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兄ちゃんの後を追って、慌てて俺も馬車を降りたが。目の前には、別世界というか。違うところに来たというのが、ひしひしと伝わってきた。
白亜の巨大な建造物。……柱一つ取っても、精緻な彫刻が施されていた。
だから、その全体となると、荘厳というか、圧倒されちまうよ。地方の中でも、歴史が最も古いというだけはあるな。―――大地神発祥の地だけに。なおさら、感慨深くなる。
「兄ちゃーん。一人で行かないでよぉー」
建物に見惚れている場合じゃないよ。兄ちゃん、どこ行ったんだろ。
キョロキョロと辺りを見渡すけれど、本当にどこ行ったんだろ? いないなぁ。あんまり、遠くに行ってほしくないんだけどなぁ。ここってロベルトの話ではないけれど、怪物じみたのがいるんだよな。それに見付からなかったらいいんだけどな。
「ジャンくん、まずは枢機卿にご挨拶に行こうか。―――あれ、ジュニアくんは?」
馬車から降りつつ、兄ちゃんを構い倒したそうなクリスさん。純粋にただの子供好きだと思いたい。やっぱり、親切な人を危ない人だと疑いたくないからなぁ。
「すみません。どっかに行っちゃって。―――多分、飽きたら戻ってきてくれると思うんですけど」
見慣れないところに行くと、すぐこれだ。始めて中央の大聖堂(人によっては神殿という人もいたが)に来た時も、こんなんだった。そして、それなりに広かったから、迷子になったようだけど、大地神に遊んでもらっていたようだった。
俺の方も、兄ちゃん探して迷子になったけど。天空神が駆け付けてくれて、枢機卿に合わせてくれたんだけどね。……両柱神、その節は本当にありがとうございました。本当に、俺に一言くらい言ってよ。兄ちゃん、その時から変わってないなぁ! 学んでくれよ。
それとも……なんかあるのかな、ここ。
「あぁ、ここねぇ。確かに、感知系なら、ちょい気になることもあるからね。じっくり調べてくれていいと思うよ。ただ……奇襲されてなければいいけど」
クリスさん、さらっと怖いこと言わないで!
しかし、俺みたいな下っ端が、ここのトップの枢機卿に、着いて早速ご対面しちゃえるなんて。――いや、クリスさんがそう言ってるし。上司になるラザフォード司教の指示なんだろうけど。
「枢機卿もジャンくんに興味津々でね。新しく配属された子が来たら、連れて来てねって言われていたんだ。……ラザフォード司教はどっちにしろ、今仕事中で。今日も町を見回りに行っててね。まだ会えないだろうからねぇ」
そういえば、クリスさんもそうおっしゃってましたもんね。
「じゃあ、俺は見回り戻るわ。後よろしくぅ~」
ロベルトはここまで来れば、安心とばかりに離れて行った。何だかんだ言っても、悪魔も人間と同じ感覚だもんね。元人間だし。やっぱり、住民が気になるのかなー。ロベルトもチャライ見た目や言葉遣いと違って、仕事熱心だな。
「うん。ロベルトも。……えっとぉぉ。一人だけど、大丈夫だよね?」
「日中は一人で歩いてても、攻撃しねぇって協定あるから大丈夫だろ。……タブン。攻撃してきたら、全力で逃げるわ」
この町、本当に何がいるんだ?! 不安になるだろが!
「……えっと。逃がしてくれたらいいね?」
「クリス、やめい! 怖すぎんだろ!?」
クリスさんの軽口風の言葉に過剰に反応するロベルト。ロベルトがビビりなのか。それともクリスさんが天然、もしくはドエスなのかが気になるところ。
「……じゃあ、感知系じゃない人と合流する? それまでの間、気を付けてねー」
どっちにしろ、気を付けないといけないんだ? この町にどんな化物がいるんだよ!
