狂い咲き
あの日から、取り憑かれたようにラーウはありとあらゆる物を取り寄せた。どれも物騒な物ばかりで、村や教会の人間はそんなラーウを憐憫の目で見つめる。あんなに仲睦まじく暮らしていた旦那を惨殺されたんだ、狂気に取り憑かれても仕方ないーーラーウは、そんな風に見られていた。しかし、当の本人は周囲の目など気にしている余裕などない。
どうやったらあの男を殺せる。どうやって殺そうか。ジーネストがされたように、ひとつずつ体のパーツをバラしていこうか。簡単に死なせたりなんてしない。ジーネストが感じた苦しみ、痛み、絶望を全て感じてもらわなくては困る。毒でもいい、体を動けなくするだけの毒。麻痺させたら意味が無い、痛みを感じなくなってしまう。意識を失ってもダメだ、その目で自分が死んで行く姿を、焼き付けてもらわなくては。
ラーウの純真無垢な美しさは、夫の死と、夫を殺した男が現れたことによって、妖しくも一歩間違えれば死へと誘うようなーー危うい美しさに変わっていた。
げっそりとやせ細ることもなく、ギラギラと目を光らせて男を探すでもなく、虎視眈々と男を殺すチャンスを伺っていた。
一時期に比べ、随分と落ち着いたラーウの姿に、ホッと胸をなで下ろす村人。夫の死を受け入れ、彼女は前へ進もうとしている。周りには、そう見えたのだろう。ラーウが内に秘める、狂気とも言える憎しみの感情に気づかず。
男の姿は、あれから一度も見ていない。しかし、村の人間にそれとなく聞いてみると、男は旅人でつい最近までこの村に留まっていたが、次の目的地へ旅立ったらしい。東の方へ行くとだけ告げて、村を出たそうだ。
東にある、レアリーフという国は、かつて騎士だったジーネストが仕えていた国だ。男はそこへ向かったのだろうと、ラーウにはすぐわかった。自分にだけ分かるよう、足跡を残していっている。あの日言っていたように、追いかけてこいーーそういう意味なのだろう。鬼ごっこを楽しむ子供のような男の振る舞いが、腹立たしかった。
村の人間や、自分を育ててくれた教会の神父様やシスター達には、死んだ夫との思い出のある地に居るのはつらいから、と理由を伝えて村を出た。翡翠色の瞳の奥に、煮えたぎる憎しみを隠しながら。村でかき集めた毒薬などは全て捨てた。小さな村を移動するのとは違って、国境を超えるのはとても大変なことだ。危険物を持っていたら、入国拒否されてしまう。
毒薬の調合法や材料は全て頭に叩き込んであるから、問題は無い。ラーウは、レアリーフでも名の知れた強く誇り高き騎士、ジーネストの妻として顔も知られているため、問題なく国へ入ることが出来た。夫が所属していた騎士団に挨拶へ伺いたいと伝えると、快諾してもらえた。
情報収集は、少しずつでいい。ゆっくりと、時間をかけて集めていく。ジーネストが嬲られ殺されていったように、あの男にも追い詰められる恐怖を与えなくては。情報を得るには、信頼関係を築く必要がある。生前所属していた騎士団の者なら、何かしら知っているだろうと考えたのだ。
「こんにちは、ラーウと申します。夫のジーネストがお世話になっておりました」
陽の光に輝く髪色と、その儚げで庇護欲を掻き立てられるような美しい見目に、騎士でも思わずため息をもらす者も居たほど。悲しげに微笑み、ラーウは一人一人に頭を下げる。そして、特にジーネストと親しいと聞いた騎士の2人へ近寄って話をする。
「奥さん、話は聞いてるぜ。アイツらしくないよな、あんな……死に方。真面目で堅物で、紳士的で穏やかで、強くてーー騎士の鑑みたいな奴だった。そのくせ女性に人気があっても体を触れさせることを一切許さなかった。愛する人が居るから、って目を細めて笑ってよ」
「そうですよね。ジーネスト先輩、稽古の時なんか皆ビビっちゃうぐらい強い人ですから! だから、絶対おかしいです。あんな……あんな強い人が……!」
