第八六話 マスク
マスク
九月二〇日の土曜日。
今日は、ミストレーベル企画室で、カレンにバンドを組んでもらう予定のベーシストを紹介することになっている。
真夏でもゴスロリ衣装だったカレンなので、当然のようにゴスロリ衣装でここにいる。
真冬になるとどうなるのだろうか。
「そういえば、蜜柑さんとアキラさんのアルバム、良く売れていると聞きました」
「タイアップを採っていないのに、ランキング二十位以内からのスタートだったからな。俺の予想を超えていた」
「二人の英語の会話が特に良いです。全曲が英語の歌詞なのに、全体的にほんわりしている気がしました」
「蜜柑とロンドンは相性が良いのかもしれない。留学をしている今じゃないとブリティッシュイングリッシュをしっかり発音ができなくなりそうだから、どうしても録りたいって話で、急きょ作ることになったアルバムなんだよな」
「アメリカ英語とイギリス英語って、そんなに違うんですか?」
「違うのは、わかっているし一応の説明もできるんだが、例えば関西弁と東北弁の違いって何かって聞かれても、案外答えにくいと思わないか?」
「確かに一つ一つを説明することはできても、全体を説明するのって難しいかもしれないです」
「そんな感じなんだよな。現地に行くとスイッチが切り替わって言葉が変わる感覚っていうのかな。そんな感じで俺は使い分けているみたいだ」
「私も海外に行きたいです!」
「カレンは、デビューして、そんなに遠くないところで海外に行くかもしれないから最低でも英語くらいは、辛うじてしゃべれるレベルにしておいてくれると助かる」
「ドイツやフランスでも英語が通じるんですか?」
「場所にもよるな。それなりの街の大きなホテルとかなら通じるから、覚えておけば楽にはなる。本当は、五か国語くらい覚えておくと便利なんだが、流石に俺もそこまでは無理だしハードルが高すぎるよな」
「アキラさんも普通の人間なんですね。安心しました」
「本当に皆が俺の事を化け物って言うから、困る……」
それからもカレンと話を続けて、オーディション企画の進行状況などを話していった。
先日アイドルユニットの名前が『ミックスパイ』と発表された。
敗者復活組のデビュー条件も同時に発表され、十一月に手売りで五万枚を売り切れば、デビューとなることになった。
今回の曲は『夢の種』と言う曲で、あえて昭和のアイドルグループの雰囲気を意識して作り込んである。
この方が、馴染みやすいし、コーラス割も簡単に感じたのだ。
おそらくセンターヴォーカルは、平氏になる。城沢と高部がセンターサポートに入り、そのほかは主にコーラスとなりそうだ。
もちろん、個別のパートも少しずつ用意するつもりなので、全員の声がしっかり聴けるようにするつもりだ。
大林の曲は『スターゲイザー』と言う曲になっている。
ここはまだ夜空が見えるだけの世界で、星の世界ではない。スターにあこがれて星の世界を目指そうとする少女の歌に仕上げてある。
アレンジを、センヤンで流していた物と変えて、ハニービーに新しいアレンジを依頼してみた。
彼女たちは、まだ中学生だが持っている感性は、ベルガモット以上だと感じている。
彼女たちの等身大のイメージで編曲したなら、どんな曲になるのか知りたかった。
リコとシナノは、やる気十分といった具合で、ユカリたちも乗り気になっている。
もし、上手くいかなかった場合は、センヤンで流したバージョンでデビューさせても良いし、改めて編曲家さんに依頼しても良いと思っている。
そんな話をしていると、ドアがノックされカレンに会わせる予定のベーシストが入ってきた。
分かってはいたんだが、やはりすごいな。
彼は、頭からカラフルなホースが飛び出している軍用の防毒マスクを改造したものを被った姿であらわれた。
スチームパンクのイメージだろうか。湯気でも出していそうな雰囲気だな。
彼の名は、柴田アツシと言う。
実は以前の記憶で俺は彼と会っている。
お互いに何の仕事をしているのかは、話したことはなかったが行きつけのジャズバーで知り合い、備え付けの楽器で何度もセッションをしている。
ベースの腕前もなかなかだったのだが、彼は趣味でマスク造りをしていて、ネット販売やアート系の即売会で販売をしていた。
養成所の訓練生のプロフィールは、ツカサの件以降、あまり目を通していなかったので、彼が高校に入ってからここに通い始めていたことを俺は知らなかったようだ。
実際に会い、俺たちへの悪印象はなく、ベースの腕前も原石のレベルだがなかなかよかったので今回の話に乗ってもらうことにした。
「スーハー、桐峯さん、どもです。柴田アツシです。スーハー」
「マスク造りが趣味とは聞いていたが、すごい物だな。流石に話しにくいからマスクを取っても問題ないのなら、外してくれないだろうか?」
「スーハー、そうですね。驚かしてみたくて被ってきました。すぐに外します。スーハー」
柴田の父親と兄が陶芸家だそうで、柴田本人は、都内の販売拠点となっているマンションで育ったと聞いたことを覚えている。
おそらく今は、そのマンションで暮らしながらマスクを作っているのだろう。
年齢はカレンと同じで高校二年生だ。
彼を改めて見ると、親や家族の影響は、本当に大きいと思ってしまう。
