<短編版>悪役令嬢に転生して傍若無人の限りを尽くしたかったけど、空きがないと言われたので極悪聖女を目指します!
「今ね、多いんですよ」
この神様の台詞を思い出したのは、神殿で聖女判定を受けたときだった。
大神官の声が聞こえたとき、記憶がよみがえったの。
日本の女子高生として生きていた前世だけじゃなく、死んだときのことも。
「女性なら特に悪役令嬢に生まれ変わりたいって希望が多くてね。なんでも悪役になって別のことを目指したいみたいで。早くて二年待ちになっちゃいますね」
「そ、そんな! わたし生まれ変わるなら悪役が良いって思っていたのに!」
わたしは昔から物語の悪役が好きだった。
潔いくらいまで自分勝手で、清々しいくらい分かりやすい思考回路が愛おしい。
まさに我が道をいく感じ。
わたしもあのようにありのままの傍若無人で生きたいと願っていた。
だから、生まれ変わるなら、悪役に憧れるのは当然のことだった。
「空いているのは、正ヒロインの聖女ですかね」
それを聞いてわたしは目を輝かせた。
「じゃあ、本物の聖女を追放しちゃう、なんちゃって聖女のほうは空いているんじゃないですか?」
確かアレも最後にざまぁされるけど、悪役だったはず。
わたしならもっと上手くやれる! ……たぶん。
「転生枠ではないので無理ですねー」
「そんな!」
「いいじゃないですか、聖女! 運命値最強なので、何をしても愛されますよ?」
違う。わたしは悪役を目指したいの!
そう訴える前に神様によって「若くして亡くなったんですから、来世は楽しんでらっしゃい」と問答無用でサクサクッと転生させられた。
※※※
「クリステル、其方を聖女として認める」
大神官の言葉でわたしは我に返った。
台座に置かれた水晶が、虹色に光り輝いている。わたしが水晶から手を離した途端、元どおり暗くなった。
そうだ、ここは神殿だった。
あまりにもわたしの周りで不思議なことが起きるから、家族に連れて来られたんだ。
わたしが聖女?
前世の記憶もよみがえり、混乱した中で、出た答えは一つだった。
絶対に聖女なんかになりたくない!
切なる願望を大神官に叫ぼうと思ったら、隣にいたお兄様にいきなり肩を抱き締められた。
「クリス、大丈夫? 聖女になっても僕がついているからね」
アルトお兄様は、そう言ってアメジストのように美しい瞳をわたしに向け、心配そうな顔をしている。
お兄様は、わたしが浮かない顔をしているから、不安になっていると思ったみたい。
「お兄様、わたしは……」
わたしがお兄様の誤解を解こうとしたら、お兄様だけではなくお父様にまで抱きしめられた。
「さすがだ、我が愛娘よ! やはり聖女だったか!」
お父様にぎゅーと抱きしめられて、わたしの顔はお父様のおなかあたりに押しつけれられる。
さすが鍛えているだけあって、太い腕もおなかも筋肉で硬い。
「ふがふが」
聖女になりたくないと主張したかったけど、二人にもみくちゃにされちゃって、それどころではなかった。
そのあと、喜んで舞い上がったお父様がお母様にも報告だと、そのまま馬車まで慌ただしく連行された。
神殿に抗議する暇もない。あっという間にドナドナよ!
石畳の上を我が家の馬車がパカパカと蹄の音を響かせながら進む。
馬車の内装は、対面式の座席だ。
「いやー、さすがはクリスだ。当家から聖女が現れるなんて、リフォード家の誉れだ」
わたしの向かいに座るお父様は、豪快にアハハと笑う。その言葉にお兄様がわたしの横で真面目にうなずいている。
「はい、父上のおっしゃるとおりです。クリスは自慢の家族ですね」
「うむ」
馬車の中でもお父様とお兄様はわたしの話を続けていて、わたしが口を挟む隙もなかった。
「クリスの金色の巻き髪は、まるで天使のベールのように柔らかいな」
そう言いながらお父様は腕を伸ばしてわたしの頭を撫でる。
「肌は絹のように白く滑らかで」
お兄様に隣から手で頬をすりすり触られる。
「父上に似た青い瞳は、美しい泉のように澄んでおります」
「うむ、其方よく分かっているな。大変よろしい」
わたしのべた褒めを傍で聞かされて、お尻がムズムズする。
ちなみにこのやりとりは、恥ずかしながら今回が初めてではない。
「アルト、其方はまだ在学中なので、二年後のクリスの学院入学に合わせて護衛に任命されるであろう。それまでに精進するように」
「はい、父上」
聖女の学院内の護衛は、年の近い身内がいれば、そこから選ばれる。
国王から騎士の栄誉を授与され長年傍で仕えるお父様が、ここまで確信した発言をするなら、もう決定事項だと思う。
あー、記憶が戻って頭の中がぐちゃぐちゃだったけど、やっと整理がついてきた。
そう! 高校生だった前世を思い出して気づいた!
