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13:睡蓮の素性

 風呂上がりの龍進が自室の机に向かって書き物をしていると、背後に人の気配がした。肩越しに振り返ると、そこには苦々しげな顔で立っている三郎がいた。


「どうした、そんなしかめっ面をして」


 三郎が畳の上にどかりとあぐらをかくのにあわせて、龍進も筆を置き、相手に向き直る。


「もうあんたにはなにを言っても聞かないと思うが、一応、今日も言うだけは言っておくぜ」

「睡蓮のことか?」

「そうだ。あんたの護衛を引き受けている立場からすると、あんな奴はすぐにでもこの家からたたき出した上で切り捨てたいというのが俺の本音だ。なにかあってからでは遅いんだよ」

「おまえがいる限り、そのなにかは起こりえないだろう。それに、以前も言ったとおり、彼女は都合がいいから置いているだけだ。舞踏会が終わったらこの手で処分する」


 このやりとりも五日目だ。三郎は観念したかのように肩を落とす。


「……まあ、あんたは頑固だからな。昔から、一度言い出したら聞かねーし」

「苦労をかける」


 三郎とは幼少の頃からの付き合いだ。龍進が如月家へ養子に出されたときに、侍従の手配で下男として付き従うようになった。昔でいう小姓のような存在だ。もちろん、龍進の素性――大君の異母兄弟であるということも知っている。

 彼は皇城との連絡を取り持ってくれるだけでなく、軍部の中では憲兵組織にいる特権をいかし、日頃、龍進が自由に動けるように裏から手を回してくれる。なんだかんだ言って、睡蓮をこの家に置いておくことが出来るのも、彼の手配によるものだ。


「で、本題はなんだ? それだけを言いに来たわけではないだろう?」


 雰囲気で察したのか、龍進が促した。


「ああ。憲兵隊で聞いたよ。今日、四谷で捕り物があったんだろう? 首尾はどうだったんだ?」

「そうか。流石に、情報が早いな」


 先日、警察との交渉の末、龍進達が担うことになった、新時代主義者の活動拠点へのガサ入れの件だ。


「成功とは言い難いな。我々が踏み込んだときには、首謀者はすでに短銃で自らの頭を撃ち抜いていた」


 龍進が雑居ビルを、憲兵たちとともに訪れたのは今日の午後一時すぎ。

 だが、彼らが踏み込んだときには、応接用のソファのそばに三名の男が折り重なるように倒れていた。木張りの床にはまだ乾いていない血が広がっており、凄惨な光景に、同行していた二階堂軍曹が口を押さえて外に走り出すほどだった。


「現場を調べたのだが、そこで気になるものが出てきた」


 そう言って、龍進は文机の上にあった紙になにかの図柄を描き、三郎に手渡す。


「部屋の奥にしまわれていた袴に、この家紋が入っていた」


 紙をじっとにらんでいた三郎が眉間に皺を寄せる。


「なんだこりゃ。南前藩の家紋……? とすると、連中は南前に関係していたということか?」


 文明開化の時から、時間が経ったとはいえ、政財界問わず、あらゆる世界において藩閥の影響は色濃く残っている。それゆえ、昨今、世の中を騒がせているテロ活動において南前藩にゆかりのある者が関わっていることが知られたら、それなりの動揺が世間に広がることは間違いない。特に南前藩に関係する者が多い警察組織としては、面子に関わる問題になるだろう。


「わからない。偶然かもしれないし、なんらかの陽動ということもありうる」

「ちっ。なんか匂うな」


 三郎は親指を唇にあてたまま、しばらく考えた後に言った。


「とりあえず、南前の線から洗っていくのはどうだ? たとえば、あいつ……、睡蓮が南前出身ということは考えられないか? あの土地にも、かつての『まつろわぬ民』の末裔は多く住んでいるというしな」

「どうだろうか。彼女の所作を観察し、記録し続けているものの、出身地については現時点では見当がつかない」


 そう言って、文机の上に置かれた書きかけの書類の束を持ち上げて見せた。三郎の太い眉がつり上がる。


「それは、あれか……? 柳本教授に依頼されたという、記録日誌か?」

「ああ。ほとんど日記のようなものだが……、読んでもらえないか? おまえの意見も聞きたい」


 受け取った三郎が書類に目を落とす。


「『……彼女は本日も感情をほとんど露わにせず、家事一切をこなす……』……ふむ……、『料理の腕前は一級である。旨煮の味付けは、甘塩っぱく、東京においては口にしたことがないものだ。彼女の出身地の特定に結びつくとは思えないが、書いておく』と……」


