虹の魔女の婚活事情⑨
そうしてやってきた、舞踏会当日。自作の婚活向けアクセサリーを身に付け、着飾ったミトレットは窮地に陥っていた。
「美しい人……君の名前を教えてくれるかい?」
(ひいぃぃぃ)
どうしてだかミトレットは、見目麗しい男性に言い寄られていたのだ。
(無理無理無理。なんでこんなことに)
男性は、青年と言える年頃だった。真っ直ぐの金髪にエメラルドの瞳。鼻筋の通った顔は整っていて、美しいと言って差し支えない。そんな美しい青年が間近に迫っていて、ミトレットは硬直してしまっていた。
なんせ、こんな経験ミトレットにない。それに周囲の貴族っぽい人が、「どうしてあの方がここに」「こんな所に、どうして?」と囁き合っているのを聞いてしまった。きっと、とても地位の高い人に違いない。そんな人に対して、どう接していいのかなんて、ミトレットは知らなかった。だからただ黙っているしかない。
(あああ、わたしの馬鹿。ろくに作法も知らないのに、こんな舞踏会に出るだなんて)
アニスからは、この舞踏会は、近年名を高めている商人をはじめ、年若い貴族や、その後見になろうという人達の交流の場だと聞いていた。領主様の発案で、様々な立場の人達に招待状が送られているそうだ。さすがに貴族の令嬢は付き添いを連れていたが、若い女性が一人で居ても浮いたりしないくらい賑やかだったからミトレットもほっとしたのだが、まさか女性に囲まれる前に、男性に捕まるとは思ってもみなかった。相手の爵位が分からないこともあり、ミトレットは引き攣った微笑みで受け流すことしか出来ない。
「ねえ、いいだろう? 名前を教えてよ。君の声が聞きたいな」
(そ、そんな事言われても)
「もしもこのまま君を見失ったら、君を見付けられなくなってしまう」
(見付けなくていいですぅぅぅ)
「君を見付けるための指針を、僕に頂戴? 君は、なんて名前なのかな」
(うわああん、あ、諦めてくれないよぅ……! というか、そういうあなたは誰!? し、知らない人に、無闇に名乗っちゃだめって、新緑のお姉さんも言ってた!)
新緑のお姉さん、というのは、ミトレットと交流のある魔女の事だ。思わず姉のような存在を引き合いに出すほど、ミトレットは混乱の真っ只中にあった。けれどもミトレットと金髪の青年の周囲は、ぽっかりと穴が空いたように誰も近付こうとする気配がない。誰からの助けも得られそうになくて、ミトレットはどんどん焦りと混乱で血の気が引いていくのがわかった。
青年のことは見覚えがない。今まで参加した舞踏会で、何度か男性に声を掛けられたことはあったが、こんなに綺麗な青年に会っていたらさすがのミトレットでも覚えているはず。
地位のありそうな青年を振り払う訳にもいかず、ただ縮こまるしかないミトレット。だが神はミトレットを見捨てていなかったらしい。人混みを掻き分けるようにしてこちらへ向かってくる別の青年の姿があったのだ。
その青年は近くまでやってくると、ミトレットと金髪の青年の間に割って入ってくれた。
「アレン、お嬢さんが困っているじゃないか」
「そうは言っても、気になって仕方がないんだもの。せめて彼女の名前を聞きたくてね。それは君も知ってるだろう?」
そのやり取りで、金髪の青年と今来た青年とが知り合いなのだと分かった。金髪の青年をアレン、と呼んだ青年は黒髪で、吊り目なのを更にキッと上げている。この黒髪の青年も、かなりの美形だった。美形の年頃の男性二人を前にしたミトレットは、心臓が止まりそうなほど緊張している。
ミトレットがそんな状態になっているとは思ってもいないのだろう。黒髪の青年は、金髪のアレンという青年を睨み付け、それは、と口篭っていた。
「お前がそう思っていたのは、知ってるが」
「でしょう。はあ、それにしても可愛いなあ。玉のような白い肌、癖のある栗毛も愛らしい。唇なんて、ああ……見てみろ、熟れた果実のようじゃないか。むしゃぶりつきたくなる」
金髪の青年は、ぺろりと自らの唇を舐めた。
(ひいい! た、助けてぇ!)
