第一〇八話 路上じゃない天使
誤字報告、感想ありがとうございます。
ほんわりぼんやり書いております。
のんびりとお付き合いおねがいします。
路上じゃない天使
五月二三日の土曜日。
現在、俺はブラウンミュージックの福岡支社に来ている。
なぜ、福岡に来ているのかと言うと数日前に遡る。
俺の元に一つの音源が届いた。
音源が届くことは、よくあることなのでチェックをして今後に期待ができそうなら、それ相応の対応をすることになる。
ミーサや舞との出会いがまさにこれだったので、この作業は侮ってはいけないと思っている。
そうしてその音源を聴いた時、流される歌声に俺の記憶が反応したのだ。
名前は川嶋愛菜と言う。
福岡出身で現在中学一年生になる。
彼女のことは、よく覚えていた。
二〇〇〇年代前半からキーボードを用いた路上ライブを開始し、透明感のある歌声から路上の天使と呼ばれた人物だ。
また、幼い頃に実の母親と死別し、養女として血のつながらない両親の元で育ったと言うエピソードもあった。
正直なところ、初期の彼女にはあまり良い感情を持っていなかった。
俺から見たら何のために組まれたのか謎にしか思えないユニットを組んでいたり、生い立ちを切り売りしているような活動など、歌声や曲は良いのに売り方が残念と言うのが俺の印象だった。
そんな彼女を見直すようになったのは、海外でのボランティア活動だった。
学ぶことが困難な地域の子供たちの為に学校を建築するその活動は、賞賛されるべき活動として印象的だった。
今回、俺の元に彼女の音源が送られてきたからには、初期の彼女の売り出し方のようなことはさせるつもりはない。
路上ライブは、危険が常に付きまとうので、残念ながら、別の方法で彼女を支えることになるだろう。
現在中学一年生の彼女になら俺の記憶にある未来とは別のアプローチができるはずだ。
と言うわけで、彼女の地元である福岡で対面することになった。
「桐峯君、お久しぶりです」
「鮫島さん、こちらこそお久しぶりです。いつもお世話になっています」
「実は、わざわざ来てもらったのにちょっと問題が起きてしまったんです」
「問題ですか?」
鮫島さんの話は、確かに厄介な話だった。
現在の川嶋は、養母との二人暮らしをしているらしく養父は川嶋が十歳の時に病没しているそうだ。
養父は、土木業の会社を営んでいたそうなのだが、養父の死後にその会社は解散しているらしい。
現在は、養父の残した遺産を削りながらアパートで暮らしているそうだ。
一言で言えば、生活苦となるのだが、川嶋を歌手にするのが養父母の夢だったそうで、川嶋本人もその思いに応えるために音楽教室に通っているそうだ。
ちなみに川嶋の実の母は、川嶋が三歳の時に病没しているそうで、実の父は行方不明だそうだ。
ここまでは理解できた。
生活苦の中、娘を歌手にしようとするのは大変な苦労があるのだろう。
それでも初志貫徹しようとするのは半端な覚悟ではない。
養女としてではなく、実の娘として育てていたことが伝わってくる。
ここまでは、話の事前知識であり、鮫島さんが言う問題は、俺のところに音源が送られた直後に起きた。
養母は、川嶋を実の娘として育てていたそうで、川嶋本人は養子縁組の事実を知らなかったそうだ。
ある程度の年齢になるまでは難しい話だろうし、養母が養子縁組の事実を隠していたとしても責められることではない。
あえて幼い時から教え込むのも問題がある気がするので、これ自体は問題ではない。
ここからが核心になる。
この数日の間に、川嶋本人が養子縁組の事実を唐突に知ってしまったと言うのだ。
これは確かに問題だ。
今から芸能界に入るかどうかの話し合いをする直前に家族としての絆が試されるような出来事が起きてしまったのだ。
「鮫島さんは、その養子縁組やらの話をどなたから聞いたのでしょう?」
「母親からですね。音源は、音楽教室で録音された物なんですが、それを母親が送ったそうです」
「うーん、母親は娘が芸能界に入ることを望んでいるんですね」
「そうだと思います。問題は娘である本人ですね……」
「とりあえず、時間になっても現れなければ、今日はあきらめるしかないでしょう」
「本当にすいません。わざわざ福岡まで来てもらったのに……」
「いえ、この後に時間があれば大宰府の天満宮にでも行ってみたいと思っていたので気にしないでください」
今年は美月が受験になるし、他にも受験をすると思うのでお守りでも買って帰ろう。
それに天満宮に祭られている菅原道真は、学問の神様として有名だが文化の神様としても有名らしい。
