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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
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8 価格


南米。ベネズエラ、首都カラカス。夕方。


カラカスのビジネス街にある三井物産のオフィスで、中南米支店長の新庄は算盤を睨んでいた。その横では、秘書の山後富子が壁の時計を見つめている。


「ボス」

「支店長だ」

「とみと呼んで」

「それはいいから」

「天野商会さんとの約束が5時半です」

「おっ、そうだった。用意は」

「できてます。ここに」

「レストランの予約は」

「天野さんのホテルの近く」

「よし。あと1つ片付けるか」

「はい」



富子が書類を取り上げると、新庄は算盤をご破算にした。


「一昨年と昨年で、失業者が250万人減少」

「軍人が130万増加、労働者が300万増加」

「生産指数は33%拡大」

「軍事予算は4倍だ」

「分母が大きくなっています」

「経済規模の拡大、つまり好景気」

「雇用と収入が改善されます」

「労働組合は政府側につくな」

「孤立主義と参戦反対を引っ込めました」

「戦時労働紛争法が審議されている」

「S号作戦はうまくいくかしら」


「海員組合には期待してない。港湾労働者だ」

「マフィアですか、やれやれ」

「港湾労働者の6割以上が組織されている」

「作業班長制度ですね」

「ギャングと呼ぶんだ、たまげたよ」

「英語ですから」

「民主党はルチアーノから献金を受けた」

「海軍とも協力しています」

「シベリアから緑の天国へ栄転だ」

「いずれ、ばれますわ」

「ばれないと困るね」

「「うふふ」」







米合衆国、ペンシルベニア州、ハリスバーグ市。夕方。


サスケハナ川に面したボートハウスの一室で、山藤重一は山崎従次と会っていた。部屋のテーブルの上には、バックギャモンの盤やカード、サイコロが散らばっている。二人はバドワイザーを片手に、ゲームに興じているようだ。


テーブル中央の山から引いたカードを重一が覗く。


「出た。軍艦が2枚」

「ちぇっ、番号は?」

「5300」

「5億ドルか、建造費の10倍じゃないか」

「最新最強の戦艦2隻に乗員と弾薬もつくんだし」

「2年間だぞ」


従次は白いチップを5枚差し出す。重一の前には白が45枚となった。今度は従次が2枚カードを引く。


「ううん、もう1枚」

「えへ、いいよ」

「なむさん」

「ふへへ」

「来た。スパイが3枚、7203」

「こっちには憲兵が1枚ある、ダブルだ」


二人はダブリングキューブを振る。それぞれ16と64だ。


「あはは。半分だ」

「ちぇっ」


重一は白のチップを7枚、従次の前に差し出す。カードは軍人合わせのようだが、種類が多かった。陸上戦艦や空飛ぶ円盤、地下帝国などもある。



「これで16回だけど、100億はいかない」

「えと、8回目の98億ドルが最高だ」

「空雷と通信機と石火矢にダブルを2回か」

「あれだけ続くのは2度とないよね」

「50億じゃ不満だ」

「もう1回やろう」

「僕が日本ね」



バックギャモンの盤上の赤と青の駒が初期配置される。次に、軍人合わせの札がシャッフルされた。二人がやっているのは日本の値段がどこまで上がるかで、バックギャモンで時間と場所を、軍人合わせで事件や作戦を、それぞれ無作為に出している。白のチップはすべて米国役の重一が持ち、黄色のチップは日本役の従次が持つ。



「まず、米国の支出枠と配分だ」

「今回は総額を400億、亡命諸国が20億」

「英国は200億以上」

「180億が可変で、これを日英ソで分ける」

「よし、日本の目標は100億だ」

「戦っているソ連以上とは、強欲だな」

「強欲は重光外相。いや賀屋蔵相か」

「国家予算は20億、輸入が年間10億」

「野村大使が騙された時は20億だった」

「2年で使い切っちゃうよ」


「最低でも50億はないと」

「公共設備までいかない」

「人工景気が空中分解か」

「40億まではいくけどね」

「16回の中央値が36億」

「10億ドルの役を考えないと」

「R作戦はだめだよねぇ」

「あれは売国じゃなく亡国の作戦だ」

「そうだよね」



第17回のルールはなかなか定まらない。二人とも、頭の中からこれまで16回の対戦経過を呼び出しているのだが、10億以上の役はなかった。ダブルなしで50億を超えたこともない。ダブルは、当たれば倍増するが、外れれば半減だ。賀屋蔵相と藤原商工相が進めている人工景気は、基盤だけで1年半、設備で2年だから、4年分必要だ。経済規模の拡大を考慮すると、輸入だけでも50億ドルは欲しかった。


「この馬賊って札、出たことあったっけ」

「ないね。馬賊と全自動工場は1枚だけだし」

「そうか、満州か」

「それに民間投資だ」

「よし、日満合わせて100億を目指そう」

「そうはさせないぞ」

「あはは」

「「第17回目、開始ぃ」」








帝都、東京。在日米国大使館。早朝。


米国のグルー駐日大使は至福を感じていた。毎朝起きると公邸の書庫を訪れる。そこはまさに財宝の山である。大判小判から金銀の細工もの、螺鈿、浮世絵に枯山水。古伊万里に利休。村正と銘の入った日本刀もあった。注意深く温湿度計の目盛りを読み、自動記録計のぜんまいも確かめる。