ミトレットはもう、捕食者に食べられそうな獲物になった気分だった。ぶるぶると震えて小さく身を縮める。ひぃ、という小さな悲鳴が、口から洩れる。
それを聞き咎めたのか、黒髪の青年が、ちっ、と舌打ちをしたのがわかった。
「おい、その辺にしとけよ」
「なんだいクレス、邪魔しないでくれないかな」
「するに決まっているだろう! お前、距離感って知ってるか?」
突然言い合いが始まって、ミトレットはそっと様子を伺う。
(な、なんだかよく分かんないけど、チャンス!)
今なら、青年二人はミトレットの方を見ていない。今が好機と、そろりそろりと後退り、身を翻した時だった。ミトレットはドレスの裾を踏んづけてしまった。
「あっ!」
衝撃に備え、目を瞑る。が、覚悟していた衝撃は訪れず、ただ何かに受け止められたのを感じた。
「大丈夫かい?」
間近から聞こえる声に目を開ければ、そこにはたった今、距離を取ろうとしていた金髪の青年の顔があった。もう一人の青年の、「あ、こいつ!」という怒鳴り声が聞こえる。
が、それどころではない。突然の事に、ミトレットは悲鳴を上げた。
「ひあぁ!」
「ああ、大丈夫そうだね」
優しく微笑んだ青年は、嬉しそうにミトレットの手を取った。そうしてミトレットの指に、そっと指輪を嵌める。
指輪は、不思議な輝きを纏ったものだった。金の台座は華奢で、いくつもの編み込まれた蔦がエメラルドを支えている。不思議なその輝きをよく見ると、エメラルドに乗せられた魔力なのだとわかった。これは、魔女の作ったものだ。それも特別、強い力の込められた。
ミトレットは指輪から青年へと視線を移す。どうしてこんなものをミトレットの指に嵌めたのか、まったくわからなかったからだ。
青年はじっとミトレットの瞳を見つめている。そしてあろうことか、ミトレットの顎に手を当て、くいっと上向かせるように動かしたのだ。
ミトレットはあまりの出来事に、身動きが取れない。
「あ、あ、あ、あの」
「……美しい。本当に、なんて綺麗なんだ」
ひゅっ、とミトレットは息を呑む。ミトレットにしてみれば、この青年のほうがよほど美しい。さらさらの金髪は絹のよう、瞳は宝石のエメラルドそのもの。顔立ちは整っていて、誰もが見惚れるに違いない。
そんなご尊顔が目の前にあって、どうして平常でいられるだろうか。目を見開くミトレットの頬を、男の指がそっと這っていく。
「君は——」
目の前のエメラルドが近付いてくる。吸い込まれそうなそれから、ミトレットは目を離せなかった。
「はい、そこまで」
それを、先ほどクレスと呼ばれた青年が強引に引き離した。エメラルドが遠ざかって、ようやくミトレットは、そのエメラルドに魅入っていた事に気が付いた。
(わた、わたしは、なんてことを……!)
