第六七話 浅草寺ヤング洋品店
浅草寺ヤング洋品店
十一月三〇日土曜日。
しばらく使っていなかった小さめの会議室で一度だけしか会ったことはないが、俺の中でインパクトの強い人物として記憶されている楽器屋のお兄さんこと高橋さんと対面している。
今の高橋さんは、元楽器屋のお兄さんで、なぜかテレビ番組制作会社の営業のお兄さんになっている。
「昔のよしみと言うか、一度しか会ったことがない俺にわざわざ会いに来たのがこの企画のためですか……」
「いやあ、覚えてくれているとは思いませんでした。もしかしたらと思って来てみたら、すぐに会えて驚きです」
「そりゃ、親友のギターをちゃんと選んでくれた人なんですから、三年くらいは、覚えていますよ」
「三年と言うのは、高校時代の間ということなら、助かりました」
「それで、この企画、センヤンのオーディション企画ですよね。じっくり読ませてもらいます。お茶でも飲んで待っていてください」
それから、企画書をしっかり読んで行く。
センヤンとは、浅草寺ヤング洋品店と言うテレビ番組が以前からあったのだが、今年一九九六年の前年の一九九五年の十月から浅草寺のセンとヤング洋品店のヤンを取って、センヤンと言う番組になっているのだ。
センヤンでは、放送開始当時からコムラギャルソンと言うコーナーがあり、そこで新人発掘コーナーをやっていた。
それが拡大されて、この頃には、新人発掘オーディション番組となっている。
そして、この俺のところに来た企画書の名は、女性ロックヴォーカリストオーディションとなっていて、来年の四月から始める予定の企画となっている。
時期的に見て、どう考えても乱急のてんくが深く関わる予定のオーディションに違いない。
てんくは、このオーディション企画から本格的に音楽プロデューサーとして活動を始め、二〇〇〇年代のアイドル群雄割拠時代の先駆けとなっていく。
テレビの企画と言うのは、早ければ一年前には動き出してることもあるので、来年四月の企画が半年近く前の今の時期に俺のところに来ても何の不思議もない。
俺がこれを受ければ、てんくの躍進が、どうなるのか分からなくなってしまう。
だが、このオーディションと、これから続く流れをある程度知っている俺がこの企画に関われば、さらなる高みに登れるのかもしれない。
歴史は変わるが、てんくのやった流れを出来る限り思い出して、やっていけば大きな違いは起きないと信じてやってみるしかないよな。
「七瀬さん、俺ってこの企画を受けても大丈夫なんでしょうか?」
「四月からのようですし、高校の方も今年よりは楽になると美鈴様も言われておりましたので、問題はないと思います。気になるのでしたら紀子様にお聞きしてまいりましょうか?」
「そうですね。紀子さんが許可を出してくれるのなら、やってみたいと思います」
「それでは、行ってまいります」
七瀬さんが出て行ったところで、高橋さんに聞いておかなければならないことがある。
「高橋さん、この企画って他の方にも話を持っていく予定ってあったりします?」
「桐峯さんが乗り気になってくれたようですので。本音で話します。第一候補が乱急でした。ですが私が、桐峯アキラと繋ぎが取れるかもしれないと言う話をしたところ、流れが変わって、桐峯さんになったんです。今じゃ、小村哲哉か桐峯アキラかって言われているんですよ。両方を一つの番組で呼べるなら、すごいじゃないですか。ですので、桐峯さんの参加が決まれば、乱急に話を持っていくことはありません」
俺が所属する極東迷路は、ロックバンドと言う意識はないのだが、外から見るとロックバンドなのだろうから、この話が俺のところに来たのは、意外ではないのだろう。
それにしても、俺と小村哲哉が並べられるのは、実績も経験も違いすぎるのに、なぜなのだろうか……。
「もしかして俺ってテレビ嫌いってことになっていたりします?」
「そりゃ、ほとんど出てこないんですから、そう思われていますよ。タモさんにだけは、表敬訪問みたいな感じで会いに行ったって聞いてますね。桐峯さんをレギュラーと言わずとも、定期的に呼べるオーディション企画に参加させられたなら、大金星ですよ」
間違っていないのが辛いところだ……。
テレビは確かに苦手だし、タモさんに会いに行ったのは、誰か一人くらいは、偉い人に会って置くべきだと考えて、会いに行ったんだよな。
「わかりました。企画は上の返事次第ですが受けたいと思っています。それで、企画の内容に敗者復活を入れて欲しいんです。五人くらいのアイドルグループみたいな感じで売り出せたら良いですね」
「……何なんですか。今までの番組の流れと同じオーディションのつもりでしたのに、いきなり面白そうな企画になったじゃないですか!」
「募集は、高校生からにしましょうか。上は、問わなくても良いかもしれません」
「女性ロックヴォーカリストで募集をするなら、その方が良いですね。敗者復活のアイドルグループは、どうします?」
「夏の終わりにオーディションを終わるように調整をして、サインのかかれたCDを手売りで五万枚を売るとか、そういった地に足の付いた活動をさせるのが良いと思います」
