に言った。


「…………ありがたいお言葉を賜ったことについて、母上に……、女王陛下にお礼をお伝えいただければ幸いです」

「かしこまりました。兄さんの言葉、しっかりとお伝えいたします」


 それから大君は、再び睡蓮の方を向き、


「睡蓮様」

「はい」

「兄さんを、いや、この国を助けていただきましたこと、重ねてお礼を申し上げます」


 そう言って深々と頭を下げた。


「……その……、私は……」


 国家元首に頭を下げられて、流石にうろたえた。

 そして、大君は顔を上げると、にこやかな笑みを浮かべて言った。


「これからも、兄さんをよろしくお願いします。ご結婚の儀を楽しみにお待ちしております」

「ですが……、私は……、咎人であり……」

「ええ、全て存じております。ですが、此度のテロを未然に防止した件、充分、私の大赦を受けるに値すると思いますが、いかがでしょうか。二人もそう思いませんか?」


 三郎が頭を掻く。

 龍進は短く息を吐くと、微かに苦笑しながら、睡蓮の肩に手をおいた。

 大君は満足げな笑顔を浮かべ、


「それでは、私は先に失礼します。色々後始末もありますので」


 そう言って、部屋の外に出て行った。

 三郎もまたその後を追い、扉のところで振り返って、疲れた表情で言った。


「あー。二人ともここはいいから、早く家に帰って休め」

「わかった。おまえも適当なところで切り上げて、家に戻ってこい」


 返事の代わりに右手を挙げると、大君を追って立ち去っていく。

 その場には、龍進と睡蓮の二人が残された。

 外からは、事後処理にあたる軍や警察関係者の声だけが聞こえてくる。

 空いた窓から、冬の到来を思わせる冷たい風が部屋の中に吹き込んでくる。

 龍進はおもむろに軍服のコートを脱ぐと、睡蓮の身体に羽織らせて、柔らかな声で言った。


「帰ろう、家に」

「…………はい」


 小さくうなずき、歩き始めようとしたところで、睡蓮は、ふと、足を止めた。


「あ……、旦那様。とても大事なことを忘れておりました」

「なんだ?」

「夜遅くなってしまいましたが、日課がまだ一つ、残っております。本日の毒を、まだいただいておりません」


 これは二人の間の約束事。勝手に違えることは出来ない。

 見上げた彼の顔は、どこか気まずそうな顔をしていた。


「そのことだが……」


 そして、なにかを決したように口を開く。


「君には、その、謝らなければならないことが……」


 不意に睡蓮は己の唇に人差し指を当てて、微笑みを浮かべた。


「それ以上は、いけません」


 全てわかっております、という意思表示。

 龍進の目が驚いたように見開かれ、そして、伏せられる。

 と、不意に彼は己の懐から、『毒薬』――黒の錠剤を取り出した。

 そして、いきなり自分の口に含むなり、


「ごめん」


睡蓮の両肩に両手を置き、ぐいと身体を前に引き寄せた。


「…………!」


 唇に感じる、柔らかな甘い感触。

彼の舌を通じて、『毒』がこちらの口の中に送り込まれてくる。

 睡蓮は目を瞑り、彼の暖かな、そして力強さを感じさせる唇の感触を感じ続けていた。


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