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37:東京駅

 暗闇の中、睡蓮は意識を取り戻した。

 うっすらと目を開き、何回か瞬きをする。薄ぼんやりとした視界の中、むき出しの建物の鉄骨が見えた。

 ここはどこだろうか。身体を動かして確かめようにも、手は後ろ手に、足は両くるぶしできつく縛られ、身動きが出来ない。

 下の方からだろうか。なにか重量のあるものの振動音がする。そして、おそらくは、蒸気が噴き出す音に、鉄輪が転がる音。油の匂いに混じって、黒煙の匂いもする。

 鉄道が近くにあるのだろうか。あるいは、この空間の下にあるのは、……駅?

 そのとき、ふと、近くに人の気配を感じた。

 なんとか頭だけを動かしてそちらを見たとき、彼女は思わず戸惑いに顔をしかめた。

 そこには椅子に座り、ランタンの小さな灯りの下で書類をめくっている、一人の軍人がいた。


「……あなたは、確か……」


 軍人が顔を上げ、


「ほう? やっぱり、君、しゃべることは出来るんだねえ。すっかりだまされたよぉ」


 愉快そうな声でそう言って本を閉じると、丸眼鏡のブリッジを指で押し上げる。

 確か、小野少佐、と言ったか。

 舞踏会が始まる前に、龍進の同僚として挨拶をしてきた男だ。自分に向けた視線が妙に冷ややかだったことが印象に残っていた。

 どうしてこの男がここにいるのか。自分は、迎賓館に現れた若榴を追いかけた後、返り討ちに遭って意識を失ったはずだった。


「ああ、ここはどこか、不思議に思っているよね。いいよ、教えてあげる。東京駅の中。正確に言えば、駅舎三階の屋根裏。我が国の建築技術の粋を集めた建物であり、帝都の象徴だよ」


 小野は眼鏡の奥の目を細め、やや低い声で言った。


「そして、僕らはこれから、先の大戦で我が国が誇る海軍が、かの北部連邦艦隊を破った下瀬火薬を使い、この駅舎を木端微塵にするんだ。舞踏会帰りの来賓客、共和国の女王陛下もろともね。ついさっき、横浜行きの汽車がホームに入ってきたところだ」


 睡蓮が戸惑ったままでいると、別の人間がこちらに近づいてくる気配がした。それが誰であるかは匂いでわかった。

 小野が席を立って出迎える。


「準備は終わったぞ」

「若榴様、大変恐れ入ります」


 暗闇から現れたのは若榴だった。

 なんの感情も写さない隻眼が、床に転がされた睡蓮を冷ややかに眺めている。

 睡蓮はなにかを言おうとしたが、言葉が出てこない。ただ、たぎるような怒りの感情が心の奥底で渦巻いていることだけはわかる。


「若榴様からは様々な道具を賜りまして、感謝しきれません。臣下として、重ねてお礼を申し上げます」

「うれしい言葉だな」


 素っ気なく答える若榴。

 この軍人と若榴は一体どういう関係なのだろうか。

 そう考えているうちに、小野と目があった。彼は薄ら笑いを浮かべながら、睡蓮のもとに近づいてくる。


「解せない、という顔をしているね。どうして帝国陸軍の軍人と、テロリストが一緒にいるのか、疑問に思っているんだろう? ふふっ、いいよ。君にはこれから役者として舞台の上で演じてもらう以上、最低限のことは知る権利がある」

