第一〇〇話 脱退
脱退
三月三一日火曜日
春のセンバツ高校野球大会が数日前から始まった。
ミストレーベル企画室では、高校野球のテレビ中継が流れている。
ヒロトさんとイネさんに見せた紙に書かれてあった高校は、予想通りに全て出場しており、前評判も良さそうだ。
このことで、二人は俺の未来予知にある程度の信憑性があると認めてくれたので、それぞれに動き始めてくれている。
ヒデトの死亡に関わる未来視を証明するには、ヒデトの死亡を確認しなければならない。
これはいわゆる悪魔の証明になるので、実質不可能だと言って良い。
それ故に、俺の知っている歴史の流れにある高校野球の結果を未来視として示したのだが、今のところは上手く行っている。
このまま俺の知る歴史通りになれば、二人の信頼を確実な物にすることができるので、それまでは可能な限りで動いてもらいたい。
ヒロトさんから、五月一日に収録される予定のテレビ番組からのヒデトのユニット出演のオファーが来たと連絡を受けた。
だが、俺の未来視の話の中にこの番組の話も織り交ぜてあったので、代わりにブラウンミュージック系のバンドを推薦してくれることになった。
この番組は、二週間から一か月を通して、一組のバンドやミュージシャンを取り上げる番組なので、誰でも良いというわけには行かない。
クロスジャパンやヒデトのユニットと比べると、勢いはあるがミストレーベルの面々では、力不足に感じてしまう。
そこで、トールさん率いるバックチークにオファーを出したところ、快く引き受けてくれた。
丁度良くバックチークのニューシングルが五月中旬に発売予定だったので、これのプロモーションと言う名目での出演となる。
イネさんからは、最近のヒデトの様子を報告してもらった。
突発的な自殺の疑いもあったので、何か内に秘めた悩み事がないかを普段よりも話す時間を増やして、それとなく探っているが特に何か特別な感情を感じることはないそうだ。
だが、クロスジャパンの解散が決まりつつあった去年の四月から後に書かれた歌詞のいくつかに別れを意味する言葉が使われていたことに気が付いたそうだ。
歌詞全体から見れば、不自然には感じないが、死を意識して読むと意味深に感じるらしい。
それでも、戻るべき場所と考えていたクロスジャパンが解散してしまったことを考えると、別れを意味する言葉が多少増えたとしても不自然ではないとも考えられる。
真実は、本人にしかわからないがこれからもヒデトの様子を注視してくれるそうだ。
俺からも何かできることを考えておきたいが、良いアイディアが思いつかない。
ヒデトに関わる情報をもう一度洗いなおして、使える情報を見つけなければならないな。
そんなことを考えながら高校野球の中継がやっているテレビに目を向けると勝利チームの校歌が流れていた。
そういえば、てっちゃんたちは、校歌の録音の話はしていなかったな。
以前の記憶では、今年あたりから校歌の録音の仕事を始めるはずだったのに、こちらの仕事を優先してくれているようだ。
声楽家としての仕事もしてほしいので、気にかけておこう。
校歌が終わり、次の試合の準備に入る風景を眺めていると、七瀬さんとエーデルシュタインのメンバー全員がやってきた。
「エーデルシュタイン全員と七瀬さんですか。珍しい組合わせですね。どうかしたんですか?」
「実は、柴田君から重要な話がありまして、その付き添いで参りました。話はエーデルシュタインの話ですので、メンバー全員を連れてきました」
「柴田ですか……」
エーデルシュタインのライブは、十二月から毎月一回、三月は二回終えている。
三月に入ってからのライブで柴田の様子が少しおかしくなっていることには気が付いていた。
だが、ライブなんてことをしていると、心の中で様々な感情が動いてしまうこともあるので、あまり気にしてはいなかった。
「桐峯さん。実は、エーデルシュタインを抜けたいと思っています!」
「えっと……。柴田、何がどうしてそう思うことになったのか、できる限りで良いから教えてほしい」
「はい。そのつもりで来ましたので、全部お話しします」
柴田の話によると、二月の上旬に陶芸家である父親の個展が催されたらしい。
柴田の父親は、陶芸家でもあるが現代アートも手掛けていて、その作品の中に柴田が作ったマスクをいくつか並べてもらっていたそうだ。
その個展で、マスクなどの特殊衣装を手掛ける海外から来たメイクアップアーティストが柴田のマスクを絶賛してくれたそうだ。
柴田のマスクは、そのメイクアップアーティストがすべて購入し、今後の作品の参考資料にするとの話になった。
そこで、柴田本人とも会い、海外で勉強をしてみないかと勧められたそうだ。
柴田にとって、マスク制作は自分ができる表現方法の中で、最も大切にしていることなのだが、自作のマスクは作れてもどこかで学ぶ方法が思いつかなかったそうだ。