 五分ほどかけて書類すべてに目を通した後、顔をあげて言った。


「確かにこの内容だけじゃ、出身地はわからねえな。強いて言えば、『言葉は東京なまりだが、ときどき、聞き慣れないなまりが混じっているようにも思える』という記述の通り、普段の言葉使いから調べていくのがよさそうだが」

「そうだな」


 確信が持てないため、書類にはまだ書いていないが、彼女の言葉に時折混じるなまりは京都のものではないか、と考えている。昔、所用で何回か京都に行ったときや、京都を出自に持つ人間と話したときに聞いた言葉にどことなく似ているのだ。

 ただ、もし京言葉だったとしても、それが彼女の出身地が京都であると断定することは出来ない。なぜなら、京都の言葉は、「都落ち」した人々によって日本各地に広がっているからだ。


「あとはそうだな……、あんたも書いているが、彼女の嗅覚の鋭さは少し異様だな。さっきもあんたが家に帰ってきたことを、匂いで気づいていたようだった。加えて、あんたから薬莢の匂いがすることも言っていた」

「まるで子犬みたいだな」

「そんなかわいいものじゃないだろう」

「とにかく、嗅覚の鋭さについては、こまめに記録しておくことにするよ」


 これ以上、話していてもお互いに感想のようなものしか出てこないと思い、龍進は話を打ち切った。


「……さて、明日は早い。そろそろ休むことにするよ」

「わかった。夜遅くに悪かったな」


 三郎が立ち上がりかけながら、思い出したように言った。


「明日の外出だが、ただ単なる買い物、というわけではないんだろう?」

「……ああ。『兆候』をつかんでいる。睡蓮を連れていけば、彼女に指図をしていた若榴という少年も姿を見せるかもしれない。彼女はあくまで餌ということだ」


 そう言って龍進が両目を細めると、三郎は右手で己の胸を叩いた。


「わかった。明日は、この身に代えて、あんたの身を守らせてもらう」

「心強いよ」


 三郎が部屋を辞すると、龍進は顎に手をやり、独りごちる。


「さて、これで彼女の素性の手がかりが得られれば良いのだが」


 窓から差し込む上弦の月の薄明かりは、畳の上に佇んで思考を巡らせる龍進の細面を淡く照らし出していた。庭からは秋の虫の声とともに、冷たい夜風が木々の葉を揺らす音だけが聞こえる。

 龍進はおもむろに立ち上がると、隣の部屋につながる襖を開く。

 部屋の奥に、黒い縦型のピアノが月明かりに照らされて置かれていた。幼少の龍進が皇城を出る際に、唯一、希望して持ってきたものだ。

 龍進がピアノを習ったのは、生みの母親だ。隣に座った彼女は、龍進の小さな手の上に自分の手を重ね、一曲一曲、気持ちの乗せ方も含めて丁寧に教えてくれた。

 二人で練習をしているときには、時折、父親も部屋にやってきて、傍のソファにこしかけ、いつもに比べてやや険のとれた表情で演奏を聴いていた。

なんてことはない家族の光景。

 ……だが、それは偽りの家族。

 ふと、昼間の皇城でのことが思い起こされた。

『忌み子』である自分に向けられる、畏れの感情や冷ややかな目。

立ち去る際に撒かれた、清めの塩。

 ……いや、そんなことを今更、考えてどうなる。自分はこの国に身を捧げると決めたのだ。自分は、一人で生きて、一人で死んでいく。

 妻など、家族など、つまらぬものは一切不要だ。

 赤い丸椅子に座り、蓋を開き、鍵盤にそっと両手を置く。

 深く息を吸うと、静かに音を奏で始める。月の光を題材にした、ピアノソナタ。

 繊細な指使いで奏でられる、ゆったりと静かな曲調。いつの間にか、秋の虫の声も、葉擦れも音を潜め、どこか寂しさを感じさせる旋律だけが、寒々とした夜空の下に流れていた。

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