「……別に興味はありません。無駄に長い話をするくらいなら、私を解放していただけないでしょうか」


 途端、小野の顔色が変わった。


「ぐっ!?」


 小野が睡蓮の長い黒髪を乱暴につかんで、顔を上げさせた。

 眼鏡の奥の目に、怒りの色が浮かんでいる。


「いいかい? 淑女たるもの、たとえ興味は無くとも、男の話は喜んで聞くものだよ」

「…………」


 視線があう。

 この男は、間違いなく、旦那様の、龍進の、敵だ。彼に危害をくわえるべく、なにかを企んでいる。それなら殺さなければいけない。

 彼女はなんとか縄をほどこうと、相手に悟られぬよう、後ろの手を動かす。


「小野、気をつけろ。彼女は俺が育てた人斬りだ。近づきすぎてかまれても知らないぞ」

「ははっ。そんなに間抜けでもございませんよ」


 小野はそう言って、つかんでいた睡蓮の髪を離し、彼女を床に転がした。


「ちょうどいいですね。改めてここは若榴様にも、私が何故このような行動を起こしたのか、考えを聞いていただく場にしましょう」


 芝居がかった口調でそう言いながら、床の上を歩く。


「世界は、先の大戦を経て、大きく二つに分かれようとしています。民主主義を標榜する西側諸国と、君主を中心とした独裁主義を標榜する東側諸国です。一方、我が国は、帝を中心とした君主制をとりつつも、実際の外交においては、西蘭共和国をはじめ、民主主義を掲げる西側諸国に接近するという二枚舌を使っています。普通に考えれば非常に理解しがたい状況です。独裁制をとるべき我が国が、なにゆえ、西側に接近するのか、と」


 小野が睡蓮を見下ろして尋ねてきた。


「君は、何故だと思う?」

「…………」


 知らない。そんなこと、どうでもいい。早く、この手足をほどいてほしい。

 もがいているうちに、縛りが甘かったのか、手の縛りが弱くなったような気がした。

 彼は睡蓮から、若榴に視線を移す。


「若榴様はどう思われますか?」

「学の無い俺に聞くか?」


 若榴は苦笑しつつ答える。


「じゃあ、そうだな。西側から、色々もらっているんだろう?」


 小野がうっすらと笑みを浮かべた。


「若榴様のおっしゃるとおりです。我が国に対し、西側諸国は近代化支援という名のもとに、軍事を含むあらゆる産業面において、非常に安価に最新の技術を供与しています。その裏には、独立した我が国を、西側陣営に引き入れるという思惑があるのです。我が国は、民主主義の野放図な流入という事態に警戒感を抱きながらも、目の前にぶら下げられた餌にはあらがえないというなんとも情けない状況なのです。他の独裁制をとる東側諸国も、明日は我が身と考え、この状況を警戒して見ています」


 小野は手にした書類を撫でながら続けた。


「特に北部連邦の危機感は相当なものです。我が国が西側陣営に接近することが直接的な脅威になると憂慮した彼らは、貿易面で蜜月の関係にある私の実家――小野財閥に接触してきました。これ以上、我が国が西側に感化されるのは困る。それを引き留めるために力を貸してくれないか、と。活動資金として、樺太半島の油田の採掘権を与える、とも。私の家も西側との取引の多い新興財閥にやられて困っていましたからね。断る理由はありませんでした」


 若榴が口の端を曲げて皮肉っぽく言った。


「結局、貴様はカネで動いているということだな」

「いえいえ、私はこの国の行く末を本気で案じておりますよ? 民主主義の台頭は、皇城を中心とした国体の弱体化につながりますゆえ」


 戯けた調子で返す。


「北部連邦は、こう言ってきました。小野財閥から皇城に口添えは出来ないのか、と。ですが、既に現在の皇城は西側の属国と化しております。故に、私は根本的な治療法として、現体制の頂きにある今の皇城そのものを変える必要があると考えました」


 若榴の隻眼が鋭く光った。


「そのとき、君は俺と出会ったということか」

「ええ。そうです。私は若榴様の本懐を知り、その思いに感銘し、お力になることを決めたのです。若榴様がいらっしゃれば、この国を正しい方向に導ける。今上帝にはお退きいただき、古来より皇城の片腕としてこの国の祭祀を取り仕切ってきた()()()()こそが、今後の我が国を導くにふさわしい、と」


 そして、小野は、睡蓮の前で立ち止まると、中腰になって、もう一度、彼女の顔をのぞき込んだ。


「君にも関係があることだよ、()()()()

「………………え?」


 彼が発した言葉の意味がわからず、戸惑いに柳眉を寄せる。


「君は、現政府に滅ぼされた、格式ある勢州の巫一族の生き残りだ。すなわち、君……、いや、貴女はこの国の正統な承継者になるべきお方というわけだ」

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