同期と思わしき背の高い屈強な男は、懐かしむように肩を揺らして笑う。ジーネストがよく面倒を見ていたという後輩は、後半は声を震わせて目尻に涙を溜めていた。慌てて袖で乱暴に涙を拭う姿を見て、ジーネストは騎士団の人達にとても慕われていたのだと、枯れたはずの涙がこぼれ落ちそうになるのをぐっと堪える。
騎士団で活躍していた生前の話を沢山聞かせてもらい、その話の中で気になることを耳にした。ジーネストが死んでから、二週間が経った頃、同期の男が1人辞めていったらしい。その男はよくジーネストと話をしては、皆が避けるような相手である騎士団最強とも謳われた男に、果敢に向かっていく。そんな人が、数週間前までいた。稽古の場では何度か接戦になったこともあり、ジーネストが毎回勝利を収めていたが、辞めたその男も相当強かったと。
変わった毛色をしていた、と話すのを聞き、思わず言葉をもらす。
「変わった毛色って、黒髪黒目……?」
ラーウの言葉に反応したのは、後輩の方だった。思い出したのか、眉間にシワを寄せて唇をかむ。なんとも言えないその表情に、不思議な顔をしていたのだろう、今度は屈強な体つきの同期が口を開いた。
「そういやお前、アイツのことやけに嫌ってたな。確かに黒は忌まわしいって言うけど、アイツの実力は尊敬してたじゃねーか」
「色は関係ないです。嫌いって言うか……不気味なんですよ。あの人、誰と話す時も笑ってたから、皆さんは気さくな人だったって言いますけど……違います、絶対。あの人、目が笑ってなかったですもん」
感のようなものなんだろうけれど、私は後輩の言葉にピンときた。間違いない、雨の日に出会った、悪魔のようなあの男だ。さりげなく男について尋ねてみると、後輩は顔をしかめながらも、するする答えてくれた。
「ジーネスト先輩の故郷に手向けの花を添えに寄ってから、自分の実家へ帰るって言ってました。妹さんと、2人で暮らすそうですよ。……妹なんて、一度も見たことないけと」
最後の言葉に妙な引っ掛かりを感じならも、お礼を言ってその場を立ち去った。街へ出ると、人が楽しげに歩いている。老夫婦が寄り添って歩いている姿や、泣き出す子供をあやすように抱っこする夫に笑いかける妻。自分にも待っていたであろうはずの未来に、目を背けたくて人気の少ない路地裏へ逃げる。
すれ違う際、肩がぶつかりバランスを崩す。危うく転ぶところだったラーウの腕を掴んだのは、探し求めていたーーーーあの男だった。体制を直し、男の昏い瞳をまっすぐ見つめる。瞳に映ったラーウは、とびきりの笑顔を浮かべていた。男もまた、嬉しそうに笑っている。
「ようやく、見つけたわ」
「うん、よく出来ました」
男は子供みたいに笑って、自然な動きで私の額に、口付けを落とす。何かが、胸の中を埋め尽くす。それは、憎しみでもなく悲しみでもない。涙が出るような安心感、懐かしさだった。私は覚えている。男が放った言葉も、額に落とされた口付けも。……なぜ?
「…………っ、あ」
突然、熱い何かを感じて、膝の力が抜ける。路地裏の地面に崩れ落ち、浅い呼吸を繰り返す。遅れて、鈍痛がやってくる。刺された、そのことに気づいた時には、視界がぼやけ目の前が真っ暗になって、私の意識が沈む。
私が、教会の前でポツンと座っていたのは、7歳の時だった。親に捨てられたから、今日からお世話になりますーーそう言って、丁寧にぺこりと頭を下げたそうな。しかし、私にその記憶はない。断片的な記憶はあるけれど、それが確かに私に起こった出来事なのか、判別がつかなかった。一つだけ覚えていたのは、7歳より、もっと小さかった頃。私の髪を優しく手で梳いて、額に口付けを落とす、温かい笑顔。それをしてくれたのが誰だったのか、分からないでいた。