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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
53/59

10 国際会議


北海道、釧路国支庁、阿寒岳山麓。夕方。


開拓村の広行寺は平地にあるので山号はない。寺の本堂で寺岡と高丘の二人は、野中正助の話を聞いていた。相談というよりは愚痴に近い。寺岡は広行寺の住職で予備役大佐、高丘は隣の鎮守社の神主で予備役大尉、野中は寺の堂守りで予備役軍曹である。民間連隊では、それぞれ連隊長、連隊副官、そして連隊本部の武器掛である。


兄弟姉妹4人で開拓村に移住して来た野中一家は、寺の坊の1つがあてがわれた。正助が自動車両の運転と整備が出来たので、村の運転手として北のはずれに配置されたのだ。相談相手は日常接している寺岡と高丘だった。なにせ、お寺さんとお宮さんで、年に数回の演習では上官だ。他人行儀をしても仕方がない。



「ほう、ふみさんが通訳ねぇ」

「いいのではないか、郵便局は9月からだ」

「高等女学校を出てるんだし」

「ですが、行き先は満州です」

「ほんの1ヶ月だろう」

「日頃は口にしないようにしていますが」

「ああ、満州の満の字か」

「あちらに行けば毎日、目にします」

「考え過ぎではないのかな」



二人は思い出した。妹のふみを振った男の名前はみつるという。兵役を終え帰郷して知ったそうだ。正助と中学校の同級生のみつるは大きな商家の三代目、軟弱だが男前だった。いろいろあって、野中は弟妹を引き連れ、開拓村に移住して来たらしい。



「どうだ、試験だけは受けさせてみては」

「そうそう。通ると決まったわけではない」

「なあんだで終わるかも知れない」

「はあ」

「通ったとしてもその時はその時」

「最近は満州も物騒であると聞きます」

「ならばお前がやることは別にある」

「そうそう」

「そうですね」



どうやら野中は納得したらしいと、二人はほっとした。もとより、部下の掌握は指揮官の本務である。さらに田中兵務局長の申し伝えもあった。だいたい、野中は弟妹をかまいすぎである。両親を亡くしているから仕方がないとはいえ、大人のふみは子ども扱いされたくないだろう。寺岡と高丘は、どちらかを結婚させるべきだと心当たりをあたっていた。








北太平洋、北緯45度東経170度。午前。


日付変更線を越えて半日、同行していた氷川丸と日晶丸は汽笛を上げて別れを告げ合う。


シアトル航路の定期船である氷川丸は横浜港へと南下する。1等室は米国政財界の代表団でいっぱいだった。これから日本を経由して満州へ向かう。巨額の借款、信用供与と引き換える日本の満州利権の査定を行なうのだ。


一方、国際見本市船の日晶丸はそのまま西へと直進する。目的地の釧路港は北緯43度である。日晶丸の遊歩甲板と上甲板も、やはり米国人でいっぱいだった。米国の人文科学使節団で、釧路で開かれる国際会議に出席する。欧州大戦中にも関わらず、大勢の学者たちが集まるという。



貿易特使の堀海軍予備役中将と岩佐海軍大尉は、日晶丸の船橋甲板で双眼鏡を覗いていた。逓信省に出向中の岩佐は堀特使の副官役で、海軍の利益代表でもある。お目付けとも云う。今、日晶丸は国際見本市船としてだけではなく、政府専用船としての役目もあった。


「特使閣下、鈴谷が見えます」

「駆逐隊もいるな」

「水偵を飛ばしてます」

「張り込んだな」



樺太の川の名前をつけられた重巡は、義勇艦隊から派遣されたもので、氷川丸を護衛するようだ。聨合艦隊の大幅な改組が行なわれて、仮称義勇艦隊が設置された。大和、武蔵をはじめ、艦齢の若い艦が移籍された。それは米英助勢の艦隊編成のためで、戦艦8隻、空母4隻、重巡8隻を基幹とする。


ら号作戦の終結を受けて、政府は戦艦貸与を前向きに検討した。経費は英国が持つと聞くと、空母や駆逐艦もつけた艦隊派遣がいいと海軍は助言する。しかし、早い段階で英国案は米国に潰された。米太平洋艦隊の戦艦8隻、空母2隻を大西洋に回したから不用というわけだ。



「英国の勝手にはさせない」

「それが米国の本音ですね」

「日本を含む太平洋は米国が仕切る」

「すると日米英三国同盟は」

「隠し事はさせないということだな」



そこからが米国の土俵だった。最大の海軍力を持つ国が太平洋の航行安全に責任を持つべきだ。一定の経費を支払うが、無害通航に支障があれば日本の責任である。米国の提案に海相は乗り気だったが、外相は責任という語句にきな臭さを嗅ぎ取った。首相の判断は迅速で、日米合同の指揮艦を置くというものだった。


