9 北阿油田
フランス領アルジェリア、オラン。昼。
アルジェリア第2の街オランは、首都のアルジェよりもだいぶ西にある。一帯は昔からの良港で、すぐ西にはメルセルケビール軍港もあった。夜の店には事欠かないが、ちゃんとした料理を出す店は多いほど良い。
黒木機関のカザマは厨房で皿を洗っていた。隣ではケイコが大蒜を剥いている。二人はエプロンをつけていた。ボスのクロキはラムチョップの下拵えで、見本を前にちまちまと、肋骨の肉を削いでいた。エプロンをつけないのは、料理ではなくナイフの練習だからだ。
「姐御、似合ってますね」
「あら、料理は得意なのよ」
「味付け以外はたいしたものです」
「そこなのよねぇ」
「戻りました」
「お帰り、坊や」
「お姐さん、たいへん」
「どうしたの」
「占星術師が来たの」
「「ええっ」」
ユーミと運転手のハヤトは市場へ仕入れに行っていた。港に人だかりがあったので見にいくと、独伊仏軍の装甲車両に護られた黒塗りの車列だった。アルジェリアはヴィシー政府支持だから独軍も伊軍もたまに見かける。しかし、3カ国の軍隊が総出というのはめったにない。
「カール・エルンスト・クラフトだな」
「それにヴィリグート将軍」
「フランスはダルラン提督か」
「はい。イタリアはボルゲーゼ中佐」
「英雄だけど、潜水艦の艦長よ」
「統領とは親しい」
「ランボルギーニ氏もいたわ」
「統領と同郷で、親戚の親戚らしい」
「他ははじめて見る人ばかり」
「ハヤトは?」
「近寄れなかったんですよ」
「ユーミちゃんは視力3.5だからね」
「上に行こう、要人なら写真がある」
「じゃ、話の内容はわからないわね」
「わかる」
「「え」」
「口の動きを覚えているもの」
全員が見つめる中で、ユーミは目を閉じた。そろそろと口を動かし始める。声は出さない。しばらく見ていたケイコが声をあげる。
「ダス、カン・・ドイツ語だわ」
「うん、間違いない」
『・・見える、石油を満載した船が』
「こりゃ、すごい」
「まさか、他の会話も覚えているのか」
「うん、見たものは覚えている」
「カザマ、撮影の用意だ」
「あっ、はい」
ドイツ、ベルリン。在独満洲国公使館。朝。
参事官室では、星機関の幹部が会合を開いていた。機関長の星野一郎参事官、公使館嘱託の三好次郎と杉本佐武朗の三人である。三人とも渋い顔である。D機関長の我が儘がまた始まったのだ。
「弱りましたね」
「遅延作戦はできますが」
「早まる方は制御できない」
「そう、もっと早まるかも」
「では、あれですか」
「仕方がない」
「黒木機関の要求を全額認めるんですね」
「いや、増やしてやろう」
「やれやれ」
「レストランを買いますかね」
「あの方面の作戦は長くなる」
「什器から食材の仕入れもですよ」
「モンサンミシェルの子羊とか」
「要人がノルマンディーの出身らしい」
「ほんとですか」
「彼奴らの好物じゃないのかな」
「アンクルに回します」
「高級食材で稼いでほしいものだ」
「警官と兵隊は半額だそうだ」
昨夜の報告電によると、占星術師はリビアだけでなくアルジェリアでも発見したという。しかも、独伊仏でそれが共有されている。こちらの手間を省いてくれた。思ったよりいい仕事をしてくれたようだ。独伊仏からの褒美に色をつけてやるべきだろう。こっちの腹は痛まない。
「予定より進んだのは事実だ」
「はい」
「発表しますかね」
「3ヶ国だからな」
「宣伝相次第」
「それより」
「ちょっと整理しよう」
「いろいろありますね」
「ハヌッセンが生きていた」
「ナチスの奥の院はわかりませんね」
「まあいい、大島大使がいる」
「あはは、そりゃまた大変だ」
「沈んだと思った軍艦が沈んでなかった」
「死んだ人物が生きていてもおかしくない」
「「・・・」」
フランスは先の大戦の勝利国として、オスマントルコ領だった中近東を英国と分割した。油田地帯は英領となったが、協定を結んで十分な量を確保できていた。しかし、今次大戦でドイツに降伏して枢軸国となると、中東の石油は入らなくなった。ルアーブルとマルセイユに造った大規模コンビナートは開店休業である。
イタリアは古くから国内で石油とガスを産しており、石油開発では米国、ルーマニアに次ぐ歴史を持つ。しかし、石油産量は、需要にはるかに及ばない。まして戦時中である。ドイツは豊富な石炭を人造石油に投入していた。要するに、枢軸国の石油はルーマニア油田が頼みであった。