ここは乙女ゲームの世界だ。
ありとあらゆる悪役をわたしは網羅しようと、悪役がいるゲームは色々とプレイしまくったから!
そのプレイした中の一つと同じだ。
聖女となった少女が、魔物と戦いつつ学院内で恋愛するゲーム!
黒髪美少年のアルトお兄様は、可哀想なことに五人いる攻略キャラの一人だ。
お兄様もわたしも現時点では知らされていないけど、実はわたしたちは血の繋がった兄妹ではない。
思い出して、わたしもびっくりー。
お父様は、わたしと同じ金髪碧眼で、筋肉ムキムキの男爵リフォード家の当主。
病弱なお母様に代わって、とてもわたしたちを可愛がってくれる。
先ほどのお父様のお話だと、どうやらゲームの設定と同じ筋書きみたい。
入学までの二年間に色々とやることができたわ!
悪の道を進むために!
でも、現状では聖女まっしぐらなのよね。
わたしは頬に手をつき、「はぁっ」とため息をつく。
「わたくしに聖女なんて務まりませんわ。むしろ、」
悪女になりたい、という台詞は最後まで言えなかった。
「まだ幼いのに、なんという謙虚さだ。父として、誇らしいぞ」
お父様に狙ったかのように大きな声で妨害される。
「クリスは不安なんだよね。先ほども言ったけど、学院に行っても僕が傍にいるから」
お兄様が覗き込むように見つめてくる。その紫の目は、温かく優しい。
お父様とお兄様がまたもや誤解して、わたしに対する好感度を爆上げですわ!
はっ! もしかして、これが神様が言っていた運命値最強というものなの!?
そんなものに負けないわ!
見てなさいよ!
自分の運命は自分で切り開いて、立派な悪役になってやるんだから!
わたしが拳を握りしめて、プルプル力を込めていると、お兄様に両手で握られる。
そのままお兄様の口元に持っていかれると、ちゅっと軽いリップ音を立ててキスされた。
お兄様の柔らかい唇の感触が、わたしの手から伝わってくる。
驚いて目を瞬くと、お兄様に茶目っ気たっぷりに微笑まれる。
伸ばした黒髪を後ろでまとめた涼しい顔が、わたしをじっと間近で見つめている。
「僕が目の前にいるのに、他のことを考えるからだよ?」
「……ごめんなさい」
前世からだけど、わたしって注意力がちょっと足りない。
それを優しく注意してくれるなんて、さすが頼りがいのあるお兄様だわ!
お兄様は攻略キャラだけど、超難関といわれた攻略ルートだったので、前世ではクリアしたことがなかった。
だって、お兄様ルートを選ぶと、他のキャラの信奉値(好感度ともいう)を上げづらくなり、ゲーム自体の進行難易度が跳ね上がる。
なおかつ他のキャラの主人公に対する信奉値も一定値以上ないとお兄様の攻略イベントが起きない。
しかも、学院には五年間通学するけど、三つ上のお兄様と一緒に通うのは二年間だけ。お兄様の卒業以降、好感度が一定以上ないと現れなくなるらしい。
その他にも色々と面倒くさい条件があったとネットで読んだ気がする。
わたし的には、基本的に悪役令嬢とのやりとりが見れれば満足だったので、結構手間なお兄様エンドを見ることを早々に諦めていた。
ところが、今の人生では、その前世の知識が大変役に立った。
なぜなら、その面倒くさいルートを通らなければ、お兄様と恋仲エンドには絶対に至らないから。
だから、仲良くしていても何も問題はない。
「はっはっは、我が家の兄妹は仲睦まじいな!」
そんなお父様のお言葉は、目をきらきらと輝かせて尊敬のまなざしでお兄様を見つめるわたしの耳には一切入らなかった。
二年後、王立の修学院にわたしは無事に入学した。
まぁ、その間に色々とあったけどね。
避暑地で家族と一緒に過ごしていたら、なぜかふだんは生息しない魔物に襲われたり。
お父様たちと狩りに出かけたら、なぜか瀕死の聖獣を見つけたり。
ホント、聖女の運命値って、怖いなー。
魔獣が強かったから、仕方なく聖女の力で浄化したら、魔獣のドロップアイテムがレアアイテムだったし。
可哀そうだから聖女の癒しの力で助けた聖獣は、懐かれてわたしの眷属になっちゃったし。
わたしの聖女としての名声が、かなり広がってしまった。
聖女の運命値はかなり手強い。こうなったら、聖女は聖女でも、極悪聖女を目指すしかないわ!
