5
5章はこれで終わります。これで章タイトル詐欺にならずに……
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夕刻。みんなが集まった折に、バルトさんに言った話をした。
しょっぱい顔をした司教。苦笑するクリスさん。合掌するウェスタとロベルト。そして「魔王様が御降臨なされた!」と言い、哄笑するオメガ。
多種多様な反応だけど。共通項はただ一つ。その悪魔、もうこっち側にいない。
「……あぁ、みんな通常業務に戻ってくれ。アンジェ、今夜は休みな。部屋にいなさい」
司教の優しいはからいに「差別にゃー。ひいきにゃー」と抗議するやつもいたが。そこは許してやれよと思うが。
多分「キュー!」と言って、モラさんに抱きついていたから。仕方ないっていうか、無理だと思う。
……そのしわ寄せっていうか、代わりが俺と兄ちゃんに来たけどな。夜の見回り行って来いってさ。今なら、ヴィルド司教様との遭遇率が高いからって。
兄ちゃんは「絶対、ヤダァァァァ!!」なんて言って泣いているし。今もぐずっているが。頭を撫でたり、高い高~いってしたりしても、全然効果なし。いつもなら、これで機嫌も直るんだけどな。
「兄ちゃん、元々は俺と兄ちゃんがまいた種なんだからさー。そんな泣かなくてもいいでしょうが」
さすがに夜だし。子連れだからってことで、中央だけどね。本当は東部にも行ってほしいが、日中、歩いたこともない地域だし。またの機会にってなった。
西部の夜は主にバルトさんが見回りしてくれるそうだ。理由は、前も言ったように危険すぎるから。シャレにならないレベルって、どれだけ。警邏の人達も夜は避けるエリアがあるって。警邏の意味ねぇじゃんって内心突っ込んだのは内緒だ。
そんな中でも、平気で歩けるヴィルド司教様って。ある種の猛者でなかろうか。悪魔祓い師の一級を余裕で受かり、大地神相手に引けを取らない人|(?)|なら、それも可能だろうが。
「ジャンは、全然怖くねぇのかよぉぉ! 魔王がどこから来るか、全く分からないっていうのによぉぉぉ!」
ヴィルド司教様が、兄ちゃんの中で、かなりランクアップしている! 今の兄ちゃんと俺にとって、正直リアル犯罪者よりもヴィルド司教様の方が、恐ろしいからな。
「そりゃあ、俺だって。怖くないって言ったら……嘘になるけどさ。中央の連中と違って、話せば分かる方だよ。きっと」
橋の修理にも携われていたヴィルド司教様とは、俺も普通に話せていたし。もちろん、契約者じゃないジョージさんがいたからかもしれないが。
そりゃー、夜は別として。ヴィルド司教様って、いきなり火球だの風刃だの呪術式をぶち込んでくるような方ではないからさ。連中は、街中でも、周りに住人がいようが警邏隊がいようが、お構いなしだったからさ。
そういう人達をかばいながら、相手を殺さないで気絶させるとか。兄ちゃんと大地神を止めるのとか。もう面倒だったよ。楽しそうにケンカ買って、相手殺そうとしてくれちゃうからさ。もう、偶然を装って殺そうとしてくれちゃってねぇ。
「おぉっとぉ。偶然、手が滑っちゃったぁ?」
なんて言って、地面から柱作って悪魔祓い師達を蹴散らそうとしたり、思いっきり当てようとしたりねぇ。いや、全然偶然じゃねぇよ。わざとだろ、大地神。
相手しかり、大地神と兄ちゃんしかり、何をしてくれちゃってるんだよと思ったことか。
最終的に天空神が、身体を張って止めてくれたことも………一度や二度じゃきかねぇな! 涙がでそうだよ。男だよ、漢すぎるよ、天空神!
