第二九話 唐突なカミングアウトと木戸の決意
唐突なカミングアウトと木戸の決意
七月二日の日曜日、夜明けの時間に俺は突然、未来の記憶を思い出し、飛び跳ねるように目を覚ました。
最悪だ、どうせ思い出すなら、もう少し早くしてほしかった……。
早朝から美鈴に連絡をして、洋一郎さんとの面会が出来ないかを尋ねる。
急用とも付け足しておいたので、何とかしてもらえると願うばかりだ。
木戸にも連絡して、急な面会の予定が入るかもしれないが、どうするか問うことにした。
返事は、昨日の作業の続きをするのなら、やりたいということだった。
木戸には、昼からBMAに来てもらい、俺がまだ到着していない場合は、養成所のダンス練習を見ていてもらうことにした。
俺が、突然に思い出した内容は、サッカーに関わる内容だ。
今年の今頃から来年の初旬にかけて、北海道の札幌に新たなサッカーチームが誕生する。
東大路グループは、このサッカーチームの前身となる実業団サッカー部のオーナーとなっている。
だが、来年上旬の契約で、東大路グループは、実質のサッカー事業からの撤退方針を固める。
これが良くない!
プロサッカーチームの運営は、金がかかる。
それは間違いのない事なのだが、北海道は地域的に地元勢力の力が強く、あの地を全面的に味方に付けるのは、他の地域でプロサッカーチームを運営するのとは、意味が変わってくる。
俺が思う東大路グループの生き残り策に、北海道を含めた九州や四国での国内工場の維持というのがある。
この先の東大路グループは、ますます海外進出が進み、国内とのかかわりが、徐々に薄れてきてしまう。
東大路グループは、日本の企業グループであり、しっかりと日本に根付いているというアピールが必要となる。
この先の未来では、日曜日のご機嫌な大家族アニメのスポンサーだけをしていたらダメなのだ!
企画書も要望書も用意することができないが、何とか説得する必要がある。
円滑な海外戦略を組むためには、北海道のプロサッカーチームの株式を最低五一パーセント持っておかなければならない。
実質の運営は、地元の有名菓子メーカーがあるので、そこに投げてしまえばよい。
日本の多国籍展開をしている企業グループの多くが、プロチームの運営に携わっている。
東大路グループも他のスポーツで携わっているのかもしれないが、サッカーは、世界的に親しまれており、べっかくと考えてよいだろう。
以前の時間軸の東大路グループは、おそらくプロスポーツといえば、プロ野球という印象が強く、テレビに重きをおいてきた東大路の初代の考えを踏襲するなら、サッカーを手放したことに、特に問題を感じていなかったのだろう。
だが、未来には、皮肉な話がある。
二〇一五年ころに、東大路グループは、改めて実業団サッカー部を作り、運営を始めてしまうのだ。
愚かすぎるとしか言いようがないのだが、二〇〇〇年代の様々な重大なミスを挽回するには、こういうことも必要だったのだと思う。
この実業団サッカー部の設立には、未来の美鈴が関わっていたのだから、美鈴の苦労がうかがえるエピソードだ。
眠気覚ましにシャワーを浴びてから、リビングに行くと、母親が、朝の討論番組を眺めていた。
「彰、今朝は、日曜日なのに早いのね」
「少し思い出したことが会って、起きてしまったんだ」
「そう、彰には、期待を、ついついしてしまうから、忙しくさせてしまってごめんなさいね」
ついでなので、昨日、養成所のヴォーカルトレーナーに感じた話をしておこう。
「そういえば、昨日、養成所のボーカルトレーニングを見に行ったのだけど、俺には合わない気がしたんだ。それで、てっちゃんを呼べないかと考えたんだけど、母さん、どう思う?」
「ヴォーカルトレーニングね。うーん、てっちゃんは、今、忙しいわけではないから、声を掛けてみましょうか。てっちゃんと彰が相性の良いことは、今更なことだから、その気があれば引き受けるでしょう」
「母さんから、声を掛けてくれるんだね。よろしく頼んだ」