「クリス、頑張るんだぞ」
「はい、お父様! お見送り、ありがとうございます!」
わたしは馬車の中でお父様に抱き着いて、その頬にちゅっと親愛のキスした。
「では、行ってまいります! お兄様、よろしくお願いしますわ」
「ああ、足元に気を付けて」
お兄様に手を貸してもらって、わたしは馬車を降りた。
目の前には学院の正門がある。
「案内するよ、行こう」
「はい」
エスコートしてくれるお兄様に従う。わたしもお兄様と同じ制服に身を包んでいる。
カッコイイお兄様とお揃いだなんて、とても新鮮な気分だ。
改めてお兄様をじっくりと見つめる。
すらりと引き締まった体躯。怜悧そうな顔つき。うん、わたしの自慢のお兄様だ。
一緒に並んで歩けるなんて、とても鼻が高いわ。
予定どおり、お兄様は聖女の護衛騎士見習いの一人になった。
この世界の聖女は、いるだけで魔を遠ざける清い存在。
さらに圧倒的な魔力を持つため、貴重な人材である。それを国で保護するのは当たり前なので、護衛がつくのは当然な流れ――らしい。
学院には聖女のわたしだけではなく、王族や貴族も通うので、その身分の高さによって当然護衛が必要になる。
ただ、護衛対象はほとんどを安全な学院で過ごすので、学院内にいる間は在学中の人物に護衛を任されることが慣例となっていた。
そのため、護衛に適した人物が、護衛騎士見習いとして任命される。
アルトお兄様がわたしの護衛の一人に選ばれたのは、当然だった。
しかも、お兄様だけでは大変なので、実は護衛はもう一人いる。
「初めまして、二年に在籍のベナルサスです。学院内の護衛として、お傍にお仕えします」
赤毛の美少年が、わたしにお辞儀する。黒い目をキラキラさせて純真そうなまなざしでわたしを見ている。
これまた可哀想な攻略キャラの一人だ。
以前、ゲームをプレイしたときは、彼をパートナーにして順調にイベントを勝ち進むと、勝手に好感度が上がり、気づけば棚ぼた的に攻略してしまったので、わたしの中では要注意人物だ。
極悪聖女に純愛は不要なのよ。
わたしは彼ににっこりと笑う。
「クリステルです。ベナルサス様、お勤めお疲れ様ですわ。でも――」
いったん言葉を止めると、相手を挑発するように見上げる。
「わたくしに惚れたら恐ろしい目に遭いますわよ? 覚えておいてくださいね?」
「え?」
ベルナサス様は褐色の目を丸くして、わたしを食い入るように見つめる。
彼の戸惑いが手に取るように伝わってくる。
ふふん、そうでしょう。驚いたでしょう。
ふざけるな!って怒ると思って、わざと挑発したのよ。
わたし、悪女ですもの。性格の悪いことを平気で言えちゃうのよ。
「……恐ろしい目とは、一体どのようなことですか?」
「えっ?」
その質問は、わたしの予定外だった。まさか切り返してくるとは思わず、内容を何も考えてなかった。
わたしは慌てて、その恐ろしい出来事について考え始める。
「えーと、おやつの時間に楽しみにしていたクッキーをお兄様に全部食べられてしまったり」
そう、あのときは地団駄を踏むくらいショックだったわ。
お兄様ったら食いしん坊だから、厨房にこっそりつまみ食いしに行くのよ。
あれ以来、大事なおやつは自分の名前が書かれた箱に入れてもらって保存している。
悔しい気持ちを思い出しながら話すと、ベルナサス様はまるで残念なものを見る目でお兄様に視線を送る。
「可愛い妹のおやつを食べるとは、それはひどい所業ですね」
「そうでしょう。お兄様のことは大好きですけど、あれだけは許せませんの」
うんうんと深くうなずく。やっぱりベルナサス様もおやつの恨みの恐ろしさには、覚えがあるみたいね。
「で、それだけですか?」
「え?」
なんと! ベルナサス様には、この恐怖が物足りなかったようだ。わたしはまた必死に自分の頭の中にしまわれた恨み帳を引っ張り出す。
「そうですね。お父様の髭じょりの頬擦りなんて、かなり恐ろしいですわよ。それだけではなく、夏場にあの暑苦しいお父様の筋肉に抱きしめられると、さらに苦行ですのよ」