「あぁ、そうするよぉ~。交戦中って勘違いされないといいけどなぁ。オメガのやつ、そん時でもねぇ、やたら攻撃受けるってべそかいてたからなぁ」
本当にこの町、治安大丈夫かって疑いたくなるぞ? いくら、ここに著名なラザフォード司教がいらっしゃるとはいえ、その契約悪魔が被害に遭ってんじゃねぇかよ。――いや、その契約悪魔達のおかげで、その凶手から住民は守られているのか?
「ロベルトやウェスタはまだ被害出てないんだろ? ちゃんと使い分けしているんだよ」
クリスさんは、ロベルトにさっさと行けとばかりに手を振って追いやっていた。悪魔|(?)|によって使い分けるその襲撃者も気になるが。知らぬが花なのかもしれない。北部は不思議な所、と思っておくか。
クリスさんに、枢機卿の部屋まで案内してもらった。けれど……「俺は控室の方で待っとくからね」って言ってご対面にまで着いて来てくれなかった。ちょっと不安だな。
こういう時こそ、兄ちゃんにいてほしいんだけど。きっと、呼ばれた要因の一つは兄ちゃん絡みだろうし。それ以外考えられないし。俺の自称守護神、どこ行っちゃったのよ。
枢機卿のお付きの司教補佐が、枢機卿にあらかじめ言っててくれたものの、ドアをノックした。そして、中から「どうぞ」って返事が返ってきた。
しかし、このドアも凝ってるね。彫刻とか、ノブとかさ。何も知らない人が見たら、芸術品とか思うんじゃない? ずいぶん精緻な呪術式だなって俺には分かるけど。多分、このドアをくぐるやつが、悪いやつかどうか判断するためのものだと思うが。
だから、こうして俺がドアノブ持って「失礼します」なんて言っても反応しないのね。だって、俺、まるっきり枢機卿やこの北部大聖堂に悪意なんて持ってないし。
部屋の中は、枢機卿の執務室らしく、高価そうでありながら、決して華美すぎない、落ち着いた、兄ちゃんが五人くらい横になって眠れそうな木の机があった。そこはうず高く積まれた書類なんかに埋もれるようにして。半分以上、元の木のところを見せていないんだけど。
その書類にさらに埋もれるようにしているのが、枢機卿その人なのだろう。緋色の帽子に同色の法衣も着ているからな。中央でも、儀式の時に正装している中央の枢機卿を見たこともあるからね。緋色は、そういう公的な時に着るものだそうだが。今着ちゃっていいのかな?
ドア近く、ドアって閉めてもいいのかな、と悩んでおろおろしていたら「もっとこっちおいでよー」なんて。ずいぶん、軽いな、この人! 少し挙動不審気味に返事をして、ドアも閉めた。そして、机から三歩分離れて、相対した。
正直、こんなお偉い方と話すなんて、想像もしてなくて。軽くパニックだ。中央の枢機卿の書状をラザフォード司教に見せるくらいで済むと思ってただけに、さ。
「は、はじめまして。お、俺……いや、私。中央大聖堂から参りました。ジャン司教補佐です」
とりあえず、枢機卿も分かっていると思うけど、自己紹介、と。これってテンプレだよな? ちゃんと一礼したし。間違っていないはず。
七十歳を超えている、と言われているが、見えねぇな。こちらの枢機卿は、十分五十代でも通じると思う。元は金髪と思しき白髪に、しっかりと光を宿した青灰色の瞳。若々しい見た目で、下手したら、中央にいる枢機卿の方が老けていると思う。まだ六十代なのに。北の枢機卿と、年は逆なんじゃね? なんて不敬にも思っちまうよ。
「うんうん。初々しいねぇ。失礼承知で聞くけど。キミ、男性だよね? 声変わりだってしてるようだし」
苦笑している枢機卿。えっと……そうですけど? 背だって、同じ年頃の女性よりか断然高いし。クリスさんより、ちょっと高かったよな?
「いやいや、ごめんごめん。中央での悪魔祓い師達の流儀に慣れちゃってるからね。それで普通なんだね。頭下げずにちょっと屈むだけの礼って。久しぶりに見たから、ついね」
中央にいた周りの悪魔祓い師達の枢機卿への接し方を真似したんだが。ダメだったのか?! これって失礼なのか?! もしかしなくても、女性がする礼の仕方!?
