第七話 学年集会と部活紹介
学年集会と部活紹介
目覚まし時計の音で覚醒する。
戸惑うことなく目を覚まし、自分の手足や部屋を眺める。
やはり、今日も一九九五年の俺のままか。
三日目にもなると、多少は慣れてきたようで、この事態への、俺の順応力の高さに、俺自身が驚くほどだ。
俺の中に本来のこの時間軸にいるはずである俺がいるから、順応が早いのかもしれないな。
それでも、目を開けるまでは、二〇二〇年の俺に戻っていないかと思ってしまう。
手早くダイニングに行き、朝食を頂いて身支度をしてから、登校する。
制服には、昨日に仕込んだ芳香剤の効果がしっかりとでていた。
こんな些細なことでも、何気ない時に役に立つのが社会って物なんだよな……。四十年も生きていれば、何気ない気づかいのありがたさを感謝する機会に、何度も遭遇したのを思い出す。
そんなことを考えながら自転車を走らせていると、高校へ到着した。
未来の親友になる大江と矢沢に挨拶をする。
ついでに周辺のクラスメイトで、暇そうにしている無害と記憶しているクラスメイトたち数人に声を掛けて、自己紹介を兼ねた無駄話をしながら、担任の岩本先生を待つ。
上杉は、あいかわらず初めのグループから出ていく気配はなさそうだ。
この先の上杉は、初めのグループに誘われて、バスケット部にはいるんだよな。
だが、そこで何かのトラブルがおきるんだったか。
うーん、よくよく思い出すと、バスケット部の先輩たちには、可愛がられていた気がするんだよな。
自主的に離れる時まで待つ方が、あいつの人脈を広げるためには良いのかもしれない。
俺があいつを気にする理由、実のところ、上杉には、上質とはいえないが天然ものといえる音楽の才能があるんだよな。
ヴォーカルの才能が高く、目立った練習をしなくても、ビヴラートを使えたり、ロングブレスに対応できた。
さらに、作詞作曲の能力も高く、何度か一緒に曲作りをしたことがあるが、驚いたのをよく覚えている。
だが、上質とはいえないのにも、理由がある。
喉があまり強くなく、長時間の歌唱に耐えられない。さらに、弾き語りとなると、パフォーマンスが著しく落ちるのも辛いところだ。
また、作詞作曲の才能はあると思うのだが、組み上げがあまりうまいとは言えない。
誰かが補助をして、曲を組み上げるなら、驚くべき才能になるという印象だ。
俺が上杉と作曲作詞をした時、あいつが主体で、おれが補助をした曲は、中々のクオリティーの高さの曲だったと記憶している。
ちなみに、その時出来上がった数曲は、上杉の持ち歌として、職場の仲間とバンドを組んだ時に、オリジナル曲として、動画投稿サイトにUPしたり、友人が集まるときに、披露する定番になっていた。
曲自体の受けはよかったので、それなりの曲だと思いたいところだ。
もうひとつ、上杉の問題点がある。
それは、デジタルへの対応が、できなかったようで、他人に用意してもらった環境で何かをするなら、問題ないのだが、自ら用意することが、難しかったらしい。
天然の音楽の才能を持っていても、常に誰かが、お膳立てをしないと、発揮できない才能というのは、中途半端な才能と俺は思ってしまう。
世の中にでてくる才能がある者というのは、自分の才能を全力で生かす環境を作る努力もしているようだ。
この時代のミュージックシーンを征しているような小村哲哉ですら、若い時の環境整備に、かなりの無茶をしたと聞いたことがある。
もちろん世界的に見れば、例外も多いだろうが、そういう天才たちは運が味方をしたと思うしかないだろう。
これらの欠点から、上杉の音楽の才能は、それなりの才能ではあるが、上質とは言えないというのが俺の総評となる。
では、上杉に俺は何を要望したいのかというと、俺の作詞作曲活動の将来的な助手、しばらくの間は、路上ライブの相方という立場をお願いしたいと思っている。
路上ライブは、以前の俺も、何度かやったことがあるが、危険が付き物だ。
一人でやっていたなら、現地で味方となる人物を探さないと、どういう危険がやってくるかわからない。
大切な楽器を持ちながら、トラブルに対処するのは、勘弁願いたい。
というわけで、二人組で行動するのには、それなりのメリットがあるというわけだ。
もちろん、上杉にも、路上ライブの経験は、有意義な物になるだろうし、以前の俺は、音楽活動を楽しんでも音楽業界には、徹底的に近づかなかったが、今の俺は違う。
せっかく人生をやりなおす機会をあたえられたのだから、音楽の呪縛を祝福に変えるために、上を目指すつもりだ。
そんな俺と一緒にいれば、上杉にも、音楽業界から声がかかるかもしれない。
上杉には、さらなる秘密があり、実は、子役経験がある。それを知らされた時に、レコーディングの経験もあると聞かされる。
この話を聞いた以前の俺は、ちょっとした冒険をするのだが、その冒険をこのやり直し人生でも、するつもりだ。