「そ、それは嫌ですね」
ベルナサス様はとても嫌そうな顔で即答だった。やはりお父様は、わたしだけではなく他の男性からも恐れられる存在のようだ。
お父様のことは大好きですけど、あれだけは耐えられないの。
「やっと、ご理解いただけたみたいですね。それではくれぐれもお気をつけくださいね」
「お、覚えておきます」
ベルナサス様は素直に返事をしただけではなく、口元を手で押さえて肩まで震わせている。
恐怖のあまりに震えているみたい。ちょっと脅かしすぎたかしら。
「クリステル様のお情けにすがろうと、思わず両腕でぎゅっと抱きしめたくなります」
わたしを見つめるベナルサス様の褐色の瞳は、怖くて泣きそうなのか少し潤んでいた。さらに、こみ上げる感情を必死に堪えているせいか、心なしか頬が赤い。
男の人を泣きそうになるほど怯えさせるなんて、我ながら罪なことをしてしまったわ。
極悪聖女を目指すとはいえ、罪悪感のあまりにため息が出そうになる。
とりあえず恋愛フラグを無事に折れて良かった。
昨日、寝る前に頑張って台詞を考えた甲斐があったわ。
「それは良かったわ。では、後ほど」
わたしはそう言うと、可哀想なベナルサス様とは別れた。
これから広間に行って新入生の歓迎式をする。
いよいよ同級生や先生たちと対面よ!
「全く、わが妹ながら恐ろしい可愛さだ。また信奉者が増えた気がする」
「お兄様、なにかおっしゃいましたか?」
小さい呟きで聞き取れなかったので尋ねたが、お兄様からは「なんでもない」と首を振られた。
お兄様がそう言うなら、きっと大したことではなかったのだろう。
お兄様はわたしを広間に送ったあと、すぐに自分の生活に戻っていく。
遠ざかるお兄様の背中を名残惜しい気分で見つめる。
ここからはわたし一人。
一瞬胸をよぎった心細さと不安な気持ちを、期待と希望で覆い隠して、広間に入っていく。
もうすでに多くの新入生が集まっていた。何人かのグループで集まり、おしゃべりに花を咲かしている。
会場には、丸い円卓と椅子が用意されている。座って待っている学生もいた。
わたしはさっそくお目当ての人物を目で探した。
「いた」
わたしの憧れの人が。
相手も気づいたらしく、わたしに目を留めたあと、さっと顔色を変えた。それからご友人たちを引き連れて、ゆっくりとした足取りでわたしに近づいてくる。
遠目にから見ても華やかな美貌が、わたしを一心に見つめて会いに来てくれるなんて。
同じ制服を着ているはずなのに、全然別物に見える。
感動で胸がいっぱいになる。
「其方はクリステルだな? あえて嬉しいぞ。私はレリティールという」
「え? レリティール様!? は、初めまして」
急に横から男子学生に話しかけられ、わたしはびっくりして相手を見つめる。
珍しい白銀の美しい髪が目に入る。
王子だ。王子がいる。
後ろに取り巻きを従え、眩しい王族イケメンオーラをキラキラと発している。
聖女として城に召致されたときに、彼の父親である国王に会ったことがあった。その国王によく似た容姿を彼はしている。
そういえば、彼はわたしと同じ新入生で、可哀想なことに攻略キャラだった……。
すっかり忘れていた。
最初から友好的なキャラなので、比較的攻略しやすかった気がした。
だから、極悪聖女を目指すわたしは、彼にも気を付けないといけない。
王子のエメラルドの瞳をじっと警戒して見つめていると、彼はにこりとご機嫌に笑った。
「一緒に学べるとは楽しみだぞ。友誼を深めるためにも、本日城に来ぬか?」
「え?」
さらっと登城しろというなんて! しかも当日に誘うなんて。
王子に誘われて目下の者が断るなんて非礼になってしまう。だからこそ、相手が受け入れやすいように余裕をもって誘うのが目上からの配慮だった。
このマナーを無視した振る舞いを見て思い出した。
ああ、そうだった。この王子は俺様キャラでした……。
