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30:女王陛下

 秋晴れの深い空の下、東京駅の丸の内広場前には、両国の国旗が描かれた小旗を手にした群衆が集まっていた。国賓である西蘭共和国の女王陛下が駅舎から姿を現すのを、今か今かと待ちわびている。

 無論、国の威信をかけた警備は物々しく、およそ一メートル間隔で配置された警察官達は、集まった群衆に向き合う形で目を光らせている。新時代主義のテロリスト達を捕らえたとはいえ残党がいる可能性もある上、それ以外の思想を持つ集団が犯行に及ぶとも限らないからだ。

 そして、そこからやや離れた場所には、陸軍の軍用車が五台ほど停められていた。警察の後方支援という位置づけであり、そのうちの一台に、龍進と二階堂軍曹が乗っていた。

 助手席に座った龍進が懐中時計を手にして言った。


「まもなくご到着か」


 汽笛の音とともに、駅舎の南側から蒸気機関車の吐き出す黒い煙が見えた。港のある横浜方面から、女王の乗った汽車がやってきたのだ。群衆の中から歓声が起こる。

 汽車が駅についてからしばらく経った後、駅舎中央の貴賓用の扉が開き、西蘭共和国の女王陛下が人々の前に姿を現した。背丈百七十センチもある女王の装いは、白い帽子に赤いコートという華やかなもの。

 ひときわ大きな歓声とともに、広場を埋め尽くした小旗が勢いよく振られる。

 齢七十を過ぎているものの、かくしゃくとした女王は背筋をピンと伸ばし、集まった人々に向けて柔和な顔つきで手を振って見せる。先の大戦において共和国を中心とした連合国軍を率い、率先して北部連邦と対峙したという戦歴を持つ彼女は、その精悍さすら感じさせる顔に辛苦の証たる皺を深く刻みつけているものの、彼女の青い瞳が放つ光は力強く、際だった存在感を放っていた。

 女王が石畳の階段を降り、待機していた馬車に乗り込むと、御者が車を前に出した。

 両側から巻き起こる万歳の声と、激しく振られる旗に挟まれながら、女王を乗せた馬車は皇城に向けてゆっくり進む。

 女王は窓ごしに手を振り、それに呼応する形でまた群衆も歓声を上げる。

 その様子を遠く、軍用車の窓から見ながら、運転席の二階堂軍曹がぽつりと言った。


「なんか、圧倒されますね……」


 龍進は「ああ」と小さくうなずき、「女王陛下の予定に変更はないか?」と尋ねる。


「はい。特に変更があったとはきいておりません。この後、午後二時に官邸にて総理ならびに両院議長と面会した後、日本橋や銀座を車上からご視察。午後四時には皇城内にて大君中宮両陛下に謁見されます。その後、午後六時から迎賓館にお移りいただき、晩餐会のご予定です」


 それから、二階堂は苦虫を噛み潰したような顔で言った。


「ご移動が多すぎますね。銀座などのご視察は、警備の観点からも慎重に考えていただきたかったものですが」

「帝都の発展具合を女王陛下にご覧いただきたいということだろう。我が国の力を知っていただくのは、今後、欧州列強の仲間入りを目指す上でも重要なことだ」

「それはそうですが……」


 龍進は視線を車列に固定したまま淡々と続けた。


「それよりも、明日の我が陸軍司令部へのご訪問に際しての警備体制について、もう一度確認を頼む。万一の事態があってはならない」

「はっ」


 女王の車列が官邸の方向に向かうのを見て、二階堂は車を発進させる。

 歓迎の群衆を見ながら、龍進は思う。

 警備の観点からすると、今日の晩餐会が最も危険性が高いだろう。迎賓館に入れるのは手荷物の検査を受けた招待客だけとはいえ、会場においては女王陛下はもとより、大君殿下、中宮殿下に至近距離まで近づくことが出来る。

 一方で皇城側からは、物々しい体制で来賓客に不快感を与えることのないよう強く要望されていることもあり、どうしても手薄にならざるを得ない部分が出てくる。

 それに、もし押収しきれなかった下瀬火薬がなんらかの形で会場に持ち込まれたとしたらどうなるか。

 そのために鼻が利く睡蓮を会場に向かわせたとはいえ、大勢の人がいる状況において、彼女が的確に火薬を探し出せる保証などない。

 ……いや、それ以前に彼女の素性を知ってしまった今、彼女が自分に敵対する行動に出るかもしれない、という新たな疑念すら生まれている。

 今まで彼女が龍進に従順な素振りを見せていたものは、滅ぼされた勢州の巫の姫として、機をうかがっていたに過ぎないのかもしれない。やはり彼女は晩餐会に連れてくるべきでは無かったのか。

 彼女はこの晩餐会を終えた後、龍進に処分されることを覚悟していると言ったが、それはこちらを油断させるための方便ではないのだろうか。『家族』を与えてくれた龍進に恩返しをしたいと言っていたが、果たしてそれは彼女の本心だろうか。

 ふと、龍進の脳裏に睡蓮の顔が浮かぶ。月明かりが差し込んだ離れの部屋、ピアノの前に立ち、儚げで、どこかさみしげな表情をした彼女が、濡れた瞳で龍進を見上げてくる。

……いや、果たして、彼女はそんな器用な嘘をつける人間なのだろうか。

この数ヶ月、同じ屋根の下で偽りの『家族』として過ごしていたからこそわかる。彼女の心根が純粋であるということは。


「……少佐?」


 二階堂の声で我に返った。

 気づくと車は、官邸前まで来ていた。門の前では、掲げられた両国の国旗が風に翻っている。


「ああ。すまない。少し考え事をしていた」


 二階堂が心配そうな表情を浮かべて言った。


「少佐は先の一件から、ずっと勤務につかれたままで、疲労がたまっていらっしゃるのではないでしょうか。警備の任は我々が遂行いたしますので、本日の晩餐会までの間、少し休まれてはいかがでしょうか」

「そういうわけにはいかないよ」


 龍進は微笑みを浮かべると、車のドアノブに手をかける。

 色々考えすぎだ。そもそも睡蓮については、万一のときのことを考えて、三郎を傍に置いているではないか。

 龍進が外に出ると、ちょうど女王が馬車から降りてくるところだった。

 そのとき一瞬、女王と目があったような気がした。だが、直後、警備の警官が間に入り、彼らに守られる形で、女王達は官邸の階段をゆっくりと上がっていく。

 風が吹き、階段の両側に立ち並ぶ紅葉した木々が、柔らかな葉擦れの音をたてる。

終章になります。


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