第一一話 体育と選挙とフォークソング部
体育と選挙とフォークソング部
火曜日となり、今日は体育がある。学年主任の体育教師と会わなければならないと思うと、憂鬱だ。
昨晩は、帰宅してから、すぐに東大路グループの案内を見ながら、秘密ノートに、この先の日本経済がどうなるかを書き加えていた。
ネットがあれば、こういうことも、思い出しやすいのだが、ないものは仕方がないので、あきらめるしかない。
この時代のネット環境は、維持費だけでも高く、通信料も高かったんだよな。
まともに使うには、いろいろな工夫が必要だった覚えがある。
ウィンドウズ95PCだけでも、買っておけば、作業効率が上がるか……。
作業効率を求めるなら、リンゴーコンピュータのマッキンを買った方がよいかもしれない。
それはさておき、いまは、使える物を使うしかないか。
ひとまず、助かったのは、東大路グループの案内を現在の日本経済の一部として、読み解きながら、未来を書いていくと、書きやすくなるのが、わかった。
この方法は、使えそうなので、本屋で、会社四季報でも買って来て、現在を読んで、未来を思い出すことをしていけば、さらに書きやすくなるだろう。
東大路のお祖父さまとの対決の糸口に考えているDVDは、使えなくはないのだが、思っていたよりは、弱いコンテンツかもしれない。
だが、音楽を含めた芸能界での使い勝手は悪くはないので、押していきたいところだ。
東大路グループに物申すのなら、DVD以外に、使えるコンテンツを探しておく必要があるな。
と、そんな具合で、少し遅くまで、書き続けてしまい、眠気が残っているが、体育の時間が来てしまった。
運動着に着替え、グラウンドに出る。
赤ら顔のやたらとごつい体育教師、日比先生と向かい合い整列する。
日比先生の説明によると、今日を含めて数回の授業を使い、体力テストをするそうだ。
用具を出して、準備をし、指示通りにこなしていく。
身体測定の時に、いくつかの体力テストに関わる項目をやっていたようなので、グラウンドを使う種目だけをやる。
そうして、初回ということもあって、何も問題は起きずに、体育の時間は、終了した。
だが、この日比先生が後々に、大量の退学者を出す未来がある。
内容としては、罵詈雑言を平然と浴びせて、体育の授業にしては、激しすぎるしごきを行い、生徒たちに無駄な疲弊を強いる。
さらに、他の教科を含めた様々なクレームが上がっても相手が生徒だろうが保護者だろうが、無視し続け、横暴な態度をとる教師に対しては、注意どころか推奨すらしていた。
そして、最悪なのが、一年次から二年次に、進級する時、相性の悪い生徒同士をあえて同じクラスに意図的に配置するようなことまでしていた。
そんな生徒をあえて辛い環境に陥らせた理由は、自らの家庭が、上手く行っていなかったことのようで、数年前に高校を卒業し、就職した一人息子が三か月もしないうちに、退社をし、そのまま引きこもりになってしまっていた。
この事のストレスで、日比先生は、おかしくなってしまったようだ。
そして、俺個人としてもひどい目に合っている。
楽器を触ることが、我が家の家風でもあり、俺も美月も突き指には、敏感になっている。
美月は和楽器を続けていたので、美月もまた、桐山家の人間なんだよな。
とまあ美月の事は置いて、突き指の原因になりやすいスポーツを上げるなら球技全般となるだろう。
日比先生は、野球部の顧問でもあったからか、やたらと球技を体育の時間にやりたがる。
カリキュラムが気になって、球技ばかりやる必要があるのか調べたが、そういうわけではなかった。
要は、日比先生が球技が好きだというわけだ。
突き指に敏感だろうが、体育の授業なので、人並みに参加したが、無理な動きまでするつもりはなかったので、日比先生から見たら、手抜きをしているように見えていたのかもしれない。
家庭の事情なんて、全く考慮しない日比先生は、同じようなトラブルを学校中でやらかしていたようだ。
そうして、二年次では、日比先生が担任となり、精神的に追い詰められる日々がやって来てしまった。
