閑話あるいは第七五話 運命は、謎過ぎる。
運命は、謎過ぎる。
SIDE 吉岡清恵
三月某日の某曜日。
中学一年生の三学期も終わり、部活で合唱部に行くだけの日々が数日続いたある日、部活から帰るとお客さんが来ていた。
我が家は農家なので、土地だけは広い。
玄関の外に知らない自動車が止まっていたら、すぐにお客さんだとわかる。
いつもなら気にせずに開ける玄関も静かに開けて家の中に入る。
合唱部で鍛えた声で、お客さんの邪魔にならないように帰宅の声を上げる。
「ただいま!」
そのまま部屋に入ろうとしていたところに、お母さんが普段と違う様子で現れた。
早口で何かを言っているが内容も意味不明でよくわからない。
「お母さん。落ち着いて。何があったの?」
「……ああ、取り乱していたかもしれないね。ブラウンミュージックってわかる? そこの人がなぜか、清恵に用事があるんだって!」
「……。うん、よくわからない。とりあえず制服から着替えて、居間に行けば良い?」
「制服のままの方が良いかもしれない。荷物だけおいて、居間に来て」
「わかった。すぐに行く」
ブラウンミュージックと言えば、最近だと極東迷路に水城加奈、花崎歩美とかが中学でも流行っている。
そんなところが私に用事?
もしかしてスカウトとか?
いやいや、小学生の頃に、ミュージカルに出たこともあったけど、そんなに話題になるような物じゃなかったはずだ。
合唱団で歌っていたから出れたような物だし、違うよね。
荷物だけを置いて、居間に行くとスーツを着たおじさんが待っていた。
「初めまして、ブラウンミュージックのスカウト担当をしています鮭川と申します」
スカウト担当って……。
一瞬、頭が真っ白になったけど、大丈夫、気を取り直して挨拶だ。
「吉岡清恵と申します。中学一年生です」
お母さんに座るように促されて、鮭川と名乗る男性と向かい合って座る。
「お母さまには、お話をしたのですが、うちの極東迷路の桐峯アキラがスカウトも積極的にしていまして、毎回、逸材を見つけて来るんです。そこで今回、どこから入手した情報かわかりませんが、清恵さんを探し当てたようなんです」
「私を桐峯アキラが見つけた?」
「そうなります。本当にどこから情報集めているのか、謎なんですが水城加奈も島村仁美も桐峯アキラがスカウトしてきたんですよね」
水城加奈は、早口でスピード感のある曲と、しっとりとしたバラードを歌い分けるのがすごいと思う。
島村仁美は、最近デビューした人だから、あまり詳しくないけど、着物をかっこ良く着て、ギターを弾きながら歌う人だ。歌声は、綺麗な声なのに、ハードな曲調がすごく良い。
私も、あんな風になれるの?
「中学校の事もありますし、まずは土日のどちらかを東京のブラウンミュージックでトレーニングをしてもらうのが良いだろうと桐峯が言っておりました。契約などの話は、後日にして見学に来てみませんか?」
桐峯アキラは、天才高校生音楽プロデューサーと言われている人だ。
毎日、必要とするミュージシャンのために曲を書き続けていて、すごく忙しいらしく、テレビにもラジオにもほとんど出てこない。
唯一でてくるのが、彼の所属する極東迷路の演奏の時だけだ。
それも生放送ではなく、VTRで録画された物しか出てこない。
生放送に出たのは、タモさんの番組だけで『ミューズステーション』の水城加奈と一緒の時と極東迷路の時の二回、それと最近の『笑ってもいいとも』で極東迷路として出演した一回だけだと言われている。
そんな彼に会えるのかな……。
「あの、桐峯アキラさんにも会えるんでしょうか?」
「もちろん会えますよ。彼が主宰するミストレーベル所属のミュージシャンも事前に言っておいてくれたら会えるようにしましょう」
「いえ、皆さんお仕事があるのでしょうから、桐峯さんからお話を聞けるだけで満足です。一度、見学に行かせてもらいます」
「ありがとうございます」
それからは、大人同士の会話となり、私は聞いているだけになった。
桐峯さんの主催するミストレーベルのことは、知っている。
