第三五話 ミスト
ミスト
八月三十日の水曜日、俺たちは会議室で集まっている。
この会議室の中には、蜜柑を擁する極東迷路のメンバーと水城加奈、それに頬袋の兄貴、さらにいろいろあって、むしろあんたら、何でここにいるんだよ、と突っ込みたくなる人物たち、アクスの浅井さんと高水さん、さらにTRレインボーの西山さん、さらにさらに、バックチークのメンバーまでいる。
「先達方の話は、後にして、本題に入りますね。極東迷路、水城加奈、それに今後に俺がプロデュースするミュージシャンたちをチーム『ミスト』のメンバーとして、考えて行こうと思います」
「キリリン、桐峯の桐とミストの霧を掛けた名前なのはわかるが、それって社内レーベルとかになるのか?」
「そのあたりは、まだ協議中で、社内レーベル扱いになっても、クレジットに何かロゴ的なマークを入れる程度になると思う」
「今は、あくまで社内プロジェクトってところなのね」
「蜜柑の言う通りで、俺が預かる面々をミストとして扱うってことだな」「それで、さすがに、俺が一人ですべてを仕切るのは難しいから、事務方には七瀬さん、営業には胡桃沢さん、スカウト担当に鮭川さんに手伝ってもらうことになっている」
ここまでは問題無しと、話を続ける。
「ミュージシャン側の後見人は、頬袋さんにおねがいした。それと、アクスの浅井さんとバックチークのトールさんにも、アドバイザーという形で参加してもらうことになった」
「頬袋トラヤスだ。アキラが、初めにここへ訪れた時からの付き合いになる。まだ知り合ってから、そう時はたっていないが、面白いことをすると聞いて、後見人をさせてもらう」
「アクスの浅井です。剣の心の楽曲提供の話で、ちょっと揉めちゃってね。元々、半分フリーみたいな立場だったし、アクスは、もうすぐ休止するから、この際、皆まとめてこちらにお世話になることになりました」
「バックチークのトールです。独立しようかと考え始めていたときに、頬袋さんから、こちらに誘われて、お世話になることになりました。えっと、桐峯くん、あの件は、話しても良いのかな?」
「あ、僕から話します。すいません」
「いや、こちらとしても、良い気分転換になる話だからね」
「バックチークの方々には、水城と極東迷路のデビューシングルに入る楽曲のスタジオミュージシャンをお願いすることになった。水城は、ソロだから、あまり関係はないと思うのだが、極東迷路は、バンドだから、そうはいかないと思う。よく七瀬さんと相談して考えたんだが、極東迷路のデビューを今年の十二月から来年四月前後にしたいと思っている。それまでの間に、残念だが、皆のレベルが、レコーディングに耐えられるようになれるとは、思えないんだ。そこで、こちらに来てもらえることになったバックチークの皆さんにスタジオミュージシャンをお願いしたというわけだ」
「おそらく、バンドメンバーの中で、一番足を引っ張ることになる俺は、腕を磨く時間を与えてくれたという認識に感じた。残念という気持ちもあることは、否めないが、この話は、良い話に思う。それに、バックチークの方々のレコーディングの様子は見せてもらえるんだろう?」
「ああ、その予定だ。こんな機会、そう多くはないからな」」
「私もクスくんとおなじだね。まだまだ、他の楽器と合わせることに慣れていないから、勉強中なんだよ。桐山君のその話は、私たちが、頼りないからってことでもあるのだから、悪い話に思えない」
「二人ともありがとう。木戸さんは、コーラスのパートがあるから、蜜柑と一緒にコーラスだけは参加でよろしく」
「あの、少し良いか、この中では、知名度で言うなら、桐峯君たちに一番近い俺が言うのもなんだが、随分と急いでいるようだし、桐峯君の腕も大丈夫なのか?」
「ああ、西山君は、桐峯君の楽曲をまだ聞いていなかったか。水城さんと桐峯皐月さんの音源ってすぐだせるかな?」
「浅井さん、すぐに出せます。西山さんと高水さんにも聞いてもらっておいた方がよいですよね」
そうして、すぐに音源の準備がされ、水城の曲とレコーディングが済んでいる母親の曲が流された。
