第三二話 蜜柑の仲間探し
蜜柑の仲間探し
八月七日の午前、俺は養成所の楽器レッスンをしているフロアをゆっくり歩いている。
目的は、訓練生たちのレベルを少しでも感じたいと思ったからだ。
セミプロ級の者たちでも、正直なところ、何か足りない。
むしろ、アマチュア級の者たちのほうに魅力を感じてしまう。
これは、養成所全体の雰囲気の問題なのだろうな。
この問題は、経営側やトレーナーに、問題があるわけではなく、訓練生たちが、自ら作り出している物なので、何かを指導して良くなるという物ではない。
具体的に、どういう問題なのか。
ひとつは、この養成所に入っていることだけで、上手くなったと勘違いしているような者たちがいることだ。
ブラウンミュージックは、日本一とは言わないが、それなりの規模を誇っており、その養成所にいるだけで、上手くなった錯覚を起こしてしまう。
わかりやすく言えば、有名企業にたまたま入った新人社会人が、なぜか偉くなったような錯覚を起こすような者だと思えばよい。
実際、そういうやつが、調子に乗って、三年ほどで退社をし、他の会社の最前線で働こうとしたが、何もできなかったというのは、良くある話だ。
更に一つ、セミプロ級というのは、あくまでセミプロ級なのだ。
大学やらの音楽系サークルに四年間在籍し、そこそこに腕を上げたプレイヤーたちは、ほとんどセミプロ級になっている。
中にはプロ級もいるので、セミプロ級なんていうのは、その程度の存在達なのだ。
俺ですら、プロ級とセミプロ級の間のような存在とされていたのだから、実体験としてよくわかる。
そして、また一つ、この時代のミュージックシーンに問題がある。
小村哲哉系の音楽は別として、バンド形式は、存在していても、チャートの上位にいる者は、ユニット形式の者たちが多いのだ。
ギターとボーカルの二人組、ビーゼットや男女三人組、後に二人組になるドリー・カム・スルーなどが良い例だろう。
また、バンドでも、てんくをヴォーカルとする乱急やタートル松木がボーカルを勤めるウルウルズなど、ヴォーカルやギターがやたらと目立つバンドが多い。
結果として、ギターとヴォーカルが多くなり、ベースとドラムが少ないと言う状態になってしまう。
他にも、要因はいくつかあるが、総じて、この養成所の中だけで、完結してしまっている者たちが多いのだろうな。
こんな状態で、養成所の運営は、大丈夫なのか、という疑問も生まれるが、そこはうまく出来ている。
年に一人、あるいは、数年に一人、プロ級の中から、有名ミュージシャンのツアーメンバーを輩出することで、何とかなってしまうのだ。
他の者たちは、どうなるかと言えば、どうにもならない。
大学や専門学校へ行く者もいれば、役者やモデルなどの方向へ移るなど、個々に様々な動きを見せるだけとなる。
中には、ここでバンドを組み、活動を始める者もいるのだろうが、そういう者たちは、上に拾い上げられる前に、解散してしまうのだろう。
ある程度の強制力は、高校の軽音部でも必要のように、ここでも同じなんだよな。
と、一通りのレッスンの様子を見たが、今回、探している新名のバンドメンバーになれる人物は、いないようだ。
無理やりに引き上げても良いが、おそらく腕はついていけても精神的についていけないだろうな。
時計を見ると予定の時間が近くなっていたので、ブラウンミュージックのビルを出て、待ち合わせ場所に行く。
「キリくん、暑いな。夏だな!」
「俺までここに来て良かったのか……」
「カジくん、クスくん、時間通りだな。昼食でも食べていくか?」
「そうだな。適当に何か食べて行こう」
近所のハンバーガーショップに入り、昼食を済ませて、二人を本日使う練習スタジオに案内する。
「スギくんが、ここに通い始めたって聞いていたけど、俺ら二人もここに入るのか?」
「入るといえば、そうなるのかな。二人には、これから売り出す予定の女性シンガーと会ってもらって、その人とバンドが組めるかを試してもらいたい。一言で言えば、オーディションだな」
「おいおい、とんでもない話だな。ところで、当然のようにここまで俺らを案内して来たキリくんは、何者なんだ?」
ふたりにめいしを渡す。
「ブラウンミュージックエージェンシー所属の音楽プロデューサー、桐峯アキラと申します」
「ご丁寧にどうもって、なんじゃそれ!」
「まあ、家の仕事って、たまに行っていただろ。あれが、これになる」
「家の仕事っていうんなら、ここが、キリくんの家なのか?」
「俺の母親の仕事場が、ここだから、そういう意味だと思ってくれ」