そこで、二番目に好きな音楽をしながらマスク制作を続けていたという。
今回、海外でマスク制作の勉強ができるのなら、ぜひやってみたいという気持ちが強くなり、エーデルシュタインの脱退を決めたそうだ。
「そうだな……。結論から先に言うと、ぜひマスク製作の道を進んでほしいと思うし応援もする。無駄に仲違いをするよりも、気持ちよくお互いの道に行くべきだろう。だが、一つだけ言うなら、高校は日本で卒業してから、海外に行った方が良い」
「ありがとうございます。折角良いバンドに誘ってもらえたのに、こんな結果になってしまって申し訳ないです。高校の件は、桐峯さんの言う通りにします。父親からも同じことを言われています」
「それなら大丈夫だな。後のことは、気にしなくて良いと言いたいところなんだが、柴田のマスクは俺も気に入っているんだ。エーデルシュタインで使えそうなマスクがあるなら、譲ってくれないだろうか?」
「はい。いくつかありますので、近いうちに持ってきます!」
「七瀬さん、マスクの代金の方、お願いしますね」
「はい。柴田君には、これから本人が思っている以上にお金が必要になるでしょうから、しっかりお渡しいたします」
「え、タダで良いんですよ。ご迷惑をおかけしましたし」
「正直な本心を言うと柴田を手放すのは、すごく惜しいと思っているし、この先もずっと一緒にやりたいと思っていたんだ。そんな柴田が、自分の進みたい未来に手を掛けようとしているなら、応援をしっかりしたいと思うのは、不自然じゃないだろう。さらに言うと、この先のどこかで成長した柴田へ仕事を依頼することもあると思う。その時の手数料の先払いだと思ってくれたら良い」
「わかりました。しっかり腕を磨いて桐峯さんからの依頼を受けられるようになって戻ってきますので、それまで待っていてください!」
「ああ、その時はよろしく頼む。カレン、楠本、白樺、これで良いよな?」
「短い間だったけど、柴田君ありがとう。別々の道に進むことになるけど、お互いに頑張ろうね」
「俺の知らない世界を見せてくれてありがとう。マスクのような作品が、どう評価されるのか俺にはわからないが、お互いに頑張ろう」
「僕は、このメンバーでプロになるつもりだったから、本当に残念だと思っている。それでも、応援はするからね」
カレン、楠本、白樺の三人が同意をしてくれて、柴田の脱退は決定となった。
本当に残念だが、進むべき道がある者を無理に引き留めることもできないので、友好的に別れるのが最善だろう。
さて、これからのことを考えなければならない。
「七瀬さん、柴田の扱いは、訓練生のままでしたよね?」
「その通りですね。ですので、契約上は、柴田君がエーデルシュタインを抜けることにペナルティはありませんので、ご心配なく」
「じゃあ、柴田には悪いんだけど、次のベーシストの引継ぎをしてもらいたい。大丈夫か?」
「それくらいなら、やらせてもらいます。誰か当てはあるんですか?」
「うーん。七瀬さん、誰か良いベーシストはいませんか?」
「訓練生で、柴田君レベルは他にもいますが、桐峯君たちとの相性は、良いとは思えないですね。ここには極東迷路のメンバーが二人いる事ですし、もう一人くらい増やしてもよいのでは?」
「そうしますか……。梶原は、今日、こっちに顔を出していましたっけ?」
「ちょっと見てきましょう」
それからしばらくすると、七瀬さんは梶原を連れて戻ってきた。
「おう。エーデルシュタイン全員集合だな」
「カジくん、単刀直入に言う。エーデルシュタインのベーシストをやらないか?」
「ん、柴田がいるだろう?」
それから、柴田が脱退することとその理由を梶原に話していった。
「なるほどな。本当にやりたいことへの道が開けたのなら、そっちに行くのも道理か……」
「引き止めたい気持ちがあるのは否めないんだが、柴田のためには応援するしかないと思ったんだ。それでカジくんにエーデルシュタインのベーシストをお願いしたい」
「細かい話は後にして、極東迷路とエーデルシュタインは音楽性が違うから、興味はある。まずはサポートからってことで参加しよう」
「助かる。それじゃあ、柴田からエーデルシュタインのベースを教えてもらってほしい」
「あいよ。それじゃあ、柴田、しばらくの間だがよろしく頼む」
「はい。こちらこそ、しっかりやらせてもらいます」
それから、カレンたちとこれからの話を少しして、この場は解散となった。
俺の記憶には、未来で柴田とジャズバーでセッションをした記憶がある。
当時、お互いの仕事などの話をしたことはなかったが、大人になった柴田はサラリーマン風だったんだよな。
この話がうまくいくのかわからないが、これからは一人の友人として見守るしかないのだろう。