第七七話 春が来い!
春が来い!
四月十三日の日曜日。
数日前、蜜柑、歩美、ミーサが留学に出発した。
蜜柑と歩美とは、じっくり話をした。
恋愛の話もした。
美香が事前に手を回しておいてくれたようで、美鈴とすでに話し合っていたらしい。
本当に美香には感謝だ、妹分を称してくれているだけのことはある。
二人ともプロデュースと恋愛感情のことは、気が付いていたようで恋をしたくなるくらいに魅力的な曲をこれからも作ってほしいと蜜柑に言われ、恋に恋するような物なのかもしれないね、と歩美からは言われた。
蜜柑は、自分でも曲を作るので、すぐに呑み込めたようだった。
歩美が少し心配だが、頭ではわかっているようなので、大丈夫だろう。
俺も恋愛とプロデュースを勘違いするような男なら間違いが起きたかもしれないが、俺は俺が思っている以上に美鈴を大切に思っているようなので、悲しい出来事を起こす気にはなれない。
蜜柑は、名前の由来にしているザ・ビートルのドラマーであるオレンジスターに会うのだと張り切っていたし、歩美は三人の中で一番言葉に困りそうだから、余分なことを考えている暇なんてないままに留学期間が終わるだろう。
ミーサは、三人の中で一番楽しんでくるかもしれないな。
三人が帰ってくるのは二月末になっている。
そこから再始動だ。
四月に入ってすぐに発売された極東迷路のシングルの売れ行きは好調で、今週になって発売されたタイトルが『ミカンモード』となっているアルバムも好評らしい。
来月は、歩美のシングルとアルバムが発売される。
本人たちは不在だが、活動停止などの告知は、特にしていない。
歩美に関しては、冬の初めにシングルを売り出す予定にもなっている。
高校では、特に大きな出来事はなかったと言いたいところだが、結局、以前の俺の記憶で親友だった安田は、中退した。
元々休みがちだったらしく、三年に上がってから、補習を受ければ卒業も可能にするとまで、高校側は提案したらしいのだが、安田本人とその家族が中退を願ったと、校長先生から聞き出した。
かなりぼかして話してくれたが、以前の記憶と合わせると、裏事情まで推測ができてしまった。
安田の両親は、とある思想主義に染まっている。
その思想主義自体を悪く言うつもりはないのだが、極端に染まってしまうと一般社会では、生きにくくなってしまう。
その結果、安田の父親は、職をいくつも変えながら生きてきた。
だが、去年の年末から父親の仕事が安定せずに、家計への負担が大きくなってきたようだった。
そうして安田本人も、アルバイトを始め、家庭に金銭を入れるようになったようだ。
これが、単純に運が悪いだけで仕事がすぐに決まらない父親とその家庭の話なら、すぐに東大路に話すのだが、思想主義の問題でこうなっているので、俺からは何も言えない。
俺が学生時代に知り合った人物の中には、この思想主義に染まっている人物もいた。
だが、その人物は、尊敬できる人物だと思えたので、本当にこの思想主義自体は、悪だとは思えないし、必要に思う人もいるのだろうから、自らの身の丈に合った付き合い方をしてほしいと願っている。
他の出来事として、生徒会の千原美乃梨が歌手になる方法を聞いて来た。
少し話し合って、やる気はあると感じたので、まずはブラウンミュージックの養成所で、ボイストレーニングをしながら、ギターを覚えてもらうことにした。
どこまでやれるかは、彼女次第だが、俺が引き上げても文句が出ないところまで上がってきてほしいと心から願った。
さてと……。
ミストレーベル企画室の机の上には、条件ごとに分けた、約百人分のプロフィールがある。
すでに一度、製作側に戻し、オーディション会場で、歌録りをしてくれる話でまとまっている。
ついでに俺が出演する数パターンのVTRも撮られていて、オーディションの進行にあわせて放送されていくそうだ。
随分と気を使ってくれているようで、俺のテレビ嫌いの話は、一人歩きをしてくれているようで助かる。
年長組としている二十歳以上の山、こちらは数人分しかない。
高校生と二十歳までの山、これが一番多い。
中学生と小学生の山、意外というべきか、小学生からの応募が案外多いんだよな。
最後に俺が別格としている山、これの中には、俺の記憶の中に残っている唯一の合格者一人とアイドルユニット五人、それになぜこのオーディションに応募したんだと、聞きたくなるような人物たちがいる。
倖田姉妹は、ともかくとして、追加オーディションで加入してくるメンバーや他のオーディションで出てくる人、声優の世界の人など、どうしたら良いんだろう……。
声優系で特に気になっているのは、大林ユウ、上井麻里奈、城沢美幸だ。
大林ユウは、高校一年生で本名の応募だがほとんど本名と変わらないし、写真ですぐに本人だとわかった。
上井満里奈は中学一年生で、城沢美幸は小学六年生だ。
大林ユウの歌声は、筋力少女帯の大塚ケンジさんが将来に認めるほどの歌声なので、調整は必要だろうが問題はないだろう。
上井麻里奈の歌声は、少しハスキーな声で、悪くない歌声だった覚えがある。
