第七八話 アキバの女王
アキバの女王
五月四日の日曜日。
全国でセンヤンオーディションをしている中、俺は電気街やらオタクの街などと時代によって呼ばれ方が変わる街に来ている。
この秋葉原と言う街には、あまり来たことがない。
俺がパソコンを一番初めに購入したのは、近所の電気屋で売っていた国産メーカーのノートタイプだった。
二台目からはBTO(ビルド トゥ オーダー)パソコンをネット注文で好みにカスタムしてから購入していたので、困ったことはないし、パーツが必要になれば、こちらもネット注文だった。
それでも何度かは来たことがある。
俺が知っている秋葉原は、電気街の余韻がまだ残っていた秋葉原と何のイベント会場か良くわからない街になってしまっていたアキハバラ、あえて言うならアキバだ。
そしてこの一九九七年の秋葉原は、どちらも共存する秋葉原のころだったようだ。
情報では、今日、彼女が出没すると聞いているのだが、すぐに会えるのだろうか……。
気難しい人物と言うことも聞いたことがあるし、気さくな人物とも聞いたことがある。
実際の彼女、桃井春海はどんな人物だろう。
俺が彼女に会おうと思った理由は、アイドルが何なのか、悩んだ挙句わからなくなってしまったからだ。
彼女は、アキバオタク文化の伝道師であり、アキバの女王とも呼ばれる存在になる。
アイドル好きでも有名だったはずだから、彼女にアドバイスを求めたなら何かがわかるかもしれない。
確か年齢は、俺よりも二つほど上だったはずだから、アキバアイドル時代の絶頂期なのかもしれない。
そうして、秋葉原を舞台にしたアニメの聖地巡礼の気持ちで、家電ショップやパソコンショップ、それにゲームショップなどをいろいろと回っていると人が集まっている場所を見つけた。
駅近くのバスケットコート辺りだな。
今日のお目付け役は、場合によってはスカウトをすることもあり得るので鮭川さんに付いてきてもらっている。
俺も軽くだが変装をしているので、余程のことがない限り、大丈夫だろう。
そうして人が集まっている場所に行くと、何と言って良いのか、おそらくゲームキャラのコスプレをしている桃井春海を見つけた。
とりあえず名刺だけでも渡せたなら、最低限のミッションクリアなので、名刺をすぐに出せる準備をしてから、彼女の行動を観察する。
CDラジカセを持ち出して、何かを歌うようだ。
彼女の周囲には、有志と言うのか、彼女の協力者たちがスタッフとして、場を作り、歌う準備が整った。
そうして歌い出したのは、やはり、アニメソングだった。
なるほど。彼女は、こうやって知名度を上げて行き、女王と呼ばれる存在になったのか。
俺は残念なことに、秋川康プロデュースのグループの公演に一度も行ったことがないし、彼女たちのホームである劇場にも足を運んだことがない。
さらに地下アイドルと呼ばれていた少女たちにも会ったことがない。
だが、路上ライブなら、経験があるし彼女の行動には、好感を持てる。
ダメ元でも、交渉をしてみたいな。
「鮭川さん、彼女に接触をするのは可能だと思いますか?」
「タイミングが合えばと言うところですね。スタッフの方に、名刺を届けるところから始めてみましょうか?」
「お願いします。俺の名刺も一緒に届けてください」
鮭川さんに俺の名刺を渡し、最前列に鮭川さんは進んで行った。
場慣れをしているのか、人の合間を上手く抜けて行っている。
関西のスカウト担当の鮫島さん同様に、鮭川さんも何か特殊能力を持っているのだろうか。スカウト担当の人は、謎が多いな。
それからしばらくすると、鮭川さんが戻って来て名刺を桃井に届けてもらえることになったそうだ。
路上ライブを最後まで眺めてから、撤収する彼女たち一行に声を掛けられて、一緒についていく。
行き先は雑居ビルの裏口でそこから入ると、簡単な楽屋らしき部屋があった。
「初めまして、極東迷路の桐峯アキラです」
「今日は、来てくれてありがとうございます。世間的にはライブアイドルってことになっています桃井春海です。それで今日はどんな用件で?」
「少し芸能界の裏事情が絡んでいるので、人払いをお願いしたいのですが、いかがでしょう?」
「うーん、私たちが外に出ましょう。それで問題ないですよね?」
「はい、それでお願いします」
再び裏口から出て、桃井に小声で事情を説明する。
「……センヤンのロックヴォーカリストオーディションのことは知っていましたが、アイドルユニットの話まであったんですか」