「……そう考えると、ヴィルド司教様が相手なら、兄ちゃんを止めないで済むのか?」
こっちの身の安全確保だけでいいってことだからな。ヴィルド司教様とて、兄ちゃんを祓う一歩手前で止めて下さるだろうし。俺も兄ちゃんの足を引っ張らねぇように鍛えねぇとな。
うんうんと気合いを新たに入れちゃうぜ。明日の夜にでも、兄ちゃん抜きで悪魔達に手合わせをお願いしよう。
「……ジャン、なんか変な音聞こえねぇ? すっげぇ、高い笛の音……?」
兄ちゃんに言われ、俺も耳を澄ませると、確かにピーとかいう笛のような音が聞こえなくもない。今って、夜の十二時近くだから、住人がそういう楽器の練習なんてないだろうからな。
「悪魔祓い師には直接、関係ないかもしんねぇけど……注意くらいはしとこうかな?」
こういうのも警邏の人達の仕事なんだろうけど。非常識だからな。北部って、あんまり警邏の人達って働いてないのかな? キョロキョロ周囲を見ても、昼間見かけた黒い制服着ていて、黒い帽子付けている人達いないし。そういう人達って剣と銃の携帯が義務付けられているんだよな。仲良くなった中央の警邏の人達に見せてもらったけど。
銃とか言っても弾にも呪術式が彫られていて。発砲したら簡単に呪術式も発動できる優れものだと。その所為か、かなり高額なんだと。滅多に市場に出回らないし。持っているのは貴族か軍かってぐらいだし。原理はすごくシンプルなんだけどね。
呪術式が苦手な人でも……自分自身で描くのがちょっとって人でも容易に扱えるっていうのが利点だろうか。まぁ、道具を使ってする分、当然、有利といえば有利だそうだが。当たらなければ、意味がないからね。
悪魔祓い師達の間で、最強だと恐れられている人の言葉によると。呪術式の方が、未だ脅威だってね。銃は命中率も悪いし、速度も遅いって。……バルトさん、音速を超えていないと普通に避けられる人だよ。
もちろん、宗教家絡みの俺達が持ち歩いていいものではないが。
――同じ原理のものを呪術式で作って、音速を普通に超えて発砲してくる方がいらっしゃるらしいが。そちらは最凶伝説のある方らしい。 発砲するのは、呪術式も描かれていないただの弾……鉛とか鉄とか銅とからしいけど。もちろん、呪術式を描いてもできる方だろうが。あえてその時はさせなかったとのことらしい。
それのみを扱う契約者役で模擬戦をしたこともあったらしいが……二度とやらせちゃダメだと、神妙な表情で司教と悪魔達は語ってくれた。悪魔祓い師最強の方も、個数制限はさせないとダメだって。俺は、司教と悪魔達に思わず合掌してしまった。最凶伝説、半端ない。
司教の判断で、あの火事にあった妻子は、お昼の間に、旦那さんと一緒に新しい家へと移ったらしい。クリスさん、俺、兄ちゃん、そしてヴィルド司教様にとても感謝していたって。旦那さんも一緒に何度も頭を下げていたってさ。向こうさんが落ち着いた頃に行っておいでってクリスさんにも言われた。
「うーん、どこかなぁ?」
なんか、大聖堂に近いような気が。笛を使う聖歌って聞かないけどな。だから、そちら絡みではないと思うが。全部、パイプオルガンだからね。もしかしたら、祭りの出し物の練習かもしれないが。
この手の聖職者って、睡眠時間を削らないとそういう練習や資格の勉強の時間って取れないからなぁ。意外と、忙しいんだよね。
大聖堂から出て、ほぼ五十メートルのメインロード。このまま西に行ったら、アイン橋がある交差点。浮いている兄ちゃんがピタリと止まった。
確かに、ツヴァイの橋付近よりも音も大きくなっているけれど。それでも、まだ遠いというか、こもっている気がする。どこかの建物内で吹いているのだろうか。
「……ジャン、これ、普通の警邏の人間じゃ、気付かないぞ。呪術式を使った、笛の音だ」
俺も兄ちゃんに言われて気付いたからな。そんなものを使うなんて、用途は限られている。淡々と話す兄ちゃんも顔が険しい。きっと、俺も同じような顔をしているだろう。
「ジャン、悪い。俺……自分を抑えられねぇ」
兄ちゃんの髪がうねり、伸びる。……そして、その手足が伸び、成人化した。今の俺と同じか、二十代くらいの姿を取る。服も修道士のものから白衣へと変わった。……兄ちゃん、本気モード。抑えていた人外の気配もあふれ出ている。
それでも、笛の音は止まなかった。心なしか、南下している気がした。大聖堂から離れて……居住区のある方へと。住人達に、広めるつもりか?