城沢美幸の歌声は、声優ならではと言うのか、キャラを前面に出した歌なら、良かった記憶があるのだが本来の彼女自身の歌声の記憶がない。
三人とも声質は確実に逸材のレベルなのだから、いまから訓練をしたなら、それなりの歌声にはなるはずだ。
他にも声優系はいるが、特に目立ったのがこの三人なんだよな。
大林ユウは、モデルとして通じる容姿をしているから、彼女をオーディションの合格者にしても良いくらいだ。
その他の追加メンバーたちも歌唱力は十分な者たちばかりなので、歴史通りのメンバーを選ぶべきか迷ってしまう。
プロフィールの山を眺めながら頭を痛めていると、企画室に舞と清恵が入ってきた。
「兄上、今日も元気に歌ってきました!」
「桐峯さん、おつかれさまです」
美香を合わせた中学生三人は、打ち解けてくれたようで、こちらは安心だな。
「二人ともお疲れ様。舞、清恵の声は、どう思った?」
「トミーさんと美香ちゃんの間って感じがします。私とミーサさんが近いのは、何となくわかるのです。清恵ちゃんは、トニーさんの方向に行くのか美香ちゃんの方向に行くのか、これからが楽しみです」
「清恵は、合唱部で鍛えているから、その雰囲気が美香に近いのかもしれないな。トミーさんに近い雰囲気なのは、本来の性質なのかもしれない」
「トミーさんって、まだ会ったことがないです。どんな方なんですか?」
「舞から見てトミーさんは、どんな人に感じる?」
「海外が好きで、おしゃれが好きで、大人なんだけど子供みたいな人です」
「あそこはブリリアントカラーで一つって感じが強いからな。エイジ君の様子も見たいし、今日、ライブをしているか調べて来る」
企画室から出て、七瀬さんを探すと、すぐに見つかりブリリアントカラーのスケジュールを聞いた。
どうやら今から行けば、間に合うようなので行くことに決める。
七瀬さんを保護者代わりに、美香も拾って中学生三人を連れてライブハウスに向かった。
ライブハウスに入ると、中高生の女子ばかりでどういう状況なのか疑問に感じたが、そのまま関係者ブースに案内された。
関係者ブースには、営業の胡桃沢さんがいて、この状況を聞くことができた。
どうやら、ベルガモットとハニービーの人気がそれなりに広まっているそうで、彼女たちは、ブリリアントカラーだけを見に来たわけじゃないらしい。
ブリリアントカラーは、大丈夫なのかと心配になったが、そこは上手くいっているらしく、元々がブリリアントカラーを見に来た人たちが、ベルガモットとハニービーを好きになった人たちばかりなので、二つのバンドの姉と言うのか兄というのか、とにかく保護者的ポジションに落ち着いているそうだ。
胡桃沢さんが持っていた前回のライブのアンケートを見せてもらったところ、興味深い内容がいくつも書いてあった。
中学生のハニービーが、重い音を出してかっこ良く演奏をしていると、応援をしたくなるらしい。
ベルガモットのおかしな曲も、楽しい気分になれて好評のようだ。
ブリリアントカラーについては、大人の女性のかっこ良さとかわいらしさがあって、すごく良いとのことだ。
他にもいろいろとアンケートにはあったが、大きくまとめるとこの三つの意見が多数派のようだった。
ライブが始まり、ハニービーが現れて、演奏を始める。
シナノの声は、ロックミュージシャンにしては、かわいらしい声だが、そこが彼女の魅力になっていて少し背伸びをしたような歌詞が良く似合う。
年齢と共に彼女の声も変化をして、その時々に合った歌詞を歌っていけるのが理想だな。
ハニービーは、前座扱いなので数曲を歌って場が温まったところで下がって行った。
次に現れたのは、ベルガモットで、ユイとミオのツインボーカルが良く工夫されているのがわかる。
リツは、この調整に神経をとがらせているのだろうから、彼女の努力が実っている証拠を聴けて、安心できた。
あいかわらずのおかしな曲ばかりを演奏しているが、それが彼女たちの持ち味になっているのがファンの様子を見て、よくわかる。
どうにかこの持ち味を壊さないように、売れるようにしていきたいのだが、良いビジョンが浮かばないんだよな。
やれるだけこの路線でやってみて、限界が来たら別の路線に変えてみるか……。
あまり時間もあるわけじゃないから結論を早めに出さなければいけないな。
ベルガモットは、きっちりと演奏を終えて、俺たちとは関係のないバンドが一組演奏するようだが、このバンドも女性ボーカルでギターも弾くようだ。
俺の記憶にないバンドだが、ベルガモットとブリリアントカラーの間に入れるなら丁度良いバンドのように感じる。
「胡桃沢さん、このバンドのこと、知っています?」
「どこかの事務所と契約しているようなんですが、多分、もうすぐ解散するような気がしますね。誰か気になるメンバーがいますか?」
「うーん、ドラムとギターがほしいくらいで、後はそこまでですね」
「ドラムなら話ができそうですが、ギターは無理だと思います。ヴォーカルの彼女とギターの彼が、解散理由になりそうなんですよね」