「そうなんです。ロックヴォーカリストの方は、今まで通りのやり方で問題はないと思うのですが、アイドルユニットとなると戸惑うことが多くて、アイドル事情に詳しい方と話をしたくて桃井さんに会いに来ました」
「わかりました。アイドルのことなら話したいことは、いろいろあるんです。着替えたり有志の皆と片付けをしてからになりますので、近くの喫茶店でお待ちください」
「ありがとうございます」
それから、待ち合わせ場所となる喫茶店の場所を教えてもらい、そちらでしばらく待つことになった。
桃井は、予想外に早く現れ、話が始まった。
アイドルとは何か、と言う話から始まり怒涛のアイドルトークが押し寄せてきた。
半分ほどは、理解不能だが、何となくわかったこともある。
アイドルは、偶像であるが実在している存在だ。
だから、やれることにも限界がある。
それでも、偶像であり続ける努力をしなければならない。
アイドルは、自ら光を放ち、ファンに光を浴びせなければならない。
その光は、常に穏やかな光を放つだけではなく、喜怒哀楽などの感情を載せた光も放たなければならない。
ファンに寄り添うためには、いくつもの光を出せなければアイドルとは、言えない。
これは、あくまで桃井の考えと言うよりも、一つの例として話してくれている。
確かに、アイドルの歌だからと言って、優しい歌ばかりじゃない。
悲しい気持ちを歌うし、怒りの気持ちだって歌う。
楽しいだけじゃなく嬉しいだけじゃなく、様々な光を放たねばならないのは真実のように感じる。
アイドルは、深いな……。
他にもアイドルの分類についても話をしてくれた。
アイドルだからといって、生活感を出してはいけないことはない。
どんなアイドルを目指すかで、何を出して何を出さないかを決めて行くべきとのことだ。
アイドルの恋愛禁止は、昔からの慣習のようなもので、自然とそれが当たり前のようになっているが、好きになってしまったのなら、仕方がない。
逆に恋愛を赤裸々に語るアイドルがいても良いのかもしれない。
だが、そのアイドルが人気が出るかは、また別の話になる。
「……桃井さん、例えばなんですが一〇〇人規模のアイドル集団を作って、売り出すとしたらどんな方法があると思いますか?」
「まずは、グループ分けですよね。ダンスの上手いチームや歌の上手いチーム、混合のチーム、いろいろなパターンがあると思います。どのパターンにしても特徴が必要だと思いますので、何を特徴にするかですよね」
てんくのアイドルユニットは、初めは敗者復活の負け組が特徴だったのかもしれない。
負け組が、どんな成長をしていくのかをドキュメンタリー風に見せていたのだろうか。
ある程度売れ始めてからは、メンバーの入れ替えがあり、歌も上手くダンスもそれなりのアイドルユニットになった。
その後は、ダンスに力を入れて行ったのかもしれないな。
二〇一〇年代の彼女たちは、ダンスのイメージが強く残っている。
成長していくアイドルか。
てんくが初期の時点で、何をどこまで考えていたのかわからないが、負け組のサクセスストーリーは、面白いはずだ。
その後は、変化し成長し続けるアイドルとしたなら、それはそれで面白い。
抜けて行ったメンバーたちも、全員と言うわけではないが、その後も活躍していったメンバーもいる。
少し方向性が見えてきたかもしれない。
プロジェクトとして集めたアイドルグループも良くわからない特徴もあったが、何かしらの特徴を持っていた気がする。
特徴と言うべきか、個性が必用なんだろうな。
「ありがとうございます。方向性が見えてきた気がします」
「こちらこそ、後でサインをくださいね」
「今日のスタッフ全員分を書きましょうか?」
「皆も喜ぶと思います」
「ところで、桃井さんの今後は、どんなプランがあるのでしょうか?」
「その、正直言うと、私って色物って扱いみたいなんですよね。微妙なところからのスカウトは来るんですが、これと言うところからはないんです」
「俺から見た桃井さんは、俺たちと表現する手段が違うだけで、近い存在に感じました。桃井さんは、何かに違和感を感じていたりしませんか?」
「違和感と言うのか、こんなに世の中は面白いのに、皆は何に縛られているんだと思う時があります」
「桃井さんが色物なら、俺たちはピエロですよ。ピエロが衣装を解いたらただの人ですが、それでも俺はロックな心を持っていたいですね」
「桐峯さんのロックな心ってなんなんですか?」
