第六話 始動準備開始
始動準備開始
自宅に帰り、自室で早速買ってきた物の整理を始める。
まずは、制服用のハンガーに芳香剤をセットして、ハンガーに制服を掛けて、消臭剤を全体に吹きかける。
制服は、予備があっても洗えるときが限られるので、芳香剤と消臭剤を使って工夫をしておけば、香水替わりにもなるし、清潔感を出せる。
スーツでも、同じような工夫はしていたので、これで問題ないだろう。
本当なら、香水を使えたら、良いのだが、さすがに男子高校生が、毎日香水を使っているというのは、教師から何を言われるかわからないので却下とした。
次に、文房具を整理してから、黒赤青のボールペンとノートを一冊、アコギとテレキャスの弦にピックとカセットテープを持って、防音室に入る。
アコギとテレキャスの弦を張り替えて、調音してから、軽く引いてみると、どちらも音が良くなった。
これで、この体にギターの取り扱いを叩き込める準備が出来た。
楽器というやつは、体感で覚えていくのが、どんな理屈よりもわかりやすい。
だが、理論をしっかり覚えておかなければ、体感で楽器を覚えても、いざという時に困るので、理論を甘く見てはいけない。
音楽の奥は深く、体感と理論がかみ合わなければ、身動きが取れないような状態に陥るというのが俺の経験則だ。
だから、ある程度楽器が使えるようになったなら、理論も並行して覚えていくのが、最もわかりやすいと俺は思う。
さてレコーダーに買ってきたカセットテープをセットする。
二〇二〇年に近い曲で、俺が弾き語りのできる曲を思い出し、アコギを使って弾き語りを始める。
一回歌い終えてから、問題がなさそうなら、録音を開始する。
それが終われば、ノートにその楽曲名と発表年、歌手、作曲作詞編曲家、わかっていれば演奏者も書き記しておく。
さらに、歌詞をわかる限り書き込んでいき、コード進行も書き加える。
一曲を書くのに、それなりの時間がかかるが、やるしかないよな。
それを繰り返しノートを埋めていく。
この作業は、作業工程としては第一段階になる。
第二段階では、何とか弾き語りが出来なくもないレベルでありながら、歌詞があいまいな曲や音があいまいな曲を、思い出し適当に穴を埋めて同じように書きだす。
第三段階では、弾き語りが出来るというレベルではないが、穴を埋めまくって、何とか弾き語りが出来るようにして、それを録音して書き残す。
第四段階では、音や歌詞がぎりぎり覚えている程度の曲をフレーズだけで、録音していく。
唄があれば、それも歌いわからなければ、スキャットで録音する。
最終段階は、歌詞や題名だけを覚えているものも書きだす。
とにかく音楽の知識にあるというだけで、使えるかどうかも解らない、音楽に関わる知識なら何でも徹底的に書きだしていく。
上手くいけば一か月程度で終わるかもしれないがもう一つノートを作らなければならないし、勉強もしたい、さらに、上杉と早めに接触できたなら、やりたいことがある。
全て終わるのは、一学期末と思っておいた方が良いだろう。
このノートともう一つのノートにこのカセットテープは、しっかりと学習机にある鍵のかかる引き出しに入れておかないといけないな。
ちなみにだが、ノートに書き記す楽曲たちは、二〇〇〇年以降の曲にするつもりだ。
その理由としては、歌詞や曲という物は、天から瞬間的に折りてくるようなときもあるが、何年もかけて一曲を作り上げていく時がある。
この何年も費やすことを『曲を寝かす』などと呼び、俺の知っているやつでは、十年近く寝かし続けたやつもいるくらいだ。
そんな真の作者が寝かしている曲を俺がどこかで発表したなら、本来は、表に出るはずだったミュージシャンが現れなくなる可能性がある。
今から五年間の曲は、どこかで発表するつもりはないし、書き記していたなら、何かのきっかけで見つかってしまい、どんな悲劇が起こるか予想が出来ない。
そういうわけで、二〇〇〇年以降の曲なら、まだ寝かされてもいない曲の方が多いだろうから、書き記すことに決めた。
