18:爆薬の素生
百貨店爆破事件から十日あまり。
秋はますます深まり、朝晩のみならず、昼間も冷え込みを感じるようになってきた。
司令部の敷地内の木々は燃えるように色づき、風が吹くたびに葉擦れとともに、紅葉が地面に落ちていく。建物の傍に立ち並ぶ木々の合間からは窓が見え、その向こうには会議卓を囲んだ将校達の姿がうかがえた。
十人ほどの軍人は、皆、さきほどから押し黙ったまま。ある者は怒りに眉間に皺を寄せ、またある者は思案顔で腕組みをしている。
議長である水原中佐も、いらだちを隠せないのか、長い灰色の眉毛を手でしきりにいじりながら、手元の紙になにかを書き付けている。
そんな中、龍進は表情一つ変えること無く、手元の書類にもう一度目を通した。
内容はすべて、先般の爆破事件に関わる、警察がまとめた報告書だ。事件に巻き込まれた人々や被害にあったデパート社長から聴取した記録に、目撃者達からの聞き取り情報、それに、事件を報じる新聞記事の切り抜き。
ただし、肝心の容疑者に関する内容は、『新時代主義に傾倒していると思われる三十代前後の男性』というものでしかない。
龍進が睡蓮とともに容疑者を捕らえた際、誰の指示で動いているのか、その背後関係を問い詰めたものの、結局、その場では回答を得ることは出来なかった。若榴という少年が指示を出していた可能性は高いと考えているものの、結局、あれだけの爆発があった以上、彼を捜索するどころではなくなってしまったのは己の失策だ。
「失礼いたします!」
そのとき、会議室の扉が叩かれ、小野少佐が下士官を伴って、紙の束を手に会議室に入ってきた。
「先ほど、警察から共有された追加の資料をお持ちしました。当日、事件現場にいた百貨店従業員からの聴取記録とのことです」
新しい書類が各将校に配られるにつれ、再び怒りの声が上がり始める。
「これはどういうことだ……!」
「今日も容疑者の供述調書が無いではないか!」
「小野少佐、警察からはなにか聞かされていないのかね?」
「はっ。相原警部にも、強く申し入れをしたものの、容疑者は黙秘を続けており、調書はとれていないという一点張りでした」
小野の補足説明に、そんなわけあるか! という憤りの声があがる。
資料を一読した龍進が、無言で資料を会議卓の上に置くと、席に着いた小野少佐がにやにや笑って言った。
「相変わらず、警視庁は私たちのことが嫌いみたいだねえ」
いらだった将校の一人が、両側の眉毛がくっつかんばかりにしかめっ面をする。
「ことは国家転覆を企図した新時代主義者達による犯行が疑われるもの。警視庁は、治安維持の責務がある陸軍にも包み隠さず情報を共有すべきではないか!」
「そもそもだ! 当該犯を捕らえたのは如月少佐だろう? どうしてやすやすと警察に引き渡すような真似をしたのかね!」
「そうだ。君が弱腰だから、連中はますますつけあがるんだ!」
理不尽にも、怒りの矛先が龍進にまで向かう。
治安維持に関して、警察と陸軍の活動領域の境界はしばしば曖昧になるが、原則として街中で起こった事案に関しては警察の管轄だ。それを現場に居合わせたとはいえ、一人の陸軍将校の独断でねじ曲げる方が大きな問題になるだろう。
とはいえ、彼らも『外様』である龍進に怒りを向けることで、鬱憤を腫らしているに過ぎない。ここは反論することなく、無言で頭を下げるのが正解だ。
小野が話を戻すべく、室内の面々に頭を下げる。
「本件は、私の力不足によるものです。誠に申し訳ございません。今後も、粘り強く警察との交渉にあたる所存であり、しばしご猶予をいただきたく存じます」
そう言って座ると、龍進にだけ聞こえる声でつぶやいた。
「俺、この前の件で、警察の連中に嫌われたんだろうなあ」
「君のせいではないだろう」
小野が口の端を曲げて気弱そうに笑う。
と、大隊長の一人がため息交じりに言った。
「とはいえ、西蘭共和国の女王陛下のご来訪日が迫っている以上、一日もはやく事件の真相を解明する必要がある。何らかの突破口を見いださねば」
「近江大佐を通じて申し入れは出来ないものでしょうか」
「やろうとはしているが、南前ご出身の一条大佐が異を唱えていらっしゃるということだ」
「また一条大佐か……」
手詰まり感に、会議室を重たい空気が支配する。
龍進としても解せない。
警察と陸軍が犬猿の仲とはいえ、テロが続発し、かつ海外要人の来訪直前というこの状況において、ここまで警察が頑なに陸軍との連携を拒む状況は理解しがたい。なにか陸軍に知られてはいけない事情でもあるのか。
加えて、先の四谷での新時代主義者の拠点摘発のことも気になる。あそこももともとは、警視庁が頑なに単独での捜索にこだわっていたし、捜索の結果として、南前藩の家紋入りの袴が発見された。
龍進は顎に手をやり、思案する。
あまり考えたくはないが、今のところ警察組織と新時代運動家達に共通するのは同じ南前藩出身という属性だ。つまり、『身内』だ。このことが、警察が陸軍の介入を嫌がる理由である可能性は充分にある。
それに一連の事件に、睡蓮に指示を出していたという少年・若榴がどのように絡んでいたのか、あるいはいなかったのか、ということも気になる。
こうなった以上は、独自に調査を進めていくほかないだろう。それが大君の間諜であり、彼のために身を捧げることを決めた自分の役割だ。
龍進は決意を固めると、手を挙げて発言の許可を求める。
「如月少佐、なにかね?」
「気になっていることがあります。あの爆発規模から考えると、相当な量の爆薬が必要になるはずですが、それをどのように持ち込んだのか、という点が未だに明らかになっておりません」
室内がざわつく。
「確かに……」
「言われてみればそうだ」
「あれだけの量を持ち込んだなら、いくら夜でも目立つだろうな」
水原中佐が顎髭をしきりになでながら、小野に視線を向ける。
「小野少佐、警察では爆薬について調べていないのかね?」
「それが、爆薬に関する内容は共有されておらず。おそらく、先方も出す気はないものと思われます」
「なるほど」
資料を出さないということは、なにか秘匿したいことがあるのか、あるいは、普通の爆薬ではなく鑑識に手間取っているということか。
とするなら、龍進がとるべき手段は一つだ。
「中佐、もしよろしければ、私の方で少々調べてみたいと考えておりますが、よろしいでしょうか」
龍進を快く思わない将校達がざわついたが、上官たる中佐は真っ当な判断を下した。
「ああ。もちろん構わない。警察とのもめ事さえ避けてくれればな」
「心得ております」
もし警察が、己の手に負えず、専門の機関に調査依頼をかけるとしたら、帝大以外にない。そうであるならば、龍進には強力な伝手がある。柳本教授……、いや、柳本総長だ。そこから探りを入れるのが得策だろう。
会議が終わり、将校達がそれぞれの持ち場に戻るために席を立つ。
龍進と小野も連れ添って執務室に向かいつつ、小野が苦笑交じりに言った。
「しかし、こうも色々なことがまとめて起こると、気が滅入るねえ。そうだ、如月くん、どうかな? 今晩あたり、久しぶりに一杯やらないかい?」
「悪いが、あまり乗り気じゃない。少なくとも、来賓が無事、本国にお戻りいただいてからだ」
「本当に君は真面目だなあ」
龍進は執務室に入ると、すぐに外出の準備をはじめる。柳本総長が大学にいればいいのだが。