「鍵は石油と人でしたね」
「そうそう」
「石油はなんとかなりますね」
「もう1つある」
「バクー油田ですか」
「第11軍への増援は」
「マンシュタインの希望通りに」
「大砲をありったけ、列車砲も」
「自走砲と突撃砲もです」
「そうか、機甲車両が増援されたか」
「ケルチ戦線は戦力充実」
「セヴァストポリ包囲を再開可能」
「いいぞ」
「また一人、元帥が増える」
「「あっはっは」」
ルーマニア油田を防衛するためには空襲対策も必要である。空襲可能圏内に敵飛行場を許さないことだ。そのために、ドイツはユーゴスラビアとギリシャに侵攻した。ウクライナの過半を落とした今、憂慮される敵飛行場はクリミア半島だけだった。カフカス攻撃の有無に関わらず、クリミア半島は保持されなければならない。
「人造石油工場の拡張は続く」
「ドイツの石炭は良質で豊富です」
「問題は触媒のコバルト」
「主産地はアフリカ中央部」
「ベルギー領コンゴです」
「隣は仏領赤道アフリカ」
「自由フランスの根拠地」
「アルジェから陸路で行けるのにな」
「あの辺りでは他にもいろいろと」
「鉱物資源は豊富だったな」
「ヴィシー側で採れれば」
「占星術師なら発見するだろう」
「次はノルウェーに行くそうです」
「それがいい。赤道は暑いからな」
「「ふふふ」」
ドイツは、フランスの海外領土の割譲を求めなかった。ヴィシー政府の統治を認めたのだ。本国の3軍は制限されたが、植民地軍は従来のままだ。これは、ペダンの親独策の大きな成功だった。海外植民地を維持できていれば、大戦終結後にフランスは再興できる。そのためならば売国奴の汚名をかぶってもいい。
ところが、ドゴールが叛乱し自由フランスを名乗る。あろうことか、英国と組んで海外植民地に攻撃をかけてきた。アルジェリアとセネガルは防衛できたが、シリアは英国に占領され、赤道アフリカはドゴールにつく。独伊が介入する絶好の材料を与えてしまった。祖国の将来を見据えた行動とは思えない。フランスはドゴールに死刑を判決した。
「それで人は」
「東部占領地域大臣が解任されました」
「国家元帥と喧嘩しまして」
「美術品の取り合いとか」
「プラハの紳士がウクライナ国家弁務官に」
「ベーメンメーレン総督と兼任か」
「おそらく、オストラントも」
「進みだしたな」
「問題の絵画はフェルメールです」
「「あっはっは」」
南米。ベネズエラ、首都カラカス。夕方。
ようやく第三図南丸の乗員は上陸できた。増田小隊の片岡も夜の街へと繰り出す。農林省と逓信省の官僚は留守番だった。機密が満載なので上陸は交替制である。早瀬中佐、深村少佐と増田中尉は、新庄の別荘にいた。酒は出るが、パーティではなく作戦会議だ。軍人は常在戦場である。
(ま、美人秘書が酌してくれるし)
(新庄大佐はいいなぁ)
「これを見てくれ」
「はっ、西インド諸島ですね」
「それも小アンティル諸島」
「ここがフランス領だ」
「英国領に囲まれている」
「マルティニク島には軍港がある」
「フォールドフランスですね」
「ヴィシー側なのだが」
「ここに何か?」
「うん、釣り船の船長がいる。米国人だ」
「「えーっ」」
「すまん、冗談だ」
「「ええーっ!」
「げふん。実は欧州への道がある、戦場へと続く」
「大佐、ここがすでに戦場です!」
「あ、その。えと、えと」
「「うぅー」」
「ごめんなさい、支店長は不器用なんです」
「「あ、いいんですよー」」
支店長秘書の富子が慌てて、3人の飲み物をつくる。早瀬も深村も増田も一気に呷る。いい匂いを嗅いだので、勢いは雲消した。
「げふん。カリブ海では、えー、えと」
「すみません。不器用なんです、この人」
「「・・・」」
「わたしがやりますわ」
「「それがいい」」
「2月から3月の一月半、Uボートの大攻勢がありました」
「「ごくり」」
「作戦名は新天地、参加したUボートは11隻」
「損害は損傷1隻、戦死1名、負傷1名」
「戦果は貨物船撃沈45隻、大中破10隻」
「「圧倒的ではないか!」」
カリブ海は戦略的に重要だった。まず、このベネズエラで石油を産する。東隣の英領ガイアナではボーキサイトを産し、他にも鉱物資源は豊富だった。それらの原油、原鉱は船積みされ、米国あるいは英蘭領へと搬出される。沿岸諸国の油田と鉱山は、米英蘭の資本が抑えていた。
