第一三五話 最後の親友
最後の親友
四月九日の金曜日。
新学期が始まり、無事に誰も留年することなく進級することができた。
大学のキャンパス内では、部活動とサークルによる新入生歓迎イベントが繰り広げられている。
俺が所属している現代文芸部も勧誘活動をしているが、俺はトラブル防止のために戦力外とされている。
仕方がないとわかっていても芸能活動をしていると、こういう時に切ない気分になる。
そんな勧誘の様子を遠目で眺めながら歩いていると、すれ違った新入生らしき人物が俺の横で一言つぶやいた。
「ぬるぽっ……」
「がっ……」
その呟きにおもわず返してしまったこの謎の掛け合い、これは、以前の俺の記憶にある黎明期のぬちゃんねるで流行った文言だ。
なぜか『ぬるぽ』と言ったら『がっ』と返す。
だが、まだこの時間軸では、産まれていない文言でもある。
「やっぱり彰兄は、時間逆行していたか」
「えっ。正人か?」
「そう、久しぶり。武田正人だ」
武田正人は、一学年下だが俺たちの親友の一人だった。
思い出話をしたい気持ちもあるが、それどころではない。
込み入った話になることは必至なので、誰もいない空き教室に入り話を続ける。
「正人も時間逆行をしたのか……」
「彰兄が逝ってから五年後の二〇二五年八月の世界から時間逆行した。この世界線にきたのは中学一年の春だったな」
「そうだったのか……。もしかして、正人ってぬちゃんねるのマサトと同一人物だったり?」
「正解。彰兄が無茶ばかりするから何か俺からフォローできることは無いかって考えた結果が、ぬちゃんねるの立ち上げだったんだ」
「ちょっと混乱している……。整理をさせてくれ」
「おうよ」
正人が死亡したのは二〇二五年八月のことで、時間逆行の要因は、おそらく生物兵器だと言う。
なぜ生物兵器が使われたのか、あまりにも理解が及ばないので、その切っ掛けから話してもらった。
まず二〇一九年十一月に中国国内でウィルス性肺炎の患者が確認されたことから始まる。
だが、この事実を中国は、隠したまま世界中にウィルスが蔓延してしまう。
そうして二〇二〇年一月後半に世界中でウィルス性肺炎が確認され、中国が情報を隠していた事実が判明した。
これに伴い二〇二〇年東京オリンピックは一年の延期となり、世界各国はウィルス性肺炎への対応に専念することになる。
そうして二〇二一年七月、不完全ながらもワクチンが登場しウィルスとの戦いに世界が慣れ始めた頃、東京オリンピックは無観客で開催され、結果としてウィルスの拡散は阻止したと言って良い結果が残された。
この結果から世界は日本の対応を模範として、ウィルスと対決できるようになり、二〇二一年末には、ウィルスの拡散をある程度減少させることに成功した。
とは言え、ウィルスは変化を続けているために、まだ予断の許さない状況ではあった。
そんな中、ウィルスの発生地である中国で冬季オリンピックが二〇二二年二月に開催される。
此のころの中国は、ウィルスは人工的に生まれた存在ではなく偶然の産物であり、中国も被害者であると言う立場を取り続けていた。
世界各国は、不安に思いながらも中国の主張を尊重し、冬季オリンピックへ参加する方向でまとまった。
そうして、北京冬季オリンピックは開催され、運営に様々な問題がありながらも閉会することとなった。
だが、ここから雲行きが怪しくなる。
中国から帰国した選手団たちから、今までよりも脅威度の高いウィルスが発見され、それが世界中に蔓延してしまったのだ。
世界各国は、この脅威度が上がった新型ウィルスに立ち向かい、二年近くの時間を経て収束させることに成功した。
その後、欧米各国やアジア諸国などは、この新型ウィルスを中国による生物兵器攻撃と認定した。
これを受けて、国連も中国をかばい続けることを断念し、中国とは、台湾・中華民国のことであると宣言する。
そうして、中国本土をならず者政権である中国共産党から奪還するために国連軍を組織するに至った。
それから、国連は、台湾から中国国内にいる民主化勢力へ中国共産党の打倒を呼びかけた。