「良いのよ。てっちゃんって、実質、もう博士号を取得しているような物だから、今は、ただ規定の時間を費やしているだけなのよね」
てっちゃんは、イタリア留学中に、博士号を取得するための要件は満たしているらしく、大学院に在籍しているのは、今後の、行動をやりやすくするためだけらしいのだ。
それと、俺とてっちゃんの基本的な声質は、親戚の中で一番似ていると言われていて、体型もてっちゃんが声楽モードを解除したなら、同じような体型になるのだと思う。
「ついでというにはあれだけど、俺が母さんに渡している曲、どうするつもりなの?」
「そうね、まずは、桐峯皐月と華の舞を仮の名称にして、企画を組んでいるわ。それで売り出し方なんだけど、季節に一枚ずつ売り出そうと考えているの」
「売れない可能性が高いから?」
「いえ、一年間かけて、話題を継続させようと思うの。全面的に私がでれば、それなりに売れると思う。でも、第一弾の時点で、初めから年間で四枚組になるように売り出すことを告知して、四枚目にコレクターボックスを付けて売る。こういう企画にしようとおもうのだけど、どう思う?」
「悪くはないと思う。コレクターボックスは、あると嬉しいけど一枚で満足してしまう人もいるんじゃないかな。それと厚紙製の物だよね。なら、ハガキだけを入れて、送ってきた人にだけ、郵送するっていうのも手だとは思う。応募者全員プレゼントみたいな感じかな」
「第一弾からハガキを入れるべき?」
「その方が良いと思う。どんなコレクターボックスが貰えるのか、わかるし、種類を三つほど用意して、ほしいコレクターボックスを指定できるようにしたら、ハガキを数枚持っている人は、全てを集めたくなるかもしれない。指定をできないようにして、ランダム配送にしても良いけど、このやり方は、熱狂的なファンがいる場合には、有効だと思うんだよね。でも、今回のメインターゲットは、そういう人達じゃないから。指定できるようにするのが良いかな」
「……、彰って、私の息子だよね?」
「そのはずだったけど、どうかしたの?」
「考え方が、高校生っぽくない……」
「そうかな。あくまで雑誌とかにある応募者全員プレゼント企画からの発想だから。こんなものだよ」
「そうなのかしら、まあ、彰の言う通りのことを、皆に話してみるわ。ありがとうね」
季節に一枚ずつという発想は、悪くはない。
季節に合わせて売り出せば、その季節に聞いた者は、イメージを膨らみやすくなり、気に入ってくれる可能性が高くなる。
だが、このやり方は、第一弾の売り上げ枚数で、今後の売り上げ枚数が予想できてしまう。
季節ごとに、前の季節の物を再び売り出せば、問題はないかもしれないが、ロスも多くなる可能性がある。
その辺りは、参加する奏者と営業の腕の見せ所といったところか。
なにはともあれ、俺は、この件については、曲を作っても見守るだけの立場なんだよな。
それから、美鈴からの連絡が入り、洋一郎さんの時間が取れたそうなので、すぐに四谷さんが迎えに来て、東大路本家に向かった。
以前もお邪魔したサロンの部屋に通され、洋一郎さんと対面する。
康仁さんも時間が取れたようで出席している。紀子さんは、今日は不在のようだな。
「彰君、急用とのことだが、何かあったのかね?」
「はい、本来なら企画書なりを用意して話すべきことだとは思うのですが、あまりに急用過ぎて、用意できませんでした。すいません」
「うむ、企画書まで用意して話したいほどの内容か。そうなるとグループが関係するわけだな」
「はい、あの……、洋一郎さんと二人だけで、まずは、話をしたいのですが……」
「そうか、康仁、おそらく、内容は後で話してくれるだろうから、少し控えていなさい」
「彰君、そこまでなのか?」
「本当に申し訳ありません。康仁さんにも聴いてもらわなければならない話なのですが、あまりに説明がしにくい話なので、先に洋一郎さんだけと、話をさせてください」
「ならば、せめて美鈴だけでも、置いてくれないか?」
そうだな。覚悟を決めて美鈴にも、話しておこう。
この話をしたなら、もう後戻りが出来なくなるんだ。
