閑話あるいは第一三三話 あの日
あの日
side ホムラ
三月某日の某曜日。
あの日、何があったのか正確にはわかってはいない。
神の気まぐれか、意識が戻った時、そこは私の小学一年生の夏の世界だった。
あの日の朝、いつも通りに祖父母と私が住む家から職場へ向かい、いつも通りの毎日が続くはずだった。
東京で産まれ育ち東京の音大に進学した私は、大都会の中で生活することにいつのまにか息苦しさを感じていたのだと思う。
就職は、父方の祖父母が住む東北のとある港町の楽器販売店を選んだ。
いわゆるIターンと呼ばれる就職で、ありがたいことに私のことを祖父母も職場も温かく迎えてくれた。
東京と比べたなら時間の流れが緩やかなこの街を私は気に入り、ずっとこの街で住んでいくのも悪くはないと思っていた。
そうして、時は流れこの街にきてから数年が経った。
まだ寒さが残る三月、近所の小学校へ納品する品の整理を奥の倉庫でしていた時、突然強い揺れを感じ、無意識に身を丸めた私はそのまましばらく動けなくなった。
数秒のはずなのに数分も続いたような気がした揺れがおさまる。
地震による本能的な恐怖からなんとか立ち直り、冷静になって倉庫の中を見回すと、倉庫内にあった品たちが入った段ボールたちが崩れ酷いことになっていた。
自分の様子も確かめたが、不幸中の幸いと言うべきか奇跡的にダンボールなどの下敷きにはならなかったようで、倉庫からすぐに外へ出るために扉を開こうとしたが、揺れの影響で開かなくなっていた。
ならば、窓はどうかと調べてみると、何とか開いたのでそこから外へ出て街の様子をうかがう。
意外というべきか、強い揺れの地震だったのに、多少は荒れてはいるが街の様子は大きく混乱をしているようには見えなかった。
倉庫のある裏側から楽器店の正面に回り、店内の様子を伺うとやはり酷いことになっていたが、怪我人はいなさそうだ。
「店長、大丈夫でしたか?」
「ああ、こっちは怪我人はいません。倉庫の方はどうでした?」
「扉が開かなくて窓から出てきました。倉庫の中は酷いことになっていますね」
「そうですか……、皆が無事なことを今は喜びましょう」
それから余震を気にしながらも皆で店内を片付け始める。
なんとか店内が見れるようになった頃、それがやってきた。
「店長、外から大きな音が聞こえませんか?」
「確かに聞こえますね。何の音でしょう?」
「ちょっと様子を見てきます」
そうして楽器店から外に出た私は、声も出ないほどに驚いた。
街が動いている?
いや違う。
壁が動いている?
それも違う。
水が街を飲み込みながら壁のように迫ってきていたのだ。
それから数秒後、私は意識を失った。
小学一年生の夏に意識を取り戻した私は、大きく混乱し高熱を数日間出した。
だが、この数日間の間に現状を把握することができた。
おかげで違和感なく小学一年生の生活へ溶け込むことができたと思う。
この時に、未来の世界、あの地震があった二〇一一年の三月から私がこの過去の世界に持ち込むことができた物を整理した。
当然だが物理的な物は持ち込むことはできなかったが、知識と経験がそれだ。
社会人としての経験と知識、これは子供らしさを消してしまう可能性があるので、礼儀正しい子供と思われる程度しか使えない。
音大や職場で学んだ音楽知識、生きて行くのに必要な知識とまでは言えないが、世の中を上手くわたって行くためにはこの手の知識は役に立つ。
だが、誰からも教えられないでこの手の知識を身に着けたように見せるわけにはいかないので、音楽教室などに通うべきだろう。
音大ではピアノを専攻していたし、長い間ピアノを習っていたので、ピアノは人並み以上に弾けるが、二度目の人生で同じ楽器を扱うのも面白くはない。
知識はあるのだから、他の楽器を触ってみた方が楽しく生きられるだろう。
経済や株式の知識があれば、何かできたかもしれないが、そういう知識は持っていないので安直なお金稼ぎはできなさそうだ。
他には、未来に起きる可能性のある出来事を知っているが、これを知っていたとしても自分や身近な人を守る程度にしか役に立ちそうもない。
