散砂薬
ん? どうした、つぶらやくん。急に涙ぐんだりして。
……ああ、あくびを我慢していたんだろ。今にも口を開けそうな気配だったしね。顔がまあ、何ともくしゃくしゃになっていたよ。
あくびをすると、別に悲しいわけでもないのに涙が出てしまう。そいつはどうしてなのか知っているかい? 涙は涙腺から出てくるものなのだけど、多少溜まったくらいなら鼻へ通じる小さい穴からこぼれ落ちていき、姿をさらすことはない。
それがあくびによって顔の筋肉が大きく収縮すると、鼻へ通じる穴が閉じると共に、涙腺も圧迫される。その結果、溜まっていた涙が逃げ場所を失って、目頭に浮かんでくるんだ。
泣くことは、怒ることと並び、古くから認知されている感情の発露だ。ゆえに、「涙」は特別な意味合いを持つものとして、物語のモチーフとなってきたのは君も知っているだろう。
涙をいかに有効に使うか。そのことについて、とある昔話を聞いたんだ。良かったら、聞いてみないか?
むかしむかし。あるところに5人の子供を持つ夫婦がいた。田畑を耕す百姓だった彼らにとって、働き手が多いのはありがたいことだったけど、その年はまれに見る凶作に襲われたらしい。
彼ら家族が住まう村でも、口減らしが現実的な手段として表に出始めてくる。かの家も、日頃からコツコツ取って置いた蓄えが、もうじき尽きようかというところまで追いつめられていた。しかし子供を手放す決心も、なかなかつかない。
子供たちは五つ子だった。いずれも同じ日に産まれて、今日まで一緒に歳を重ねてきた子たち。ひとりだけ扱いを別にするなど、この夫婦の心情としては、許せなかったという。
すでに彼らは4日ほど、水のみで暮らしてきている。自分たちが食べる分は、すべて子供へ回した。それでも彼らの腹を満たすことを考えれば、あと一日持つかどうか。
子供たちが寝静まった深夜。夫婦は長い時間をかけて話し合った。結論は容易に出ず、家族と引き離されることになる子供のことを思うと、つい涙で目の前がぼやけてしまう。
この涙を水代わりにすれば、少しでも腹の足しになるのだろうか。
そんなことを考え出した矢先、玄関の戸口が叩かれる。出てみると、ぼろぼろの法衣をまとい、手にはこれもまた、ひどく傷んだ杖を手にした男が立っていた。ひげを濃く蓄えたその口元は、「夜明けまで少し休ませてもらえないか」と告げてきたらしい。
修行僧なのか落ち武者の類なのか、とっさに判断がつかなかった。世は情けというし、ひとまずは家にあげたものの、夫婦は常に男から目を離さない。
囲炉裏の火に手をかざしつつ、男は部屋の隅に固まって眠っている子供たちをちらりと見やる。
その視線に邪なものは感じられない。むしろ憐憫の情が漂っている。やがて僧は夫婦に目を向け、彼らの面倒を見る夫婦の苦労を労った。
男はかなり前から諸国を歩いて回っていたと話す。この凶作の嵐が吹き荒れてよりだと、子供の姿を3人以上見ることができた家は、相当限られていたらしい。その中であっても、我が子を守ろうとする姿は素晴らしいとも。
張り詰めていた夫婦の緊張の糸が、理解を得る者の出現により、ふっと緩んだ。そしてこれまでの暮らしぶりと、今後どのようにしのいでいこうか考えていたことを、つい男に漏らしてしまったという。
ひとしきり聞いた男は「失礼」と一言告げて、法衣の袂から小さな竹筒を取り出した。筆と見紛うその細い筒の先を、己の右目にあてがい、男は顔を仰向かせる。
筒の先からわずかに水が流れ出て、ほどなく男の目から涙があふれる。まつ毛を伝い、そこから落ちんとする雫を、男は法衣の袖で受け止めた。
普通なら、そのままシミを残すであろうはずの涙。それが垂れ落ちたしずくの形を保ったまま、瞬く間に凍り付いたかのごとく、袖の上に張り付いている。
さっと男が炉縁へ袖を伸ばすと、涙の粒がやや太めに切り出したナシ材の上へ転がった。更に男は、目にあてがった竹の筒も並べて置き、立ち上がる。
「休ませてもらった、駄賃代わりだ。その涙の粒はあと小半刻(約30分)もすれば輝きを帯びて、水晶と変わりないものとなる。出どころは伏せ、純粋な掘り出しものとして売るべし。
もし、足りない時にはその筒の中身を目に注げば、同じものが作れよう。ただし多用は禁物ぞ。子らが大きくなれたなら、すっぱり断ち切るがよい」
男はそう告げて荷物を手に取り、静かに家を出ていってしまう。
狐につままれたような顔で、男を見送った夫婦。その去り際は風のようだったが、炉縁には竹筒と、涙の珠が残されたまま。彼が話していたように、涙は木の板の中へ染み込むことなく、表面にとどまり続けている。
恐る恐るも、言いつけ通りに小半刻を見張った夫婦は、火箸の先でそっと粒のひとつを拾い上げた。囲炉裏の熱のために暖まっているそれは、箸でいくら潰そうとしても形を変えなかったという。
