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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第1章 昭和17年2月
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1 星機関


ドイツ、ベルリン。在独満洲国公使館。


参事官室では、星機関の幹部が会合を開いていた。

機関長の星野一郎参事官、公使館嘱託の三好次郎と杉本佐武朗の三人である。

話題は、まずは独ソ戦の動向だ。



昨年12月はじめ、モスクワ攻略の失敗を悟った前線のドイツ軍は撤退を開始した。ソ連軍は、それをドイツ軍の限界と判断して、一斉に反撃を開始する。

しかし、すかさず出された総統の死守命令と、ドイツ陸軍の新戦術によって、ソ連軍の反撃は失敗に終わった。今月になっても、ソ連軍は戦線を押し戻せていない。


「要域確保?」

「それが新戦術なのか」

「実際には、地点確保ですね」

「およそ1つの村」

「それで、総統の死守命令を保持できたのか」



独ソが対峙する戦線は南北におよそ3000km。その全線に渡って、塹壕を掘って防御線を敷くことは不可能だ。独ソ開戦以来の両軍の損害は甚大で、ソ連軍に300万人の損害を与えたドイツ軍も、自軍の損害は100万人に近い。とても、塹壕線に兵隊をはりつけることはできないし、その資材を運ぶ兵站も間に合っていなかった。


「独陸軍のドクトリンは弾性防御だったはずだが」

「兵力不足から縦深を設定できない」

「資材不足で後方陣地を堅固に出来ない」

「ないないづくしだな」



弾性防御とは、第一防御線を突破させた敵軍を、後方の防御線で阻止し、包囲殲滅するものだ。当然ながら、複数線の縦深陣地と包囲殲滅にあたる兵力が前提となる。

攻勢に続く攻勢で補給線の限界を超えて突進して来た、モスクワ前面のドイツ軍に実行できる戦術ではない。


「といって、冬装備がないので平地での野戦は不可能です」

「そこで、点の確保か」

「点と点が十分な強度を保っていれば、その間の線を抜くには躊躇するでしょう」

「いつ閉じられるかわからん狭間か。覚悟がいるな」

「村に籠るのならば、冬装備や築城資材の不足を補えます」

「たしかに。欧州の戦いでは拠点になりうる市街地の確保が眼目だ」

「すなわち拠点防御か」


「これは戦訓ですね」

「うむ。支那事変での戦績と比較してみたい」

「所感に加筆しておきます」

「独軍には、中共とのゲリラ戦の戦訓を送りますか」

「そうだな。第7課の折田参謀の報告書がいいだろう」

参謀本部第二部第7課は、情報部支那課である。



D機関長の土肥原大将は、情報源を多重にするように樋口特務兵監に指示していた。樋口中将は、欧州の情報を在独武官府にまとめさせたが、その一方で星機関に、集まった情報の裏取りを行わせていた。ドイツからの逆情報の浸透を防ぐためでもある。


そのため、星機関長には情報を評価する権限も与えられていた。

通常は、欧州における陸軍情報機関の1つとして、収集した情報を、頂点の在独武官府に沈滞なく上げている。

しかし、機関長の星野一郎こと秋草俊大佐が必要と判断すれば、吟味した情報を精査、追試し、さらには、工作活動へと移ることも可能であった。



星機関は、機関長の名からの命名だ。星の独語からシュテルン機関あるいはS機関とも呼称される。一昨年の着任から、ロシア系、ポーランド系の要員をスカウトし、中欧から東欧にかけて独自の情報網を作り上げた。ドイツ系を中心とした在独武官府の情報網を補完するためであった。


しかし、独ソ戦の開始とD機関の復活に伴って新しい任務が発生した。独ソ戦の戦場観察と、独ソ領内での工作活動である。秋草は困惑した。どう考えても手に余るのだ。予算、人員、そして公的・法的な裏づけ。また、工作活動も行えというのならば、帝国の政略や軍略のあらましも欲しい。