「……、なるほどな。この曲たちの作曲を桐峯君がしたのか。それなら納得だ。特に、水城さんの声は、良いな。コラボでもしたい気分だ」
将来に西山さんと水城は、コラボをするはずだから、水城の声が、もう少し安定したなら、コラボ企画も良いかもしれないな。
「そうですね。西山さんと水城で、コラボ企画をやりましょうか。水城のデビューは、来年の一月と決まっていますから、その後の良い時期を探しましょう」
「僕は、しばらくセルフプロデュースで行くけど、桐峯君の曲をやるのもよいな」
「高水さんにそう言ってもらえると、うれしいです。僕で良かったら、声を掛けてください」
高水さんのソロ活動に俺の曲を提供するなら、どういうのが良いのだろうな。
何曲か用意しておくのも、悪くはないだろう。
高水さんに使えなくても、他の人の曲に使えば良いのだからな。
「自信がないよりは、あった方が良いが、売れるのを前提に話しているアキラの気迫もなかなかだな」
「兄貴、ありがとうございます。俺が弱気になったらだめですからね」
それから、レコーディングの予定を話し、会議は解散となった。
さて、まずは、アクスと西山さんだ。
この時期のアクスは、活動休止の準備とTMレインボーこと西山さんのプロデュースを浅井さんが始めていた。
そうして、西山さんのファーストシングルが発売するかというところで、剣の心での裏工作に失敗し、西山さんのタイアップが消えてしまったそうだ。
憤慨というほどでもないが、裏工作に不快感を感じた浅井さんは、どうせ新しいことを始めるなら、別のレコード会社でも良いんじゃないかと、あっさり移籍の段取りを整えてしまった。
あちらのレコード会社も突然、浅井さんが率いるチームが移籍をするとなるのなら、法的手続きをするなどと言えるのだが、話は、外には出せない裏工作の失敗という内容が絡んでいるので、引き留めることもできず、現在移籍作業の真っ最中となっている。
この話をどこからともなく聞いた鮭川さんが動き、こちらで持っている剣の心のEDの一枠を、西山さんに渡す条件で、こちらへの移籍が決まった。
バックチークは、特に問題はないのだが、気分一新というところらしい。
独立を考え始めていたのは、事実で、実際、俺の以前の記憶には、来年の春から、バックチークが独立した記憶が、ぼんやりとだがある。
二組とも、現在は、移籍作業中だが、近いうちにこちらに来てくれることは、確定しているので、今回の話を引き受けてくれた。
浅井さんは、俺が会いたかった人物の一人で、できれば、シンセサイザーの使い方を教えてもらいたいと思っている。
この時代の小村哲哉に匹敵する人物を挙げるなら、真っ先に俺は、浅井さんを挙げる。
それくらいに彼の音楽に、魅了された記憶がある。
それにしても、あちらのレコード会社は、何を考えているのだろうか、よくわからない。
アクスの実績はもちろんとして、西山さんだって、どう考えても売れるとしか思えないのだが、本当にわからない……。
この不可解な感じが、芸能界の雰囲気なのだろうな。
バックチークは、彼らがデビューしてから、常に変化を続けている印象がある。
良くも悪くも実験を楽しんでいるバンドなのだと思っている。
初期の集大成の様なセルフカバーアルバムがあるのだが、この一枚だけは、二〇二〇年の俺が常に手の届くところに置いておくほどに気に入っていた。
今の俺も、このアルバムは、しっかりと手の届くところに置いている。
そして、頬袋さんの提案で、バックチークのメンバーに、スタジオミュージシャンの話を持っていったところ、どういうわけか、面白がってくれたようで、即決に近い勢いで、了承してくれた。
頬袋さんが、気にしている高校生というのが、妙にツボに入ったらしく、俺の曲も、ギターの今西さんが特に気に入ってくれたようだ。
今西さんは、特に実験好きなイメージがあるので、彼に気に入られたことは、俺としてもうれしい出来事だった。
少しずつ、音楽業界の様子が、俺がかき乱しているような状態になってしまい、未来の所属が変わっているようだ。
