第二五話 デモなレコーディング
デモなレコーディング
六月四日の日曜日、早朝からBMAに来ている。
テスト準備週間にテスト本番の一週間、テスト返しの一週間を経て、やっと身柄が自由になった日曜日だ。
この期間の間も、いろいろと相談や手配をしつつ、最終調整は、昨日の土曜日にもBMAに来て済ませてある。
一学期中間テストの結果は、学年順位三六位だった。
俺の学年は、七組あり、一クラス四〇人近くになる。
学年総数は、二八〇人近くになり、平均的に学年順位五〇人以内にいれば、よほど素行不良でもない限り、学内推薦が貰える。
そういう仕組みなので、今回の学年順位は、上々の結果といえるだろう。
だが、三年次から、急激に成績を伸ばしてくる生徒もいるので、油断せずに、常に上を目指していこう。
本日の関係者が集まる予定になっている会議室の一室で打ち合わせを開始する。
「水城さんを本日担当してもらう者たちを紹介しておきますね」
「はい、よろしくお願いします」
七瀬さんがドアの外に合図を出すと、数人のスタッフたちが入ってきた。
「まずは、ヘアメイク担当のレモンです」
一人目から濃すぎだろう……。
「アキラちゃんね。よろしくお願いするわ。アキラちゃんの時も、私が担当させてもらっちゃうからね♪」
芸能界では、良くいると聞いたことがあるおねえ系という方のようだ。
以前の俺は、基本的にこの手の方々は、苦手にしていたが、ヘアメイクなどのアーティストと呼べるおねえ系の方々だけは、尊敬していた。
男でもあり女でもあるその感性は、俺がどう頭をひねっても、出てこない発想があるような気がして、この系列の大御所さんと一度で良いから、話してみたかった。
レモンさんとは、ぜひ仲良くなりたいものだな。
「こちらこそ、ぜひおねがいします」
「よい子ね。お姉さんにお任せよ」
「衣装担当の桃井です。基本的にレモンちゃんと一緒の職場が多いから、私もアキラ君の担当になると思うわ。よろしくね」
「細かい注文を出してしまったかもしれませんが、どうぞよろしくお願いします」
「さすが桐峯皐月の息子って思うようなオーダーだったわよ。楽しめたから問題ないわ」
「それならよかったです」
「フォト担当の梨本という。企画の内容は聞かせてもらっている。基本的に宣材の追加という感じで良いんだな?」
「はい、今回のことは、やってみないとわからないというのが本音なんです。ですので、もし、厳しいと判断した場合でも、宣材に使える物をおねがいします」
「冒険するのも嫌いじゃないが、手堅くいくのも必要な事だからな。了解した」
「V担当の栗田だ。最近、ミュージックビデオの問い合わせが多くてな、お前さんが、上に何かを言ったとか噂があるんだが、本当か?」
「母が、紀子さんと旧知の仲で、もしかしたら、何か話したかもしれません。曖昧ですいません」
「そうか、桐峯皐月も撮ってみたい人物だな。何か機会を考えてくれよ」
「そうですね。来年に発表する作品があるので、そちらの事も考えておきます」
「音響担当の柿崎です。企画は読みました。お願いします」
「今日は、テストみたいにしか、音響は、ならないと思うんです。本当にすいません」
「いいえ、良いんです。新人さんの仕事を見るのが好きなんです」
レモンさんがおねえ、桃井さんと柿崎さんが女性、梨本さんと栗田さんが男性、レモンさん以外は、全員二十代後半と言ったところだな。
腕のある若手とみてよいのかもしれない。
レモンさんの年齢は、不詳だ。このチームのリーダーだと思ってよいだろう。
「それでは、皆さん、本日は改めて、よろしくお願いします」
それから、皆が動き出した。
今回、何をするのかと言うと、水城が、俺の曲にハマるのかをチェックする。
曲は、人さえ選ばなければ、なんだかんだとできてしまうのだが、水城だけの曲となると、そうはいかない。
すでに、曲と歌詞は、二曲だけだが、BMAに提出済みだ。
いろいろと考えた結果、考えるのを辞めた!