ゲームでは相手の好感度を上げることが目的だったから、そんなに気にしたことがなかったけど、極悪聖女を目指すわたしの立場では大変対応に困った。
「えーと、お気持ちはありがたいのですが……」
こういうときって、どういう風に断れば、角が立たないのかしら。
あらかじめ断り文句を決めてなかったから、上手く思いつかなくてスムーズに言葉にできない。
今まで王子のことを忘れていたくらいだから、ゲームでどんなやり取りがあったのかも忘れている。適当に決定ボタンを連打して読み飛ばしていた。
昨日の夜、ベナルサス様の件と一緒に考えておけば良かった。
後悔先に立たずだ。
相手は王子だし、こちらが妥協すれば穏便に済ませられるだろう。
そう思うけど、どうしても譲れない事情が、わたしにはあった。
極悪聖女の目的以外でも。
「あの、その……」
わたしがしどろもどろになって困っていても、いつもはそばにいるお兄様がいないので、誰もフォローしてくれない。
こんなにお兄様の不在を不安に感じたのは、初めてだった。
いつもお兄様にいっぱい助けてもらっていたんだと、改めて実感した。
「ごめんなさい、今日は無理です……」
かっこ悪い返事だったけど、断りをなんとか言った。
「む、なぜだ? 先約でもあったのか?」
王子は柳眉を少ししかめる。
「はい。今日は兄と一緒に帰ることになっているのです」
「ああ、そうか。それなら其方の兄には私の側仕えより伝えて先に帰ってもらうとよい。其方は私と一緒に城へ向かい、帰りも責任を持って送るから足については心配する必要はない」
「え、でも……」
勝手に決められるのは、正直困るし、嫌だった。
「保護者の同伴なしで、わたくし一人でお城に行っても大丈夫なのでしょうか?」
遠回しに問題があるよね?って伝えてみた。
「ああ、学生同士の交流なのだから、気にする必要はないだろう?」
「え?」
わたしは王子の返事に耳を疑う。
いや、そこは良くないですよね?
今まで父上と一緒でしか他家に伺ったことがなかった。
しかも、未成年の貴族の令嬢が、親に許可を得ないで一人で外出なんて、心配かけるに決まっている。
王子の発言には、大きな違和感があった。
「……レリティール様が良くても、わたくしが困りますわ」
「なぬ?」
王子から不満そうな声が漏れた。顔つきも先ほどより険があり、とても不満そうだ。
あ、どうしよう。不穏な気配の予感。
後ろにいた取り巻きの新入生たちも、非難するような視線をわたしに向けてくる。
なぜ王子に歯向かうのかと。
わたしは聖女とはいえ、実家の貴族的な身分は高くない。
しかも、王子という最強な身分相手には、聖女効果が薄そうだ。
実家に迷惑をかけるわけにもいかない。大変不本意ながら、ここはわたしが折れるしかないのかしら。
そう思ったけど、やっぱり違うと思った。
その対応は、良識のある聖女のすることだ。
わたしは極悪聖女を目指すのだから、傍若無人でいいじゃないと開き直ることにした。
わたしは悪役のように口元に手を当てて、余裕の笑みを浮かべる。
「レリティール様の家に招かれて手ぶらなんて、恥ずかしくて嫌ですわ」
「な、なんだと……?」
王子はわたしの豹変具合を見て、明らかに戸惑っている。
「レリティール様はそんなこと気にされないと思いますが、ちゃんとレリティール様に気を遣って対応した人から見たら、わたくしはとても失礼な人になってしまいます。だから、きちんと礼を尽くしたいので、別の日にお招きくださいませ」
わたしがお断りをはっきり口にすると、周囲はシーンと静かになった。
すると、コツコツと硬いヒールの音が立てて誰かがこちらに近づいてくる。
「お話し中、失礼しますわ」
突然、一人の女子学生が割り込んできた。
わたしと王子は、驚いて彼女を見つめる。
「レリティール様、クリステル様がお困りになっておりますわ。学院内での約束なら学生同士で交わせますけど、学院の外での約束は保護者を通す決まりとなっているんですよ?」
