第八七話 飾りじゃない人
飾りじゃない人
九月二七日の土曜日。
今週は、クロスジャパンの解散発表の話題が、日本中を駆け巡り、嫌でもクロスジャパンが解散することを理解させられた。
さらに、テレビやラジオ、雑誌などで、自称関係者たちの出所不明の話が飛び交った。
ヨキシとヒデトに送ったメールの返信も来ていないので、現在の彼らの状況はわからない。
元々、メールのやり取りは緩いペースでやっていたので、こんな物と割り切ってもいるが、気になる物は気になってしまう。
とりあえず、事態が急激に動いても良いように、今まで何度も勧められては断っていた携帯電話を持つことにした。
ヨキシとヒデトには、再びメールで携帯番号を知らせて、ついでに前回は内容が衝撃的で、書き忘れていたこちらの近況を書いて送っておいた。
俺がPHSや携帯電話を持つことを嫌がっていた理由は、二〇〇〇年代になれば、どうしても携帯電話は持たなければならなくなるだろうし、せめてギリギリまで携帯電話で突然呼び出されるなどの面倒ごとを避けたかったからだ。
それに、この時代の携帯電話には、インターネットへの接続機能がないし。そうなると必然的に、メールも送れない。
ショートメール機能があるが、機種と契約会社によって使えない場合が多く、直接機種と契約会社を事前に知らせ合わないと使えない機能だった。
せめてインターネットだけでも使えるようになれば、話も変わるのだが、後二年ほど先になるんだよな。
インターネットやメールが使えるようになっても、料金プランやらの問題で、携帯電話を複数持つ者も現れる時代が来る。
流石に俺は、そんなことをしたくはないので、大人しく将来的に東大路グループが買収する予定にしている携帯会社一社としか契約しないつもりだ。
そんなわけで、携帯電話とポケベルを使い分けて生活する日々が来てしまった。
世の中にスマートフォンが登場したなら、すぐに手に入れよう……。
そうだ、スマートフォンに関わる特許で、今のうちなら取得可能な物もあるかもしれない。
可能なら手に入れておくべきだな。
ミストレーベル企画室に入るところで、七瀬さんに呼び止められて資料を渡された。
夏から移籍交渉をしていた人物が今日、紀子さんのところに来るそうで、俺も同席した方が良いらしい。
今年の十二月末で今のレコード会社との契約が切れるため、来年一月からこちらへ移籍するとのことだ。
俺が移籍やデビューの話に立ち会うことは、たまにあり、印象深かったのはイズムさんがヴォーカルを勤めるサズナだ。
サズナは、イズムさんのヴィジュアルが目立つが、激しい音から心地良い音まで作り上げていくバンドだ。
だが、事務所との関係があまりうまくいっていなかった記憶を思い出し、デビュー前にこちらから接触して、多少強引に所属予定だった事務所から引きはがし、こちらに引き込んだ。
現在は、ラルアンシェルの所属している社内レーベルのベンチャークルーレーベルに入ってもらい、サズナの代表曲と言っても過言ではない『メルティックラブ』が大ヒットしている。
俺の記憶にある二つ目のヒット曲は、カバー曲なのだが、ブラウンミュージックからでは使いにくい他のレコード会社の曲になっているので、雰囲気だけを似せた曲を俺が書いて、もうすぐ発売されることになっている。
さて、七瀬さんから手渡された資料を眺め始める。
う、これは、大物だな……。
資料にあった名前は、上森明菜だった。
一九九七年現在の年齢は三二歳か。
昭和のアイドルとしての印象が強いので、もう少し年齢が上の人物だと思っていたが、そうでもないんだな。
デビューは一九八二年の十六歳の時で、歌手としても女優としてもすさまじい活躍をしているようだ。
二十代後半からは、アイドルではなくミュージシャンとしての生き方を歩んでいるように感じる。
俺が特に気になったのは『ウタヒメ』と言うカバーアルバムを出していることだな。
これをウタヒメプロジェクトのような名称の企画にして、ブラウンミュージック所属の女性ミュージシャンでカバーアルバムを何枚も作っていけば面白そうだ。
だが、彼女には、未来でトラブルを呼ぶ歌手としても有名だった記憶がある。
こういう場合、自らトラブルを好んで呼ぶような人物はまれで、何かのきっかけがあり、トラブルを招きやすくなっている場合が多いと俺は思っている。
彼女の場合、その切っ掛けが、一九八九年の自殺未遂にありそうだ。
当時、交際関係にあったジャーニーズのアイドルの遠藤真彦の自宅マンションで、上森は自殺未遂をしてしまった。
それから治療の事もあり、休業に入るが、復帰して間もない頃に、世の中を騒がせたことに対しての謝罪会見をしている。
この謝罪会見の状況がおかしく『金屏風事件』と呼ばれているそうだ。
あくまで噂を繋ぎ合わせたような話になるが、この時の会見をセッティングしたジャーニーズの女性幹部に上森は、遠藤との婚約会見をすると嘘の話で呼び出され、遠藤からも話を合わせるように強く言われたそうなのだ。
話が違うことに混乱した上森は、そのまま謝罪会見の場に連れていかれ、会見が始まってしまったとのことだった。
この会見では謝罪会見なのに、二人の後ろには金色の屏風が建てられていた。
そのおかしさから、この出来事が『金屏風事件』などと呼ばれることになってしまったようだ。
あくまで、真相は、本人たちの心の中にしまわれているので、真実はわからない。
俺も、この話の真実を知りたいとは思わない。
だが、仕事に支障が出ると良くないので心境の確認だけはしておくべきだな。
そうして、一通りの資料に目を通したところで、七瀬さんが呼びに来て紀子さん専用応接室に連れていかれた。