「うーん、まあ、それなら納得か」
「……、こういうところだと、ギタリストなんて山のようにいるんじゃないのか?」
「うーん、そうでもないんだな。問題は、腕の良さよりも、心の強さみたいな方が、今回は必要なんだ。そのあたり、クスくんなら、行けると思った」
「じゃあ、俺も?」
「そう、初めはさ、正直言うと、カジくんだけを呼ぼうと思っていたんだ。でも、俺の知っていて信頼のおけるギタリストたちで、脳内オーディションを勝手にやった結果、残ったのがクスくんだったんだ。ついでみたいな感じで言っていて、クスくんには、申し訳ない」
「いや、信頼のできるギタリストの中に、俺がいることがうれしく思う。キリくんは、パートこそ違うが、おれの目標なんだ。上手いだけじゃなくて、楽しもう、楽しませようって気が伝わってくるんだ。あの『アナーキー』を初めてやった時の、あの感覚は、今でもはっきり覚えている」
「そうか、なら、今日のオーディションも期待している。楽しもう!」
そうして練習スタジオの中で、それぞれに準備を始める。
「えっと、ここだって聞いたんだけど……、桐山君だけじゃない!」
「お、木戸さん、どうした?」
「えっとね、美鈴様のお母さまからここで、声出しして、ヴァイオリンを弾くように言われたの」
「うーん、他に何か聴いているか?」
「桐山君に、面倒を見てもらいなさいって言われたくらいかな」
「ああ、了解した。木戸さんもオーディション受けるってことか。まあ、気の毒だが、精一杯やってくれ。楽しいの好きだろ、上手くやれば、楽しくなるぞ」
「よくわからないけど、がんばる」
「そういえば、エレキヴァイオリンの調子はどうだ?」
「良い感じだよ。マルチエフェクターってのも、慣れてきた。いろいろ音が変わって面白いよね」
「えっと、木戸さんって、キリくんの選挙の時の応援演説をしていた人?」
「そう、二人は、キリくんの軽音部仲間だったよね」
「俺が梶原で、こっちが楠本、カジとクスとでも呼んでくれ」
「了解、カジくんとクスくんね。私は、木戸静香、どうせだから、静香とかで良いよ」
「じゃあ、オーデションが全員合格なら、改めて呼び名を考えるか」
「カジくんってさ、呼び名とかあだ名考えるの好きなのか?」
「ああ、実は、かなり好きだ。良いのが決まると皆、喜ぶだろう。それが良い」
「悪気があるんじゃないなら、まあいいか、確かに、新しい呼び名を決めるのは良いかもしれないな。今日は頑張ろう!」
木戸も加わり、準備が進み、音出しも始まった。
そういえば、昨日の新名が出た大会で優勝をしたエイコなのだが、関西の音楽短大に在学しているそうで、関西から離れることは、無理だそうだ。
だが、卒業と共に、デビューするという方針なら、問題がないそうなので、ブラウンミュージックに所属して、デビューの準備を始めてくれることになった。
エイコは、他のレコード会社と契約するはずだったが、こちらと契約が出来たのは、うれしい出来事だ。
他にもそういうミュージシャンたちがいるはずなので、スカウト担当さんたちには、ぜひ、頑張ってもらいたい。俺もできるだけ、思い出して行こう。
スタジオのドアが開き、新名と七瀬さんが入ってきた。
「お邪魔します!」
「緊張でもしているのか。蜜柑、こっちの準備は、順調だ。」
「あ、うん、今さっき、すごい人に会ってきたから、まだ落ち着いていないのかも」
「紀子さんかな。あの人も、気迫があるよな。さすがって感じがする」
「桐峯君は、あの人と会っても平気なの?」
「紀子さんより数倍恐ろしい存在に、会ったことがあるから、世間話程度なら問題ないな」
「そ、そうなんだ……」
新名は落ち着くのを待つとして、七瀬さんに様子を伺う。
「七瀬さん、木戸の件、聞いていますか?」
「はい、紀子様から、オーディションをするなら、彼女もいっしょにしてしまいなさい、とのことです。私も、木戸さんは、この企画に合うと思いましたので、お勧めします」
「了解しました。蜜柑の様子は、どうでした?」
「やはり、肝が据わっているというか、鮫島さんの眼は、本物ですね」
「なるほど……。今日、ベースとギターの二人に木戸の三人を試してもらうので、七瀬さん、見届け役をお願いします」
「私は構いませんが、他の方を呼んだ方が、良いのでは?」
「問題は、新名と合うかどうかですから、腕前は、あまり気にしてないんです。ですので、有名な方を連れてきても、煩わすだけになると思うんです」
「なるほど、ただ見届け役がいれば良いだけなのですね。なら、私で問題ないでしょう」