「わかりました。美鈴さんを呼んでください」
それからしばらくが経ち、美鈴が現れた。
「あっくん、お話があるというのは、あっくんの秘密のことでしょうか?」
「ああ、どうやら俺の記憶保持に自信が持てなくなってきた。それに、今じゃないとできない話ができてしまったんだ」
「わかりました。お聞かせください」
深く息を吸い、話を始める。
「最初に、これに軽く目を通してください。付箋が数か所付けてあります。特に読んでほしいところなので、そこだけでも構いません」
「わかった。まずは、これからというわけだな」
余りに唐突で、時間がなさ過ぎて、説明をするためのカバーストーリーを考える余裕すらなかった。苦肉の策で、秘密ノート未来の出来事編を見せることにしてしまった。
洋一郎さんは、数ページを軽く流して、付箋のあるページで手をとめた。
「二〇〇一年九月のアメリカ同時多発テロだと!?」
「はい、そこから、世界の様子は、加速的に変わり始めます」
「二〇一一年三月の東日本大地震か……。これは、わからなくもない。三陸地震が大規模になって、再び襲ってくるというわけだな」
「そう考えてもらうのが、良いでしょう」
「福島の原発か。これが、初対面の時の話に繋がるのだな」
「その通りです。僕に思いつくのは、あの時話した話が精一杯でした」
「我がグループに関わる内容もあるのか……、大規模な粉飾決算だと!」
「残念ながら、その兆しは、数年前からあるようで、おそらく康仁さんが、全体を掌握したころから始まるのでしょう」
「信じがたいといいたいところだが、原発に関わる話に、ゲームステーションの今後の話もしっかりと書かれている。まだまだ、空白のところがあるのは、思い出している最中ということか?」
「そうなります」
「それで、急用というのは、この未来予想と言うのか、未来予知ノートに関わるのだな?」
「正直なことを言います。俺の中には、二〇二〇年まで生きた桐山彰本人の記憶があります。精神だけ時間遡行したと考えてもらえれば良いと思います」
「確かに、このノートを見る限りでは、それを信じても良いと思うだけの説得力はある。だが、あまりな話でもあるな」
「では、未来予知でも未来予想でもよいので、話を続けさせてください」
「良いだろう。続けなさい」
「この一九九五年七月から、東大路グループの実業団サッカー部を札幌へ移す話があると思うのです。その時に、そのサッカー部を独立させて、東大路グループは、プロサッカー事業から事実上の撤退を考えているのではないのでしょうか、札幌への移動やプロサッカーへの参加はそのままに、東大路グループの撤退を取りやめていただきたいのです」
「なるほどな。まともに調べても、なかなか辿りつかない情報を知っているわけか。そうなると、このノートの信憑性がたかくなる。だが、やはり、今の時点では未来予想として聴いていこうと思う。それで良いな?」
「はい、十分です。このプロサッカー参入には、大きなメリットがあります。正直なところ、サッカーの運営は、地元のやる気のある企業連合体に任せてしまえばよいのです。名目だけの大株主、メインスポンサーを維持することが重要です。その理由なのですが、この先の東大路グループは、ますます海外戦略が強くなるでしょう。そうなった時、東大路グループは、あくまで日本の企業グループであり、日本にあり続けるというアピールが必要になります。また、北海道及び札幌という地域は、地元の力が強く、団結力も他の地域に比べて強いようです。その力を東大路の力にしてしまうのです。国内外に現状ある工場や拠点のうち、いくつかの工場を閉めなければなりません。その時に、新たに建てる工場を優先的に北海道へ建設していきます。そうやって、東大路は、北海道の一員だというアピールを少しずつしていくのです」
「地域性をうまくつかった戦略か、それに東日本大震災を見越して、工場を移す必要もあるわけか。そうなると、確かに北海道は魅力的な地域になる。本当に未来を知っているような戦略だな」