「おお、そうだったのか」
王子は知らなかったのか、感嘆の声を上げる。
ああ、なるほど。先ほど違和感の正体は、これだったんだ。
王子は色々と誤解していたみたいね。
わたしも同じように知らなかったから、覚えておいて今度から断り文句に使おうと思った。
「クリステル、知らぬとはいえ失礼した。先ほど其方の発言には驚いたが、もっともなことだった。其方の立場では注意もしづらかっただろう。心遣いに感謝する」
「いえ、お気になさらず……」
わたしはあいまいに微笑みを浮かべる。王子の神妙な態度にびっくりして、反応に困ったから。
どうやら仲裁のおかげもあって、今回は上手くお断りの方向で話は済むらしい。内心、ほっと胸をなでおろしていた。
「うむ。では、後ほど其方の家に招待状を送ろう」
「はい、よろしくお願いします」
わたしはペコリと令嬢らしく礼をとる。実際、王子からの招待状なんて、下っ端貴族からしたら、ガクブルものだけどね。
わたしが作り笑いを浮かべていると、予想外のことに周囲から称賛の声が聞こえてきた。
「さすがは聖女だ」
「相手を立てつつ穏便に済ませるとは」
えっ、どういうこと?
極悪聖女を狙って、さっきはあんな傍若無人なことを言ったのに。
聖女として株が上がっちゃうなんて、ホント信じられない!
王子はわたしとの話はもう済んだのか、満足そうな顔をしてその場から去っていく。
さっと周囲の人の密度が薄まり、今度はわたしと女子学生が残される。
「あなたがクリステル様かしら? お初にお目にかかりますね。わたくしはアルメリアといいますわ」
彼女は肩にかかる豊かな黒髪を優雅な所作で払う。綺麗に巻かれた長い髪がふわりと舞うように宙に弧を描く。
「アルメリア様、初めまして。お会いできて光栄ですわ。クリステルといいます。先ほどはおとりなしをありがとうございました」
彼女のことは知っていた。
公爵令嬢なので、新入生の女子の中で、一番身分が上だ。
わたしがにこやかに挨拶を返すと、彼女はクスリと口元に手を当ててこれみよがしに嘲笑い始める。
「あら、クリステル様ったら、ただの学生の一人であるわたくしに会えて、何をもって光栄だなんておっしゃるのかしら?」
アルメリア様のわたしに対する揚げ足に対して、後ろに控えていた彼女の取り巻きたちも反応する。
「学院内は、身分を問わないというのに」
「何もご存知ないのかしら」
クスクスと嗤いながら、わたしに向かって刺々しい空気を放つ。
それを感じた途端、わたしの背筋に電流のような痺れが走る。
「それに、レリティール様に対して、あんな失礼なお断りを言うなんて信じられませんわ。社交をもう少し鍛えられたほうがよろしいのでは?」
アルメリア様はわたしを見下すように眉を顰める。
彼女から発せられる言葉を聞くたびにわたしの心臓が激しく鼓動する。
「……ばらしい」
「あら? いま、なんとおっしゃたのかしら?」
アルメリア様は口元に手を添えて妖艶に笑みを浮かべながら、わたしに嘲るような視線を向ける。
「ああ、なんて素晴らしいんでしょう!」
わたしは両手を胸の前で握りしめ、アルメリア様の美しさと吐き出される毒の数々に心を奪われていた。
「凛としたまなざし、神々しい美しさ! 若くして淑女としての所作はとても洗練されていて見本のよう! 闇夜を照らす月の女神ルードリアの祝福を授かったような黒髪! まさにわたしの理想そのものですわ! お会いできて本当に感激です!」
本物の悪役令嬢に会えて、わたしの感動はひとしおだった。
ずっと会いたかった。
だから思いの丈をご本人に伝えていた。
悪役令嬢だから、わたしみたいに転生して、前世を思い出しているかもしれないと心配していたけど、この様子だとまだのようだ。
その事実も、ますますわたしを興奮させる。
アルメリア様は大きな目をさらに大きく見開いてわたしを見つめる。
目を何度かまばたきする様子もとても素敵。
わー、まつ毛がすごく長い! 扇みたい!