(このまま宝の中で眠りたい)

(まもなく返すのか、うう)


米国からの輸入はドルの現金決済だった。金や貴金属が尽きた後は、日本は美術品や骨董品を担保にドルを借りていた。鑑定を受けて価格が決められた後は、米国大使館に保管された。新条約が締結されると信用取引になるから、返還する日は近い。


米国の在日資産と権益の管理は大使の任務だから、グルーは定期的に確認し、手入れもしていた。美術館並みの空調機械は日本が提供したが、管理は米国の仕事だ。世話をすれば愛着も湧く。もともと親日・知日だったから、ジャポネズリーからジャポニスムへの進行は早い。


(倉が欲しいな。いやお城がいい)

(今日は松岡さんと会う。聞いてみよう)







帝都東京、教育総監部。夜。


地下司令室に土肥原総監、樋口特務兵監、山内副官の3人がいた。4つの半球儀は少し変わった。東半球と西半球の境は東経90度に置かれた。つまり、1つは太平洋の半球、もう1つはグリニッジを中央線とした半球である。北半球と南半球も中心がずらされた。すなわち、グリニッジ0度北緯70度を中心とする北半球と、東経180度南緯70°を中心とする南半球である。


「だいぶ使いやすくなったぞ」

「総監、それは重畳」

「硬くなるな。似合わん」

「は、はい」

「ニューヨークからムルマンスクまでは6500km」

「シアトルから裏塩までは7600km」

「実際の航路はもっと長いだろうが」

「攻撃を受けないのが大きな利点です」

「そう。迂回も欺瞞も避退も必要ない」

「最短航路をとれますから燃費も日数も有利」

「今までは、だ」

「「え」」


樋口と山内は、思わず顔を見合わせる。



「通行税ぐらい取っても罰はあたらんだろう」

「閣下、それは国策に反します」

「なんの。海軍には反東條、反和平が多い」

((また、ねじを巻いてきたな))

「帝国は十分に利益を得るのです、総監」

「ふっ。2、30億ドルで飼い馴らされるのか」

「しかし」

「1年分の国家予算と輸入が只であります」

「借款とは、つまり借金ではないか」

「たしかに返済は必要ですが」


「使わなければいいのです、総監」

「なんだと」

「米ドルの信用供与でありますから」

「見せ金にするのか」

((鋭い))

「しかし、多いほどいいだろう」

「多いほど、利子も増えます」

「だから使わんのだ」

「ああ。はい、多いほどいいのであります」

「まったく。経済の初歩もわからんのか」

((ふーっ))



日米通商航海条約の附属協定では日本に信用供与と借款を与えることになっていた。しかし、両国の間で金額が一致せず、協定は順延となる。代わりに、20億ドル以上と記されたメモランダムを交わしていた。そこからの協議は、米国が多忙で進んでいない。


「待てよ」

「え」

「見せ金は米国以外の国で使うのだな」

「はい」

「ドル相場はどうなる」

「んと、上がるのかな」

「閉鎖経済圏同士の欧州戦争ですから」

「レンドリースは一方的な流れだな」

「それはもちろん」


「商品と貨幣と交換と市場だ」

「「?」」

「樋口、秋丸を呼んでくれ」

「今、長野ですが」

「明日の夜には来れるだろう」

「は、準備させるものは」

「経済学者を二人。両極端がいい」

「はっ。総研第2別班の秋丸大佐を召致します」



横浜港の氷川丸船内にあった総力戦研究所第2別班は、氷川丸がシアトル航路に復帰すると陸に上がった。代船が日露戦争時代の老朽船であったため、松岡幹事が乗船を拒否したのだ。第2別班は長野県伊那市の郊外に移された。新幹地に予定されており、周辺には大学や企業の研究所が移転して来ている。



「ワシントンへ命令!」

「「はっ」」

「S号作戦は中止」

「ええ、それは」

「米国参戦が一月早まりますが」

「一月ぐらい、どうにでもなる」

「念のためシュテルンに確認します」

「いいぞ」

「副官、復唱」


D機関はまた忙しくなった。








フランス領インドシナ、カンボジア。朝。


シャム湾に面するカンポットの町は、西のボーコー山から流れ来るコンポンバイ川の河口州にある。プノンペンからは南西にあたり、シャム湾に面している。標高1000mのボーコー山には別荘が多く、ちょっとしたリゾートだ。このあたりは岩場と海漂林が多いが砂浜もある。その海岸を、町の人々が見つめていた。