「あの……、これからする話は、そのノートにも書いてあるのですが、俺自身も判断に悩みます。ですが、考えてほしい内容になるのですが、韓国の工場を全て撤退し、資本の投下も止めて、販売拠点だけを残す。中国に対しては、現状以上の工場の建設をせず、増資も辞めて、他の企業グループの後を追随する程度で良いという方針にするのが良いと思います。東アジアの調整の後は、東南アジア、南太平洋、インド方面への、工場の設立を優先すべきでしょう。できれば、オフロードタイプの小型車や軽自動車を作り、現地で販売できるノウハウがほしいところです。さらに欲を言うなら、中型旅客機の開発もしていけるのが理想でしょう」
「うーむ、わしの眼が黒いうちに、これだけの大事業をできるのか、正直解らん。だが康仁の代で、粉飾決算を起こすというのなら、この話に乗るのも悪くはないか……。美鈴は、どう思った?」
「あっくんは、不思議なところがあると思っていました。これがその話になるのでしたら、確実にこの話に乗るべきでしょう」
「そうか、このノートには、株の取引きの時期まで書いてある。これを使えば、資金の調達も楽にできるな……」
ノートが美鈴に渡され、美鈴もノートを眺めていく。
気が付いていなかったが、美鈴は、俺の発言をメモに残していたようだ。
再び企画書にするなら、ありがたいな。
「そうだな。彰君、サッカーの件は、我々の世代では、そこまで重要に考えていなかったというのが本音だ。我々は、どうしてもプロ野球の方に、目が言ってしまう。だが、サッカーは、世界的に広まっているスポーツなのだとは理解もしている。この件は、了承しよう、運営会社を新たに設立し、その会社の株式を五一パーセントまで持っておけばよいのだろう。しばらくは、これで様子を見よう」
「ありがとうございます。大事なのは、成績ではなく、持ち続けること、こちらを重視してください」
「うむ、プロ野球のチームでも、優勝はしなくても、地元が常に応援をし続けるチームがある。そういうチームにしたら良いわけだな」
一息ついたところで、美鈴が、発言をする。
「あっくんの戦略では、九州や四国での国内工場の建築というのがあるのですね」
「それは、北海道のように、地元の力が強く、国内の雇用対策を視野に入れた戦略だな。二〇二〇年までには、起きなかったが、東海、南海の海域で大規模な地震が起きる予想が今でもあると思う。それを避けて、福岡、佐賀、長崎、香川、愛媛で考えていた。他の地域でも、やれそうならやるべきだろうな」
「なるほどな。国内では、精密機器を作り、海外では、重工業を主に手掛けて行けば、バランスはとれるか」
「はい、精密機器業界でも、再編が起きます。そこで主導的な立場を取れたなら、国内外でも、強い力を維持できるでしょう」
「そのころには、さすがに、わしは、無理だろうな。康仁に任せたいが、あのノートを見てしまうと不安になる……」
「すいません、嘘を書くわけにもいきませんから、ああなってしまいました」
「そうなのだろうな。
それから康仁さんが呼ばれ、洋一郎さんからの話が始まった。
「康仁、お前がよくやっていることは、知っている。細かい話は、また後日になるが、私やお前が思っている以上に、二〇〇〇年代は、厳しくなりそうだ。そこで、康仁には、電力事業を主に扱ってほしい。それとな。方針が大きく変わったことがある。韓国の工場を全て撤退し、資本の投下も切り上げる。韓国には、販売拠点だけを残すことにする。中国は、今ある工場の維持だけにし、これ以上の増資は、様子を見ながらとなる。数の減った工場は、東南アジア、南太平洋、インドで調整をする。どうだ?」
「親父、彰君との話し合いの結果なのはわかる。何を聞いた?」
「おそらく、時期が来たら、彰くんか美鈴が話してくれるはずだ。今は、刺激が強すぎる。それで納得をしてほしい」
「……、そうか。彰君、俺は、君を信じたいと思っている。親父が、今じゃないと言うのなら、その通りなのだろう。だが、その時が来たら、どんな話でも良い、しっかりと俺に話をしてくれ」