俺と美月も母親の影響を強く受けているが、柴田もそうなのだろう。
「はい、マスクを取りました。改めてよろしくお願いします」
マスクをとると、たれ目の優し気な顔が現れた。
マスクを被ることに意味があるのだと思うが、あまり深くは触れない方が良いだろう。
何かをこじらせた哲学的な話が出てきそうだ。
「ああ、改めてよろしく頼む。こちらの彼女がカレンだ。まだ訓練中だが会わせておきたかった」
「カレンです。よろしくお願いします」
「妖精姫ですよね。殿下とか姫様って呼んだ方が良いんでしょうか?」
「どうなんでしょう?」
「うーん、役作りも大切だけど、まだ二人は修行中だから、あまり気にしなくても良いと思うぞ」
「なら、とりあえず姫って呼びます」
「姫ですか……。了解です。なら私は、普通に柴田君って呼びますね」
それから設定と音楽の方向性について話し合った。
「桐峯さん、設定は、まだ変わるのでしょうから、その都度更新ですよね。音楽性のことなんですがゴシックメタルって言うのがあまり理解できていないみたいです。どんな感じなんでしょう?」
「うーん、ブラウンミュージックの所属で言うと初期の悪夢さんたちが、ゴシック系になるかな。でも彼らの音楽はメタルではないから、歌詞がゴシック系だと思えばよいと思う」
それから、悪夢の初期のアルバムを持ってきて、三人で聴くことにした。
「……アキラさん、悪夢ってシングルの曲は、かっこ良いイメージの曲に感じていましたが、アルバムの曲は、こんなにも心をえぐって来るんですね……」
「ああ、俺もこのデビューしたころの悪夢の曲は、きつい。それでも良い曲ばかりなんだよな」
「わかります。心がグってなるんです。痛いけど心地よいおかしな感じです」
「柴田はどうだ?」
「仁時さんのベースが本当にかっこ良いですよね。こう言うベースなら、おかしな設定でも目指してみたいです!」
「仁時さんとは、面識があるからある程度の腕前になったら会えるようにしてみようか。柴田の目指す音は、仁時さんでまずはやってみるのが良いかもしれないな」
「はい、そうします」
「あ、マスクなんだけど、他にどんな物が作れる?」
「そうですね。土台になるマスクがあればそれを使う時もありますし、革細工で使う革から切り出して土台にする時もあります。何か作りましょうか?」
「このバンドで、ドラムがみつからなかったら俺が参加しようかと思うんだ。その時に流石にライブハウスで活動しているときに素顔の桐峯アキラだとまずいから、と思ったんだ。ドラム探しはまだ続けるから一応の確認のつもりで聞いてみただけだな」
「え、桐峯さんがドラムで参加してくれるんですか。どんなに激しく動いても取れないし邪魔にもならないマスクを作るんで、参加してください!」
「もし参加しても、しばらくは極東迷路の活動が優先になるから、あまり期待はしないでほしい」
それからもゴシック系バンドとメタル系バンドの曲を三人で聴き続け意識のすり合わせの作業を行った。
カレンと柴田の相性は、問題なさそうだ。
後のメンバーをどうした物か……。
自宅に帰り、メールの確認をすると、ヨキシとヒデトからメールが届いていた。
ああ、内容を読まなくてもわかる……。
ヨキシのメールから確認し、続いてヒデトのメールを確認する。
二人のメールの文章は、ほぼ同じでメールのやり取りをしている個人に向けた事前のお知らせと言った様子だった。
九月二二日の月曜日に記者会見を開き、解散発表をすると言うことだ。
今年の四月二十日にトシヤから脱退の意向を聞かされ、説得を試みたが引き留めることはできなかったそうだ。
新たなヴォーカリストを迎えることも考えたが、クロスジャパンの曲は、トシヤの声でイメージした曲ばかりで、難しいと判断したと書かれてあった。
半年ほどの時間が空いているのは、ライブ映像をまとめた作品を作っていたそうで、一区切りがつくまで沈黙をしていたとのことだった。
そうか……。
ヨキシには、トシヤと向かい合うように話したこともあったが、届かなかったようだ。
トシヤの苦難の日々は、ここから始まるのか、それとも今までも苦難の日々だったのか、俺にはわからないが、約十年程彼は宗教組織に囚われてしまう。
俺は、彼自身が選んだ道だと、あえて留めなかった。
この選択で正しいかどうかなんてわからない。
だが、彼の音楽には必要な時間だったのではないかとも考えている。
俺は、音楽の呪縛にまだ縛られているようだ。
自分の聴きたい音楽のために、人の命と聞きたい音楽を天秤に掛けてしまったのかもしれない。
ヒデトの音楽の続きも聴きたいし、洗脳から覚めた後のトシヤの音楽も聴きたい。
俺は本当にどん欲だな……。
ヒデトを助けるだけなら、解散をことごとく阻止し続けていればよかったのだ。
だが、それをしなかったのは、洗脳の解けたトシヤの音楽も聞きたかったからなのだ。
本当に、俺は音楽に縛られている……。
兎に角、クロスジャパンの解散は確定した。
メールの返信には、当たり障りのない文章で理解したと書き、さらに落ち着いたらどこかで会いたいとも書いておいた。
二人に会って何を話す?
考えがまとまらないが、何でも良いから前向きになってもらうことを考えてもらうしかない。