ブラウンミュージックのミュージシャンの中で若手が集まっているレーベルで、最近だとトワイライトアワーがデビューをした。
トワイライトアワーの上杉さんは、かっこ良くて歌も上手い。
ミストレーベルの人じゃないけど、TMレインボーの西山さんの弟分みたいな感じがする。
確か桐峯さんと元アクスの浅井さんの共同プロデュースだったと思う。
芸能界か。
どんなところなんだろう。
それから数日が経ち、ブラウンミュージックに行く日が来た
私の家は厚木なので、都内のブラウンミュージックまでは、それなりの時間が掛かる。
それでも通えない距離ではないので、一週間に一度なら大丈夫だ。
一人で電車に揺られながら乗り換えをしてブラウンミュージックに到着した。
入口で警備員さんに名前と見学に来たことを告げるとすぐに入れてもらえて、一階のソファーが並んでいるところで待つように言われた。
少し待っていると、桐峯アキラ本人が現れた。
テレビで見る桐峯アキラよりも身長が高く見える。私の兄よりも高そうだから一八〇センチメートルくらいかな。
顔もテレビでは、気難しそうな顔をしているけど、優し気で女性っぽい顔立ちなのかな。
服装は、テレビで見るのとあまり変わらず、黒と白のモノトーンで、まとめられている。うん、間違いなくかっこ良い人だ。
「吉岡清恵さんだね。桐峯アキラです。今日はよろしくお願いします」
「あ、は、はい。吉岡清恵です。よ、よろしくお願いします!」
「緊張をしているのかな。付き添いの人も居なさそうだし、一人でこんなところに来たなら緊張もするか。美香、今日は吉岡さんに付いていてくれ。美香の後輩になるかもしれないんだからな」
「兄さん、わかった。清恵ちゃんて呼ぶよ。私は中学二年生の中島美香。去年の夏からここで勉強をしている」
桐峯さんの後ろから細身の女の子がひょこっと現れて、自己紹介をしてくれた。
「え、はい。中学一年生の吉岡清恵です。年の近い先輩もいるんですね」
「えっと、兄さんって私は呼んでいるんだけど、桐峯さんは、才能のある人も育てているの。私以外にもまだいる。まずは、見学から?」
「そうだな。難しい話よりも、養成所の雰囲気を感じながら説明していくのが良いだろう。それじゃあ、行こう」
美香さんに手を繋がれて、養成所と言われているフロアに連れていかれた。
いくつも小さいスタジオがあり、中では、個人練習をしている人たちがいた。
「ここは、養成所のフロアで、ここで勉強しているのは、訓練生って呼ばれている人たちになる。私や清恵ちゃんは、多分別のところに行くことになる」
「美香が言う別のところってのは、プロが練習をしたり、教えてもらったりするフロアがあるんだ。美香も去年の秋に極東迷路がやった学祭ライブでコーラスを担当しているから、一応プロになるんだ」
「え、美香さんもプロなんですか!?」
「私は、自覚がないけど、プロらしい」
「自覚も何も、最近のミストレーベルのアルバムのほとんどでコーラスに参加しているだろう」
「あれもプロのお仕事?」
「当たり前だ。あれでお金を貰えるんだからプロの仕事だ」
「桐峯さん、私もここで勉強をするようになれば、コーラスを担当させてもらえたりするんですか?」
「吉岡さんの場合は、まだチェックをしていないから何とも言えないところなんだけど、即戦力になれる可能性は高いと思う。でも、その前に訓練も必要だから、そういうことはしっかりやってもらうよ」
「そういう物なんですね」
それから、ヴォーカルトレーニングをしているスタジオに入った。
中には、トワイライトアワーの上杉さんがいた。
「てっちゃん、上杉の状況はどう?」
「まあ、生で歌うのはまだ辛いと思っておいてほしいかな。当初の予定通りに初夏なら生番組でも歌えたと思うんだけどね」
「生番組は、俺も苦手なんで逃げられるだけ逃げたら良い。上杉、気にするな」
「まあ、てっちゃん先生が付いてくれているから、安心して歌える」
「あ、あっくん、もう一人、声楽系のトレーナーを呼べそうだよ。さすがに俺一人ではそろそろ限界が近かったから、採用で良いよね?」