翌日。夫は少し離れた町の商人の元へ涙の粒を持っていったところ、大きさに見合わぬ量の金を手に入れることになる。長者とまではいかないが、この物価高の時世でも、家族全員が半年は暮らせる蓄えに化けた。
「この粒の中をご覧くだされ。無数の細かい粒が散らばっておるのが、お分かりになりましょう。我ら商いを行う者の間では、「散砂」と呼ばれ、最高級の石として取引されます。
ぜひ、また見つかりましたらお持ち込みくだされ。今なら高く買い取りましょう」
夫は帰りに、持てるだけの米と野菜を買って帰り、ほぼ5日ぶりのまともな食事を堪能したという。
ならば竹筒についても、男が言ったことは本当かもしれない。子供たちを寝かせつけた夜中、夫は妻の前で、彼がしていたように、天井を見上げながら竹筒の中身を目に注いでいく。
垂れたと思った時には、ゴミが入った時と同じ、瞳の裏側でゴロゴロと石が転がる感触に襲われていた。慌てて何度も瞬きをし、混じったものを追い出そうと、涙が出てきてしまう。
炉縁に垂れた水滴のうち、およそ半分はたちまち染みて、見えなくなってしまう。だが残りの半分はこんもりと盛り上がった形を保ったまま。そして小半刻後には、件の「散砂」へと固まっていくんだ。
これは大いに彼らの家計を助けたものの、一度試すと三ヵ月は目の違和感が取れない。ふとした拍子に目をしばたたかせてしまい、細かい手作業をする際には致命的なすき間が生まれる。
このようなことがあってから、「散砂」を作る機会は、一年のうちにだいぶ限られていたらしい。その間も家計を持たせた夫婦は、5人の子供たちを立派に育て上げ、家の田畑も大きく広げることに成功したそうだ。
夫婦は子供たちに対し、件の薬の存在を伝えなかった。ただ数えるほどしかない利用機会のうち、寝付けずにいた子供の何人かが、偶然にその様子を見てしまったんだ。
薬の隠し場所も把握してしまった彼らは、親たちが寝たきりになり、自分たちが家を支える立場になると、たちまち薬の濫用を始めてしまう。
早くに嫁をもらった長男は、多くの子供を作った。家を継ぐ長男と働き手、そして「散砂」を作るためだけの子を。
散砂がもたらす美味を知ってしまった一家だ。ちょっとしたことですぐに食指を伸ばし、ややもすると勘定が足らない事態を招く。
そのたび、末の子の目に薬が注がれて散砂を作り、帳尻を合わせていたらしい。竹筒はかなり小さいものであるにもかかわらず、その中身が尽きることがなかったのも、彼らには利として働いた。
生まれた時より、そのような役目を言いつけられ、閉じ込められていた子だ。己が境遇に不満を抱く様子はなかったらしい。だがこの慣習に終止符を打ったのも、この子だったんだ。
やがて子供たちも孫たちに家督を譲る。祖父母のことをほとんど知らず、親たちの姿を見て育った彼らが、散砂に頼った暮らしを望むのは当然と言えた。
すでに慢性的な視力低下に襲われている件の子――とはいえ、すでに40歳を過ぎ、当時の初老を迎えている――は、一層酷使された。広くなった家の一間に閉じ込められ、薬をさされるのと、最低限の身の回りの世話だけを行われる日々。
身体は頻繁に拭かれていたものの、この頃は彼から、息を止めたくなるような悪臭を感じる時がある。役目がなければすぐにでも放り出したいと、家の者が陰口をたたいていたほどだったとか。
そして、時が来る。その日は孫たちの末っ子が、初めて薬を差す時だった。すでに件の子は言葉を話さなくなって久しく、黙って自分から顔を上に向かせる。
そこに筒からの水を注げばいいだけだが、末っ子はうっかり角度を誤った。一気にとぷんと、彼の目からこぼれる薬の液体。残りはすべて彼の目の中へ吸い込まれたが、ほどなく鼻から勢いより垂れ落ちてくる。
ちょっとした滝を思わせる水量に乗って、彼の鼻の奥から黄色く細いどじょうのようなものが伸びてくる。一尾、二尾と途切れ途切れに現れては畳の下へ潜り、姿を消していく異形たち。そうして十尾あまりが吸い込まれると、件の子はがくりと頭を垂れて、動かなくなってしまった。彼はもう息をしていなかったらしい。
その年、彼ら一家の田畑のみ、めっきり作物が採れなかった。気候や土の具合は悪くなく、手入れも抜かりはなかったはずなのに。だが稲を植えてしばらく経った頃、水を失った土の上を、黄金色のどじょうがのたくっているのを見たという声が、ちらほらとあがった。
それに前後し、筒の中身の薬も底をついてしまったんだ。この数十年、いささかも無くなる気配を見せなかったものが、唐突に。
散砂を失った一家だったが、懐を引き締める暮らしに切り替えることができず、散財を繰り返す。田畑の不作も毎年のように続き、かの末っ子が一人前になった時には、かつての祖父母と大差ない、貧農へと戻ってしまっていたとのことだ。