だが、正直なところ、どのミュージシャンがどこに所属していたかまでは、よほどミュージシャンとレコード会社のつながりが強い、ミュージシャンしか覚えていないので、俺には、どうにもならない。
小村哲哉の関係者がベックスだったり、ジュリアンマリアのベテランさんたちが、ソニーズと縁が深かったり、他にもいくつか覚えているが、こんなものだ。
会議が終わり、一つ気になることがあるので、それを聞きに、トールさんのところへ向かう。
「あの、突然すいません。トールさん、クロスジャパンのメンバーとは、交流ありますか?」
「ああ、確か、桐峯君もヨキシ君と同じで、ドラムとピアノをやるんだったね。彼らの事がきになるのかな?」
「気になるといえば、気になります。ヨキシさんとは、話をしてみたいですし、ヒデトさんのあのセンスは、どんな発想からきているのか、気になることはいろいろあります」
「紹介しても良いのだけど、せめてデビューをしてからの方が、ヨキシ君は、喜ぶと思う。彼は、一般人に対しては、そうでもないんだけど、この業界の人には厳しいんだよ。桐峯君なら、デビューさえしてしまえば、ヨキシ君から会いたがると思うよ」
「ヒデトさんは、どんな感じの方なんですか?」
「ヒデト君は、上手に付き合えば、良い関係に慣れると思う。ヨキシ君が、苦労してクロスに入れたギターリストなだけあって、面白い人だよ。彼に会うにも、やっぱりデビューしてからが良いだろうね」
「わかりました。来年の夏までには、そちら側に行きますので、その時に、またお願いします」
「そういうの好きだよ。この業界ってさ、本当に浮き沈みが激しくて、気の合いそうな人に出会っても、気が付いたら、いなくなっているなんて日常だからね。桐峯君たちには、残ってほしいな」
「はい、もちろんそのつもりで準備をしていますので、しっかり残って見せます!」
「まあ、うちのメンバーも、君たちを特等席で見るために、ここに移ったような物だからね。期待しているよ」
「ありがとうございます」
少し急ぎすぎたか……。
それでも、トールさんを通して、クロスジャパンのメンバーに会う道が拓けたのは、大きいと思っておこう。
ヒデトの運命の日を、変えられるなら、後は彼ら自身の問題で良いだろう。
ヴォーカルのトシヤが、宗教の道へ入って行くが、それを俺は、止めるつもりはない。
それこそ彼自身の問題だし、その後の解散や再結成も彼ら自身の問題だ。
出しゃばりすぎるのは、未来を知っているからと言って、良い事には思えない。
トールさんが言ってくれたように、デビューさえしたなら、会えるかもしれないが、それまでに、できることはしておかなければならない。
やはり足場固めの方法を、しっかり考えないといけないな。
水城は、アニメのタイアップを狙いつつ、じっくり攻めるのが良いだろう。
彼女が本格的に必要となるまでは、まだ数年がかかる。
極東迷路は、短期勝負で行きたいんだよな。
新名を世に出すための舞台装置と考えても良いくらいに思っておこう。
他のメンバーたちは、どこまで成長したかで、行く道が変わるのだろうな。
練習スタジオで、曲を考えながら、ピアノを弾くことにする。
水城の曲は、すでに十曲以上用意してあるので、今作っている曲たちは、いざという時のストックになる。
極東迷路にも、俺の曲を入れる可能性があるので、ストックは、ある程度用意しておかなければならない。
西山さんか。
俺は、あの人を面白い人だとは思っていたが、それ以上に何かを感じることは基本的になかった。
二〇〇〇年代にロボットアニメの有名シリーズであるガンガムシリーズの曲を歌った時は、アニメと彼の曲が、こんなに合うのかと驚いたのはよく覚えている。
だが、それ以上に、その曲をリミックスした浅井さんのすごさに魅せられたのを覚えている。
俺が、西山さんをしっかり認識したのは、かなり遅く、東日本大震災の時のチャリティーイベントだった。
そのイベントは、インターネット放送で、長時間にわたって、チャリティーイベントの様子を流し続ける物で、次から次にいろいろな芸能人が来て、何かをして帰って行く、そんなイベントだった。