生徒にいじめられて不登校になるなら、まだ跳ね返す余地もあったかもしれないが、教師からの嫌がらせは、どうにもならない。
どこかへ連絡するにも、日比先生は、立ち回りが上手かったのか、声がなかなか届かなかったようだ。
そうして、不登校になりかけながら、なんとか二年次が終わるころに、日比先生の悪行が、どこからともなく暴かれて、日比先生は、学年主任を降ろされ、担任すら持たない立場へ降格した。
これも、わかっている未来なのだから、どうにかするべきだな。
うーん、そういえば、美鈴が二年次の生徒会長をやっていたきがするが、何か関係があるかもしれない。
今の美鈴の、美鈴モードを見ると、ピリピリする怖さがあるんだよな。
精神が、大人寄りの俺がそう感じるのだから、教師でも、そう感じるだろう。
美鈴に、一年次からの生徒会長を打診したなら、お調子者が当選する予定になっている今年の生徒会選挙の未来も変えられて、今の生徒会役員たちも、受験に専念できるはずだ。
試しに話してみるか。
体育が終わり、昼休みの時間がやってきた。
第四ピアノ室に入ると、美鈴は、すでに待っていた。
美鈴の行動は、どうも俺よりはるかに速いようだ。
「待たせた。スーは、いつも早いな」
「急いで来ているつもりはありませんが、あっくんより、早く来ておきたいのです」
「そうか、俺も、のんびり来ているわけじゃないんだけどな。できる限り急ぐよ」
「良いのです。あっくんは、普通に来てください」
みすずが、普通に来ていないような気がしたが、気のせいにしておこう。
今日の弁当は、昨日よりは、明らかに量が少なくなっていたが、十分な量があった。
しっかりと頂き、満足できた。
「料理人さん、大変じゃないか?」
「うーん、すこし手間は、かかっているかもしれませんが、我が家には、若い男の子がいないので、そういう男の子が食べる料理を作る機会がないそうで、やりがいがあると言っていました」
「そういう物なんだな。若い男性は、使用人にはいないのか?」
「我が家の使用人さんは、基本的にグループの元社員さんばかりなのです。何かしらの理由があって会社にいづらくなった方々が、使用人さんをしてくれていますね」
「そういうことになっているんだな」
この話は、突っ込みすぎると、何か良くない話が出てきそうなので、ここまでにしよう。
「そういえば、一学期中間試験が明けたら生徒会役員選挙があるだろう。スーは、興味ないのか?」
「推薦を取りやすくするために、生徒会役員を二年次にやっておこうかと考えていますが、一年次からですか……」
「気乗りがしないなら、勧めはしないが、一年次も二年次の両方の生徒会役員をやってみるっていうのも、面白いかもしれないぞ」
「一年次にやっておけば、二年次では、楽に仕事ができますよね……。悪くはない案です。でも、あっくんとの時間が……、あっ、良いことを思いつきました!」
「あっ、俺も分かったかも……。
「あっくんも生徒会役員をやりましょう。そうしたなら、生徒会室や会議室でお弁当を堂々と食べられます!」
そうなるよな……。
「スーは、二年間、会長をやるとして、俺は、何をする?」
「あっくんが軽音楽部で、昨日、やらかしたのは、もう広まっていますよ。そうなると、あっくんが、一年次は会長をしてもよいですよね」
その案もありか、要は、美鈴が生徒会にいれば、日比先生の横暴を止められるし、俺も、二年次の方が忙しくなるかもしれないからな。
それにしても、昨日のことが、もう広まっているのか。悪い方向へ、行かないことを願うばかりだ。
「わかった。俺が会長で、スーが副会長、まだ時間はあるから、考えるだけ考えてみよう」
「はい、すごく良いと思います!」
俺自身の推薦も取りやすくなるから、これはこれで、悪くはない選択なんだろうな。
問題は、どれだけ、忙しい生活になるかが、よくわからないってところか……。
この話を、美鈴は気に入ったようで、俺の会長立候補を押しまくりながら、昼休みは終わって行った。
そうして、本日の授業とホームルームが終わり、大江と矢沢を誘って、フォークソング部の見学に向かう。