一九九六年から一九九八年は、小村哲哉の力がますます強くなる。
何をしても、勝てる気がしない。
なら、負けで良いじゃないか!
そこで、いくつかの情報に注目した。
今年の秋から放送されるアニメ『神巨兵エヴァリオン』を契機に、アニメ界が一転する。
すでに、その前兆は出始めているのだろうが、残念なことに、俺にはアニメのことが、そこまでよくわからない。
以前の俺は、アニソンには興味を示したが、そのアニソンがどんなアニメの曲なのか、ほとんど知らないという状況だった。
アニソンと内容が、絡んでいるものなら、見ないまでも、あらすじを読むくらいはあった。
それに、水城のような、やたらと歌の上手い声優がいれば、そういう者が声を当てている作品を参考程度に見ることはあった。
後は、サウンドトラックで気になる物があれば、確認くらいはしていたな。
結局のところ、おれは、アニメのことをよく知らないと言うのが事実のようだ。
興味のない人よりは、知っているが、好きな人たちの足元にも及ばないのだろうな。
だが、有名作品のことは、それなりに把握している。
アニソンに注目した一番初めが、アニメオタク業界が生み出す経済効果を、どこかの大学の教授が、本気で分析した記事を読んだからだった。
これが、初めてアニメとオタク文化に興味を持つきっかけだった。
多分、その流れで聞いた音楽が、頭に残ったのだと思う。
金になるかならないか、これが俺の、アニメに関する情報の大半になっている。
ゆえに、有名作品の情報だけは、頭に入っているというわけだ。
ブラウンミュージックと関わりのあるミュージシャンやバンドもアニソンを歌うことになるのも知っている。
ならば、水城がやっても、何の不思議もない。
ということで、アニメOPのタイアップを取りに行く!
これが、今回の企画の最終到着地点となる。
通常のタイアップも取りに行く事にもなっているので、デビューシングルに入る二曲の内、どちらかが、アニソンOPに採用されたなら、大成功と言えるだろう。
後は、売れようが売れなかろうが知ったこっちゃない!
後々の、アニメOPに使われた曲たちは、十年たっても歌い続けられているんだ。
短期間の収益を気にして、小村哲也の音楽と、正面切って勝負することの方が愚策だ!
昼近くまでヘアメイクと衣装合わせに時間がとられ、出来上がった水城は、俺のオーダー通りに仕上がっていた。
食事は、作業中になんとか摂ることができているそうなので、早速、梨本さんのところに行き、写真撮影が始まった。
紫の生地に赤の蝶が舞う図柄の振袖に、頭には様々な簪が刺さっている。
ラメやチークもやりすぎなほどに使われ、目が極端なほど、大きく見えるようになるメイク、いわゆるパンダメイクというやつも使われている。
全体的に見ると、毒々しいとも見えなくもない真っ赤な口紅が、特に目立ち、大人っぽさではなく、妖しさを前面に出したメイクとなっている。
小道具として、鉄扇と模擬刀も用意した。
いくつかのカメラを使って撮ってくれており、デジタルカメラがあったので、すぐに見えるその画像を見てみる。
よし、イメージは、ハマった!