ミュージシャンを一応名乗っている俺なので、文化の神様に参拝するのは自然なことだと思う。
そうして、蜜柑と初めて対面したブラウンミュージック福岡支社近くの落ち着いた雰囲気のある喫茶店で待つことになった。
約束の時間の少し前に一組の母子が喫茶店に現れた。
「よかった。来てくれました……」
「あの親子なんですね」
「はい、呼んできます」
鮫島さんは席を立ち、二人を連れて戻って来た。
「お世話になります。川嶋愛菜の母です」
「初めまして川嶋愛菜です」
「ブラウンミュージックの桐峯アキラです。今日はよろしくお願いします」
川嶋の顔立ちは、俺の記憶にある彼女よりも幼いが、それなりに整っているようで芸能人向きと言えそうだ。
母親と並んでいる様子を見ると親子にしては年齢が少し離れているように見えるし、血のつながりを感じない顔立ちの二人ではある。
だからと言って見た目だけで親子ではないと見抜けるほどの二人でもない。
俺としては、養子縁組と言う制度は、もっと積極的に使われるべき制度だと思うので、この二人になんら悪印象がないのが本音だ。
「先日は取り乱しまして、鮫島さんにはご迷惑をおかけしました。二人で話し合って折り合いはつけたつもりですので、ぜひ娘の事、よろしくお願いします」
それから、鮫島さんと母親でことの経緯の確認が行われた。
話によると母親は、何本か音源をレコード会社などに送っていたそうなのだが、どこからも反応はなく諦めかけていたそうだ。
そこに鮫島さんから連絡があり、浮かれてしまったと言う。
そうして普段は金庫に仕舞ってある養子縁組の書類を見たくなったと言うのだ。
どうやら養母にとって養子縁組の書類は、愛娘と自分を繋ぐための何物にも代えられない大切な証の一つらしい。
他人からは、すぐに理解されなくても自分だけにしか価値のない物は確かにある。
おれにだってそういう物の一つや二つはあるのだから、十分に納得のできる話だ。
だが、そこに娘が中学校から帰宅してしまい、書類を見られてしまった。
そこからは、長い話し合いの時間となり、何とか娘に理解させることができたとのことだった。
「なるほど……」
「私にとって娘こそが宝なんです」
「僕としては、家庭の事情は可能な限り、尊重したいので理解し合えたならそれが一番です」
二人の様子から見て、内心はわからないが表面上は問題はなさそうに見える。
ここで川嶋を逃がすのは惜しいので、取りに行く方針で良いだろう。
「じゃあ、愛菜さんにいくつか質問をします」
「はい……」
それから、いくつかの質問をして仕事として歌を歌う意思はあると判断した。
送られてきた音源は、最近の流行曲のような曲ではなく、どちらかと言うとフォークソングの類で、自作した曲らしい。
シンガーソングライターとして考えて行くのが良いのだろうか。
「お母さんに質問なんですが、中学一年生の娘さんを東京へ送り出すことになりますがそのあたりはどう考えているのでしょう?」
「愛菜を歌手にするのは、亡き夫との夢ですので本人さえ了承してくれるのなら問題ありません」
うーん、中学一年生から親と離すのは、あまりやりたくないんだよな。
それに、娘がいなくなれば、母親は一人になってしまう。
「もし仮になんですが、東京でお母さんの仕事先がみつかるのなら親子二人で東京に来ると言うのはどう思いますか?」
「娘と離れ離れにならないのなら、それはそれでありがたいです。ですが、私もそれなりの年齢ですし簡単には……」
「どうなるかわかりませんが、お母さんも履歴書などを出していただけませんか?」
「……わかりました。そのようにさせていただきます」
亡き夫が会社経営をしていたのだから、何らかの有用なスキルがあると思うんだよな。
それを東大路に押し込めばなんとかなりそうな気がする。
それから、細かい契約の話や生活の話を鮫島さんからしてもらって、この日の顔合わせは終わった。
大宰府天満宮には成り行きで川嶋親子に案内されて行くことになり、無事にお守りを買うことができた。
後日のことになるが川嶋愛菜は、夏休み明けから東京の中学校に通うことになり、母親も東大路グループ内の企業で事務として働くことになった。
住居も東大路の社宅に入ったので親子二人で今後も仲良くやってほしいと願うばかりだ。
今回のお話は、人によってはナイーブな部分に引っかかる方もいるかもしれません。
可能な限り敬意を持って書いておりますのでご容赦を。
これはフィクションです!
絶対的にフィクションです。多分……。