第四五話 一九九六年突入
一九九六年突入
一九九六年一月五日の金曜日、先ほど完成したばかりのミュージックビデオをいつもの小さめの会議室で眺めている。
真っ白な空間に段差があり、そこに楽器が並べられている。
映像に一瞬だけノイズが走ると、極東迷路のメンバーが突然現れる。
蜜柑と木戸はドレス姿で、その他の男性陣は、タキシード姿をしている。
そこからは、演奏が始まり様々なアングルで視点が切り替わって、曲が続いていく。
合間合間に、白い部屋の中で簡単なゲームをしている俺たちの様子が流される。
映像が乱れるたびに俺たちの衣装が変わり、最後は全員ペンギン帽子を被っている姿で終わる。
クリスマスイブの翌日から二日掛けて撮影し、そこから急ぎで作り込んでくれたそうだ。
映像が乱れると言う発想は、悪くないと思っていたが見にくくなる可能性もあるので念入りに調整をしてもらった。
その結果、程よい感じに仕上げてくれた。
「私たちのミュージックビデオだよ。すごいよ!」
「木戸さん、落ち着こうか。これで後は、プロモーションだよな。蜜柑とタマちゃん、任せた」
「おう、しっかりやって来る。FMラジオ局とケーブルテレビ局にプロモーションで行けるって聞いている」
「FMラジオ局は、この曲をヘビーローテーションしてくれる局だから、上手くいけば何度も呼ばれるかもしれないな。ケーブルテレビ局は、コスモシャワーだよな。あそこは、とにかく食らいついていくしかない。タートル松木さんとモンスケ・サンタマリアさんの番組は、かなり人気があるらしいから気合入れてけよ」
「基本的にテレビは出ない方針だったのに、なんでその番組だけ出ることにしたの?」
「コスモシャワーTVは、邦楽を積極的に扱ってくれている音楽中心のケーブルテレビ局で、中途半端な地上波の情報番組と比べたなら影響力が強いと考えたんだよな。それに、タートル松木さんとモンスケ・サンタマリアさんとは、バンドとして面識を持っておきたかったんだ」
「その二人は、何か特別なの?」
「タートル松木さんは、ウルウルズのヴォーカリストでとにかくインパクトが強い。モンスケさんは、マルチタレントって感じがあるんだよな。俺からしたら、あの人も独特な歌い方をするすごいミュージシャンなんだよ。だから俺も行きたいくらいだ」
「出ちゃいなよ。会いたいんでしょ。一緒に行こうよ!」
「うーん、蜜柑の言う通り、単純に会いたい気持ちもあるんだよな。七瀬さんと相談してみる」
我が家には、ケーブルテレビが入っているのでコスモシャワーTVをよく見ている。
ミュージックビデオを番組の間に流してくれているのは、本当にありがたい。
そういえば、今年の正月も父親は、姿を見せなかった。
母親が言うには、美月の受験があるので、そっとして置きたいとのことらしい。
逆に、こういう時こそ応援をしてやれば良いと思うのだが、どちらが良いのだろうな。
そんなことを思い出しながら、何度も皆でミュージックビデオを眺めていると、七瀬さんが来客が来たと教えてくれた。
特に約束があるとは、聞いていないので誰が来たのだろうかと考えながら応接室に行ってみると、女子高生くらいの少女が待っていた。
「あの、桐峯アキラさんですか?」
「あ、はい、桐峯アキラです」
よくわからないが名刺を出しておく。
「やっとお会いできました。福岡から来ましたミーサと申します」
え、高校生ヴァージョンのミーサかよ!