梨本さんの撮影が終わり、こんどは栗田さんの撮影が始まる。
小道具の使い方もある程度レクチャー済みらしいので、上手くやってほしいところだ。
「どうでした?」
「現像してみないとわからないところもあるが、オーダー通りの写真は、撮れたと思う。姉さんたちの仕事は、毎回、こんなだから、撮っているというより、撮らされている感覚すらするぜ」
「ありがとうございました。僕も良い仕事をして見せます!」
「まあ気張りすぎるなよ。まだまだ、お前さんも、あの嬢ちゃんもこれからなんだからな」
V担当の栗田さんのところへ行き、チェックの様子を眺める。
和装には、慣れている水城なので、基本的な動きには、戸惑うことはなく、指示通りに、動けているようだ。
だが、ダンスなどの、ステップのような動きには、まだ不慣れなようで、こういうところをやってもらわないといけないようだな。
撮影が終わり、水城はぐったりとしてしまった。
栗田さんのアシスタントをしている女性スタッフが水城をみてくれるようなので、栗田さんと話をする。
「お前さん、面白いの見つけてきたな。和装に、あそこまで慣れているお前さんたちの世代は、珍しいぞ。やっぱり基本の衣装は、和装で行くつもりなのか?」
「そのつもりです。今じゃないですけど、そのうち、母たちとのコラボもやってみたいですね」
「おう、面白そうだな、お前さんがピアノで、桐峯皐月が和琴だろ、他はどうする?」
「母のところの方でしょうかね」
「うちには、面白いのがそれなりの人数、所属してんだ。もっと欲を出していけよ」
「確かに、それもそうですね」
頬袋さんばかり、気にしているが、頬袋さんの後輩のような人にもすごい人がいたな。樋口トールさん、バックチークのドラマーでリーダーの人だ。
あの人は、デジタルにも強くて、ドラマーとしてもすごいんだよな。
いっそ、バックチークとコラボとか、できたら幸せすぎるかもしれない……。
「水城さん、調子は、どうですか?」
「……、本物だと思いました……。気迫がすごいんです……」
これだけの衣装とメイクを身に着けて、テストとはいえ、しっかり撮影をしたなら、こうもなるのか。自分の時のためにも、体力をつけておきたいな。
「レモンさんたちを呼びますので、この先は、普段着で大丈夫です」
「次は、いよいよなんですね……」
「デモを作るだけなので、完全版とは言えませんが、しっかり歌ってもらいます」
「はい!」
レモンさんたちに、水城を回収してもらい、レコーディングスタジオに向かう。
レコーディングスタジオに行くと、柿崎さんが、しっかりと準備をしてくれていたようだ。
「この二曲、一人で録音したって聞いたけど本当?」
「先週にあった高校のテストが終わり次第、こっちに来て、録音しました」
「高校生なのに、忙しいんだね……。それにしても、一人でドラム、ピアノ、ボーカル、ギター、ベース、シンセ、後はサンプラーも自分でセッティングしたのかー。驚きだね」
「今日使うのは、オフヴォーカルの方ですので、よろしくお願いしますね」
「あいあい、どちらも良い曲だね。何か斬新っていうのか、不思議な曲に感じる」
今回の曲、未来の曲は使っていない。
使ってはいないが、しっかりと参考にはさせてもらった。
未来の水城には、担当プロデューサーが付いていたのかもしれない。
明らかに作曲者が違う曲なのに、何か似ている感じがある。
その雰囲気を読み取り、最も今の水城の魅力を引き出せる曲を用意したつもりだ。
妖艶という言葉を使いたいところだったが、艶やかさが、今の水城には足りない。
なら、いっそ、妖しさだけを抜き取り、そこに注目した。
曲名は、『ファントムブレード』と『久遠』だ。
『ファントムブレード』は、冬がもうすぐ終わり、春が近くなった時、強力な妖しの少女が、静かな森から歩み出す。
そこに、愚かな知性の乏しい妖したちが、彼女に襲い掛かる。
それを刀で切り刻みながら、春に向かって歩き続ける。
そんなイメージで、バトルを意識したスピード感のある曲になっている。
ヨナ抜き音階は、サビとなるCメロディと静かな音で聞かすDメロディで使うことにした。