「わかりました。俺にとって、康仁さんは、義父なんです。義父が困っている様子を見て楽しむような悪趣味なことをするつもりはありません。俺は、俺なりに、東大路を真剣に考えています。どうか、それで納得を」
「そうか、義父か。うれしい響きだな。彰君と仕事を一緒にできる日を楽しみにしているぞ。話は了承した。こちらこそ、東大路のこと、よろしくたのむ」
それから、東大路本家を出て、四谷さんの運転でブラウンミュージックに向かう。
「あっくんは、未来から来たのですか?」
「未来の精神と記憶を持っているというのが正しいかな」
「うーん、あっ君のいた未来では、スーとあっくんは、どんな関係だったのですか?」
「ひとことでいうと、他人だな。あの第四ピアノ室の前で俺がスーを忘れていたとする、それが続く未来だと思えばよい」
「……、そんな未来はいやです!」
「俺も嫌だな。今のスーが良い。あまり聞きたくなくなっただろう?」
「はい、そんな未来の話は、聞きたくありません。でも、ノートのことは大事です。あれには、感謝です」
「まだ書きかけだから、思い出したときに、書いていくことになるな。記憶があいまいになってきているわけじゃないんだが、思い出し方が、少しづつ変わっている気がするんだ」
「うーん、一度、病院で見てもらった方が良いかもしれませんね」
「そうだな。夏休みに、頭だけじゃなくて、全身をチェックしてもらった方が、この先の事を考えると安心だよな」
「はい、手配をしておきますね」
「よろしく頼んだ」
どういうわけか、美鈴も一緒に、ブラウンミュージックに向かっている。
多分、衝撃的な内容がいくつかあったから、怖くなったのかもしれないな。
ブラウンミュージックのビルに到着し、養成所でダンスを見学していた木戸を回収して、会議室に入る。
「美鈴様も一緒に来たのね」
「はい、木戸さんは、あっくんと私の味方になってくれそうなので、秘密の話をします」
「もう昨日から、桐山君の秘密を聞いて大変なのに、美鈴様からも秘密を聞くの!?」
「あっくんと私は、じつは、婚約しています。二人でいる時は、私は、自分をスーと呼ぶので、気にしないでください」
「なんなのよ!」
「木戸さん、まあ、人生ってままならないものだよな。木戸さんも彼氏とか、ほしいなら、俺の知っている範囲で紹介できなくはないぞ?」
「ありがたいけど、昨日、ここにきて、いろいろ考えて、私なりに結論をだしたの。私、ここの養成所に通うことにする」
「え、芸能人を目指すってのか?」
「そうともいえるけど、そうじゃないともいえるかな。桐山君がさ、昨日、ここの訓練生のプロフィールをあっさり切り捨てて行っていたよね。はっきり言って怖かった。その後に回ってきたプロフィールを私も仕分けしたけど、すごく怖かった。あんな簡単に人の人生が変わるんだよ。今回のも、何か企画があって、その基準で切り捨てていただけで、別の企画に当てはまる人もいるのかもしれない。それでも、怖いものは怖いよね。なら、どうしてここにって思うだろうけど、一度だけの人生、ちょっとくらいの冒険をしても良いと思ったんだ。それに、歌にしてもダンスにしても、お芝居にしても、きっと社会人になった時、何かの役に立つ。芸能界に入らなくても良いから、行儀見習いみたいな感覚で、勉強して見たくなったの」
「木戸さんって、ここが基本的に普通の芸能人、タレントを養成するためのところじゃないのは、理解している?」
「うん、音楽に特化している人だよね。できれば楽器が出来るとなお良し。昨日の桐山君が見ていたプロフィールには、使える楽器の欄があったよね。私、あまり話していないけど、小さい頃から中学が終わるまでヴァイオリンを習っていたんだよ」
ヴァイオリンという楽器は、俺が知る弦楽器の中で、一番といって良いほどに、音感が要求される楽器だと思う
ボディーは、顎と首で固定し、頭に直接音が響く。
さらに、ギターのようなフレットもなく、その場所、その時の気温や湿度で微妙な音の違いを読み取り、正確で繊細な音階を奏でなくてはならない。