俺の記憶の中にあるフォークソング部は、いくつかの教室に分かれて活動していたはずだったのだが、どうやらしっかり拠点となる一室があてがわれていたようだ。
語学演習室、通称は、英語室で、外国語の発音を、学ぶために音響設備がそれなり用意されている一室だ。
どうしても、日本人の外国語教師では、ネイティヴの発音を学ぶのは難しく、こういう一室が用意されているのだが、あまり利用した記憶がない。
おそらく、海外からの英会話講師を招くようになったのが、このころだったからだろう。
英語室には、すんなりと入ることが出来たが、教室内は、かなりの賑わいを見せていた。
最前列には、先輩方がいるようで、そこから一年生たちがひしめき合っている状態だ。
「すごい賑わいだね。ギターを覚えるのって、大変なのかな」
「うーん、俺の場合だと、初めは指が上手く動かなかったり弦をうまく抑えられなくて痛くなったりで辛かったけど、慣れてくると、楽しくなったな」
「桐山は、昨日、軽音楽部でギターを弾いたのか?」
「ああ、なりゆきで、弾いたな。でも、軽音楽部では、ドラムをするつもりだ。こっちでは、ギターの弾き語りだな。大江と矢沢は、ギターってどう思う?」
「そうだな。ギターの値段にもよるが、試しにやってみるのは、悪くはないと思っている」
「僕も同じような感じだね。やりたいことが、今は特にないから、まずは、試しにやってみようかって思っている」
「一年生の皆さん、部長の脇田です。軽音楽部で、厳しい洗礼を受けた生徒もいるだろうけど、彼らの事情も、解ってくれると、交流のある部活の部長として、ありがたく思う。軽音楽部のメンバーが、こちらでギターやボーカルテクニックを教えているから、あちらへの悪感情を持つのは基本的に自粛してほしい」
ほう、そういう流れがあったのか。
「さて、フォークソング部は、基本的に、アコースティックギターを弾きながら、歌ったりできるようになって、それを楽しむ部活です。そういう部活なので、見学は自由ですが、入部する時の条件に、自前のギターをもってこれる生徒というのがあります。すでに、入部希望で自前のアコースティックギターがある生徒は、歓迎します。持っていない生徒は、まずは、見学をして、入部する気持ちが固まったら、買うなり家族のギターを借りられるようにするなりをしてください」
こちらにも入部条件があるのか。私立だからか、こういうところは厳しいな。
「桐山、俺は、まずは、見学をする。矢沢は、どうする?」
「実は、僕の家にはアコースティックギターがあるんだよね。今日は見学だけにして、納得いったら明日にでも入部するよ」
「大江、俺も矢沢が入部を決めるかどうかを見てから、入部を決める」
「わかった。まずは、どちらにしても見学だな」
その後も脇田先輩からの説明を聞いていき、フォークソング部の活動は、基本的に自由参加で、教えてほしいときは、この英語室にいる先輩から教えてもらうという流れになるそうだ。
また、フォークソング部の活動場所は、この英語室の他に、二年一組から二年三組までを使っていると聞かされ、英語室で、教えてもらう風景を眺めるのも良いが、俺たちは、二年一組に向かい、実際活動している部員を見学させてもらうことにした。
二年一組に行くと、昨日、軽音楽部で会った二村先輩がいた。
「おう、桐山、こっちにも来たのか。ゆっくりしていけ」
「二村先輩、どもです。見学させてもらいます」
他の先輩たちにも、会釈で挨拶をして、適当に空いている席に座って、様子を伺うことにした。
練習している曲は、この時代の曲ばかりのようで、なかなかうまく弾けない先輩たちが、多いようだ。
部活紹介の時に、舞台上に上がった先輩たちは、上手い方の先輩たちだったようだな。
二村先輩は、音感が良いのか、指がぎこちなくなったとしても、歌はそのまま続けて、指をそれに何とか戻すというような弾き方をしている。
途中で、歌を止めるよりは、俺はこの方法の方が好きだな。