また、国連軍として中国国内の核保有施設や軍事施設へ長距離弾頭ミサイルによる攻撃を開始する。
短期間の間に確認されている核兵器の処理に成功した国連軍は、大規模な空爆を中国全土で繰り広げた。
そうして、混乱の中、追い込まれた中国共産党は、国外にいる工作員たちに持たせた即死級の生物兵器を使用したのだった。
「それが二〇二五年八月の話になるのか」
「そういうこと。水面下での交渉はやっていたんだろうけど、結果は生物兵器がばら撒かれた」
「ロシアはどうしていたんだ?」
「ああ、あの怖い顔の大統領を含めてロシアの首脳陣は、殆ど新型ウィルスにやられた。だから、中国の味方はいなかったな」
「そうか……。なんとなくわかった。正人も大変だったんだな」
「まあな。彰兄もいろいろやっているみたいだけど、大丈夫なのか?」
「うーん、未来知識を使える範囲で抑えようとはしているつもりだが、そろそろ危なそうか?」
「俺から見たら、まだ未来知識は使えるレベルだとは思うが、この先の様子によるんだろうな」
「そうか……」
「俺の方でも彰兄をフォローするためにぬちゃんねるを作ったんだから、やりたいことがあるなら相談をしてくれ」
「わかった。それでこっちの時間軸にきてからはどうしていたんだ。一度、お前の家に行ったんだが、引っ越ししていたぞ」
「ああ、ほら、俺の趣味、覚えている?」
「競馬だろう。もしかして……」
「そう、俺さ、一九九〇年代の主なレースの結果をなぜか覚えていたんだ。それで親父を丸め込んで馬券を購入しまくって、気が付いたらかなり儲けてた」
「儲けた金で引っ越し?」
「いや、実はさ、競馬好きの中で親父が有名になってたらしくて、おかしな輩に狙われ始めたんだ。それで引っ越ししてしばらく身を隠してた」
「おいおい、大丈夫だったのかよ。それで今はどうなったんだ?」
「親父たちは、儲けた金を使って奥多摩で喫茶店を始めた。静かで住みやすいところだ」
「無茶しやがって……。そのうちに顔を出すから案内宜しくな」
「まあ、親父たちに彰兄の記憶はないけど、それで良いなら案内する」
「ぬちゃんねるは大丈夫なのか?」
「あの危なっかしいユキヒロみたいな運営をするつもりはないし、危なくなったらさっさと手放すつもりだから、何とかなると思っている」
正人の以前の職業は、システムエンジニアだった。
この時代のコンピュータやプログラムなら、どうにでもなるのだろう。
「時間逆行者と直接会うのは二人目だ。もう一人もその内に紹介するな」
「時間逆行者は、やっぱり何人もいるんだな」
「そうらしい。時の流れが変わると未来知識が使えなくなるから、ほとんどの時間逆行者は大人しくしているんだろうな」
「彰兄は、東大路グループに保護されている感じか?」
「まあ、そういっても間違いではないな。正人から見た高校の先輩に東大路美鈴っていただろう?」
「彰兄の幼馴染なのに、縁が切れたって人だったな」
「その美鈴といろいろあって婚約している。簡単に言うと東大路グループとは一蓮托生って感じだな」
「だから、あんな無茶をしていたのか……」
「音楽の世界は、ほどほどにする。その中国の問題、こっちでも考えておく」
「ああ、すでにいろいろと動いている気配があるけど、彰兄が?」
「俺が東大路グループと動いたところもあるが、アメリカにいる時間逆行者も動いているらしい。まだ手紙を貰っただけだが今の時点では俺のことを支持してくれるそうだ」
「アメリカの時間逆行者か。やっぱり『911』の阻止がひとまずの目的か?」
「あくまで俺の予想なんだが、そいつが言うには、世界を緩やかに変革することを考えているらしい。そうなると『911』は、起きた方が都合が良いのかもしれないって思うんだよな」
「ん、どういうことだ?」
「多分『911』は、阻止しても別の方法で同じようなテロが起きる。それならわかっているテロで被害を少なくさせる方に意識を向けるんじゃないか?」
「なるほどな。まだ時間はあるし、様子を見させてもらおう」
それからも正人と時間逆行に関わる話を続けた。