「ロックってすごく表現のしづらい言葉なんですけど、揺るがない信念とか、ここだけは守り通す心とか、そう言うことかなって思っています」
「なるほど……。私もロックなのかもしれませんね」
ちょっと熱く語ってしまったので、少し冷えたコーヒーに口を付けて、頭を冷やす。
「えっと……。実は、もう一つ、アイドルではないんですが売り方に困っているバンドがあるんです。もしかしたら桃井さんの好みかもしれません。桃井さん次第ですが、良かったら彼女たちを見てみませんか?」
「それって、ブラウンミュージックにスカウトしてくれているってことになるんですか?」
「桃井さんは、歌手でもありますし、作詞作曲が出来るのならミュージシャンとしての契約でも構いません。それが難しそうなら他の形の契約でも問題ないと思います。ですよね、鮭川さん?」
「桐峯君も始めは、作曲家として契約をしましたから、ミストレーベル付のディレクターとかでも良いですね」
「あの……、路上ライブは、できなくなるんでしょうか?」
「事務所としては、あまりして欲しくありませんが、桐峯君もたまにしていますし、制限はありますが、可能です」
「制限ですか……」
「プロミュージシャンとして歌うなら、楽曲に制限が付きますね。アニメの曲ならブラウンミュージック系の曲か同じグループ企業のバンタイなどが権利を持っている曲などなら大丈夫です」
「俺の場合は、こっそりやっているので、あまり関係ないんですけど、桃井さんの場合は、違うようですから権利が絡んできそうですね。他の曲が歌いたい時は、権利交渉をする必要があります。ほとんどの場合、カラオケと同じですので問題ないとは思いますが一応覚えておいてください」
「ブラウンミュージック系とバンタイの曲が歌えるのなら大丈夫です。それにどうしてもと言う時は、交渉で何とかなるようですし、問題ありません!」
「それと、路上でのライブなんですが、頻度を下げてもらって、管轄各所に連絡をしてからやらないと面倒ごとが起きるかもしれないんです」
「と言うことは、曲は何とかなっても歌う場所がない?」
「鮭川さん、外から見えるサテライトスタジオを作るとかなら問題ないのでは?」
「秋葉原の価値が、どれほどなのかわかりませんし、常に使うわけじゃないスタジオに予算が降りるのか難しいかもしれません」
「あの、例えばなんですが、サテライトスタジオでラジオみたいなことを毎週して、そこでブラウンミュージックの曲の紹介もしたら、悪くないんじゃないですか?」
「それ、すごく良いです! アイドルを作るのならそれくらいしても良いですよね。鮭川さんどうでしょう?」
「わかりました。とにかく事務所に桃井さん、一度来てください。その時にサテライトスタジオで可能な企画が思いついていたら企画書もお願いします」
「はい、ぜひよろしくお願いします!」
「あ、桃井さん、俺からの約束事なんですが、桃井さんって大学生ですよね、中退をせずに、必ず卒業をしてください。これが俺からの最低条件です」
「……わかりました。楽しいからと言って、無茶をしちゃダメってことですよね」
「はい、後日、またお会いしましょう」
その後、スタッフ分の色紙にサインを書いて、桃井さんがブラウンミュージックに来る日程を決め、秋葉原から離れた。
桃井春海が来てくれるなら、もう一人も来てほしくなるな。
今はまだ小学生だったか。
彼女の場合は、早世した父親がミュージシャンをしていたはずだから、早めに声をかけたとしても違和感がないかもしれない。
「鮭川さん、中川原翔子と言う、小学六年生か五年生の女の子を探してほしいんです。父親が早世をしたミュージシャンなので、探すのは難しくないと思います」
「小学六年生から訓練を開始させるんですか?」
「父親がミュージシャンなのでしっかり育てたら十分な逸材になると思います。小学生の間は、適性が何なのかを調べて中学生になってから訓練を本格化したら良いでしょう」
「今日の桃井さんは、よほどに心強い方なんですね」
「そうですね。彼女のアドバイスが常時、聞くことが出来るかどうかは、大きいと思います。彼女は、あれで本物のアイドル研究家ですから俺の仕事もずいぶん楽になります」
「仕事が増えるのは、大変ですがやりがいのある仕事なら大歓迎です。桐峯さんも無理をしないでくださいね」
「はい。また夏の人間ドックで過労と診断されないように気を付けます……」
アイドルの育て方にも目処が付いたと思って良いだろう。
いよいよ、俺も候補者たちに会わないといけない時期が近づいてきているんだよな……。