「七瀬さんだって、十分な人じゃないですか。短いとはいえ、数か月お付き合いしてもらっているんですから、七瀬さんのすごさもわかってきますよ」
「ありがとうございます。これからも、良いお仕事をお見せください」
さて、新名も落ち着いてきたようで、準備を始めたようだ。
「蜜柑、一応、先に紹介をしておく。ギターとベースは、俺の高校の部活仲間で、同じバンドを組んでいる。腕は、高校生レベルでは、よくできていると言ったところだと思っている。そっちの彼女も俺と同じ高校で、ここの養成所に所属している。パートがヴァイオリンなので、上手く乗ったら面白いと思う」
「なるほど、えっと、新名蜜柑と言います。今日は、わざわざありがとうございます」
それぞれに簡単に自己紹介をして、俺がドラムを叩き、鍛治君から、演奏を聞いていってもらうことになった。
もちろん、新名もギターを出し、スキャットで、適当に合わすこともしている。
順番に、楠本と、木戸とも合わせて行き、オーディションは、あっという間に終わった。
「まずは、さすがというべきなんだと思う。カジくんは、桐峯くんの音を良く知っているのか、息が合っているし、私の音もちゃんと聞こうとしてくれる。うん、カジくんと、バンドを組む!」
「蜜柑姉さん、よろしく頼む。」
「こちらこそ、よろしくね」
「クスくんは、なんっていうか、食らいついてくるのに、無理をしすぎない。そんな音で、カジ君と同じで、音をしっかり聞いて独りよがりなギターにならないようにしているのが、良く伝わった。だから、よろしくね」
「はい、姉さん、俺、腕は、まだまだだから、これからもっと上手くなります!」
「それで、静香ちゃん、多分、バンドに慣れていないんだと思う。でも、頑張って乗ってこようっていう気持ちは、すごく伝わった。それに、私の音楽には、今までヴァイオリンの音がなかったの。静香ちゃんが入ってくれたら、私の音楽の幅が広がる。だから、こちらから、ぜひって言いたい」
「みかんさん、ありがとうございます。私は確かに、バンドがよくわからないので、これから一生懸命、勉強していきますね!」
「それと、桐峯君、なんで、そんなにドラム叩けるの!!?」
「ああ、そういえば、行ってなかったな。俺は、ピアノとドラム、それにヴォーカルが出来るんだ。他の楽器もできるけど、ここでは、基本的に、ピアノ、ドラム、それにヴォーカルを担当することもあるってことになってる」
「本当に、何なの……」
「蜜柑さん、私も初めは、本当に、この人、何なのッて思ったから、気にしちゃだめだと思う」
「そっかー。静香ちゃん、仲良くしようね。あの化け物は、気にしないようにする……」
女子同士のこの感じは、構わない方が良いので、放っておく。
「七瀬さん、どうでした?」
「そうですね。三人とも、腕は、まだまだですが、ここから鍛え上げるのなら、悪くはないと思いました。どんな売り方を考えているんですか?」
「新宿と渋谷のライブハウスを少しの間、巡ってみようと思います。その間に、デビューの準備ですね」
「なるほど、デビューの予定は?」
「今回の曲作りは、新名に任せるんで、彼女次第になりますが、早いなら今年の冬でも良いかと思っています」
「何か急ぐ意味があるんでしょうか?」
「そうですね。この機会に話しておきます。蜜柑、大学ってどう思う?」
「うーん、あまり興味はないかな。大学って、社会人になる前の遊ぶための時間じゃないの?」
「やっぱり、そういう認識だよな。高校一年の俺が言うのも何なんだが、大学ってな、自分で何を学ぶか決めなきゃいけないんだ。遊んでいる学生たちは、自分で遊ぶことを選んだ学生たちなんだ。蜜柑の場合なら、文学部で、近現代の文学を深く読み込んだり、古典文学で、古文を読めるようにするのも良い。外国語学部で、英語やフランス語を学んで、日本じゃ発売されていない海外の小説や専門書を読めるようにするってのは、魅力的だと思わないか?」
「それは、すごく魅力的。大学かー。どこでも良い?」
「どうせなら、俺たちと同じところへ行くのが良いが、だれがどこに行くかは、まだわからないから、蜜柑が大学に行く気持ちになってくれたら良い」
「わかった。大学へ行く」
「ってことなんです。七瀬さん」
「なるほど、なら、今年の冬と言わずに、もう少し、しっかりと、考え直した方が良いかもしれません。紀子様にお伝えしておきます」
「そうですね。明日は、名古屋に行くわけですし、急いで決断せずに、もう少し時間を作ります」
そうして、残るは、名古屋の玉井だけとなった。