秋草の遠回しな要望に対して、翌日には返信が届く。

『キミヨリヤスヘニシニフタツホシマテセイタクハテキタ』

土肥原大将の反応は、迅速でかつ明確であった。

岡山出身の土肥原から栃木出身の秋草へ、星機関に増援を二人送る、公的・法的な裏づけは無理。つまり、

『吉備より野州へ、西にふたつ星待て、贅沢は敵だ』


そして、昨年11月に、秋草大佐の子飼いである中野学校一期生の三好次郎と杉本佐武朗が着任した。ふたつ星だ。

予算についても、言伝があった。その内容は、樋口中将も本心ではなかろうが、背に腹は変えられない。金塊やドル札を送ればあとがつく。

政略に関しては、杉本が預かってきた。『天下三分の計』である。


「天下ね。ふ~む」

「海洋分割は明らかです。米英日で三分」

「ユーラシア大陸はどうなる?」

「「はて?」」

「思うに、D機関長の三分の計は、重層構造だな」

「「はい?」」

「つまり、入れ子だ」

「ああ、三分の上に三分があって、その上にも三分があると」

「そうそう」

「「・・・」」




三人の話題は、次に移った。

ドイツ国内の工作である。


「先週、諏訪嬢がベルリンで2回目の演奏会を開きました」

「旧友も紳士も参席しました」

「いい感じです」

「紳士はまだ、ベーメンメーレンを動かない」

「しかし、あちこち出張るようになりました」

「警護はどうしている」

「ゲシュタポとは別に手当てしています」

「剣士は?」

「独ソ前線にいます」

「まだいいのか?」

「早すぎるとアレとかち合います」

「危険な男だからな」


ドイツ国内での工作活動は、非常に危険だった。

ナチスの秘密警察や情報機関の諜報能力はあなどれない。それらの組織は複数で、それぞれ独立に活動していた。しかも、彼らの多くが、ナチスの大幹部に個人的に通じている。ナチス党内部の力関係を見誤ると、火傷ぐらいではすまない。三国同盟を追放された日本には、公式に拠るものは防共協定しかないのだ。


「われらは、あくまでも影だ」

「そうです」

「目立つことは、在独武官府に任せればいい」

「はい。D機関長もそうお望みです」

「では、アレにいくか」

「「・・・」」




最後の話題は北アフリカ戦線だった。


昨年からの第2次攻勢で、ロンメルの率いる独伊軍は、英軍をリビアからエジプトへと駆逐しつつあった。おそらく春には、リビア領内から英軍はいなくなるだろう。

しかし、米国の参戦も迫りつつある。緒戦で、米国は北アフリカに上陸するという。上陸地点は、フランス領のモロッコかアルジェリアのどこか。それが、昨年末の米国の報道だった。


「土肥原大将の指令は、北アフリカでの独伊仏の共闘」

「はい」

「作戦はできています。が」

「しかし、その」

「彼らを使うのが、不服か?」

「ほんとうに、使うのですか」

「なにせ、フランス人だからな」

「どう見ても彼らは日本人です」

「現にフランス人として行動し、官憲も認めている」

「「はあ」」



星野は、北アフリカでの工作にフランス人を使うことにしていた。

チームの首領は、テツヤ・クロキとではなく、黒木鐵也と日本語で名乗った。渋い2枚目ではあるが、髪も瞳も黒。毛深いが日本人以外には見えない。


「いいんじゃないか」

「しかし、愛するものは自由、求めるものは平和ですよ」

「そりゃ、大義名分は必要さ」

「ま、人手不足ではあります」

「英独伊仏語を自在に話せるとなると、日本にはおらん」

「アラビア語もです」

「そうなのですが」

「いったい、どこからだれが」

「すまん、義兄の折り紙つきなのだ」

「えっ、甘粕さんの!」

「それなら、大丈夫だ」

「頼りになりそうですね」

「げふんげふん」

「「あれ?」」



「ところで、ほんとうに三分の計なのですか」

「どうした」

「伊仏を伸張させることになりますが」

「そうだな」

「実は、散分の計なのでは?」

「それはいい」

「「えっ」」

「あっはっは」

「「・・・」」





同じ頃。ベルリン、在独日本大使館。


在独武官の坂西陸軍中将と大使附きの西郷陸軍中佐は、大使館の隅の部屋で小声で話していた。暗くて寒い。


「本当に総統は首相の親書を読んでくれたんですかねぇ」

「読んだだろう」

「しかし」

「独逸参謀本部は新戦術を承認した。総統の指示だろう」

「北アフリカのロンメル軍団への補給も増えています、たしかに」

「空軍の増援もあったな」

「それは、しかし」

「うむ。雪解けのあとは、対ソ前線へ戻るのだろう」

「春までが、勝負ですか」

「「・・・」」


「西郷中佐、そろそろ退けようか」

「そうですね」

「今晩は『東洋館』でどうだ」

「お供します」

「うん、うん」






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