第七三話 ボス部屋の秘密話
ボス部屋の秘密話
二月一五日の土曜日。
ボス部屋こと紀子さん専用応接室で、少し先に起きる可能性が高い事件について話し合っている。
「……ラルアンシェルのドラマーが、薬物で逮捕されるのね」
「確実とは、言えませんし、起きて欲しくない事件ではあるんです」
「薬物問題は、単純に捕まえたら終わりと言う事件とは違うから、厄介なのよね」
「再犯の可能性が高いですからね。本人は、切り捨てるしかないのかもしれません。でも、復帰の余地は、残して欲しい気持ちもあるのが本音ですね」
「その気持ちもわかるわ。うちにいるミュージシャンでも、過去に薬物事件に関わっていたミュージシャンもいるから、本人に気持ちがあるなら、何とかしたいところね」
「本人の話は、すぐには手を出せないので、今後のラルアンシェルの話です。危機的状態になるラルアンシェルをブラウンミュージックに引き込めないでしょうか?」
「おそらくかなりの金額の負債が生まれるわ。それを肩代わりしたなら可能かもしれない。彰君の知る未来のラルアンシェルの活躍は、それだけの負担金を担うだけの価値があるの?」
「二〇〇〇年前後で、バンドと言えば、グレイズとラルアンシェルの二大バンドと言われるほどの活躍をします。それに二〇二〇年でもラルアンシェルは健在でした。ですので、負債に関しては気にしなくても良いでしょう」
「今でも十分な活躍をしているから、これが続いていくと思って良いのね」
「そうですね。それと引き込むときに、あちらの事務所のスタッフやソニーズ系のプロデューサーも一緒に来るかもしれません。すべて受け入れた方が良いでしょう」
「担当のスタッフがいるなら、確かに一緒の方が良いわね。時期は、今月の終わりから三月の中頃と言ったところで良いの?」
「具体的な日付までは、覚えていないのですが、今年の二月から三月に動いた記憶があるんです。四月まで事件の余波は、続くと思いますが、事件その物は、その時期だったはずです」
「あの秘密ノートを最初に見た時は、冗談かと思えたけど、彰君の活躍を考えたなら、納得もできるし、グループの売り上げも一昨年の夏ごろから動きが変わってきているから信じるしかないのよね」
「良い話ばかりなら嬉しいんですが、むしろ悪い話の方が未来の話を書くと多くなるのが辛いところですね」
「こちらとしては、助かっているから、あまり気にし過ぎちゃダメよ。彰君が私たちに秘密ノートを公開してくれたことで、助かった人もいるのでしょう?」
「そうですね。ボランティアパトロールをして頂けた結果、いくつかの事件が起きていないのは、確かに救いです」
「神戸のパトロールを強化しているけど、何も起きていないそうよ。これで良いのかしら?」
「あの件は、絶対に停めなければならないんです。それほどに猟奇的な事件で、……」
「ええ、ノートに書かれている内容だけでも、恐ろしいと思うわ。加害者になるかもしれない人物の家族の方々と被害者になるかもしれない方々の家族とも接触をしているから、しばらくは様子を見ましょう」
神戸の猟奇的事件の始まりは、動物への異常としか言えない殺害行為から始まり、人に危害を加えるようになる。
最終的に殺人事件となり、当時の報道が過熱していく。
この事件で注目したい点は、幾つもあるが被害者が小学生で加害者も中学生と言う未成年の間で起きた事件と言うことが挙げられる。
さらに、法律的な解釈や事件の残虐性、未熟な精神とそれが養われた環境、プロファイルの難しさなど様々な方面に波及していく。
「警戒は続けるとして、落としどころをどこにしていくかも問題なのよね」
「加害者になる彼が成人するまでと言いたいところですが、そうもいきませんよね。最低ラインが中学卒業でしょうか」
「そうね。その後は、地元の方々に呼びかけて自警団でも作ってもらうしかないかもしれないわ」
「それが妥当なのでしょうね」
未来を知っているからと言って、やれることの少なさを痛感してしまう。
どこかで割り切るのが必要なのだろうな……。
「話は変わるけど、義父から我が家に下宿してほしいと話があったと思うのだけど、結論は出たのかしら?」
「家族からは、反対の声は上がっていないので、お世話になると思います。そのうちにそちらへ行くことは決定事項ですから、俺としても問題に感じていません」
「それは良かったわ。義父の心配もわかるから、引継ぎと言うと大げさだけど、早めに入ってくれると助かるわ」
「それで、気掛かりなのが美香のことなんです。他の皆のように堀学園高校に進学するなら皆がいる下宿に入ってもらうのですが、彼女は他の高校に行くので俺と一緒に東大路本家で預かってもらえないかと考えているんです。どうでしょうか?」
「うーん、美香さんね。丁度良いのかもしれないわ。実は、舞さんの保護者の方からも相談を受けていたの」
舞の保護者、母親だけではなく祖父母なども含めての話になるそうで、当初の舞は、芸能活動に理解のある普通科高校へ進学させるつもりだったが、去年の夏の極東迷路のライブでコーラスに加わっている舞を見て、普通科ではなく音楽コースなどのある高校に進学させた方が良いのではないかと言う話になったそうだ。
舞の音楽は、R&Bが基本になるが、それ以外の音楽への適性も高い。
一方、美香は声楽などのオペラやミュージカルに適性が高いと俺は考えている。
この時代の音楽コースのある高校などでは、クラシックこそ至高と思っているような指導者がまだまだ多い。
美香ならそれらの指導者たちと渡り合えると思うのだが、舞は、否定すらされかねない。
校風から教師の質まで入念に調べたなら、舞でも通える音楽コースがある高校もあるかもしれない。
手っ取り早いのが、高卒資格の取れる専門学校に通ってもらうことになるが、そんなところに通うなら、ブラウンミュージックのミュージシャンの練習風景を毎日見ている方がよほどに役に立つ。
二〇〇〇年代になれば、クラシック以外を指導してくれる高校も増えるのだが、この時代では、殆どないのだろうな。
そもそも映画音楽などを別にして、この時代のオーケストラは、他のジャンルから曲をクラシック風にアレンジをして演奏するのが目立つ。
自らでは、オリジナル曲の作曲をせずに、他人の畑から盗むだけ盗んで、現代音楽を批評する。
そんな指導者たちの中に舞を入れても、何の収穫も得られないだろう。
せめて、自作のオーケストラ曲を発表できるような人物でなければ、舞の指導が出来るとは思えない。
ん、もしかして俺も自作の和装曲を作っていることになるから、評価が高めなのか?