また、二〇〇〇年前後から、いわゆるアニソンことアニメソングの躍進が始まる。
テレビに出てくるようなファッション重視に活躍するアーティストの曲に比べると、マイナーな曲が多いが、良質な曲は、アニソンの方に多くあったように感じた。
それに、二〇一〇年前後になると、ボーカルロイドいわゆるボカロミュージックが広がり、作曲作詞の敷居が低くなる。
その結果、大量の音源が氾濫するような状態になり、音楽の好き嫌いが、はっきりとしてくる時代となる。
これに拍車をかけたのが、音楽のダウンロード販売や動画投稿サイトの存在だろうな。
手軽で悪い仕組みだとは思わないが、音楽が身近になりすぎた気もしたな。
そんな中でも活躍したいミュージシャンたちは、テレビから離れて、ライブ活動を重視するようになったんだったな。
秋川康や乱急のてんくがプロデュースしたアイドルユニットやジャーニーズのアイドルたちも、ライブを重視していた印象がある。
二〇二〇年近くになると、秋川プロデュースのアイドルグループたちは、いろいろと問題が起き、そのたびに対処に追われていたが、まだやれそうな雰囲気はあった。
ジャーニーズも、長い間国民的アイドルグループとして活躍したグループが解散したり、細かい事件がいくつもあったり、ラスボス的な人物が高齢で亡くなったりと数年で辛い立場になったが、俺が知っている限りでは、まだジャーニーズはやれそうに感じていたな。
てんくプロデュースのアイドルたちは、テレビでの露出自体は少なかったが、人気は、それなりにあったようだ。
秋川とてんくの曲は、なるべく手を付けない方が良いだろう。
あの二人の曲は、歌詞や曲にわずかだが、癖が見えているように感じたんだよな。
癖の強いミュージシャンでプロデュースをしていた人物を他に挙げるなら、クロスジャパンのヨキシも曲に癖が良く出ていたな。
名のあるプロデューサーの曲は使えないとしても、他のミュージシャンの曲やアニソン、ボカロなら使いやすいだろう。
注意するところは、あの時代でヒットしたからと言って、この一九九五年からの時代でヒットするとは限らないということか。
今から数年は、小村哲哉プロデュースの音楽と、その所属会社のベックスの時代が続く。
俺が、楽曲を発表するなら、この時代に合ったように作り替えるのも良いし、アイディアとして、取り扱うのも良いだろう。
結局のところ、俺が何をしたいのか、どこに向かいたいのか、というのなら、ミュージシャンの道に入り、その業界のてっぺんを目指す!
ということになるのだろうな。
てっぺんに辿り着けなくとも、業界のどこかで、安定した環境を持てたなら、俺の音楽の呪縛は、音楽の祝福に代わるだろう。
未来の楽曲を使用するときの約束事として『歌詞や曲をそのまま使わない』というのを絶対的な約束としておこう。
ただでさえ、ずるい方法を使うのだから、自分に制約を掛けておかないといけないよな。
それとは別に、オリジナルも作る努力はしていくべきだろうな。
元ネタがなければ、何もできないなんて、ミュージシャンとしては、最悪な部類だからな。
楽器の技術ももっと上げるべきだな。
ドラムが最も得意だから、ドラムを一番として、二番はピアノだな。その上で、今からの時代を生きるには、アコギでの弾き語りは有効だろうから、エレキも合わせて技術も上げて行こう。
ベースと和楽器にトランペットは、今の時点では、切り捨てるしかないか。
問題は歌だな。
今でも、それなりに歌えるようだが、プロの世界で通用するのかはよくわからない。
オペラ歌手をしている従兄弟のてっちゃんに、近いうちに高校進学の報告を兼ねて、挨拶に行くべきだな。
そこで、この先の事を相談しよう。
時計を見ると、夕食の時間が近いようだ。
防音室にいると、静かだからか、一度考え込むと時間を忘れてしまう。
ダイニングに行くと、母親と美月が夕食の仕上げをしていたようだ。
今日はハヤシライスらしい。
俺も料理はできないわけではないが、美月は料理好きなので、俺の手伝う機会が、殆どないのが実情だったな。