そういえば、音源を送ってもらうついでに芸名を付けるように伝言をお願いしてあったんだった。
「福岡からわざわざこちらまで、大変でしたよね」
「いえ、飛行機で来ましたので東京についてから少し人酔いをしたくらいです」
「人が無駄に多いのが東京ですからね。もう少し分かれて仕事をしてほしいです」
「それで、まずはお礼を言いたくて来ました。何本かデモテープを芸能事務所に送っていたのです。ですが、どこも返事はなく、まだまだなんだなと実感していたところに返事どころか大量の音源に契約と簡単な方針まで決めて頂き、本当にありがとうございます」
音源と契約はわかる。
方針と言うのは芸名の事だろう。
芸名を付ければ、どう言う自分になりたいかがはっきりするから、それを方針としたのだろうな。
「力になれてよかったです。四月から三年生ですよね。進路は、どうする予定ですか?」
「実は、そこを悩んでおりまして。家族からは、東京に行くなら大学に行くように勧められています。ですが、芸能活動をするなら、大学は邪魔になるんじゃないかと考えているんです。桐峯さんは、どう思いますか?」
「個人的な考えだと思ってお聞きください。僕は、仲間たちになるべく大学へ行くように勧めています。社会は、本当に広いんだと思うんですよね。中学や高校での生活は、小さな世界の出来事だと思います。大学も小さな世界なんだと思います。ですが、大学と高校の違いは、自分で動かなければ何も変わらないところだと思うんですよ。今までとは違う別の小さな世界を体験してから社会に出るのでも良いんじゃないかと考えていますね。大学に行ってもスケジュールを調整したなら芸能活動をすることは可能ですので、御家族の皆さんのお話を改めて良く聞いてみるのが良いでしょう」
「小さな世界をあえて見に行くのですか。そう言う考え方もあるんですね。そこでの経験も音楽に反映させたなら面白いのかもしれません」
「大学生活を知らないとその世代の人たちにメッセージが伝わらないなんてことはないと思いますが、知らないよりは知っておいた方が良いとも思うんですよね。ミーサさんの場合なら、ゴスペルやR&Bが得意のようですから、欧米の歴史を学べる学部なんて面白いかもしれませんし、ゴスペルからいろいろとイメージを飛ばして社会福祉なんて言う学部も良いかもしれませんね」
「社会福祉もおもしろそうですね。私の父は、医師をしていまして、そう言う分野にも明るいかもしれません。
「ミーサさんは、高校を出たら、僕らと一緒に音楽を作って行くと言うことで良いのでしょうか?」
「そうさせて頂けるのならありがたいです」
「なら、二月にデビューするバンドのミュージックビデオが完成したばかりなので、見に行きませんか?」
「はい、桐峯さんの仲間の方々なんですよね。お会いしたいです」
そうして、いつもの会議室に戻り、ミーサを紹介してからビデオを見てもらった。
「……皆、すごいです。私と同じくらいの年なのに……」
「ミーサちゃんは、福岡なんだよね。私も福岡からこっちに来たんだよ」
「うらやましい気持ちもあるけど、福岡でもう少し修行をしてからこっちに来たいかな」
蜜柑とミーサは、気が合うようで安心だな。
「そっか、あっちでやりたいことが残っているんだね」
「うん、アメリカ人の先生がヴォイストレーニングを見てくれているの。その先生と高校時代は、一緒にいたいんだよね」
「その先生と一緒にこっちへ来ることは、難しいの?」
「無理だと思う。本業があって、その合間に教えてもらっているんだ」
「なら、仕方がないか。来年を楽しみにしているね。ねえ、桐峯君、ミーサちゃんをデビューさせるのっていつ頃になりそう?」
「そのトレーナーの情報がないからわからないが、良い先生なのは間違いないらしい。だから、こっちで少し調整しつつデビュー曲が決まり次第ってことになる。早くて来年の秋くらいに考えておけば良いんじゃないかな」
「そうなんだ。他に目を付けている人っているの?」
「一つは、上杉のバンドだな。ポーングラフィティの弟分みたいな感じで、活動してもらいたいと思っている。しばらくライブハウス回りになるだろうな。もう一つは、まだ不確定なんだが横浜のバンドが解散したらしくて、そこのメンバーが二人で路上ライブを三月か四月から始めると思う。五月頃に確保したいな」
「上杉君のバンドはわかるけど、横浜のバンドも気にしていたんだね。どう言う情報網を持っているんだか……」