「……そこか?!」
兄ちゃんの赤みがかった紫の瞳がキラリと光り、足元……道が轟音を立てて破壊した。
大きな道の下は、通常、下水が走っている。北部でも例外ではないのか、厚い石畳の層のさらに下に、地下の空間が広がっていた。
無数の赤い瞳は、頭上が破壊されたにもかかわらず、全く動じず、ただある一点を見ていた。そう、笛の主である全身が黒い布に覆われた者を。横笛を吹くその人物は、手や指さえも布で見えず、顔も深く被ったフードで見えなかった。
ネズミ達を完全にその笛の主の支配下に置くその者は……魔獣遣いだろう。
人が『門』をくぐり、人ではないものに転化する。それは、理性と姿形が変わるケースもあり、それを魔獣と呼ぶ。そして、それを扱う人や悪魔のことを称して魔獣遣いと呼ぶ。
俺や兄ちゃんにとって、絶対に許しておけない者達。ましてや、地下に住むネズミ型の魔獣なんて……黒死病を広めるつもり以外に考えられない。
非常事態用の黄色い光。……そして、発砲したような弾けた音。こんなものを見過ごすのは、悪魔祓い師としてだけではなく、人間として、放っておけないだろう。
兄ちゃんが「こいつっ!」って言って、下水道に跳び下りて行っても、魔獣遣いはヒョロヒョロ笛を吹き続けていた。ただ、その音色は、どこか明るいものに変わっていた。
兄ちゃんが繰り出す呪術式付きのパンチやキックも全て笛を吹きながら、ネズミ達の間を縫うように、また流れるようにかわしていた。下水道のメンテナンスに使う人が通るための段から、下水が流れるその縁にまで兄ちゃんは追い詰めた。だが、魔獣遣いは笛を吹きながら、自分から下水の方へと歩を進めた。
その魔獣遣いも人ではないのか、下水に脚が付かず、水面を浮いているように見えた。
俺も兄ちゃんの援護をと、大地神直伝の、石の礫をその笛吹きに飛ばした。
だが、結界を張られたのかあっさりと弾かれた。いや……それでいい。
礫は笛吹きの上下、左右、前後に散った。その礫を軸にして、地と風、そして雷を混ぜ合わせた頑丈な結界を張った。カラスの使い魔と同じように。笛吹きを結界の中に閉じ込めた。これもまた、兄ちゃんの援護だ。
俺の手を知っている兄ちゃんは、迷わず突っ込んで、その結界ごと、内部もろとも破壊した。
笛の音が止み、やったかと思えた。
だが、下水道の穴の縁に座り、見下ろす俺の脇を通り過ぎた、早すぎる白い影。
「カハッ」っと声をあげ、俺の背後の民家に叩きつけられる兄ちゃん。
「兄ちゃんっ!」
振り返ると同時に、背後に鋭い風が通り過ぎた。
赤い円と歪な四角。そして古代文字が複雑に組み合わされた呪術式。それが、下水道の地面に一瞬浮かんだ。俺は、反射的に兄ちゃんの傍へと跳んでいた。その呪術式を軸にして、下水道が燃えた。いや……火柱が上がった。
兄ちゃんが叩きつけられた民家とは別……向かいの民家の屋上。黒い服の魔獣遣いが立ち、こちらを見下ろしていた。そして、そのまま飛び去って行った。
「……ジャン、チビスケ。無事か?!」
大聖堂側から来てくれた司教、クリスさん……その他夜間当番ではない、休んでいるはずの方々。ここから一番近いのは、この方々だから、仕方ないのか。
「それより……魔獣遣いが」
司教もクリスさんもみんな顔を顰めた。地下の下水道、そして上がった火柱。それだけでも、大方の検討が付いたのだろう。
司教も剣呑な表情で「……そいつの特徴は」と訊いた。その場にいる他の職員もまた、目が剣呑だった。当然だろうけど。
「人間か、俺より上級の悪魔だろう。絶対……ぶっ殺す!」
壁から這い出て、口から出た血を拭いながら、声高に宣言する兄ちゃん。
……声高と言うだけあって、実際の声もまた俺よりはるかに高い。今の兄ちゃんは成人した姿だからな。まぁ、つまり兄ちゃんは……。
「チビスケ、お前女だったのかよ!」
俺も兄ちゃんって呼んでるし。司教がショタだの同性だのおっしゃられていたから、間違えられているとは思っていたが。兄ちゃんは、列記とした女の子だ。ウィンプルやベールも付けていないから、間違われても仕方ないね。
女の子扱いしたら、怒るから、俺は絶対にしないけど。
女性らしく、全体的に丸みを帯びた身体。一度、その体で抱きつかれて、困ったから、もうしてこないと思うけど。前を止めていない白衣一枚って。下も一応はいているけどさ。そんな格好だから、めちゃくちゃ際どい訳で。「どうでもいいから、服着ろよっ!」なんて天空神からも怒鳴られていたな。今も目を逸らし気味に司教もおっしゃられているが。
中には、ガン見の方もいらっしゃるけどね。信じられないとばかりに。
兄ちゃんは多少露出していても、気にした様子もなく、平然としているけどね。本当に、目のやり場に困るよねっ!
「あの炎の呪術式……『業火の魔王』が扱っていたものかと」
この国の南部大聖堂がある地域一帯を治めていた、元神。
天空神や大地神からも口を酸っぱくして言われた、要注意悪魔の一体。
この国の建国から三百年余り経ってもなお、祓われた訳でもなく、地下組織から広く信仰されている。大地神と同格の公爵位。
もっとも危険な悪魔が大地神であり、その二番手とされていた悪魔だ。つまり……公爵の中級クラス。
そんな相手が本気で気配を消そうと思えば、兄ちゃん以下クラスの悪魔だと、気配なんて追えない。だからこそ、今まで野放しになっているようなものだし。大地神なら、追えるだろうが。自分から、そんな悪魔を祓うとかそういう気なんて、サラサラない神だし。自分のお気に入りにさえ、手を出さなければ、基本放置の神だ。気紛れ神の異名を持つだけはあるな。
二級の資格を取るために、そういう要注意悪魔やもう祓われた悪魔の情報を叩きこんでおく必要があるからね。
司教も面倒そうに舌打ちし「見つけても、絶対に深追いすんな」と忠告し、その場は解散となった。
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