「てっちゃんが大丈夫って思った人なら、大丈夫。一応紀子さんにだけは、挨拶をしてもらってね」
「了解。それで、こちらの娘さんは?」
「見学に来てもらっている吉岡さんだよ。この先生は、俺の従兄弟で小豆谷哲郎さんって言うオペラ歌手で、ヴォイストレーナーもしてもらっている」
「吉岡清恵です。オペラ歌手なんですか!」
「こっちが副業のつもりだったんだけど、最近じゃオペラ歌手の方が副業になりそうだよ。ここに入るなら、俺が担当することもあるだろうし、その時はよろしく」
「はい、よろしくお願いします」
確か桐峯さんのお母さんは、桐峯皐月さんって言う和楽器奏者だから、血縁にオペラ歌手がいても不思議じゃないのか……。
世界が違うって感じがする。
別のフロアに移り、大き目のスタジオがいくつもあるフロアに案内された。
音がするスタジオの中に入ると、私とあまり年が変わらない女の子たちが練習をしていた。
「お邪魔させてもらう。リコ、調子はどうだ?」
「ブリリアントさんたちと回り始めて、自分たちがまだまだだと自覚したので、日々練習って感じですね。ハニービーはこれからです!」
「この先、ハニービーは、ベルガモットと一緒に大きな渦を作って行くことになるんだ。期待はしているけど、無理もしすぎるなよ」
「はい、ほどほどに頑張ります」
それから、このバンドの練習風景をしばらく見せてもらった。
どうやらハニービーと言うバンドで、養成所の訓練生で作ったバンドらしい。
美香さんと同じ中学二年生で、これだけの迫力が出せるだけでもすごいのに、まだまだ納得がいかないって言うのもすごいと思う。
「美香さんも、本気を出すとこんな感じなんですか?」
「美香の歌も聞いていってもらおうか」
ハニービーの皆さんに挨拶をしてから、別のスタジオに移り、桐峯さんがピアノを弾く用意を始める。
美香さんも、喉を温め始めた。
「美香は、デビューまで、時間をかけているんだ。だが、それだけじゃつまらないだろうから、少しずつ美香のための曲を最近作り始めていてね。丁度良いから聞いてほしい」
え、新曲ってこと!?
それから、美香さんは、話していたときの声とは全く違う本当にきれいな声で歌い始めた。
なんて言うんだろう。
キラキラが舞い散る様子が思い浮かぶ曲だ。
ずっと聞いていたいくらいに心地良い曲だったのに、あっと言う間に終わってしまった。
「この曲は『スターダスト』って曲名なんだ。雰囲気は伝わったかな?」
「はい! キラキラな曲で、とても綺麗な曲でした!」
「良かったな。美香」
「兄さんの曲は、皆、好きだけど、自分の曲だと思うと、もっと好きになれる」
美香さんは、桐峯さんのことを本当の兄のように思っているのかもしれない。
仲良しの兄妹にしかみえない。
それから、応接セットのある部屋に行き、大人の人からいろいろと説明を受けてから、契約書などの書類が入った書類を渡されて帰宅した。
桐峯さんたちが言うには、まずは、一年契約でトレーニングを受けてみて、やれそうなら続けてみようと言う内容の契約になっているそうだ。
レッスン費用や交通費もブラウンミュージックが出してくれるそうで、このチャンスを逃がしちゃいけないと思った。
家に帰ってから、契約書の内容をお母さんとお父さん、それにおじいちゃんたちにも見てもらい、問題がないことが分かったので、中学二年生になる四月から週に一度、ブラウンミュージックに通うことになった。
運命とは、何なのだろう。
突然やって来る謎な物なのかもしれない。
…………俺の中にある以前の記憶に『いきものいいん』と言う女性一人、男性二人のバンドの記憶がある。
そのバンドの女性ヴォーカリストの名前を吉岡清恵と言うんだよな。
彼女のトレーニングを早めに始めておきたかったので、彼女をスカウトしてみたが、男性二人も逸材と呼べる存在だ。
確か、厚木か海老名か、そのあたりで路上ライブを高校生になってから二人で始めるはずだから、その時に声を掛けよう。
俺の知っている『いきものいいん』になるかは、わからないが、三人とも確保しておきたい人材だな。




