26:舞踏会の警備計画
龍進が下瀬火薬の『製造工場』を圧さえてから三日後の昼下がり。
赤坂にある帝国陸軍第一師団の会議室では、十数人の将校達が集まり、龍進からの報告を受けていた。
水原中佐は上機嫌に言った。
「いやあ、如月少佐、本当によくやってくれた! これで女王陛下を無事にお迎え出来る!」
「いえ、私はただ、己の任務を全うしただけです。日頃の皆様のご支援があっての成果と考えております」
一方で面白く思わない将校連中が龍進に聞こえるような声で言う。
「やっとか。ずいぶん手間取ったものだ」
「手柄のために単独行動とは、なにかあったらどうする気だったのだ」
と、小野少佐が眉をひそめ、咳払いをする。
「しかし、よりによって、首謀者が元海軍の将校で、南前藩の出身だったとは驚いた。道理で南前藩の連中がひた隠しにしたわけだ」
その言葉に、室内の空気が一変した。この場に集う陸軍将校達は、ほとんどが南前藩を敵視している。
容疑者自身の供述によれば、首謀者である古賀市之助は、七年前、五十三歳のときに帝国海軍を退役した後、元々知り合いであった従軍記者のつてで銀座の新聞社に出入りするようになり、そこで、新時代主義を掲げる活動家達とも知り合いになったという。当然、古賀は、政府が彼らの存在を疎ましく思っていたことを知っていたが、西欧の先進的な思想を取り入れているという若い彼らに興味を抱き、時折、酒を飲み交わす仲になった。
最初はあくまで興味本位で近づいたはずだったが、彼らの「特権階級による身分の固定化がこの国の腐敗を招き、近代化を遅らせている」という主張に接するうち、自らも南前藩の中では身分の低い士族の出で辛酸をなめてきたと感じていたが故に、次第にその主張に感化されるに至った。
そして、五年前、西蘭共和国がこの国に押しつけてきた不平等な交易条約が原因となり、桑農家を営んでいた妹夫婦が無理心中した件が、古賀を具体的な行動に走らせた。
彼は、既得権益を持った一部の特権階級が多くの人々を苦しめている実情を改善するには、この国体を大君のみを中心としたものに作り替えるべきだと考え、そのためには武力での革命の実行が必要だと判断した。
彼が思いついたのは、自らもかつて作戦立案に関わり、北部連邦艦隊を打ち破るのに使われた、下瀬火薬を手に入れることだった。ほんのわずかな衝撃で爆発を起こす世界最強の火薬は、その威力故に保管場所を知る者は古賀を含めたごく一部の人間しかいなかった。彼は運動家達とともに倉庫から火薬の原料を盗み出すと、それをテロ用途に加工するための『工場』へと運び込んだ。
大変な危険を伴う製造に際しては、貧民街に住む人足達を雇うことで解決した。身寄りの無い彼らであれば爆発に巻き込まれて命を落としたとしても、特段問題にはならない。実際、何十人もの人足が死んだが、彼らの遺体は、古賀の知り合いであった運送業者に頼み、積み荷とともに遠方に運び、適当な山林に埋めることで片付いた。
睡蓮が通りすがりの運送トラックから、火薬と死体の匂いを嗅ぎ取ったのは、中に死体が積まれていたか、あるいはその匂いが残っていたからだろう。
将校の一人が憤りとともに言った。
「下瀬火薬の一部が倉庫からなくなっていたこと、そして、元将校が事件に絡んでいたことについても、彼らは当然、知っていたということだろうな」
それにつられて、怒りの声が次々に上がる。
「間違いなかろう。それ故、同じ南前閥である警察を通じて、内々に処理をしようとした。だが、手をこまねいているうちに、日増しに犠牲者は増え、先に我が陸軍が首謀者である古賀を逮捕するに至った。海軍も警察も、面目は丸つぶれだ」
「面目どころか、これは一歩間違えれば国家転覆につながりかねない重大事案だぞ! 許しがたい不作為である!」
「どうやらこれを機に、海軍と警察における南前閥の勢力を一掃する必要がありそうだ」
日頃の相手派閥への敵対意識が一気に噴出し、収集がつかなくなる。
背もたれに寄りかかった小野が、苦笑いをしながら言った。
「こんな調子だと、藩閥政治から抜けられるのはまだまだ先かなあー」
龍進も内心で苦々しく思いながら、議長である水原の方を向いて言った。
「水原中佐、本件も大切ではありますが、そろそろ、来月に予定されている西蘭共和国女王陛下ご来訪時の警備の件についても議論が必要かと存じます」
「おう、そうだった、そうだった」
中佐が顎髭を撫でながら、室内を見渡して言う。
「首謀者は捕らえたとはいえ、残党によるテロ行為への警戒を怠ってはならない。特に、我が司令部への表敬訪問に際しては、各位、適宜、警備計画を見直しの上、万全な体制で部隊を展開してほしい」
「はっ」
水原の隣の秘書が続けて言った。
「それと、先に警視庁から依頼のあった、日比谷の迎賓館で催される舞踏会での警備補助について、どの部隊が担うのか、この場で決めさせてもらいたい」
室内が微かにざわめく。