「日本の軍艦だ」

「1つ、2つ、3つ・・。沖にもいるぞ」

「海岸に突っ込んで来る」

「座礁か」

「乗り上げるぞ」


ざばざば、ど~ん。ど~ん。


「艦首が潰れた」

「いや、割れた」

「もげて落ちた」

「煙が出ている」

「何か出てくるぞ」


砂浜に乗り上げた軍艦は、帝国陸軍の戦車揚陸船だった。倒された船首板の内側は鋼製の渡し板で、その上を戦車が走り出る。排水量千トン、全長90mの戊型揚陸船は、18トンの二式中戦車を最大で8両搭載できた。しかし、最初に出てきた戦車には砲塔も大砲もなかった。


「なんだあれは。戦車なのか」

「装甲を前に掲げている」

「ただのブルドーザだろ」

「大日本帝国陸軍だぞ」

「待て、次が出てくる」

「戦車だ、でかい」



挿絵(By みてみん)


砂浜の端に設けられた仮設の櫓の上では、陸軍や植民地政府の高官たちが双眼鏡を持って観戦していた。ドクー総督や長武官がいる。ほかに、在仏印の各国使節たちもいた。義勇仏印派遣軍司令官の武藤中将と参謀たちは、その応対にてんやわんやだ。


「二式戦車13両の戦車中隊が2個」

「二式装甲兵車17両の機動歩兵中隊が2個」

「二式砲戦車13両の砲戦車中隊が1個」

「加えて、大隊段列に大隊本部」

「贅沢ですなあ」

「いやいや、頼もしい限りです」


近衛歩兵第5連隊捜索大隊の上陸演習である。義勇仏印派遣軍の中核、近衛第2師団の中でも別格の機甲部隊だ。装軌車83両、装輪車15両、士官35名、総員724名の捜索大隊は、規模からいけば旧制の戦車連隊よりも大きい。


「戦車専用の揚陸艦が4隻」

「兵員用の揚陸艦が大小合わせて8隻」

「空母もいる。さすが海洋日本の陸軍です」

「天晴れ大日本帝国」

「仇なす国はおらんでしょう」

「仏印は安泰です」

「「あっはっは」」



しかし、櫓の下では近歩5の岩畔連隊長が冷や汗をかいていた。見映えが悪いと拒む捜索大隊長を説き伏せ、最初の一両を装甲力作車にさせた。軟弱地にはまって亀になっては、それこそ目が当てられない。この辺りの砂浜は狭く、横に広がることが出来ないから、先行車両の轍を踏まざるを得ないのだ。


連隊長権限で直轄の建設工兵を出すぞと脅かすと、大隊長は唇を噛んだ。今日は敵前上陸ではなく、増援上陸と想定されている。戦闘がないのに工兵の支援を受けては、段列をつけた意味がない。貴様が呼んでる近衛装甲騎兵の名が泣くぞ。そこまで言って、ようやく西少佐は頷いた。




大勢が集まっていた。町の住民のほかにも、別荘地から駆けつけてきたフランス人もいる。家族でバカンス中だったのか、ご婦人もお子様もいた。椰子やドリアンの木に登っているのは子供だけではない。


「すごいな、日本は」

「米も石油もみんな買ってくれる」

「強い軍隊も派遣してくれる」

「威張り散らす日本人は消えた」

「規律正しい軍人さんは大歓迎だ」


集合と点検を終わった捜索大隊は行軍を開始した。先頭は大隊長が乗る二式中戦車である。その後を、戦車中隊、機動歩兵中隊、砲戦車中隊の順に車列が続く。実は大隊本部に戦車は配備されない。建制では大隊長は武装なしの装甲指揮車に乗ることになっていた。



突然、喇叭の音が響き渡った。ぱんぱぱぱーん、ぱらぱらぱぱぱ。ぱんぱぱぱーん。


「あれは」

「外人部隊の退役兵だ」

「山から降りてきたのか」

「賑やかだが日本の曲か」

「フランスが贈った行進曲だ」

「へー。勇壮な曲じゃないか」


ぱんぱぱぱーん、ぱらぱらぱぱぱ。ぱんぱぱぱーん、ぱらぱらぱぱぱ。


「隊長さん、いい男ね」

「どこかで見た顔だな」

「ニュース映画か雑誌」

「金メダルのバロン西だ」

「男爵?」

「そう、西少佐は貴族だ」



大口径の主砲に仰角をつけた戦車は、いかにも頼もしかった。キューポラから上半身を出した車長たちも、さすがは近衛、美男子揃いである。全車が高々と日章旗を掲げていた。キャタピラの轟音を響かせ、戦車の車列は続く。


双眼鏡から見守る岩畔大佐の肩が叩かれた。振り返ると駐在武官の長少将だった。にこにこと笑っている。お神酒が入っているのだろう。


「ショーザフラッグだ」

「え」

「売り込みに来たんだろ」

「ま、それは」

「米英も見ている、ここは西に任せろ」

「はあ」

「お前が出るとショーザフロッグになる」

「ぶすっ」


「怒るな、岩畔」

「師団長。いや、司令官」

「ショーザプライスだ」

「え」

「そのために戻って来たんだ」

「は、はい」

「高く買ってもらうさ」

「そうですね」







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