17:隻眼の少年
「…………!」
煤だらけの部屋の中、破壊の限りを尽くされた応接セット。
そして、その奥、床にうつ伏せに倒れた黒ずくめの男と、それを押さえ込む龍進の姿。
この男が騒ぎの首謀者なのだろうか。
頭巾で顔はよく見えないが、この男の匂いに覚えはない。
「言いたまえ。君は誰の指示で動いている?」
龍進の手が、男の手をひねり上げていく。
と、そのときだった。
男の左手が懐に伸び、なにか黒く光るものをつかむのが見えた。
「…………旦那様!!」
睡蓮の身体が、とっさに動いていた。
彼女が男の手首を蹴り上げるのと、部屋の中に銃声音がとどろいたのは同時だった。
拳銃が床の上を勢いよく回転しながら、壁際に向かって滑っていく。
それとともに、睡蓮は自分の着物をたすき掛けにしていた腰紐を外し、龍進に向かって投げる。
彼は一瞬、驚いたような顔をしてそれを受け取り、すぐに男の両手を縛り上げる。
「手伝ってくれ。こいつを下に落とす」
「はい」
窓の下を見ると、地面には売り場にあった布団がうずたかく積まれ、傍では三郎が両腕で大きくマルを作っていた。周りには軍の関係者と思われる男たちが複数名、集まっている。
龍進と一緒に、男を窓の外に放り投げる。
それに続いて、二人もそろって飛び降りる。
地面に足をついた途端、少しだけ姿勢を崩したのを、龍進が支えてくれた。
その拍子に彼と目があう。
「なんで……、ついて来た……?」
戸惑いがちの声が発せられる。
驚いたような、怒ったような、そして、どこかバツが悪そうな、複雑な感情が入り交じった表情。彼のこんな表情は初めて見た。
「わかりません」
それから互いに見つめ合うこと数秒の後、彼は小さくため息をつき、
「まあいい。それよりも、怪我は無いか?」
いつもの落ち着いた口調で声をかけてきた。
彼女がこくりとうなずくと、
「すっかり着物が汚れてしまったな。三郎に車を用意させよう。すまないが、先に家に戻っていてくれたまえ。僕はちょっと野暮用がある」
それから、視線を睡蓮の後ろの方に向ける。そこでは、押っ取り刀で駆けつけた警察官たちが、軍人たちに捉えた男を警察に引き渡すように迫っていた。
「警察での取り調べにうちの部下が同席出来るよう、上に話をつける必要があるのでね」
「……はい」
「今日の穴埋めはどこかで必ず」
そう言って、龍進は軍人たちのもとへと歩いて行った。
周囲を見回すと、半鐘が鳴り響く中、消防隊による建物に向けた放水作業が始まっていて、それを遠巻きに囲む野次馬の他、火災から逃げ出した従業員や客たちが、顔を煤だらけにして座り込んでいた。消防隊員がその中を回って、火傷や怪我をしている者がいないかを確認している。
睡蓮もその中に紛れて座り込む。
と、微かな寒気を感じるとともに、視界の隅に違和感を覚えた。
右隣に、見知った隻眼の少年が座っていた。
あたりの音が急速に遠のいていく。
まるでこの場には、彼と自分の二人しかいないかのようだ。
「元気だったか、睡蓮」
「…………」
若榴はそう言って微かな笑みを浮かべた。
なにを言おうか迷う。
「わかっているよ。おまえは任務に失敗し、結果、とらわれの身になった。相手はおまえになんらかの利用価値を見いだしたのだろう。そして、もし逃げようとすれば、相手はたやすく命を奪うことが出来る状況だ」
睡蓮はうなずく。
庭師の三郎が常に自分を見張っているのに加え、龍進からは毎晩、毒を盛られている。二十四時間以内に彼が持つ解毒剤を飲まなければ死ぬ。だから、逃げることは出来ない。ただ、自分があの家にとどまっている理由が、それだけなのかは、自分でもわからない。
若榴は口の端を歪めた。
「まあ、あの男はなかなか手強くてね。率直なところ、おまえは八割方、生きて帰ってくることはないと考えていたから、この状況は僥倖というやつなんだ。おまえは殺されることなく、標的のそばにいる。これで俺は、次の一手が打ちやすくなる」
「…………」
「もちろん、相手もそのような危険は百も承知だろう。それゆえに、おまえを懐柔しようとしている」
若榴は口を彼女の耳元に近づけて、ささやくように言った。
「なあ、睡蓮。あいつになにを言われたかはわからない。だがな、おまえは人斬りだ。十数人の人間を殺め、最早、その手は洗っても落ちないほどに血塗られている。今更、殺しの道以外に行くことなど出来やしない」
「…………」
睡蓮は、自分の脈が微かに早くなったような気がした。
「次の指示を待て。おまえには期待している」
そう言った直後、若榴の姿はかき消えた。
半鐘とざわめき声が、急速に耳に戻ってくる。
睡蓮は目の前で未だに煙を吐き続ける建物を見つめながら、自分でも気づかないうちに、なにかに祈るように両手を重ね合わせていた。
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