ニコニコと満面の笑みでアルメリア様と見つめ合っていたら、彼女から突然視線を逸らされた。バリッと無理やり引き剥がすみたいに。
しかも、何かを堪えるように口元に手を当てていた。
「女神のお名前を出すとは、ずいぶんと大げさですわね。しかも、先ほどのレリティール様のときとは違って、ずいぶん饒舌ですのね」
すると、アルメリア様に続いて取り巻きたちの追撃が素早くやってくる。
「神々の名前を軽々しく口になさるなんて」
「本心ではないときに神々の怒りを買うことをご存じないのかしら?」
わたしはそんな彼女たちににっこりと笑いかけた。
「日頃から思っていることですから、スラスラと言えるんです!」
「なんですって?」
アルメリア様が信じられないといった目でわたしを凝視した。
「ク、クリステル様にお褒めに預からなくても、わたくしが優れているのは当然ですわ! では、ごきげんよう」
いつものように素っ気なく返答があって、わたしはますます嬉しくなる。
彼女は身分的に人気者で忙しいので、わたし一人に構っていられない。
颯爽とわたしから去っていく後ろ姿だって、とても艶やかだ。
「ごきげんようですわ! 良い一日を! アルメリア様!」
語尾にハートマークがつくくらい愛情たっぷりに別れの挨拶を返した。
いつもながら、アルメリア様はとても素敵だった。
はぁ、本物の迫力はすごかった。
アルメリア様は、もう一人の聖女として、わたしを目の敵にしている。
彼女の高貴な身分から、本当なら王子の婚約者としてすでに決定してもおかしくはないのに、わたしという聖女がいるから、まだ確定していない。
しかも、彼女自身、先ほどの王子に実は想いを寄せている。
だから、わたしと王子が仲良くすると、彼女はやきもちをして、あんなツンツンな態度をわたしにとってくる。
うふふ、彼女はすごく聡明で可愛らしい方なの。
ゲームの中でも何度も見たけど、やっぱり生で体験できるなんて幸せすぎる。
わたしは悪役令嬢に生まれ変われなかったけど、この人生においての醍醐味を見つけることができたわ。
ちょっとだけ溜飲が下がったかも。
でも、そんな風に感動にふけっていたから、
「わたくしに憧れていたなんて、困りますわ」
と、アルメリア様が頬を赤らめて照れていたことに、わたしは全然気付けなかった。
それから時間になり、学院長や教員たちが入場して、さっそく入学式が始まった。
そのとき、学院長の挨拶の途中で重大な事実を聞かされる。
「魔王復活の兆しが見えてきておる。安全と言われるこの学院でも、魔王の影響がないとも言えぬ。学生諸君、警戒を緩めず励むように」
この学院長の言葉に学生たちが一斉にざわめく。
不穏な学院生活の幕開けだった。
学院からの帰り道、わたしはお兄様とともに馬車に乗っていた。朝はお父様が護衛として同乗していたけど、今回は別の騎士が一緒にいる。
彼はわたしたち兄妹の向いに座り、最初の挨拶をした後は黙って座っていた。
「お兄様は魔王復活のことはご存じだったの?」
「ああ、父上から聞いていた」
「そうでしたのね。以前、避暑地で魔獣が出たのも、聖獣が瀕死だったのも、魔王のせいだったのかしら?」
「うん、そういう異変が他でもあったらしい。魔王の力が強まると、その眷属までも強化される。非常に厄介だ」
これもゲームのシナリオどおりだわ。
これからわたしの生活は、学院だけではなく、魔王討伐に向けても進んでいくのよね。
はっ、そういえば、魔王っていえば、ラスボスなのよね。
超、悪役じゃない!
彼と会うために、わたしは極悪な聖女を目指して、ますます頑張らないと!