もっと言えば、国際情勢の知識なんて持っていても小学生に何ができるのだろうか。
預言者気取りで世の中に出たなら、すぐに妙な宗教やらに捕まってしまうのが落ちだ。
学力などは、それなりにあるだろうが以前の私の知識以上にあるわけではないので、多少使える程度だと思う。
結論、自分と自分の近くの人たちに影響を及ぼすことはできるだろうが、それ以上のことは難しいのが今の私の知識だ。
早速、おかしな発言や行動をしても違和感を持たれないようにするために音楽教室と小学低学年向けの学習塾に行きたいと家族と交渉をし、無事にそれらに通うことができるようになった。
こうして私は、普通の小学一年生として生活することになったのだった。
それと私の人生で一つだけ大きく後悔していることがある。
それは、幼馴染で親友だったマドカが中学二年生の時に交通事故で亡くなっていることだ。
普段は一緒に登下校していた私たちだったのに、この日のマドカは、一人で下校する。
そんなマドカを信号無視をした自動車が猛スピードで跳ね飛ばしたのだ。
運転手は、携帯電話で通話をしていたそうで、やりきれない気持ちになったのは一生忘れられない。
この事故を避けるためにはどうするべきか考えた私は、マドカとともに通っていた中学校を公立から私立に変えることにした。
幸いお互いの家族は、比較的裕福な方だったので問題なく私立中学校へ通うことができるようになり、勉強も私がマドカに教えることでなんとかなった。
無事に私立中学校に進学した私だったのだが、受験勉強をしていた頃から、気になることがあった。
それは、桐峯アキラと言うミュージシャンのことだ。
彼が自らの母親に書いたと言う和楽器曲に違和感を感じるのだ。
違和感の正体を求めて、譜面を購入して楽曲そのものを分解してみた。
そうしてわかったのが、この曲には未来の曲を元に作り変えた形跡があることだった。
そもそも未来の曲を知っていても、違和感を持つ人も少ないかもしれない。
それくらいの微妙な違和感だったのだが、分解して確信を持つことができた。
そうして、桐峯アキラに近づく方法を考えてみたところ、彼が所属する事務所が運営する養成所があり、そこへギタリストとして通うことにしたのだった。
彼に会って何かをしようと言うわけではない。
もし桐峯アキラも時間逆行をしていたなら、もしあの地震の後を知っていたなら、もし祖父母や楽器店の皆の安否に関わる情報を知っていたなら、ただ知りたいだけなのだ。
そして、あの恐ろしい水の壁の正体を知りたいだけなのだ……。
養成所に入って二年程が経ち、桐峯アキラが関わっているガルバン企画をマドカとともに勝ち残ることに成功した。
その間に、以前の記憶にあるマドカの命日も無事に超えることができたのは本当にうれしかった。
そうして桐峯アキラ本人と自由に会える立場になり、彼の真相を確かめる時を慎重に選びながら、その時を待った。
チャンスは意外にも早くやってきた。
彼は、練習スタジオと彼の作業室となっているミストレーベル企画室に、夕方頃から毎日いることがわかった。
しばらく様子を見てから、ミストレーベル企画室に入る。
よし、桐峯アキラ以外誰もいない。
妙な意味深な言葉よりも少しふざけているくらいの発言の方が、もし桐峯アキラが時間逆行者じゃなかった時に逃れやすい。
言葉を選んで話しかける。
「あの……、桐峯さん今良いですか?」
「ん、大丈夫だ。何か困りごとか?」
「ぬこぬこ動画って名前が胡散臭いって思うんですよ」
「げほっ……ぶごっ……」
こうして、私は桐峯アキラと本音で語らい彼の同志となることになったのだった。
今回のお話は、あえてぼかしてかいたつもりです。
何人かの方の手記を読んで、もしあの日に亡くなられた方が時間逆行したなら、何を思うかを考えながら書かせて頂きました。
多少、コミカルに書いているところもありますが、そこも含めて真面目に書いたつもりです。
敬意と哀悼の想いを持って書いておりますが、想いには個人差があると思いますのでご容赦を。