そういわれてみると、ヴォーカルとギターのアイコンタクトが多い気がする。
なるほど、恋愛関係での解散か。
「ややこしくなりそうなので、ドラムも遠慮しておきます」
「その方が良いでしょう。それに今回のライブは、参加バンドのうち、三組が身内ですから、売り出し中か、自信があるか、捨て駒か、で言うなら捨て駒がブッキングされていると思いますよ」
「ライブハウスのオーナーはシビアって聞きますからね」
「ええ。若者の夢をかなえるのが仕事ですが、若者に夢を諦めさせるのもライブハウスのオーナーの仕事ですから、楽しい分、辛い仕事ですね」
演奏をきっちり終えたが、何かが物足りないバンドが下がり、ブリリアントカラーが出てきた。
場内が、一気に盛り上がり、トミーさんの歌声が広がり始める。
優しい声なのに、力強くも聴こえる不思議な声なんだよな。
売れるヴォーカリストの見本のような人だ。
「桐峯さん……、すごいです。トミーさん、すごいです!」
「清恵も同じ路線のヴォーカリストに成れるはずだから、ほどほどに頑張って行こうな」
「はい、やる気が出てきます!」
それから、しっかりと最後まで聞き終えると、トミーさんがおかしなことを言いだした。
「今日は、特別ゲストが来ているんです! 極東迷路の桐峯アキラ君、こっちにおいでぇ!」
場内がざわめきはじめ、行くしかない雰囲気になってきた。
ライブハウスのスタッフに守られながら、ステージに上がる。
「極東迷路の桐峯アキラです。今日は、勉強のつもりでこちらにお邪魔していました。皆さんの演奏、すごくよかったです。それにファンの皆さん、俺の友人たちを応援してくれてありがとう!」
「おおおおおお」
「それで、今日は何をしてくれるの?」
「あのね、。トミーさん、俺だってノープランなんですよ。リクエストがほしいです」
それからトミーさんとしばらく掛け合いをした。
場内に笑いが響き、MC慣れをしていない俺としては、ギリギリ合格点のようだ。
結局、いつの間にか用意されたデジタルピアノで、同じブラウンミュージックの松任由美子さんの『春が来る』『優しさに包まれたい』『ルージュの伝言板』を演奏した。
極東迷路の曲は、トミーさんに合わないし、水城の曲も島村の曲も歩美の曲も何か違うんだよ……。
同じレコード会社から選ぶのが精一杯だった。
トミーさんたちブリリアントカラーも喜んでくれたし、ライブ会場の皆さんも喜んでくれたので、良しとしよう。
興奮状態の中学生三人を連れて、さっさとライブハウスから撤退して、ブラウンミュージックに戻ると、紀子さんに呼び出された。
なんだっけ……。
紀子さんに何かを頼んでいたような……。
紀子さん専用応接室に入ると、紀子さんが早速、核心となる話を始めた。
「二月に話していたラルアンシェルの話、動いたわよ。こちらとしては予想外な結果になったわ」
あ、ラルアンシェルの問題があった。
「どうなったんですか?」
「ソニーズが、ラルアンシェルとの契約を解除したわ。どうも彰君がいろいろと動いている影響なのか、地味にソニーズに余裕がないらしいのよね。それで損切りをしたようね」
「ラルアンシェルは、どうなるんでしょう?」
「もう手は打ったわ。事務所は、あくまでラルアンシェルを守る方針を固めたらしくて、レコード会社としてのブラウンミュージックと契約をしたいって話になった」
「でも、それじゃ負債が……」
「ええ。その通りよ。だから事務所ごと身売りをして、ブラウンミュージックの傘下に入ったわ」
「え、でも、あそこって、ラルアンシェル以外だと、有名どころは活動停止でしたよね」
「そうなのよね。だから、正直、事務所が持っているレーベルだけを残して解体になるかもしれない」
「そうですか……」
うーん、何か思い出せることはないか……。
そうだ!
「まだ将来の話なんですが、シド・アン・ビシャスって言うバンドが生まれるんです。そのバンドのプロデュースを例のドラマーさんがその事務所でやることになっています。この情報は何かに使えませんか?」
「そのバンドもそれなりに売れるのね。男性バンド?」
「そうですね。ビジュアル系って最近でも言われ始めていると思いますが、それを意識したバンドがいくつも生まれてくるんです。シドもその中の一つですね」
「なるほど。ヴィジュアル系バンドを専門に扱うレーベルって言う扱いなら、事務所側も意義を見つけてくれるかもしれないわ。その線で調整をしてみましょう」
「あ、でも、ラルアンシェルは、ヴィジュアル系ではなく、ロックバンドとして扱ってください。何かこだわりがあるようなのでよろしくお願いします」
「そういうエピソードも何かあるのね。わかったわ」
それから紀子さんと最近の出来事について意見を交換して、退室した。
ラルアンシェルは、こちらに呼びたかったが、事務所ごとくるのは予想外だったな。
シド・アン・ビシャスが来てくれるなら俺が考えている方向へ、より近づける。
他にも強力なバンドがいるかもしれないから、思い出せるだけ思い出しておかなければな。