はっきり言って、難易度はかなり高い。
それでも、演奏する人が多いのは、この大変なデメリットたちが、そのままメリットとなるからにある。
音が直接頭に響くということは、単純に音感を養いやすいということになるし、繊細な音の調整は、そのまま繊細な作業に向いた指を作る。
やりすぎると、体を壊しやすくなるのもこの手の楽器の特長でもあるが、俺が知る限り、殆どの楽器が、やりすぎると人の体を壊すので、それを想えば、気にするほどでもない。
「……、じゃあ、早速だけど、チェックに入ろうか、七瀬さん、レモンさんのチームって、今、いますか?」
「各自、それぞれに仕事がありますから、時間は、まばらになりますが、全員いますね」
「なら、特に指定はなく、良い感じにお願いすると、桐峯が言っていたとお願いします」
「わかりました」
「あ、柿崎さんの時だけ、僕を呼びに来てください。後は、後々のチェックにします」
「はい、そのようにいたします」
木戸は、七瀬さんに連れられて、行ってしまった。
「え、なに、どういうこと、私、養成所じゃないの!?」
という言葉が聞こえた気がするが、気のせいだろう。
それから、昨日の作業の続きを美鈴に手伝ってもらいながら続ける。
木戸は、慶徳高校で、アムラーのボス的立場になる存在だ。
そういう彼女の顔が整っているのは、当然と言える。
さらに、ボス的立場になるだけあって、天然のカリスマ性も持っているタイプだ。
この手の人間は、少なくはないので、あまり気にされないが、一度目立ち始めると、注目されやすくなる。
スタイルは、スレンダーと言った感じで、背が高くダンスをするには、丁度良い体系をしているのだと思う。
総じて、彼女を見ると、ヴァイオリンで鍛えられた音感が、声に直接、繋がっていたなら、はっきり言って十分に売れる要素があると言えてしまう。
高校生バンドも考えるべきか……。
いや、彼女の場合は、ユニットの方が良いかもしれない。
そうなると、ピアノの弾き語りのできる訓練生と組ませてみるのが良さそうだ。ガールズバンド計画にかませるには、時期が悪い。
ならば、ピアノ、ヴァイオリン、ダブルヴォーカル、これが良いな。
高校生の弾き語りと木戸のことは、一度忘れて、仕分けの終わったガールズバンドを整理していく。
中学生で身長一六〇センチメートルを超えている訓練生だけで、一バンド作れるようだ。
ドラマーもベーシストも、この身長に届いている。
この二つのパートの控えはいないが、ギターと鍵盤は数人用意できたので、オーディションをして、最後は決めるしかないな。
一五五センチメートルから一六〇センチメートルの間でも、一バンド分のメンバーが組めるようだ。
条件は、初めのバンドと同じだ。こちらもオーディションで選ぶか。
小学生が、問題だな。
彼女たちの場合、上手く育てば、北海道出身のガールズバンドたちの強力な対抗馬になれる。気になる訓練生のリストだけを作って、七瀬さんと要相談としておくか。
そうして、一息ついていると、柿崎さんが直接呼びに来てくれた。
「今からやるよ。また、面白そうなの捕まえてきたね。どこにこんなのが潜んでいるの?」
「ドジョウやネズミじゃないんですから、潜んでいるわけじゃないですからね」
そうして、美鈴と一緒に、レコーディングスタジオに入る。
「ねーねー、なんで、私、ここにいるの、どういうことなのー!」
「大丈夫、初めてでも、痛くはないから、力を抜いて、楽にしていてね」
柿崎さん……、それ、何か違う……。
基本的な音出しから始まり、歌えそうな曲を出して、何度か歌っていく。
悪くはないが、未加工の原石というのが、一番しっくりくる感じだな。
一通りが終わり、柿崎さんに感想を聞く。
「そうだね、原石も原石だけど、アキラ君が手を掛けるんでしょう。それなら、問題ないと私は思う」
柿崎さんから、良い返答を聞けたので、木戸は、デビューすることが決定だな。
ある意味では、気の毒なことをしてしまったが、迂闊な決意をした己を恨めば良い!
さあ、こちら側へ、ようこそだ……。