上杉のことを思い出しているうちに、岩本先生が教室にやって来て、ホームルームが始まった。
事前に、今日の予定で必要なプリントが配られ、講堂に行く。
体育館の方が収容人数が多く、一学年以上で集まるときは、体育館を使うが、一学年だけなら、講堂を使うのが、この高校の定番だったな。
講堂は、今回の様な一学年だけの集会や文化祭やらの行事で使われるが、普段はステージを必要とする部活が使っていた。
指示されるままに大人しくクラスで分かれて着席する。
全てのクラスの生徒が着席したのが確認されて、学年集会が始まった。
まずは、学級委員たちは、代議員という立場になり、学年議員団という組織を結成することを説明される。
その代議員の中から、学年議員役員の選出が行われていく様子を眺めるという儀礼的な行事が開始された。
我がクラスの榊原は、大人しくしていたが、水野が役員の副議長になることが決まった。
この役目は、以前の俺が、調子に乗って立候補したのを覚えている。本当に、以前の俺は、何を考えていたんだか……。
役員選出は、昨日の皆が下校した後に、学級委員だけ呼び出され、事前に決められていたはずなので、問題なく終わった。
それからは、生活指導担当の教師から校則を交えながらの生活指導に関する話が始まった。
この時代は、ルーズソックスを代表としたコギャル文化が流行したり、メイクのし過ぎで、ヤマンバギャルなんていう謎の存在もいた。
男子もコギャル風の女子に合わせたギャル男風のファッションも流行ったな。
その他にも、昭和文化から平成文化に、完全に移行するような時代だった気がするので、以前の俺の記憶と合わせて、校内で俺がどういう立場に落ち着くべきか、しっかり考えておいた方が良いだろう。
校則も一通りは、しっかり目を通しておくべきだな。だが校則や生活指導は、完全に昭和ベースで考えられた物なので、対応に困るような物もいくつかある。
これは二〇二〇年になっても、時代にそぐわない校則は、幾つも存在していたというのだから、一応気にしておけばよいという程度にするしかないな。
面倒なことばかりの生活指導の話が終わると、保健室を担当している保健医からの保健指導となった。
カルト教団に関わる事件で、異臭に関する問題に、世間は敏感だ。
そのあたりの説明から風邪などの対策や、簡単な応急処置の段取りまで、保健指導は、しっかりやってくれた。
最後に、事務局の担当者がやって来て、事務に係る諸々の事を幾つか説明して、学年集会は、終了となった。
それから、しばらくの休み時間がとられ、部活紹介が始まる。
「桐山は、音楽系なのは、聴いたが、矢沢は、何か考えているのか?」
「うーん、僕は、中学時代、剣道をしていたんだけど、高校では、文化部が良いなー」
「なら、大江も矢沢も俺が目を付けている音楽系に見学だけでも行ってみないか?」
「おう、特に決めている部活はないからな。桐山に付き合おう」
「じゃあ、僕も大江が行くなら、桐山の目を付けているところを見に行くよ」
これで、大江と矢沢の道連れが決まったな。
基本的に、大江は、他人の意見に流されないが、自分から付き合うと言い出したときは、しっかり付き合う性格だ。
以前の大江はギリギリまで付き合ってくれたが、安田が原因でバンドが上手く回らなくなるころに、文芸部に入ってしまう。
矢沢は、流されやすい性格だが、一度決めると徹底的にこだわる性格なので、楽器との相性は、基本的には、悪くはない。
だが以前の矢沢は、安田が原因でバンドが中途半端になってしまった後に、自然科学部に入るんだったな。
部活紹介の時間となったが、まずは、生徒会の挨拶から始まった。
一学期中間試験の終了後から次期生徒会を決める選挙があるという話を聞かされる。
以前は、一年の目立ちたがり屋が生徒会長に立候補して、当選してしまうんだよな。
その影響で、今、舞台上にいる生徒会役員たちも引退後まで仕事をすることになってしまう。
回避させてあげたいが、良い方法が思いつかない。
中間試験が終わるまでの課題にしておこう。
生徒会の挨拶と選挙の告知が終わると、運動部から紹介が進められて行く。
野球部、サッカー部、バレーボール部、バスケットボール部などの実績があったり、人気がある部活動から紹介されるようだ。
それぞれの部活の色をだしたパフォーマンスは、楽しく見られる物ばかりで、中々有意義に感じた。
もし運動部に入るのなら、やはり以前も二年次から加入した空手部が楽しそうだな。
四〇歳までの記憶が、多少鮮明には、なっているが、細かいところまでは、あいまいのままなんだよな。
一度、空手部の見学に行って型を思い出させておこう。
空手は、一見、打撃技ばかりのように見えるが、実際は防御があってこその打撃技なので、型は防御重視に組まれている。
それに、空手で一番初めに覚えることは、逃げることと言われたので、走り込みも、それなりにしたんだよな。