「も、申し訳ありません!!」
きっちり頭下げるぜ、今度は! 周りは天空神以外にしているとこ、見たことねぇけどね。
俺、本当に世間知らずで、すみませんね! 早くこっちの流儀になれねぇとな。ずっとこっちで暮らす予定だし。
「いいの、いいの。もう頭上げてよ。ゆっくりこっちに慣れてね」
軽い口調で、許してくれる枢機卿。どっちかというと、孫に甘いおじいさんな雰囲気なんだが。
おずおず顔をあげると、優しい表情をした枢機卿。ちょっとドキドキするんだけど。俺、また何か悪いことしてるんじゃないかなって。
「本当はね、僕の指輪に口付けとかしないといけないそうなんだけど。初対面だし、面倒だからね、いいよー。他の司教とかにも、決まり事やら伝統やらにうるさいのしかさせないし。ラザフォード司教とかね。最近の若い子は、何か嫌がってしたがらないんだよね」
北部大聖堂、結構規則緩いな。大聖堂を束ねている枢機卿がいいって言ってるんだから、いいのだろうが。
確かに、誰が口付けているのかも分からない、指輪にしたくない、という気持ちは分かる。
しかし、指輪ってあの右中指にしている黒い石が付いてるやつか。表面つるんとしてて、ガラス質な黒曜石か、黒水晶だと思うが。俺の曖昧な記憶が正しければ、中央の枢機卿は黄色っぽかった気がする。大聖堂ごとに色が違うのかもな。
「改めて、ようこそ、ジャン司教補佐。キミとキミを守護する者を歓迎するよ」
ニコニコと楽しそうに笑う枢機卿。えっと、一応「ありがとうございます」って言って、一礼したよ。もちろん、頭下げる方のね。
「……そうそう。ここに来るまで大丈夫だったかい? 襲わないようにって、一応、僕の方からも釘は刺しておいたんだけど。僕の言うことなんて、ちっとも聞いてくれないからね」
フーと憂いたように、長いため息をついていた。……もしかしなくても、クリスさんやロベルトが言っていたやつかな?
「……ハイ。俺、いや私は大丈夫でしたが」
枢機卿の言うこともきかないって。この町には一体、何がいるんだ?
「……いやね。職務に真面目すぎて、融通がきかないのがいるのね。ジャン司教補佐が契約者だって知って、襲いかかってくるかもしれないから。……気をつけてね?」
「あ、あとジャン司教補佐の守護者にも伝えといてね? 本当に見境ないから」って不穏なことを付け加えられましたよっ!?
もしかしなくても、契約者や悪魔限定に襲いかかってくる悪魔祓い師がいるのかも。もしくは、悪魔祓い師の資格を持った警邏隊の方なのかもね。そういう人も、少なからずいるとは聞いたことがある。枢機卿の言うことをきかないのも納得だ。
これは詳しく、ラザフォード司教やクリスさんにきかねぇといけないな。俺も、警戒の仕方だって、変わってくるし。
俺の顔が引き攣ったのを目にして、枢機卿は苦笑されていた。
「うん。ラザフォード司教にも、くれぐれもよろしくって頼んでいるし。大丈夫だと思うんだけどね。気配覚えたら、襲わない……と思うし」
いやいや! それでも、ラザフォード司教の悪魔で、何度も襲われているのがいるって聞いているだけに、不安になりますよ!
「そういえば、ジャン司教補佐が中央大聖堂からの書状を持ってるの?」
え、そうですけど。もしかしなくても、兄ちゃんが持っていた方がよかったの?
俺の不安な表情で分かった枢機卿は、先回りして俺を安心させるように笑ってくれた。
「いいや。あー、それ、ラザフォード司教に渡しといてね」
「はい」って肯定したら、「もう行ってくれていいよー」なんて明るく言ってくれた。よかったー。妙に緊張しちゃうからな。ちゃんと「失礼します」って言って、一礼して出てきたぜ。
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