09:皇城にて、大君と龍進
国家元首たる大君が居住する皇城は、東京駅から五百メートルほど西に向かって続く、両側にガス燈が立ち並ぶ道路を進んだところにある。
旧幕府の内堀を太鼓橋で渡ると、上部に龍が象られた木製の門があり、訪問者は警備についた護衛官による身体検査を受けることで中に入ることが出来る。それはどれだけ位が高い政治家であっても、軍人であっても、例外は無い。
――ただ一人、如月龍進を除いては。
その日は朝から曇り空で、すこぶる肌寒かった。
皇城の門前、両脇には二名の護衛官が立っていたが、太鼓橋を渡ってきた軍用車に一人で乗っていた如月少佐の姿を認めた途端、その表情に並々ならぬ緊張とともに、畏れの色が浮かんだ。
門前での彼らの敬礼に対して、車内から龍進が返礼をする。
身体を検められることなく、龍進は門をくぐり抜けると、車寄の前に停めた。
と、建物の中から、燕尾服を着た一人の白髪の老人が近づいてくる。
侍従の一人だ。
彼は車から降りた龍進の前で深々と頭を下げると、厳かな声で言った。
「お忙しい中、恐縮でございます。大君が御殿でお待ちです」
相手の声は慇懃ではあったものの、しかし、龍進に向ける視線はどこか冷ややかなものだった。
侍従の案内で車寄せを抜け、回廊へと進む。手入れの行き届いた日本庭園では、色鮮やかな楓の紅葉が池の水面に映り込み、風が吹くたびに葉擦れが楽器のように奏でられる。
御殿の入口まで来たところで、侍従は足を止めた。
そして、龍進の方に向き直ると、冷たく事務的な声で言う。
「大君は大変お疲れですので、なるべく手短にお願いします」
龍進は礼を言って、一人、御殿の中へと進んでいく。
外観に反して、御殿の中は洋風の作りになっており、赤絨毯の敷かれた廊下が奥へと続いていた。
突き当たりにある扉を開く。その先は暖炉のある広い洋間になっており、中央に置かれた長テーブルの端に、一人のスーツ姿の若い男性が座っていた。細身の優男ではあるが、その瞳は切れ長で、どこか強い意志を感じさせる光を宿している。
相手は龍進を認めるなり、にこやかに言った。
「ご足労いただき恐縮です、兄さん」
龍進は少し困ったように眉を寄せつつ、頭を下げる。
「こちらこそ、大君におかれましてはご機嫌麗しゅう存じます」
「ずいぶん他人行儀ですね。人払いをしているのですから、お気遣いは不要ですよ」
「そうはおっしゃっても、大君と私とでは立場が違いすぎますから」
「同じ父を持つというのに?」
「母が異なります」
「それになんの問題があるというのです?」
「大問題です。そもそも、大君に異母兄弟がいるなどということは、今のこの国ではあってはならないことなのですから。大君もこの件については、あまり口にされない方がよろしいかと……」
「相変わらず、兄さんは硬いですね」
からかわれているようにも思うが、龍進はこれが弟なりの気遣いだということはわかっている。
二人の父である太上帝の不貞の子として生まれた龍進の存在は、表から消し去らなければならなかった。それ故、龍進は縁戚である如月家に素性を隠した上で養子として送り込まれたのだが、大君はその事実に引け目を感じているのだろう。
「まあ、とにかく、おかけになってください」
龍進が頭を下げて、相手と対面する形で座ると、大君がテーブルの上で両手を組み、穏やかな笑みを浮かべたまま言った。
「それで、今日お越しになったのは、兄さんのご婚約の件ですよね。改めてお祝いを申し上げます」
「……ありがとうございます。如月の叔父上から聞かれましたか?」
「ええ。とてもよろこんでいらっしゃいました。如月の家もこれで安泰だ。早く跡継ぎを見たいものだ、と」
龍進は思わず眉根を寄せつつ、軽く咳払いをして言った。
「本日は婚約のご報告もそうですが、本件に関して、大君のお耳に入れておきたいことがあり参上した次第です」
大君の片眉が微かに動いた。
「……わかりました。兄さんのことですから、多分、一筋縄ではいかない色々な事情があるのでしょうね。聞かせてください」
「わかりました」
龍進は居住まいをただすと、向かいに座った弟に今までの経緯を話す。
三日前の夜、龍進の殺害を目的に侵入してきた少女を捕らえたこと。
彼女の身体に彫られた『双頭の鴉』の入れ墨が気になったことに加え、ちょうど如月家の叔父から見合いを催促されていたことから、その少女を己の婚約者に仕立てることを思いついたこと。
そして、睡蓮という名の下手人は、感情に乏しく、反抗するようなそぶりは全くないが、偽りの婚約者であるにも関わらず、毎日、丁寧に家事をこなしており、龍進が戸惑わされていること。
一通り話を聞いた大君は、最初こそ驚きの表情を浮かべていたものの、途中からは苦笑いに変わっていた。
「なんと申しますか、まさか婚姻のちぎりを交わした相手が、兄さんの命を狙いに来た者だったとは、私の想像の範囲を超えていました」
「申し訳ございません。ただ、これも女王陛下をお迎えする晩餐会において、如月の叔父上に肩身の狭い思いをさせないためであります。また身元についても、三郎の手配で、とある華族の縁戚ということにしておりますので、手抜かりはありません」
「なるほど……」
大君は顎に手をやり、思案顔で言った。
「ただ、いくら実利を重んじるとはいえ、兄さんがそのような判断をなさったということは、その方はさぞ器量が良いのでしょうね」
「……器量、ですか……?」
途端、龍進は困惑し、眉間に深い皺を刻んだ。
睡蓮の顔を思い浮かべる。浮浪児のような長い髪の間から覗き見えた、震える長い睫毛に、切れ長の濡れたような瞳、すっと通った鼻筋、花の蕾を思わせる小さな口元。
確かに、姿を整えれば、彼女は美しく見えるだろう。
だが、そのことと、自分が判断したこととの関係がわからない。
「……確かに、彼女の器量は悪くはないと思いますが、それがどのような……?」
戸惑いを隠せずに問いかけると、大君が苦笑して首を横に振った。
「いえ、失礼しました。ご放念ください」
「…………」
かみ合わない会話の意味を龍進が考えていると、大君が質問を重ねてくる。
「それで、式はいつ執り行う予定なのですか?」
「式……、ですか……?」
途端、龍進は真顔に戻ると、きっぱりとした口調で言った。
「式の予定はありません」
「…………?」
「彼女は咎人です。晩餐会の後、彼女はこの手で処分いたします」
「な…………」
大君は目を見開き、言葉を失った。
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