「作戦初日だけで10隻近くのタンカーが沈められました」
「およそ2500トンから6000トンの小型タンカーです」
「「こ、小型なのか」」
「油田のあるマラカイボ湖からカリブ海への水路は狭いのです」
「そして、製油所のある蘭領クラサオ島は間近です」
「蘭領?」
「はい。マラカイボで初めての油田はロイヤルダッチシェル」
「あ、もしかして英国の堅い木か」
「そうです、イランでも当てたジョージ・レイノルズ」
「クラサオの精油所は月産1100万バレル、世界一だ」
「さすが、増田博士ですね」
「え、いやあ」
持ち上げられた増田中尉は有頂天だ。顔を真っ赤にしてにやける姿は、とても軍人ではない。だが、富子は顔を引き締める。
「負傷した独水兵が運び込まれたのがマルティニク島です」
「「あ」」
「マルティニク島はUボートの補給基地なのです」
「今でもかね」
「はい、早瀬中佐。ただし、夜だけです」
「ああ、そういうことか」
「英国の海軍基地はトリニダード、空軍基地はセントルシア」
「今は、英国から米国へ引き継がれました」
「駆逐艦基地交換協定か」
「深村さまのお察しの通り、マルティニク島は英米の監視下にあります」
(さま・・えへへ)
((いいなあ))
「重要とは思うが、しかし」
「ごめんなさい、早瀬さま」
「あ、いや。頭をさげんでくれ。女性にそんなことはさせられん」
「早瀬さまは、お優しいのですね」
「えっ。えへ、えへへ」
「ここにフランスの空母ベアルンがいます」
「「あ」」
「それと大型潜水艦スルクフも」
「戦力になるのかな」
「枢軸には空母がない」
「ツェッペリンは艤装を再開したし、Uボートもある」
「スルクフは20cm砲2門を搭載している」
「潜水巡洋艦だ。水上機も搭載している」
「枢軸全体で考えると、戦力としては大きい」
「問題は回航ですね」
「出航できるか」
マルティニク島の統治は仏領ギアナの高等弁務官が兼任しており、爆撃や侵攻を行なわない代わりに海軍艦艇を動かさないことを連合国と結んだ。昨年末のことで、それ以来、ベアルンもスルクフも繋がれたままだった。それは寄港するUボートの絶好のカモフラージュとなっている。富子の説明は澱みがない。
「米英もUボートには気付いているだろう」
「おそらく」
「なぜ侵攻しないのだろう」
「占領したほうが手っ取り早いのにな」
「支店長、いいですね」
「そのための会議だ」
「島の要塞には300トンの金が保管されています」
「「さ、300トン!」」
「カナダへの移送を、本国の降伏で変更」
「14億ドルぐらいか」
「ひょっとして、パリの金では」
「金貨だったらそうでしょうね」
「今度は金庫破りですか」
「げふんげふん」
「帝国が強盗などする訳がない」
「しかし現に」
「あれは沈没船だ」
「ちゃんとコロンビア人の承諾も得ている」
「ほんの数人で、しかも私人」
「げふんげふん」
「情勢が変われば米英の進駐はあり得るな」
「その前に移動しようとなる」
「それで世界最大の潜水艦スルクフか」
「空母もいるし」
「沈めるのですね」
「げふんげふん」
「だから、帝国は海賊の真似はしない」
「どうするのですか」
「後をつける」
「「はあ」」
「沈むのを待つのだ」
「「ひえっ」」
同じ沈没船でも、領海内に沈んだフネにはいろいろと法的な問題が絡む。公海上であっても、衆人環視ではだめだ。最良は日本の領海内で秘かに沈んでもらって密かに回収することだが、あいにく大西洋に日本の領土はなかった。作戦会議は長引く。
「やれやれ、一応の案はできた」
「やっ、もう11時じゃないか」
「たいへんだ、店は閉まってるぞ」
「大丈夫です。ね、とみ」
「はい、ボス」
「はじめようか」
「みなさま、こちらに」
案内されたのは、庭に面したパーティルームだった。露出気味のドレスを着たセニョリータが迎えてくれる。第三図南丸に慰問に来てくれた娘たちだ。あっという間に酒池肉林の無礼講がはじまる。ビバ~。
「深村さまはカクテルはお好きかしら」
「ええ、たまに飲みますよ」
「これはとみがアレンジしましたのよ」
「へえ、いただきます」
「うふふ、どうかしら」
「口あたりはいいです、レシピは?」
「ウォッカとホワイトキュラソーとライムジュース」
「キュラソー、って・・た、たしか・・」
「そう、クラサオのことです」
「う・・う~ん」
「あら」