本来であればこちらも警察だけで行うはずだったのが、先の一件もあり、陸軍に対して共同での警備の申し入れがあったということだった。
「その件は私の部隊が担当いたします」
龍進の申し入れに、水原が右眉を持ち上げて驚いた表情を見せた。
「よ、良いのかね、如月少佐?」
「と、おっしゃられますと?」
「舞踏会には君の婚約者も同席するんだろう? 君はお披露目に徹するべきなのではないか?」
室内がざわめいた。
婚約の件は、水原中佐以外にはまだ知らせていなかったからだ。
「あの、如月少佐、ご婚約というのは……」
目を白黒させた他の将校が尋ねてくる。
「家が色々うるさくてですね。つい、一月ほど前に、遠い親戚の娘を我が家に迎えたんです。皆様へのご報告が遅くなり申し訳ございません」
「少佐が婚約なさっていたとは……」
「ご家族などには微塵も興味をもたれていないと思っていたのですが……」
驚きの声を口々にあげる将校達に対して、龍進は表情を変えずに、
「私が言うのはなんですが、彼女の器量は良い方かと存じます。皆様、当日はどうぞよろしくお願いいたします」
そう言って頭を下げる。
「ですが、やはりそういうことになりますと、少佐が直接、指揮をとるのは控えられた方が良いのではと考えますが……」
いぶかしげな表情を浮かべる将校に対し、龍進は微かな笑みを浮かべる。
「いえ、警備の都合上、逆に招待客の中に紛れるのが得策と考えてのことです。それに少しではありますが、彼女にも武術の心得がございますので、万一の際にもお役に立てると考えております」
「一体、どういうことだ……?」
「淑女が武術を……?」
室内に戸惑いの声が広がる中、水原中佐が場を収めるべく言った。
「わかった。そこまで言うなら、如月少佐の部隊に任せることにしよう。ただし、無理だけはしないでくれたまえ」
「承知しました」
未だ驚きの眼差しを向けてくる室内の人々に向かって龍進が頭を下げると、隣に座った小野も心底驚いたという表情で声をかけてきた。
「仰天したよ、君に婚約者がいたとはね。水臭いなあ。君と僕の仲なんだ、教えてくれればいいのに」
「すまない。色々事情があってね」
「しかし、十代の子とは、またずいぶん若いな。君は構わないのかい?」
「……そうだな。気にしたことは無い」
そもそも、彼女は咎人であり、晩餐会さえ終われば、この手で処分しなければならない相手だ。歳の差など気にする要素ではない。そして、大君の間諜として、この国に命を捧げることを決めた自分にとっては、偽りの婚約、偽りの家庭なのだ。
そう考えたとき、龍進は不意に胸に違和感を覚える。
まただ。ここ最近、彼女との契約を終えることを考えるときはいつもだ。自分としたことが一体どうしたものか。彼女が身を挺して、自分のことを守ってくれたからだろうか? 気まぐれで彼女と一緒にピアノを弾いてしまい、情が移ったからだろうか? だが、彼女はかりそめの婚約者という名の道具に過ぎない。
龍進は戸惑いつつ、小さく頭を振る。いや、今は彼女のことを考えている場合ではない。
そう思って会議に意識を戻そうとしたときだった。後方の扉が静かに開き、部下の二階堂が顔を覗かせた。彼は龍進の傍に近づくとそっと耳打ちする。
「少佐。帝大の柳本総長……、教授からお手紙をお預かりしました。急いでお渡しください、とのことでしたので」
龍進は微かに息を呑んだ。柳本教授から急ぎで送達された手紙であるなら、そこに書かれた内容は下瀬火薬の件か、以前、調査を依頼したあの件のどちらかでしかない。
「……ありがとう」
茶封筒を受け取ると、周囲に急用で離席する旨を詫び、外に出る。二階堂が離れたのを確認した後、廊下の柱の陰に立ち、手紙の封を切る。
中に入っていたのは五枚ほどの便箋で、そこには柳本教授の達筆な文字で、睡蓮の右腕に彫られた入れ墨の調査報告が記載されていた。
帝大が立てた複数の仮説についての解説をした上で、調査対象とした記録類を羅列、導き出した結論と、その根拠の提示。
「………………」
学術論文にも似たその文面を読み進めていくにつれ、龍進は己の顔から血の気が引いていくのがはっきりとわかった。
手紙を読み終えると、顎に右拳を当てる。
いや、彼女の素性については、様々な可能性を考えていた上、大枠ではこの結論も別段、全くの想定外だったということではない。
しかし……、よりによって、彼女があの事件に関係していたとは。
いやそれよりも、まさか、彼女が、あのときの少女だったという可能性は……?
だとしたら……。
心臓が早鐘のように鳴っている。喉の乾きを覚える。
だが、龍進はなにかを断ち切るように首を横に振り、大きく深呼吸をして呼吸を整えると、丁寧に折りたたんだ便箋を封筒の中にしまった。
自分は陸軍少佐であり、大君の間諜である。このようなことにいちいち動揺してはならず、ただ、粛々と対応すればいい。
龍進は己にそう言い聞かせると、己がなすべきことのために、自分の執務室へと向かった。