食器を並べて、夕食の準備を俺なりにやっておき、盛り付けが終わってから、夕食が始まった。
「彰、高校はどう?」
「まだ二日目だから、よくわからないけど、何とかなると思いたいってところかな」
「そう、部活は、どうするの?」
「うーん、軽音部が本命で、次がフォークソング部かな」
「軽音部に無事には入れたら、どのパートを担当するつもり?」
「ピアノは、もう十分だから、中学でやっていたドラムかギター、後はてっちゃんから教えを受けながら、ヴォーカルも良いかも」
「うーん、得意なものや長くやっているものを延ばすのが、良いと私は思うわ。ピアノは、確かによくやったと思うから、大人になっても弾けるって言える程度の腕前は持てたわよね。そうなるとドラムがよいのかしら」
「ドラムのレベルを上げながら、ギターやヴォーカルの手ほどきを受けるってのが理想かな」
「そうね。ギターは、父さんが好きだったから、彰がやるなら喜ぶと思うわ。歌は、てっちゃんにお任せするしかないわね。軽音部の様子がわかったら、てっちゃんに一度会いに行くと良いわ。それと、高校のドラムが気に入らなかったらスネアとバスペダル、ハイハットスタンドくらいは、自前で用意した方がよいかもしれないから、欲しくなったらすぐに言いなさい」
「わかった。母さんありがとう」
「彰には、音楽の事で、いろいろ押し付けちゃったから、自分でやりたいって思ってくれるだけでも、母さんはうれしいの。遠慮はしちゃだめだからね」
母親は、和楽器奏者としては、それなりに有名でハイレベルな仕事をこなしていた。そのおかげで、我が家の収入は、父親の収入と合わせると、高い方になるんだよな。
両親が亡くなった後の遺産分配は、美月と均等に分けたが、正直なところ、こんなにもあったのかよ、と二人で驚くほどだったのを覚えている。
夕食を終えて、風呂に入り、いつでも寝れるようにしてから、自室に戻る。
そういえば、眉毛を軽くだが、整えておくか、本格的にやるのは、また後日にしよう。
ピンセットと手鏡を持ち、眉の間と、明らかにムダ毛と思える毛を何本か抜いていく。
納得が出来たので、消毒液で消毒をして終えた。
毛を抜くのは、癖になって抜きすぎてしまう時があるから、気を付けておかないと眉ペンを使って生活しなければならなくなるからよく注意をしておこう。
さて、机に新たなノートを広げる。
書き出す内容は、一九九五年から二〇二〇年までの出来事だ。
いきなり一九九五年から書き出すと、前後がわからなくなるので九〇年代前半のページを作り、そこから始める。
二〇二〇年のほうでも、その後に予定されている出来事も書き連ねるつもりだ。
地震、台風、水害から政治、社会、国際問題など、様々な出来事を書き連ねる。
順番に思い出すのが難しいところもあるので、ページを行ったり来たりしながらノートを埋めていく。
インパクトの強い出来事としては、アメリカ同時多発テロとそこから繋がる戦争だな。
ITバブルやリーマンショック、中国の躍進は、どのあたりからと言うのが難しいから、思い出せるだけ書いていこう。
天災の類は、どこの県のどういう地域だったのか、できる範囲で思い出す。
これも時間を掛けながら、書きだすしかないんだよな。
株式に関わる出来事をよく覚えているようだから、株式投資も考えておいた方が良いだろう。
それと、競馬場には、付き合いで数回行っただけだが、競馬中継を見るのが何気に好きだったんだよな。
賭けることは、殆どなかったが、名前が良く通っているレースなら思いのほか、覚えているらしい。
これも地味に金になるな。
ほどほどに書いたところで、就寝時間となり、今日はここまでとしておこう。
明日の部活紹介が楽しみだな。
それと上杉と接触するかを見極めてみよう。
あいつには、俺なりのこだわりと言うか因縁がある。
この先、俺が上手く立ち回るには、あいつの助けが必要になると思うんだよな。
そんなことを考えているうちに、眠気がやって来て、就寝した。