見られる範囲で、俺も見ており、それでも、殆ど内容は覚えていないのだから、あまり見ていなかったのだろう。
だが、最後に、西山さんが歌った曲に圧倒された。
彼が歌った曲は東日本大震災の前年に放送されたアニメのOPで、そのアニメは、地震をテーマに扱ったアニメだった。
彼のいろいろな感情がその歌には込められていて、感情の波に押し流されそうになりながらも、見事に歌い切った彼に俺は、心から感動した。
そうして、俺は初めて、彼を彼だと認識した。
彼には申し訳ないのだが、それまでの長い間、俺は、浅井さんの関係者という認識で、西山さんを一人のミュージシャンとして見ていなかったらしい。
それから、慌てて西山さんの曲を聞きまくった。
俺がただ知ろうとしなかっただけで、彼は間違いなく彼だった。
その時に、改めて彼が楽曲を担当したガンガムも見直して、彼の仕事を聞きなおしていった。
そんな彼が、世に広く知られるようになるのは、やはりこの曲が重要なんだろうな。
かれが剣の心でEDを担当することになる曲をぼんやりと弾いていく。
間奏まで弾き終えたところで、スタジオの扉が開いた。
「桐峯君、今のは……」
「え、浅井さんと西山さん?」
「それは良いから、もう一度聞かせてくれ!」
すごい形相で、迫って来る浅井さんに怯えながらも、弾くことを決める。
「は、はい……」
再び、弾き始める。今度はぼんやりではなく、しっかりと俺の記憶の中にあるこの曲を正確に再現していく。
そうして、弾き終えて、二人を見ると、あぜんとしていた。
「……その曲とよく似た曲の構想があったんだ。西山君に歌ってもらう曲として、組み上げるかどうか、迷っていたんだ。似ているがやはり違う。その曲がほしい。西山君のために譲ってくれないだろうか!」
俺は、確かに覚えている限り正確に弾いた。
だが、俺が覚えているのは、TMレインボー二〇周年アニバーサリーの音源だ。
浅井さんが、違うと感じてしまうのは、当然なのだろう。
「えっと、譲ることは問題ないです。権利事ってことでしょうか?」
「いや、そこまでは言わないし、さすがに、僕にだってプライドはあるからね。君の作曲で、クレジットするし、権利もそのままだ。ただ使わせてほしい」
「はい、好きにしてやってください。録音で良いですか?」
「ありがとう。剣の心の曲がね。まだできていなかったんだよ。今の曲は、イメージにしっかりとはまる。録音で構わない。できれば、君のドラムも入れてほしい。編曲の時のイメージも固まりやすいからね」
そうして、急遽レコーディングスタジオに行き、ピアノを録ってから、ドラムもできるだけ、再現して音源を浅井さんに渡した。
「俺は、君の事を甘く見すぎていたようだ。すまない」
「謝ることなんてないですよ。西山さんは、デビューの経験もあるんですし、何も問題はありません」
「なんていうかだな、この世界が、年齢なんて関係ないことは、わかっていたんだが、君の様な存在を知ってしまうと、まだまだ俺は小さいって思ってしまう」
この人、背は俺よりも低いんだよな……、そういう意味で小さいと言っているのとは違うのはわかるのだが、どうしても気になってしまった。
「気にしないでください。ほら、会議の時にいた新名蜜柑、あれも化け物ですよ」
「そうか、君がそういうのなら、彼女の音源もあれば聞いてみたいな」
「えっとありますよ。すぐに出します」
新名が、引っ越しする時に持ってきた音源を取り出し、三人で聞く。
「確かに、これは、すごいな」
「ああ、こんな逸材をどこで見つけてきたんだい?」
「彼女は、スカウト担当の方が見つけて、僕に会わせてくれました」
「こっちに来て、良かったと早速に思えたよ。桐峯君は、面白いね」
「そういってもらえると、僕もうれしいです。そうだ、シンセサイザーの使い方を教えてほしいんです」
「ああ、あれは、ピアノに慣れていると、何か違うって感じがあるからね。西山君の曲を作るときに、見に来ると良いよ」
「はい、そうさせてもらいます」
そうして、本来の作曲家よりも先に曲を披露してしまい、大事故になるところだった。
いや、もう大事故になった後なのかもしれない……。