「まあ、いろいろとあるってことで勘弁してくれ」
上杉のバンドのギターリスト二人の交代は、無事に完了した。
ドラマーには、経験をさらに積んでもらうために、ポーングラフィティのサポートドラムを玉井から引き継いでもらった。
横浜のバンドとは、ユズキの前身にあたるバンドのことだ。
おそらく、取り合いになることが予想されるからスカウト担当の鮭川さんには、細かいチェックをしておいてもらわなければならないな。
「ただいまです」
「水城、お帰り。どうだった?」
「CMが流れたとたんに取材が一杯で、もう大変……」
「堀学園高校は、補習とかもしてくれるんだろう。名前だけでも売って行かないと、次が続かないからな」
「うん、この時を東京に来てからずっと待っていたんだから、全力でやる!」
水城の取材は、今のところブラウンミュージック内のスタジオや応接室を使ってやっている。
衣装が着物なので、レモンさんたちがすぐに直せるようにしておく必要があり、こう言うことになった。
写真もこちらで用意済みで、記事の担当者が一人で来るだけで良く、評判は悪くないようだ。
水城もミーサに紹介して、こんどはミーサに水城のミュージックビデオを見てもらう。
「……あの、この曲、実家でお正月にテレビのCMで聞きました。本人さんなんですか!?」
「はい、桐峯君が作ってくれた私のデビュー曲です。大切で大好きな曲です!」
「えっと、その、サインください!」
俺と会った時は、かしこまっていたが年相応のミーサが出てきて良い雰囲気だと思う。
「何に書いたら良いでしょう?」
「今、色紙とペンをお持ちしますね」
「七瀬さん、すいません」
そうして水城は、色紙に芸能人らしいサインを書き、ミーサに渡した。
「あのさ、重大なことに気が付いてしまったかもしれない!」
「木戸さん、どうした?」
「私たちって、サインって書いたことある?」
極東迷路のメンバーとミーサが首を左右に振る。
「……確かに重大なことだ。七瀬さん、何か適当な紙とペンをお願いします!」
「すぐにお持ちしますね」
それから急遽、サインを決める会議が始まった。
まずは、極東迷路の全員が使える物を一つ作った。
片仮名で『キョクトーメーロ』と言うのを繋げて書いたような物が完成した
個人では、それぞれに考えて行ったのだが、蜜柑の物が秀逸だった。
地図記号の果樹園の様なマークの中に『み』と書いた物だ。
なるほどと感心した俺は『MIST』と言う英単語を崩しまくった物をサインに採用した。
皆のを見比べた結果、ミーサの物が一番芸能人らしいという何とも言えない結果になってしまったが、こういうのも悪くはないと思う。
「桐峯君、そういえばね。取材の時に『和ポップ』って言う言葉を使ってみたらどうって言う話があったのだけど、どう思う?」
「正直なところ、あまり良い響きに感じない。水城は、和風曲をこの先も歌ってもらうつもりだけど水城の本質は、和風曲も歌えることであって和風の曲しか歌わないわけじゃないんだよな。こちらからそういう言葉を発信するのは、辞めておこう。雑誌が勝手に書くのは好きにさせておけば良いと思う」
「声優の養成所に私が通っているのって、やっぱりアニメのタイアップを取りやすくするためなんだよね?」
「それだけじゃないが、その目的もある。だから、アニメの雰囲気に合った曲なら和風にこだわる必要はないとも思っている」
「わかった。そういうつもりでいるね」
日本のポピュラー音楽の歴史の中に何度も『和ポップ』と言う言葉が登場している。
そのたびに、いつの間にか消えているんだよな。
そんな縁起の悪い言葉を、あえて使う必要はない。
水城には、声優をどこかでやってもらうつもりだから、そちらのアプローチも始めた方が良いか。
CMの反響は、悪くないようで『久遠』が発売されたなら、どれくらいのセールスになるかが楽しみだ。
今の水城には、テレビシリーズよりも、アニメ映画の方が合っているかもしれない。
そのあたりも考えておこう。
それからミーサは、丁度良いと言うことで、今日と明日にかけて、チェック作業をしていくことになり、持ってきた音源も預かることになった。
さて、一月の水城の曲が発売される頃と同じ頃に極東迷路のプロモーションも始まる。
いよいよ、ここまで来たって感じだな。
今年の夏は、頬袋の兄貴がアトランタオリンピックでギターを弾くためにいない。
兄貴が帰ってきた時に、褒めてもらえるだけの結果を残しておきたいな。




