第三話 入学式と記憶の中のクラスメイト
入学式と記憶の中のクラスメイト
母親が運転する車の窓から、街並みを眺める。
ちらほらと、田畑が見え、里山の名残のある雑木林も見られる。
一九九五年のこの街は、まだまだ発展の余地があったんだな。
俺が住んでいたこの街は、東京都に隣接する県にあり、県庁所在地でもある。
このころすでに、電車に乗れば、乗り換えをせずに、都心へ出られる便利な街だった。
実際、自宅は、この街に持ち、職場は都内という社会人が多く住んでいた。
これは、二〇二〇年になっても、変わっていなかったな。
住宅街を抜けると、懐かしの我が母校、私立慶徳高校が見えてきた。
私立慶徳高校は、都内にある慶徳義塾大学こと慶大の付属高校であり、全国に複数の付属高校をもつ慶大付属の中では、比較的優遇されている方らしい。
都内にある本校ともいえる慶徳義塾大学付属高校を一番手とするなら、我が母校は、二番手に当たる。
その証拠と言うべきか、他の付属高校は、数字が当てられていたり、地名が付いていたりする。
それに比べると、我が母校は、ただ慶徳高校という名だけなので、わかりやすくもあり、その優遇されているというのも、まんざら嘘ではないように思う。
その分、入学するための偏差値やらは、高めに設定されており、県内でも上位の高校とされていた。
以前の俺は、この高校に入ったことで、満足してしまい、慶大の推薦枠からほど遠い学力で卒業してしまった。
それでも、学力に合った大学に進学できたので、後悔はしていなかった。
高校前に到着すると、教師らしき人物が、誘導をしており、第二運動場が駐車場になっているらしい。
誘導されてから、ぼんやりだが、そうだったと、思い出したのは、あまり重要なことではなかったからだろう。
それから、校門に入ると、母親は、体育館に案内され、俺は、所属クラスを知らされて、校内見取り図が書かれている入学式のしおりを渡され、教室へ行くように促された。
一年二組か。
記憶にある高校一年の時のクラスと同じだな。
ということは、いつ覚めるかわからない明晰夢なので、今後の保険の意味を込めて、付き合うべき人物も考えなければならないか……。
教室に入ると、出席番号順に窓側から座るようにと黒板に書かれていた。
俺の名前は、『桐山彰』なので、比較的最初に近い番号が当てられているようだ。
二列目の真ん中か。
男女共学で、出席番号も男女混合となっていたのを思い出す。
次席に座り、周囲を眺めると、記憶にある一年次のクラスメイトたちの顔が見える。
確かあの男子は、二十代後半には、禿げ始めていたんだったよな。
そっちの女子は、高校卒業直前に、妊娠が発覚して、卒業と共に結婚したんだったな。
このクラスで親友となった者たちを探すと、全員若い姿で、思わず吹き出しそうになってしまった。
見た目は、美男子なのだが、人見知りが激しく慣れない相手には口下手になる上杉、初めは別のグループにいたが、四月の後半に俺たちのグループにくるんだよな。
一見は、なんてことのない普通の奴なんだが、こだわりが多く、人との距離をあまり詰めようとしない大江、こいつは、少しずつ慣れて行けば親友と呼べる存在になれるだろう。
色白で、鼻が大きく特徴的なメガネ、後に世界的に大ヒットした魔法使いを題材にした映画の主人公からあだ名が取られヘンリーと呼ばれるようになった矢沢、こいつは、積極的に関われば、親友となれるだろう。
最後が問題だ。こいつは、俺の音楽の呪縛をより強くさせた人物と言える安田だ。安田は、基本的に人づきあいが苦手で、それが気になった俺は、クラスで孤立していたこいつと積極的にかかわってしまった。その結果、当時、すでにギターをそれなりに弾けていた安田を発起人として軽音部に入らず、親友たちと学外で、バンドを組むことになってしまうんだよな。
さらに、こいつは、臆病者でもあり、せっかくセッティングした、素人ばかりのライブを無断欠席までしやがった。
あの時は、ひたすら謝ったのをよく覚えている。
安田とは、付き合わない方向で考えていった方が良いだろう。
次に注意すべき人物たちだ。
この時代は、いわゆる古き良きヤンキーとチーマーなんて呼ばれたりする新しい不良へ時代が変わる過渡期だった。
そんな古き良きヤンキーとして、振る舞っていた集団がこの高校にもいた。
我が一年二組では、中川という男子を中心に、数人が取り巻きとなり、古き良きヤンキー文化の守護者となっていた。
そして、どういうわけか、俺が新しい不良であるところのチーマーの代表に担がれてしまった。
この事態は避けなければならない。
もう一人、気を付けなければいけない者として、木戸という女子がいる。彼女は当時、十代から絶大の人気があった歌手である安室奈美の服装を模範としていたアムラーと呼ばれる女子たちをまとめていた人物だ。
木戸は、基本的に中立的な立場なのだが、どういうわけか中川を気に入っていたようで、俺にとっては、あまり良い印象はない。
幸いと言うか、不幸と言うか、中川は、二年次の夏休み中にバイクの無免許運転で、人身事故を起こしてしまい、そのまま退学となる。