わたしが拳を握りしめて気合を入れていると、お兄様に両手で握られる。
そのままお兄様の口元に持っていかれて、以前と同じようにキスされた。
優しく慈しむように。
それからお兄様は、わたしを深い紫の瞳で、じっと見つめる。
「今、何を考えていたの?」
「えっ?」
「クリスはたまに思いもよらないことをするから、心配なんだ。今日だって王子に無茶なお誘いをされたって聞いたよ? でも、どうして断ったりしたの? 不興を買うとは思わなかったの?」
お兄様の表情に陰りが落ちる。
「結果的にクリスの機転とアルメリア様のおとりなしで事なきを得たらしいけど、後で聞いたときは冷や汗ものだったよ?」
「お兄様、心配かけてごめんなさい」
わたしが反省してしゅんと気落ちすると、お兄様は違うと首を振る。
「クリスがここまでしたのは、何か訳があったんだろう?」
「え?」
そこまでわたしのことを信じてくれるとは思ってもみなくて、お兄様の優しさに胸の奥がじんわりと温かくなる。
そう、確かに理由があった。
「今日だけは、お兄様と一緒に帰りたかったんです」
そう正直に言うと、面食らったようにお兄様は目を瞬いた。
「……どうして?」
お兄様は心底分からないって顔をしている。
わたしは理解されないかもと不安に思いながらも口を開く。
「だって、ずっと憧れだったんです。お兄様と一緒に学院に通うことが。だから、入学した今日一緒に帰ることも、絶対叶えたいことの一つだったんです」
最初の記念すべき一日を大好きなお兄様と一緒に過ごしたかった。
そう説明すると、お兄様は息をのみ、紫の目を大きく見開く。そのままわたしを見つめたまま、壊れた機械みたいに固まって身動きしなくなった。
口まで開けっ放しだ。
「お、お兄様……?」
普段からは想像もできない乱れたお兄様の態度にわたしは戸惑いを隠せなかった。
じっと見守っていても、何も反応がないので、顔を近づけて食い入るように見つめると、突然脱兎のごとく後ずさった。そのまま勢いよく狭い馬車の壁にぶつかる。
「お、お兄様!?」
痛そうな音がしたので、「大丈夫ですか?」と顔を覗き込むと、お兄様の様子はまだおかしい。苦しそうに顔を歪めると、顔を伏せて震える手で胸元を押さえる。
「お兄様、具合が悪いのですか?」
突然の家族の異変に動揺すると、お兄様は俯いたまま首を横に振る。
「……いや、妹が可愛すぎて、困っただけだ」
「え?」
可愛すぎる?
あまりな理由にわたしは思わず苦笑した。
「もう、お兄様ったら、大げさですわ」
「大げさではない。可愛すぎて、すごく胸がぎゅっと締めつけられた。いまだに胸が苦しい。ほら、こんなに激しくドキドキしている」
お兄様に促されて、半信半疑なわたしもお兄様の胸に手を伸ばす。同じように手を当ててお兄様の鼓動を確かめてみる。
手のひらに全神経を集中させて、わずかな変化を見逃さないように注意する。
「——でも、馬車で揺れているから、全然分かりませんわ」
わたしが正直にそう答えると、お兄様は不満そうに口を尖らせた。
そんなお兄様の表情が可愛らしくて、わたしは胸の奥がくすぐったくなる。
やっぱりお兄様と一緒にいると、ホッと落ち着きますわ。
でも、わたしの記憶の中で、何かがささくれのように引っかかった。
既視感があったような気がしたからだ。
なんだろうって考えたけど、結局何も思い出せなかった。だから、大したことではなかったのかもしれない。
もし何かあったとしても、今日みたいに瞬時に対応すれば大丈夫よね——。
そう楽観的に考えて、わたしはこれ以上気にしなかった。
「今日の昼ご飯は何かしら? もうおなかペコペコだわ」
「ああ、クリスの好物を用意しているみたいだよ。入学のお祝いだからってコックが張り切っていた」
「わぁ、楽しみだわ!」
わたしは無邪気に家人たちの心尽くしを喜んでいた。
まさか、お兄様ルートの条件を着々とクリアしている最中だったなんて、このときは思いもしなかったから。
(終わり)
お読みいただき、ありがとうございました。
漫画サイトを見たとき、女性向けの作品の多くが、たまたま悪役令嬢ものだったので、このネタを思いつきました。