エメラルドの瞳はとても近くにあった。それこそ彼と口付け出来るくらい、近かったろう。ようやくそれに思い至ったミトレットは、ぼっと顔が熱くなるのを感じた。
二人の青年はそのまま押し問答をしているようだ。
「アレン、いい加減にしろと言ったはずだ」
「惜しい。あとちょっとだったのに」
「お前な、彼女がどんな目に遭ってもいいって言うのか」
「…………」
「君、悪かったね。今のうちに行くといい」
「ひゃ、ひゃい!」
ミトレットは震える足を叱咤して、足早にその場を離れた。クレスという青年に礼を言うべきだったろうが、それは出来なかった。とてもではないが、金髪の青年の前に、これ以上いられなかったのだ。人混みに紛れてしまえば、きっと後を追えないだろう。そう思い、人の間を縫うようにひたすら進む。
走り去るミトレットを見送って、ようやくクレスは掴んでいたアレンの手首を離す。
「悪ふざけが過ぎるぞ。見ろ、どうするんだこの空気」
「それは申し訳ない、レジエーヌ卿」
クレスは、自分をそう呼ぶアレンに、眉を顰めた。クレスと話している間も、アレンはずっと少女が走り去った方を見つめたままだったのだ。ふざけたような態度でこそいるものの、彼の目は本気だった。友人の恋を応援したいものの、立場がそれを許さない。だから困っているのだと知っているアレンは、そんなクレスに笑ってみせた。
「いやあ、見ちゃったらだめだね。もしかしたら気のせいかなー、なんて思ってたんだよ、さっきまでは」
「本当か?」
「本当、本当」
アレンの脳裏には、覗き込んだ魔女の瞳が映っている。
間近で見たその虹はもう、アレンの中から消える気配はない。
「どうやらもう手遅れらしい」
アレンの言葉に、クレスは深くため息を吐いた。
ミトレットは、無事に我が家に辿り着いていた。街から家までは魔女の箒を使えばひとっ飛びだ。アニスが居ないので、ミトレットは箒を使って移動していた。ドレスでも問題なく飛べたが、今日はコントロールが狂って木に激突するところだった。間一髪避けて、家に着いた頃にはくたくたになっていた。
アクセサリーは全て外し、机に乗せたが、脱いだドレスを綺麗に掛ける気力が無かった。脱ぎ捨てたまま床に放置して、どさりとベッドに倒れ込む。
「はあ、疲れた」
疲れた、本当に疲れた。一応、目的は果たせたような気がするが、実際ミトレットに話しかけたのはあの金髪の青年だけ。それ以外には遠巻きにされていたから、アクセサリーの効果はよく分からないのが実態だ。
「どうしよう、これ」
言ってミトレットは左手を掲げた。そこには青年が嵌めた、エメラルドの指輪が鎮座している。あまりの出来事に返しそびれて、そのまま持ち帰ってしまったのだ。
そのエメラルドを見ていると、あの青年の顔が思い浮かんだ。
「きれいな人だったな……」
さらさらとした金の髪。それが揺れるたび、エメラルドの瞳も一緒に輝いて、それがミトレットを見ていた。口元は楽しげに弧を描いて、ミトレットを称賛した。
でもその称賛のほとんどは、ミトレットのものではなかった。彼が見ていたのは、ミトレットがアクセサリーで作った幻だ。だからミトレットはその言葉を素通りさせた。受け止める理由がそもそもなかった。
まあ、あれだけ綺麗な顔をした青年を魅了出来たのなら、アクセサリーの出来栄えは良いと言えるだろう。
ただ、ミトレットは地味な見た目だ。醜いわけではないと思うが、だからと言って美しいわけでもない。ただただ凡庸で、あんなに美しい青年に言い寄られるような存在ではない。
ミトレットは、そっと頬を指先で触れた。
抱き留められた、あの時。彼はミトレットの頬に手を添えた。そうして、見つめ合って——あのまま止められなかったら、口付けをしていたかも知れない。
そう思った瞬間、ぼっと頬が熱くなった。頬だけではない、顔中が熱い。
(あわわ、わたし、なんてことを……)
そんな姿を見られていたと思うと、とんでもなく恥ずかしい。ミトレットはベッドの上で転がって、足をばたつかせた。
(しょ、初対面なのに。知らない人だよ、あの人は)
ミトレットは再度ベッドの上を転がる。横向きになると丸くなった。
(で、でも、なんでか、嫌じゃなかった)
その理由はミトレットにも分からなかった。本来なら嫌悪して当然のことだろう、肩を抱かれ、不躾に近付いて顔を覗かれては。けれども彼にそれをされても、どうしてか振り払えなかった。
怖かった、緊張していた。それはもちろんあるだろう。けれどもミトレットは嫌悪していなかったのだ。だから振り払えなかった。
では、なぜ嫌悪しなかったのか? 考えたが、どうしてもそれが分からない。でも、彼の笑顔を思い浮かべると、ミトレットはほんのり温かい気持ちになった。嬉しいような、なんだかくすぐったいような気持ちだ。これは一体なんなのだろう。
考えるうちに、疲れていたミトレットの意識は沈んでいった。うとうとするとあっという間だった。ミトレットは、すぐに眠りに落ちた。