俺のことはさておき、舞の指導者になれる人物のいる高校を探さなければならない!
現状の音楽の指導者への不満を語りながら、これらのことを、紀子さんに説明した。
「……、えっと、舞さんの音楽は、日本の高校で育てるのは難しいと言うことなのね?」
「難しいと言うよりも舞の適性に合う指導者のいる高校があるのか調べる必要があるのです。もし適性のある指導者がいれば、そちらの高校に東大路グループから支援をしても良いと思います」
「なるほど。貴重な存在を探す必要があるのね。もし見つかれば、グループから支援をしても良いほどの価値のある人材と……」
「いっそ、東大路が音楽学校を作ってしまえば良いんです」
「それよ。そうしましょう! さすがに学校を作ることまでは出来ないから、理事をねじ込んで音楽教師を一人入れるくらいなら、なんとかなるわ。将来的に全てを飲み込んで大学、大学院まである学校グループを作ると言うのはどうかしら?」
あ、この人、美鈴の母親ってことを忘れていた。
実行力のある危険人物だった。
えっと、確か、俺が受験をする年あたりから、短大が減り始めて四大に変わって行くんだよな。
だが、その中で淘汰されて、大きい学校グループに吸収される学校がいくつも増える。
子どもの数は、減って行くが通信教育を充実させれば社会人の学生が集まるし、インターネットを上手く使えば、遠隔講義も上手くいく。
やって出来ないことはないか。
それに、上手く立ち回れば、子供の減少も止められなくはない。
この先の東大路グループには、様々なジャンルで活躍できる人材が必要だ。
そんな人物たちを、自ら育て上げて行くのは、悪くない方法に思える。
確か、以前の記憶では、ユタカ自動車がグループの中核を担える人材の育成を目的にした教育機関を作っていたな。
未来を前例とするのはおかしな話だが、前例があるなら大丈夫だ。
「わかりました。学校経営にも手を出してみましょう」
「美香さんと舞さんのことは、任せて。どの高校を選ぶかは、彰君にもアドバイスを貰うことになると思うからよろしくお願いするわ」
「はい、二人の事は、お願いします」
「実は、秘密ノートを読んで疑問に感じたのだけど、彰君の前の職業って何だったの?」
「ただの営業職ですよ」
「それにしてはいろいろと知りすぎているわ。何か秘密でもあるのかしら?」
「ノートにも書いたことなんですが、二〇〇〇年前後の新卒の就職状況が著しく悪くなるんです。その時に、皆、いろいろな手を使って就職氷河期と呼ばれたこの時代を乗り越えて行くんです。俺も何か手はないかと考えた末に、たまたま取っていた社会科系の教員免許を頼りに経済系学部から教育系大学の大学院に進学したんです。修士課程の二年間だけだったのですが、しっかり扱かれまして、いろいろなことを知る機会があったんです。後は株式投資もしていたので、それも影響しているかもしれません」
「そんな経歴があったのね。今生は、どうしたいか決まっているの?」
「できれば東大路グループのことがありますので、アメリカのビジネススクールに通ってMBAでも取りたいですね。実務経験は、ブラウンミュージックの経験とバンタイの役員の席を用意してもらえたので問題ないと思います」
MBAことマスター オブ ビジネス アドミニストレイターは、経営学修士あるいは、経営管理修士などと呼ばれる資格で、ある程度の規模の会社の役員なら、持っておきたい資格になる。
だが、現場は、流動的な物なので、この資格がどこまで有意義な物になるかは、本人次第と言う点が強い。
ミュージシャンである俺が、東大路グループのお偉方と遣り合うには、東大路の一族になったとしても、力不足になるだろう。
せめてMBAを持っていれば、説得力が増すので、お偉方とのやり取りも上手くいくかもしれないと考えたわけだ。
だが、MBAは個人の資質が最重要になる資格でもあるので、飾り程度にしかならないかもしれない。
「なるほどね。美鈴もその方が良いのかしら。海外留学は、させた方が良いとは思っているのだけど、彰君が一緒じゃないと動かないと思うのよね」
「美鈴が一緒でも問題ないですよ。以前の記憶ですが、アメリカには長期出張をしていましたから、雰囲気は知っているつもりです」
「それなら安心ね。義父の考えもあるから、はっきりは答えられないけど覚えておくわ」
美香と舞のことは、完全に紀子さんに任せた方が上手くいくだろう。
俺からは、余り多く語らない方が良いと思えた。
ラルアンシェルのことも、それなりの金額が動く。
ダメで元々と思っておくのが良いだろうな。
神戸の事件については、地元の協力が必須だ。
上手くいくことを願うしかできないが、ボランティアパトロールの皆さんに頑張ってもらおう。




