杖を持て
夕方、ティエナはセグンの治療に訪れ目を疑った。患者が部屋の中で立ち上がっている。彼女の医学の知識は乏しいが、あの傷で立ち上がるのが不可能ということくらいはわかるつもりだった。医師も一月は立てないだろうと言っていた。
王国で名高い戦士とは傷の治りすら凡人とはことなるのだろうか。常識外のものを目にして背筋が寒くなった。
「なにをしているんですか?」
「なにって、動けるかな、と」
「動けるはずないではありませんか」
「いや、そんなこともない。それに修道士に下の世話をしてもらうのも気が引ける」
気持ちはわからないではないが。
「あなたは負傷されているのですから、そのような気遣いは無用です」
セグンは崩れるようにベッドに座った。しかし、その口元には満足げな笑みが漏れている。
「すまないが、杖を一本ほしい」
「なりません。安静にしていて下さい」
とりつく島のないように、ぴしゃりと断った。
「ははは。ティエナ殿は厳しい」
騎士は、今度は声を上げて笑った。おまえに頼まなくても杖などはいくらでも手に入れられるのだぞ、そう嘲るような笑いだった。
ティエナはいつも通り薬を調合しながら、
「そういえば司祭様は明日お会いになると。本日はお忙しいようでお出かけになりました」
騎士は頷いている。窓の外を眺めながら。この病室は騎士にとっていささか狭すぎるのかもしれない。心は常に戦場を駆け回っているのかもしれない。
騎士は窓から唐突に目を移し、
「ティエナ殿はいつからここに?」
「半年ほど前からです」
「修道女ではないな」
「は?」
「いや、今は修道女であられるが、もともとは修道女でなかったのだろうと思ったまで。間違えていたら謝る」
騎士がなにを根拠に言っているのかわからなかったが、それは間違えではなかった。自分は修道女らしくないのだろうか。
「修道女として、わたしは到りませんか?」
「いやいや」と騎士は慌てて否定した。「そういう意味ではない。こちらの言葉足らずだ。あなたはとてもよくしてくれている。ただ、ふとそんな気がしたまで。気にするな」
気にするなというが、一度耳に入った言葉は、カップの中身を流すように、簡単には消えはしない。
「そう仰るセグン殿も、あまり騎士らしくはないのでは?」
「ほう。それはまたどうして?」
ティエナは多くの騎士を知っている。ここでもセグン以外に数人の騎士の看病をしている。他の騎士達は……、
「修道女の名を尋ねたりはしません」
「ははは。これは一本取られたかな」
あと、そんなに声を上げては笑わないし、ヤチツ卿に来いなどとは言わないし、司祭と会うとも言わないし、そもそも司祭が会いたいとも言わない。
「王国一の武勇を誇る騎士ともなると、やはり変わっておられるのですね」
セグンは差し出した薬を飲み干して顔をしかめた。
「ティエナ殿、また砂糖を忘れたな」
話ながら作っていたので、ついつい忘れてしまったのかもしれない。
「あ、すみません」
恥じ入り、慌てて謝ると、騎士はにたりと笑って、
「冗談だ。今日はちゃんと入っていた」
すまんすまん、と実に楽しそうにカップを返してきた。
なにか一言罵ってやろうと頭を回したが、慌てた自分が恥ずかしく、まんまと騙されたことが悔しく、言葉が生まれない。カップをひったくって足早に廊下に出て、バカ騎士、と一言毒づいた。