「面白そうですね。他に何かありますか?」
「学力テストもお願いしたいです。高校を中退させてまで芸能活動をさせようとするような風潮が嫌いなんですよね」
「ですが、おバカキャラってのも案外需要があると思いますよ?」
「そんなのはテレビの中だけのおバカキャラで良いんです。アイドルやミュージシャンもスポーツ選手と同じで、激しいダンスや辛い歌唱に耐えなければならないんです。事故や怪我で引退したら、次は、どんな仕事をするんですか!」
「……確かにそのとおりですね。我々テレビ側は、演者側への配慮が欠けているのかもしれません」
「まあ、俺がやると決めたからには、ミストレーベルで関わって行きますので、そのあたりは理解しておいてください」
「わかりました。オーディションの企画で、他に何かありますか?」
「寺で写経とか、夏に近い時期にオーディションを進めて行くのでしょうから、滝に打たれるなんて言うのも面白いかもしれませんね」
「そういう修行も確かに面白いですね。山登りなんて言うのも良いのでしょうね」
「そうですね。事故や怪我が起きない程度で、テレビ映えする企画を考えるのなら、そちら側の方が得意でしょうから、何か用意しておいてください」
「わかりました。時間はありますし、いろいろと考えておきます」
丁度良いところで七瀬さんが戻ってきた。
「桐峯君、紀子様からはテレビ出演を最小にしてもらえるのなら許可と言う話でした。どうします?」
「俺もテレビに積極的に出たいわけじゃないですから、ここぞって言う時にだけ出るってので高橋さん、どうですか?」
「そうですね。うちにだけ、レギュラー並みに出演したなら、他のところから厳しい声も聞こえてくるでしょうから、その方が良いですね」
「それでは、よろしくお願いします」
「こちらこそ、引き受けて頂いてありがとうございます」
「あ、七瀬さん、今って美香と舞は、どうしています?」
「そろそろこちらに戻ってくると思いますよ」
「それなら、高橋さんに本物の原石ってのがどういう物なのか、知ってもらいたいので呼んできてもらえますか?」
「はい、呼んできます」
七瀬さんが再び会議室から出て行った。
「本物の原石ですか?」
「極東迷路のコーラスに参加してくれている中学生たちがいるんです。まだデビューまで時間がかかるので原石と言って良い二人です」
それから、舞と美香の話をしばらくしていると、七瀬さんが二人を連れて戻ってきた。
「舞です。参上です」
「兄さん、何かあったの?」
「俺がブラウンミュージックに来る前に少しだけ世話になった人が来ているんだ。音楽の事もわかる人だから、二人の声を聴いてもらおうと思うんだ」
「了解です。歌いましょう!
「わかった。やってみる」
「ってことなので、高橋さん、練習スタジオに行きますよ」
「え、わ、わかりました。本当に中学生なんですね」
「まだまだデビューまで時間をかけるつもりなので、いろいろな経験をさせたいんです」
「桐峯さんの妹分なんですね。今回の企画じゃなかったら密着取材でもしたい素材です」
「来年の夏までに何組かデビューするので、今って忙しいんですよね。美香たちですら、コーラスの仕事があるので、密着は辛いですね」
「桐峯さんって、初めて会った時も何か違う雰囲気がありましたけど、もう完全にプロのミュージシャンになっているんですね」
「芸能界は、本当に厳しい世界なんですよね。自分を守るために味方を増やすのも大事なことだと思っています。ミストレーベルは、若い俺たちが、簡単に潰されないように集まっているような感じですね」
「確かにテレビ側から見ても、演者の方々は、大変そうに見えます」
「俺から見たら、スタッフ側の方々も大変そうに見えますよ」
「お互い大変ってことですね」
そんな話をしながら練習スタジオに入る。
「それじゃ、曲は極東迷路の『ここでキスを』で良いかな。美香が主旋律を歌って、舞がコーラスでサポートする感じで行こう」
二人とも歌の訓練の後なので、喉は十分に温まっている。
早速、弾き始める。
何度もこの曲を演奏しているが、蜜柑の曲の中では、歌いやすい曲の方だと思う。
そもそも蜜柑の曲のほとんどが、本人以外は歌いにくい曲ばかりなのだ。
そうして歌い始めた二人の声は、低音を舞がフォローをして一緒に歌い、高音では、しっかりコーラスを入れている。
この二人で、ユニットを組ませたくなるが、二人の嗜好が全く違うし、得意な曲調も違うので残念に思ってしまう。
それぞれの得意分野で、しっかり売り出さないといけないよな。
そうして、見事に歌い切った。
「これで原石なんですか!?」
「このレベルの人材をオーディションで探したいんですよね」
「すごい重圧を掛けられた気分です。こんな中学生を育てている人に、素人オーディションで逸材を見つけてもらうんですか……」
「オーディションの告知、頑張ってください」
それからも、水城の『モメント』や花崎の『ジョーカー』を俺も一緒に歌って行き、高橋さんは、顔色を悪くして帰って行った。
センヤンか。
まだ先の話だが、どんな企画やオーディションがあったのかを思い出しておこう。