かなりの完成度だと自負している。
『久遠』の方は、永遠を意識するような、いつまでも聞いておきたくなるが、いつまでも聞いていると、現世に戻れなくなるような、そんなイメージの曲だ。
和風を強く感じられるように作ったバラードで、全体にヨナ抜き音階を使っている。
こちらは、夢うつつの泡沫というのか、そういうただただ幻想的に仕上げてあり、ストーリーは用意していない。
「お待たせしました」
「水城さん、もう大丈夫?」
「歌えると思うと元気になりました。それに、一週間前にもらった曲を早く歌いたいんです!」
「では、始めましょう」
柿崎さんの指示でレコーディングが始まる。
俺の音源は、しっかりチャンネルを分けてあるので、柿崎さんの調整に任せるつもりだ。
『ファントムブレード』のスピード感にしっかりついてきている。
押さえたい所などの指示書を書いて渡してあったので、そこもしっかり押さえてくれている。
曲の雰囲気とこの年齢の水城との相性も悪くなさそうだ。
さすがに一発で終わるということはなく、何度か歌い直しをして、柿崎さんが最後に調整を加えてから完成となるらしい。
『久遠』のほうも、しっかりと歌ってくれて、雰囲気を掴んでくれていたようだ。
こちらは、歌詞があるのに、言語化しずらい、雰囲気があるので、そういうところも、わかってもらえたようだ。
この辺りは、民謡や演歌を歌い続けたから、和を意識した曲の雰囲気をつかみやすいのかもしれない。
『久遠』も何度か歌い、レコーディングは終了となった。
「アキラくん、加奈ちゃん、初レコーディングの思い出だよ。未調整音源、記念に持っていって」
「あ、う……、ありがとう……、ございます……」
水城は、感無量の様子で、涙を流しながら、音源のテープを受け取った。
あまり意識はしていなかったが、俺もまともなレコーディングは、今回が初めてだったんだよな。
「ありがとうございます。記念になります」
「これがやりたくて、新人さんのレコーディングをするのが好きなんだ。なかなか悪趣味でしょう」
「間違いなく記念になるので、これからも続けてください」
「アキラくんが、新人を連れて来たら良いんだよ。加奈ちゃんは、逸材だし、アキラ君には、そっちの才能もあるのかな」
「スカウトってことですよね。これ以上、仕事が増えるのは、辛いので、許してください」
そうして、泣き止んだ水城を連れてレコーディングスタジオを後にした。
七瀬さんがいる事務所に入り、応接セットで、これからの事を確認していく。
「まずは、事務所内で会議をして、今回の曲が売り出しても問題ないかのチェックをします。桐峯君の歌のデモテープを聞いた私の個人的な感想ですが、採用される可能性は、高いと思います」
「そこは、ぜひ、乗り越えたいところですね」
「売り出し方の要望は、来年一月か四月から放送予定のアニメのオープニング曲に売り込むのが第一で、通常のタイアップを第二とします。タイアップが取れなくても、四月上旬には売り出せるように調整をするということでよろしいですね?」
「来年の四月までには、私、デビューできるのですか?」
「そうなります。ですが、桐峯君の強い要望で、会議で売り出すことが決まれば、声優の養成所に通ってもらいます」
「何となくなんですが、桐峯君が、そこにこだわっている理由を今回の曲で、感じることが出来ました。『ファントムブレード』って、かなりの早口で、しかも高音が必要なんです。こんな曲、普通のトレーニングでは、何曲も歌えないと思いました」
「私が聞いた限りでも、同じ感想を持ちました。前向きに考えてもらえるなら、幸いです。ですが、そうなると、アルバムまでの道は、遠くなる可能性もありますが、そのあたりは理解してください」
「桐峯君の曲は、絶対に売れます。声優の勉強も頑張るので、アルバムもよろしくお願いします!」
大体の確認事項は、終わった。
声優としての水城を世に出さないのは、もったいないと、どうしても思ってしまった。
この結論で、未来の水城加奈も納得してくれると、願いたいものだな。
そうして、俺としては、気疲れだけで、大変だった一日は終わって行った。