関係国は日米のいずれかに哨戒や護衛の要請を行なう。日米両海軍の参謀が乗り合わせた指揮艦が判断し、出動を決定する。米国は司令官を乗艦させるように求めたが、指揮官先頭の海軍は容れなかった。日米の軍事文化の違いである。ともあれ、一方的に日本が責任を負うという形は回避された。



「米海軍の指揮艦は見あたりませんね」

「重巡なら見えてもよさそうだがな」

「つまり、わが海軍の奢りですか」

「そうなるかな」

「豪気なものです」

「あれだけもらえばな」



合意された日米通商航海条約の附属協定は破格のものだった。日本への緊急借款は30億ドル、そして信用供与は上限がない。さらに、満州の日本利権の譲渡に関して、米国企業の信用債務を米国政府が保証する。日本は輸入し放題、借金し放題である。


米国からの輸出は民需に限られる。枢軸国と国交のある日本に兵器や軍事技術が輸出されるわけはない。それでも、最新の工作機械や工業技術を、金の心配をせずに輸入できる。日本政府は嬉々として、仮称義勇艦隊と指揮権の一部を差し出した。



「よく海軍の強硬派が納得したな」

「豊田人事が発動されました」

「例によって、またか」

「只で訓練と演習ができます」

「軍艦は機密の塊だ、まして大和と武蔵は」

「新型艦を造るからいいんだと」


「大戦終結まであと3年から5年はかかります」

「その間にさらなる新鋭艦を造るのか」

「財政・資源・技術、すべての面で可能です」

「例の演習の結果を受けてか」

「室蘭に要港部が設置されるそうです」

「それ以上を貴官から聞くわけにはいかんな」



大和型3号艦と4号艦はすでに起工していたが、大改造がなされるらしい。高速化だろう。これからは、米英に全容が筒抜けになることが前提だ。巨砲大艦を建造しても、すぐに米英は追いつくし、造れる数は向こうが多い。艦政本部は頭が痛いだろう。


「大尉、多摩が来るぞ」

「後続の2隻は掃海艇ですね」

「よく出してくれた」

「本船にも米国代表が乗ってます」

「むしろ本命だろう」

「GNの代表ですからね」




堀は公室に戻ると、用箋を確認する。ディナーで同席する船客のリストだった。


・ルース・ベネディクト、W、55。文化人類学、0。博士、コロンビア大学助教授。

・エドウィン・ライシャワー、M、32。東洋史、17。博士、ハーバード大学講師。

・グレン・トマス・トレワーサ、M、46。地理学、0。博士、ウィスコンシン大学教授。


今夜は学者たちばかりのようである。話は年長の女性に合わせるべきだろう。花の話題が無難だ。ベネディクト女史は昨夜のボートン准教授と同じ大学だが、やはり知日家だろうか。堀はテーブルでの世間話のネタを考える。


「岩佐君、花の本があったかな?」

「図鑑と博物誌があります。閣下」

「日本の花といえば桜かな」

「軍人は桜ですが、女子供なら菊でしょうか」

「ほう、菊ねぇ」








帝都東京。夜。


田中兵務局長は新橋の料亭で飲んでいた。この頃は、飲食店でいろんな料理が出るようになった。食材が豊富なのは、米国使節団の来訪も影響しているのだろうか。太田憲兵中尉が入って来た。


「ご苦労、まず一杯やれ」

「これはどうも。ごくごく」

「で、どうだ」

「講習会ですね。講演と質疑応答でした」

「そうか。考え過ぎだったかな」

「本当に宗教ですか、老人大学みたいです」

「なるほどな。松井閣下もそう言われた」

「はあ」



田中は、陸軍省と内務省との定期会合に出席していた。憲兵隊と特高との情報交換会である。その席上で、自殺を推奨している宗教団体があると聞いたので、内偵させた。しかし、太田の報告によればご本尊はないし、経文も呪文も唱えない。他の宗教を排斥しない。名前もまちまちで、特高は便宜的に余教と呼んでいた。


講演の内容も、神話や昔話から拾って、善い年の取り方とか、好かれる年寄りとかを説くものだ。不健康な長寿を忌避するところが奇異とはいえるが、特別に自殺の勧めとは思えない。健康で安楽な死が尊ばれるらしいが、まあ、常識の範疇であろう。