中に入ると、すでに紀子さんと上森明菜は居て、俺が最後のようだった。
「明菜さん、紹介するわ。彼が桐峯アキラ君。うちの若手を集めているミストレーベルの主宰でもあるわ」
「初めまして、桐峯アキラです。よろしくお願いします」
「こちらこそ初めまして。上森明菜です」
「契約の話は、ほぼまとまったわ。来年の一月から、こちらの所属になる。桐峯君の曲も歌いたいそうだけど、どう思う?」
「資料を一通り読ませて頂いたのですが上森さんは、セルフプロデュースができるようですよね。それに作詞もできるとありました。僕からは曲だけを提供するのが良いと思うのですが、どうでしょう?」
「歌詞は、自分で書いた方が良いのですね。それにセルフプロデュースですか。自分でいろいろと決められるのは嬉しいです。アイドル時代は、誰かに指示されたことばかりでしたから、自分で作っていくのは楽しそうです」
「難しいと感じた場合は、僕でも良いですし、世代の近い方や先輩方にプロデュースを頼めば良いだけですので、やれるだけやってみるのをお薦めします」
「そうね。桐峯君の言う通りにしましょう。曲も桐峯君の曲だけじゃなくて、いろいろな人の曲を使ってみるのが良いわ」
「今って衣装の桃井さんは、バンタイの方でしたっけ?」
「彼女は、ドラマの衣装をずっとやりたかったらしいから、ライダーシリーズが続く限りは、あちらにいることになりそう。レモンのチームには、桃井の後輩の梅津が入ったから、彼女もかなりの物よ」
「なら、その梅津さんに衣装関係を頼むのが良いですね。うちの母親もレモンさんのチームを気に入っているそうですから良いと思います」
「わかったわ。明菜さん、後で裏方のチームを紹介するわ」
「はい、よろしくお願いします」
「その、気分を悪くさせてしまったら申し訳ないのですが、仕事に差し障りがあるといけないので、単刀直入にお聞きします。ジャーニーズの遠藤さんの事とその後の記者会見の事、どう思っていますか?」
「うーん、仕事じゃなければ答えないところですが、桐峯君は、プロデューサーとしても活躍しているのだから、そんなところも気にしなくちゃいけないんでしょうね。遠藤とのことは、若い頃の恋愛話だと今は思っています。ですので、良くも悪くも思い出になっています」
「遠藤さんには、恨みやそれに似た感情はないんですね?」
「全くないと言えば嘘になるけど、恋愛は、そんな物だと思っていますね」
「わかりました。では、ジャーニーズの方には?」
「横から強引に引きはがすようなことをされたことは不愉快でしたね。でも、復讐をしたいとかそんな気持ちはないんです。それよりも私の様な思いをする女性をジャーニーズには出さないで欲しいと思っているのが本音ですね」
「なるほど、ジャーニーズが、おかしなことをしないことを願っているのですね」
「そうなりますね。ですので、今のジャーニーズは、上手く行っているようですから見守りたい気持ちです」
「わかりました。僕は、四十歳になっても六十歳になっても歌いたいミュージシャンは、ずっと歌い続けられるような音楽を作って行きたいんです。上森さんは、僕の理想に近い人物かもしれません。心配事があれば、年下だからこそわかることもあるかもしれませんので、何かあれば話に来てください」
「ええ、そうさせてもらいます。桐峯君が、一生懸命なのは十分に伝わりました。これから仲良くしてくださいね」
「こちらこそお願いします」
それからは、アイドル時代の武勇伝のような芸能界の怖い話をいろいろと聞かされた。
あの人とあの人は、かなり仲が悪いとか、最近離婚した夫婦の実情とか、聞かない方が良いような話を語ってくれた。
明菜怖い……。
ついでに明菜さんと呼ぶことも強要された。
そんな会話がされている中で、ベンチャークルーレーベルについて考えていた。
ベンチャークルーレーベルは、元々ラルアンシェルの所属する一つの事務所だった。
そこがラルアンシェルのドラマーの不祥事で、ソニーズとの契約が切られ、大きな負債を抱え、ブラウンミュージックに身売りをした経緯がある。
そんなベンチャークルーレーベルにサズナを入れてみたところ、上手く回っているようだ。
さらに上森明菜をベンチャークルーレーベルに入れてみたらどうなるのだろうか。
案外、上手くいきそうな気がする。
「あの、明菜さん。ラルアンシェルってわかりますか?」
「ええ。知っています。今年の春ごろに大変なことになっていたバンドですよね」
「そのラルアンシェルは、ブラウンミュージックの社内レーベルのベンチャークルーレーベルってところにいるんです。明菜さんもそこに身を置いてみませんか?」
「えっと、メリットは何になるのでしょう?」
「ベンチャークルーレーベルには、明菜さんと同世代のスタジオミュージシャンが何人もいるんです。名義は上森明菜でもやり方次第で、ロックバンドのような作り方も可能なんです。そこがメリットですね」
「今までもバンドメンバーを固定してやっていたことはあるけど、本格的なロックバンド風となると、やっていないかもしれない。面白そうですね」
「個性豊かな方々がいるようですので、楽しいと思います。紀子さん、良いですよね?」
「あそこのレーベルは、元々一つの事務所だったから、結束力みたいなのが強いのよね。明菜さんが本気だとわかれば強力なプレイヤーたちを味方に付けられるわ」
「なるほど。一度、そのレーベルの方々に会ってみたいですね」
「それは、大丈夫。こちらでセッティングするから、日時だけ合わせてくれたら良いわ」
「はい、それでお願いします」
こうして、上森明菜は、ベンチャークルーレーベルの一員となって行った。




