第九六話 未来視
未来視
二月七日の土曜日。
一月二八日にマスクライダーの原作者であり、数々の名作を世に発表した森石先生が亡くなった。
偉大な先人の訃報は、遺作ともいえる映画に関わった者としてかなり堪えた。
だが、俺と先生の関わりは、世間から見たら僅かな物なので、葬儀などには出席せず、後日に弔問をすることにしてある。
九〇年代マスクライダーを揃えた映画は、興行的に十分な成功をしたと言って良い結果が出ており、先生のプロダクションには後に平成ライダーシリーズと呼ばれるようになるTVシリーズの交渉もすでに入っている。
先生が亡くなることは織り込み済みでの交渉なので、時間を掛けながら作り上げていくことになるだろう。
また、先生が亡くなったことで、サイボーグ9などのアニメ向きの作品の制作交渉にも入ることになった。
こちらも映画版マスクライダーの成功が大きく影響しており、時間はかかるが、ほぼ制作は決定したと言って良いだろう。
先生の死を切っ掛けに、莫大な金銭が動き始めることになるが親族の方々も縁のない企業と交渉して心労を重ねるよりは、昔から交流のあるバンタイとの交渉なので、少しは気が楽になってくれるかと信じたい。
以前の歴史では、ベックスの映像制作部門がこの件を主導していったようだが、この時間軸では、バンタイが東大路グループになっていることで、交渉が優位に働いている。
一月は、水城加奈と大林ユウのシングルとアルバムを発売した。
水城加奈は、レコード大賞の影響でマンスリーランキング一位となった。
大林ユウは、デイリーランキング三十位に入れたので、程良い出発だと思って良いだろう。
これからの大林ユウは、センヤンと完全に縁を切らせてミストレーベルの色に変えていくつもりだ。
手始めに大林ユウは、未来で有名声優となっていたので、四月から声優の養成所に通ってもらうことになっている。
そこで、しっかり鍛えつつ、シングルを出していこうと思う。
上森明菜プロデュースとなったミックスパイは、今月の初めにシングルをだして正式にデビューとなった。
こちらは、センヤンのアシスタントをすることになっていて、アイドルとしての活動を始めてもらう。
明菜さんとしては、とりあえずメディアでの露出を多くしていく方針で、そういう仕事を優先的に取って来てもらうように事務所側に頼んでいるそうだ。
玉井がやっているラジオ番組にも週替わりアシスタントで入れてみてはどうか、と言う話もしているらしい。
元々は、水城と二人でやっていたが、いつの間にか玉井一人になっているそうなので、俺からも良いアイディアだと押しておいた。
そんなことを考えながら、今日の俺は自宅のリビングでテレビをずっと見ている。
高校は、三年の三学期に入ってから、ほぼ自由登校になっているので、午前中からのんびりしていても問題はない。
何を見ているのかと言えば、長野オリンピックの開会式だ。
和を意識しているようで、ところどころで和風の何かが使われている。
特に面白いと思ったのは大相撲の力士の方々が、選手団のプラカードを持って入場していたことだ。
その他では、いろいろと実験的な映像技術や演出技術を使っているようで、この時代に急速な技術の発展をして行ったことを感じた。
選手入場は、ギリシャから始まり日本で終わる予定となっている。
長い選手入場を眺めていると、急な眠気が襲ってきた。
睡魔に抗えることができなくなり、日本の入場を知らせるアナウンスが聞こえたところで、意識が途絶えてしまった。
意識が戻ると、やたらと頭がぼんやりとし、体も妙に気だるい。
動かそうとすると、筋肉痛の様な痛みすら感じる。
何がどうなっているのか良くわからないが、瞼を開いて周囲を確認する。
え、病院?
俺はどうやら病院の一室、しかも個室にいるようで周囲には医療機器がいくつも置かれ、それらが俺に繋がれているようだ。
ぼんやりとした頭で考えてみるが、なぜこんな状況になっているのか良くわからない。
確か、長野オリンピックの開会式を見ていて、日本の選手団が入場したところで記憶が無くなっている。
それ以外に、現状に繋がる何かを思い出そうとしても頭が良く働かないようで思い出すことができない。
前身を覆う防護服の様な服装の人物が俺の視界に入り、声をかけて来る。
「桐山さん、ご気分は如何ですか?」
状況確認をしたいが、俺の持っている情報があまりにも少ないので話をあわすしかない。
声から防護服の人物は男性のようで返事をしようとしたが、呼吸マスクを付けられているようで、上手く話せず、小声で応対する。
「……けだるさやらはありますが、気分はそう悪くはないです」
「今、ご家族と友人の方々がお見舞いに来ていらっしゃっています。直接会うことはできませんが会話はできそうでしょうか?」
直接会えない?
良くわからないが了承しておいた方が良さそうだ。
「……よろしくお願いします」
それから、モニターが運ばれ、別室にいる人物たちが映し出された。
まず、驚いたのは美月とその旦那がいることだ。
二人の様子は、二〇二〇年近くの雰囲気に似ている。
さらに驚いたのは明らかに四十歳前後の上杉とその妹の園子がいた。
園子は二〇二〇年近くの成長した姿だった。
このころの園子を俺はのんって呼んでいたんだったな。
「お兄ちゃん、まだ辛い?」
「……良くわからない。今日は何日だ?」
「病院にずっといると日付の感覚もおかしくなるよね。今日は七月二四日の金曜日だよ」
「何年だ?」
「ん、二〇二〇年だけど、そのあたりまでぼんやりしているの?」
二〇二〇年七月二四日は、東京オリンピックの開会式の日だ。
おかしい。
俺の記憶では、今日は仕事に行っていたはずだ。
「東京オリンピックはどうなっている?」
「え、三月末に一年後へ延期になったって決まったよ?」
どういうことだ?
頭が混乱して来た……。
「彰兄、きっと大丈夫だから。もうすぐワクチンとか良く聞くお薬が使われ始めるはずだからね。もう少しの辛抱だからウィルスなんかに負けちゃダメだよ」
「……のん、会えて嬉しかったよ……ごほごほッ」
久し振りに成長した園子に会えて、思わず感謝の言葉を言ってしまったが、何か別れの言葉のようになってしまったかもしれない。
それにしても、園子の話から推測するに、俺は何かウィルス由来の重病になっているらしい。
モニターの向こう側で、何かを言っているが急に音が聞き取りにくくなってきた。
あちらの看護師が何かを言ったようで、それぞれに見舞いの言葉を残してモニターが消えた。
「桐山さん、辛いでしょうが、もう少しの辛抱です。全力を私たちも尽くします」
「……お願いします」
ぼんやりと遠くに聞こえる男性の声、おそらく医師の声に小さな声を返したところで、意識が途切れた。
目が覚めると、自宅のソファーで寝ていたようで、毛布が掛けられていた。
キッチンには、美月と美香がいるようで、夕食の準備をしているようだ。
急いで、カレンダーを見ると、一九九八年二月七日となっている。
やたらと現実感のある夢だったな。
未来におきる出来事の一片なのかもしれない。
タイムリープをしたような俺なのだから、幾つかある未来の可能性の一つを見たとしてもふしぎではない。
一応、洋一郎さんに話しておいた方が良いかもしれないな。
何かしらの未来への布石になるかもしれない。
それから、美月たちが夕食の準備が終わったころに母親が帰宅して普段通りの夕食となり、その後は何もおかしなことはなく日常に戻って行った。