教室の端から、アコースティックギターとは、すこしちがう音が聞こえてきたので、そちらを見ると、ガットギターとも言われるクラシックギターを弾いている先輩がいた。
ネクタイの色から、三年生のようだ。
クラシックギターは、フォークミュージックに主に使われるアコースティックギターとは大きく違い、弦の張っているネック幅や使う弦から奏法まで違うそうだ。
俺は触ったことがないので、どうちがうかまでは、わからない。だが、澄んだきれいな音のするギターだな。
あれを覚えるとしたら、数年が必要になりそうだ……。
残念だが、手をだすのは、やめた方が良いだろう。
「矢沢、フォークソング部に興味を持てたか?」
「うん、入部しようと思う。桐山が教えてくれるなら、心強いし。大江は、どうかな?」
「その手があったな。先輩に教えてもらうのも悪くはないが、桐山に教えてもらうか。俺は、ギターを用意するところからだな。だいたいどれくらいの値段になるんだ?」
「そうだな、安いのなら、一万円以下でも手に入るだろうけど、安すぎると、音が悪かったり、壊れやすかったりするから、楽器屋の店員と話をして決めるのが良いと思うぞ。ああ、それと、初心者セットみたいな感じで、いろいろ込みで、売られているのがあるから、そういうのも良いと思う」
「なるほどな。親と相談してみる」
一組を見学して、活動の様子がわかったので、二組と三組の様子も少し見て、今日は、解散する予定にした。
二組は、だいたい一組と同じだったのだが、三組で、予想外の出来事に遭遇した。
「あれって、うちのクラスの安田じゃない?」
「ああ、本当だ。フォークソング部に入ったのか」
「……、ちょっとお前ら、ここを離れるぞ!」
急いで二人を連れ出して、誰もいない場所まで連れて行く。
「あまり人の事を悪く言うのは好きじゃないんだが、あの安田とは、関わらない方が良い。何が起きるかわからない!」
「え、どういうこと?」
「詳しく話せ」
「なんていうかだな、俺は、クラスの中で、だれと交流すべきか、かなり慎重に声を掛けていたんだ。それで、直感的に、あの安田はやばいやつ、って感じたんだ。他にも中川の一味とかもそれになる」
「ああ、中川は、俺もわかる。なんていうか、昔ながらのヤンキー風なんだよな。安田もそういうのなのか?」
「うーん、疫病神を背負っているっていうか、そんな様子に見える」
「桐山が、そこまでいうなら、僕は、その忠告を聞くことにする。何か感じるってのは、案外当たるときがあるからね」
「それもそうだな。俺も桐山のいうことを完全に鵜呑みはできないが、忠告として、受け入れる」
「ありがとうな。あれは、本当にやばいやつに感じるんだ」
「フォークソング部は、どうするつもりだ?」
「まあ、部活に入っていても、積極的にかかわらなければよいだろうから、心に留めておくだけで十分だと思う」
「わかった。僕も、積極的にかかわらないようにする」
「桐山が、そういうなら、この件は、その通りにしよう。話はしても、なるべく避けるようにする。直感的に無理って思うやつも世の中にいるのだろうから、安田が桐山にとってそういうやつなのかもしれないからな」
「助かる。本当にすまない」
この件は、ここまでとなり、明日、アコギを持って俺と矢沢は、登校する約束をして、この日は下校することになった。
それにしても、未来の記憶があるというのは、便利でもあるんだが、こういう時にどう説明するべきか、困るな。
安田の厄介さは、実際に深く知り合わないと、わからないのが怖いところなんだよな。
安田は、基本的に人見知りが激しく、積極的な交流を好まない。
二村先輩がいたのだから、あの先輩の下にいれば、フォークソング部では、大丈夫だと思う。
それに、今日、二村先輩に会って、思い出したのだが、上杉と二村先輩は、どういう関係だったのか知らないが、交流があったのをおもいだした。
自分の事は、思い出しやすいが、他人のことになると、切っ掛けがなければ、思い出しにくいようだ。
安田とは、なるべく関わらないようにしていればよいだろうし、 上杉もここに入れてしまえば、安泰だな。