中川の退場まで、目立たないように気を付けるのが無難だろう。
だが、息を殺して生活するのも、煩わしいので、過去では、入学当初の参加を見送った部活への加入を考えた方が良いかもしれない。
いろいろと考えてしまったが、いつ目覚める夢かわからないので、先々の事を見越しておくのは、そう悪いことではないだろう。
クラスメイトたちが、全員そろったようで、担任教師が現れた。
担任教師の岩本先生は、今はまだ、四十歳前といったところか。
この学年の学年主任が、横暴なふるまいを重ねた結果、一年次、二年次に大量の中退者を出してしまう。
その責を取って、学年主任から降格して岩本先生が、学年主任となり、俺たちが卒業してしばらくたった頃に教頭となり、最終的に校長にまでなるんだよな。
今思えば、この年代の俺たち世代は、IT革命直前であり、時代の転換期という様相もあって、地雷だらけな気がしてきた。
将来には、非正規雇用の問題にブラック企業問題や年金の問題、長い間放置してきた少子高齢問題などが、俺たちが社会に出た後から噴出するんだよな。
本当に、ハードモードな世代だな。
俺が思い耽っている間も教壇では、岩本先生の話が続いている。
このまま体育館へ行き、入学式になるそうだ。その後は、自己紹介や提出物の確認をして今日は、終わるらしい。
入学式後の、保護者達は、学内施設の見学をするそうなので、無駄に待たすということもないそうだ。
廊下に出て出席番号順に並び、体育館へ向かう。
体育館に入ると、保護者と在校生が、拍手で迎え入れてくれて、担任教師の指示の通りに着席していき、入学式が始まった。
儀礼的に式は進み、校長の話では、今年の初めに起きた阪神淡路大震災と、カルト教団関係の事件にも触れられていた。
阪神淡路大震災は、痛ましい出来事だが、その時の教訓の一部が、東日本大震災で活かされたのは、弔いの一つになると信じたいところだ。
だが、活かされなかったことも多々あり、それは非常に残念に思う。
カルト教団については、ある程度成熟した社会では、ああいう集団が生まれやすくなるという話をどこかで聞いたことがある。
だからと言って、あれを長い間野放しにしていた事実は、政府や関連機関の怠慢と思えてしまう。
二〇二〇年になっても、教祖たる人物が処刑されたとしても、あのカルト教団にまつわる事件たちは、忘れてはいけない出来事だろうな。
その後の式では、新入生代表挨拶として、東大路美鈴が舞台に立った。
無難な新入生代表挨拶を終わらせ、舞台から降りる美鈴を見て、いろいろと思い出す。
東大路美鈴とは、小学生の頃、ピアノのコンクールで、何度か会ったことがあり、話したこともある。
お互いの印象は、悪くはなかったはずなのだが、唯一というか、これがきっかけで疎遠となった出来事がある。
高校に入学して数日後、東大路美鈴と廊下で再会する。
その時の俺は、東大路美鈴のことをすっかり忘れていた。
小学生の記憶にある彼女と高校一年の彼女は、華やかさが違い過ぎて、別人に思えるほど繊細な年相応の美しさを持っていた。
子どもの美鈴も綺麗な少女だったが、思春期になった彼女のそれとは、全く別物で、思い出せないのもしょうがないと思ってほしいと、その再会の後に願ってしまったほどだった。
そういうわけで、美鈴と俺は、その後の人生で関わることはなかったというわけだ。
とはいえ、彼女の事を今鮮明に覚えているのには、それなりの理由もある。
東大路一族は、企業グループを経営する一族で、女性実業家として、華やかさを持つ美鈴は、度々ビジネス誌に登場していた。
再会が、上手くいかなかったことを嘆くようなことはなかったが、彼女の活躍に羨望を覚えたのは、事実と言える。
そういうわけで、東大路美鈴のことは、よく覚えている。
それから、何事もなく入学式は終わり、教室に戻った。
全員が、教室に入ると、岩本先生が、まずは自己紹介を始め、そこから出席番号順に、自己紹介が始まった。
すでに、注目すべき人物は、確認済みなので、自分の自己紹介も無難に済ませて、自己紹介タイムは終了した。
その後は、提出物を一通り提出し、明日からのスケジュールを知らされた。
今週いっぱいは、午前中で下校となり、明日は、朝からロングホームルームで、教科書の配布から始まり、学級院や各委員の選出、その後は、校内見学となるそうだ。
三日目は、学年集会と部活紹介があるそうで、強制はしないが、できる限り部活への加入はしてほしいという様子だった。
四日目と五日目は、基礎学力試験をするそうで、入学できたなら問題ないレベルの問題しか出ないというが、身構えてしまう。
土曜日は、身体測定となるそうだ。
来週からは、フルタイムの授業になるそうで、昼食の心配をしないといけないようだ。
明日の学内施設案内で、食堂と売店の使い方も教えてもらえるのだろうから、気にしなくても良いだろう。
岩本先生の説明が終わり、これで本日の予定は終了となり、下校となった。
同じ中学出身の者を探して、様子を伺うのも良いが、母親が待っていることを思い出し、早々に母親と合流して帰路についた。