本来は、物騒なはずの格闘技でありながら、優しい雰囲気のあの部活は、今思い出すと、好きだったのだと思う。
文化部の紹介が始まり、一番手は、吹奏楽部だった。
高校吹奏楽としては、ハイレベルなのは十分わかるが、あえて入りたいとは思わないな。
次に軽音部だ。
本命なので、しっかりと舞台上を見る。
吹奏楽部の撤収後、手早く機材をセットしていく
そう時間がかからずに、細かいセッティングに入ったようだ。
素早い機材のセッティングは、何気に重要で、どれだけ自分が使う機材を把握しているかがわかる。
アンプの調整を素早く終わらせられるのなら、そのアンプの癖を良く知っているということになるし、ドラムセットなら、自分の丁度良いセッティングがどれなのかを良く知っているということになる。
さらに、演奏する場所によって、セッティングは変わるので、その場所のことを知っているか、そこによく似た場所で演奏した経験があることがわかる。
他にもセッティングの様子で、わかることはいろいろとあるが、我が校の軽音部は、高校レベルなら上出来の部類だと感じた。
一曲目が始まる。
この時代に活躍している現役のロックバンドの曲のようだ。
おそらく三年生なのだと思う。
バンドとしてのまとまりはよく、雰囲気だけなら、上出来だな。
演奏については、高校レベルを抜けてはいないという印象なので、年相応の演奏と考えてよいだろう。
二曲目も同じような感想となった。
一曲目と二曲目で、メンバーが一部代わったが、そういう練習をしたのだろう。
三曲目は、オリジナルらしいのだが、この時代のバンドの曲を単純に真似ただけのようで、特に強い関心を持つほどではなかった。
総評するなら、高校レベルとしては、よくできているが、おそらく演奏した曲の譜面が、簡単に演奏できるようにアレンジされた譜面なのだと思う。
平均よりは、良いと考えるべきだろうな。
期待感を言えば、もう少し驚かせてほしかったというのが本音か。
少し残念な気分のまま、撤収を眺めて、次はフォークソング部のようだ。
どういう紹介をするのか、楽しみにセッティングを眺めていると、大体の様子がわかってきた。
演奏準備が整い、舞台上には、なるほど、こう来たかと、うなってしまいそうになる風景があった。
舞台上には、おそらくフォークソング部のほぼ全員なのか、それなりの人数が上がっており、全員がアコギをストラップで肩から下げている。
演奏が始まると、コード弾きのグループとアルペジオで弾くグループに分かれており、歌は、合唱となっている。
演奏している曲は、この時代の教科書にのっているようなフォークソングだ。
フォークソング合奏というのは、記憶にないが、この時の以前の俺は、安田に誘われて、学年集会を終えた後の休み時間から、部活紹介を無視して、この場所から抜けていたのを思い出した。
こんな面白い演奏を聞き逃していたとは、以前の俺は、なんてもったいないことをしたんだ!
二曲、教科書に載っていそうなフォークソングを演奏した後に、十台や二十代から絶大な人気のあったブルーひーつの『リンザ』を演奏するようだ。
この曲の特長ともいえる『リンザ』と激しく何回も叫ぶように歌うところになると、ギターの音を外しながらも、ジャンプをしながら、演奏をしている……。
こいつら、楽しすぎる!
以前の記憶では、部活の掛け持ちはできたはずなので、フォークソング部に入るのは、ほぼ決定としておこう。
見学に行って、練習予定や雰囲気を知ってから最終決定としよう。
フォークソング部の紹介が終わり、和楽器部、演劇部と続き、後は、少人数でひっそりやっているような部活が続いていった。
大江と矢沢が以前の時間軸では、入ることになった文学部と自然科学部の紹介もされる。
どちらも、出席自由な部活のようで、こういうのも悪くはないよな。
事前にもらってあった、部活紹介関係のプリントを眺める。
部活見学は、来週かららしいので、部活関係の特待生以外は、何もできないようだ。
入部手続きは、部活の担当教師が、やってくれるそうなので、入部の意思を部長やらに伝えるだけで、基本的に問題ないらしい。
部活紹介が終わり、教室に戻る。
それから、明日からの基礎学力試験の予定を聞かされて本日の予定は終了となった。
上杉を見ると、初めのグループの仲間たちと仲良くやっている様子だな。
軽音部をメインにするなら、上杉をヴォーカルに誘いたかったが、フォークソング部がメインになりそうなので、上杉を無理に誘う必要はないというのを、この時点の結論としておこう。
上杉が、初めのグループから離れて、孤立しても、フォークソング部に誘えば、俺の思惑通りに進むだろう。
アコースティックギター一本で、どうにでもなるあの部活なら、後からの加入も問題ないな。
自宅に帰れば、秘密ノートと録音作業が待っている……。
今日は、少しだけにして、明日の試験の勉強もしておくべきだな。
そうして、俺は、下校していった。