「閣下が怪しまれたのは開催場所でしたね」

「都市、それも長屋が多いところ」

「鉱山や炭鉱、新興の工場地帯も多い」

「除隊した兵隊を大勢送り込んだところなのだ」

「彼ら次男三男が、いずれは所帯をかまえる」

「両親は長男がみるから、単身で居住している」

「年をとるのに見習うべき父母や祖父母は居ません」

「有為といえばそうなのだ」



田中はコップを置くと、腕組みをして考え始めた。太田は手酌でがんがんやる。日が長くなり、日中は汗をかくようになった。冷えたビールはご馳走である。甘露、甘露。


「太田中尉、これは長丁場かも知れん」

「え、まだやりますか」

「うむ、どうも引っかかるのだ」

「それは」

「欲しいものが欲しいところに出て来た。でき過ぎだ」

「なるほど。中に送り込みますか」

「十年単位で潜れるものを選考してくれ」

「了解しました」

「まだ上にはあげない、含んでおいてくれ」

「案外、上のほうが黒幕かも知れませんね」

「そういう夢を見るのだよ、近頃は」

「え」








北太平洋、日晶丸。夜。


日晶丸の遊歩甲板の特等室にガーハイムとローラがいる。ガーハイムはGN鉄道の役員、ローラは創業者の孫で、二人は婚約していた。一緒に日本を経由して満州に向かう。ガーハイムは新たな事業の展開先として北海道と満州を値踏みする。ローラは共和党職員として、人文科学使節団に同行していた。



「ただいま、ダーリン」

「おかえり、ローラ」

「あら、まだやってるの。N45?」

「驚いたよ。日本が先に考えていたんだ」

「まあ。でも実行できたかしら」

「無理だね」



机に向かっているガーハイムに、ローラはカクテルを作る。グラスをチンと鳴らすと、ガーハイムは笑って振り向いた。膝に乗ったローラが差し出すグラスに口をつける。椅子が回されると、ローラの前にユーラシア大陸の地図があった。



「これがそう?」

「うん、日本の計画図で、青い線が僕の計画」

「ほとんど同じね」

「だろう。つまり、同じ条件なのさ」

「ソ連領でなく、中国領でもない」

「さすがは、外交・安全保障が売りの上院議員」

「の候補の候補生よ。まだ十年は先」

「大丈夫さ」

「きゃ、くすぐったい」



机に広げられているのは4年前に鉄道省で検討された中央亜細亜横断鉄道の構想図だった。ガーハイムの発言に応じて、満州重工業開発の岸本理事が取り寄せた電送写真である。その上に青色で別の線が引かれていたが、重ならないのは新疆からアフガニスタンの区間だけだった。



「カシュガルからマザーリシャリフよね」

「うん、しかしソ連領なんだよ」

「カーブルならN40どころかN35になっちゃう」

「そうなんだけど、アフガニスタンの首都」

「首都や州都にこだわる必要はないと思う」

「そうだよ。ところが上の方はそうはいかない」

「広報効果ね。支線じゃインパクトがない」

「政治家にするのはもったいないな」

「上院議員はランキン先生との約束なの」



ようやくガーハイムは机の上を片付けると背伸びをした。ローラが抱きつく。むろん、丁寧に応対するのが紳士の、いや夫の務めだ。



「君の方はうまくいってるかい」

「ええ、順調よ。盛会間違いないわ」

「難しい問題だろ。いまさら日本人を」

「あら、学会の結論は決まってるわ」

「え」

「ジョーモン人は白人種あるいは白人の亜種」

「ヤヨイ人はアジア人のまま?」

「そこは成り行きね、でも日本人白人説は有意義だわ」

「ええ」



ローラによると、この国際学会は4年毎に開催され、前回の結論を見直すらしい。つまり、今回の学会は4年間に限って日本人を白人ないし白人の範疇と結論するのだ。それは、今次大戦を人種問題や植民地問題などに飛び火させないための方策であった。


戦争終結までの数年間、アジア太平洋は欧米軍事力の空白地帯となる。この間に、日本と植民地人が手を組めば大変なことになる。戦争は終わったがアジアは日本のものになった、では済まされない。そのための策が、日本を白人国家に偽装することだった。


遠い昔の縄文人はともかく、近世の日本人が白人であるわけはない。一時の異説や珍説、誤解で終わる。しかし今現在、米英に組する日本人を白人種として吹聴できれば、植民地人は日本に頼ることを躊躇するだろう。ほんの数年の間、迷ってもらうだけで十分なのだ。



「よく大統領が納得したね」

「大変だったらしいわ、でもアーリア人の話や」

「ドイツ人とインド人が同じ人種というやつか」

「アシュケナジムやハザールを出したら渋々頷いたと」

「ええ、ユダヤかい」

「ま、政治は政治、学問は学問よ」

「大変なんだね」


「結論が出てるから討論に集中できるのよ」

「そ、そうなのかい」

「学会って、そういうものよ」

「へー」

「それよりもダーリン」

「はい」

「早く着替えましょう、夕食の時間よ」

「は、はいっ」









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