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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
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7 大本営


帝都、東京、宮城。


およそ一月ぶりに、大本営政府連絡会議が開かれた。


議題は帝国国策遂行要領の進捗確認だが、実際には完遂の確認である。確認終了を以って大本営解散の勅令が予定されていた。これが最後の会議になる。大本営の解散後は、陸軍部は参謀本部に、海軍部は軍令部に戻り、それぞれ本来業務に専念する。



最初に、欧州大戦の現況が簡潔に報告された。


「独伊軍がリビア全土を回復しました」

「いよいよエジプト突入か」

「それがおかしいのです、蔵相」

「集結したのは独軍だけです」

「なんと」

「伊太軍はどこにいる」

「国境に陣地構築中です」

「南部や奥地にも展開しています」

「空軍は東部戦線に移動しました」

「がら空きなのに、わからんな」

「「はい」」


「東部戦線の夏季攻勢ですが」

「ソ連の先制攻勢が不発です」

「援助物資か」

「兵站維持のための輸送手段が不足のようで」

「それでソ連大使がわが国に」

「ソ連は防御に徹するのでは」

「といっても、ただ守るだけでは」

「枢軸軍の侵攻をある線まで許した上で」

「引き込んでの横槍か、それはそれで作戦だが」

「問題は枢軸の侵攻線だな」

「「はい」」



1月に開始されたウクライナ東部におけるソ連軍の攻勢は不活発に終わり、戦線は膠着していた。モスクワ前面ではドイツ軍が再編成のために後退していたが、これに対するソ連の追撃も不徹底だった。どうもソ連の動きには機敏さが感じられない。一方で、ドイツ軍の機甲集団の配置は南に重点的だった。夏季攻勢の主軸は南ではないかというのが、大本営の総括である。


「真っ直ぐ侵攻するか」

「ある程度侵入して、突出部を包囲するか」

「ソ連はトラックが不足だ」

「攻勢に不足でもあるが、撤退戦でも不利だ」

「ドイツ機甲集団の迂回包囲を逃れるには機動力が要る」

「といって、今から前線を下げるわけにもいかん」

「トラックの不足が攻守どちらにも影響するのか」

「ソ連の鉄道網の被害は中央部で最も大きい」

「すると、中央野戦軍の包囲殲滅か」

「可能性は高いですね」


「南となれば」

「欧州との連絡路がまた」

「カスピ海がだめならイランだろう」

「イランまでが不便だ」

「戦争だ、止むを得ん」

「「そうだった」」

「それでいつ頃になる」

「南では雨が降り始めました」

「雪融けと合わさって地面は泥濘です」

「あと1週間から2週間」



アイスランドからアルハンゲリスクを結ぶ北極海の対ソ支援海路は3月から機能していない。ドイツ軍がウクライナを越えて南のカフカスへ侵攻すれば、イラン経由の対ソ支援陸路を脅かすことが出来る。そこにはバクー油田もあり、ソ連にとっては戦略的な痛手となるだろう。そして、黒海の制海権も掌握すればトルコが枢軸国入りへと動くかもしれない。



「ますます北太平洋経路が重要になる」

「「痛し痒しですな」」

「北極海船団はもう出ないのですか」

「英国にフネがない」

「ノルウェー北部には独空軍がいる」

「大小合わせて300機の爆撃機だ」

「雷撃もできるという」

「では戦艦だけでなく空母も要るな」

「英国はしばらく積極的な外征作戦が取れません」

「独本土への空爆に専念するしかない」


「米国の参戦待ちか」

「まずは、対ソ支援経路の再構築です」

「ノルウェーのドイツ艦隊の殲滅だな」

「太平洋艦隊の回航はそのためでしょう」

「戦艦を出すには宣戦が必要だろう」

「駆逐艦を貸すのとは違います」

「思ったより米国は腰が重いな」

「ああ見えて、内政は問題山積」

「英国以上に、ソ連は怒り心頭です」



重光外相が吉田大使の報告電を紹介した。先月のデトロイト暴動の損害は深刻だった。おもな自動車工場の生産は1ヶ月も止まった。火災によって工作機械や原材料・部品が焼失したからである。火災の原因は放火と見られ、破壊工作が疑われていた。労働者が自分の職場に火をつける筈はないからだ。


「米国はコミンテルンをわかっとらん」

「共和党は脅威を理解しています」

「では?」

「民主党の一部と現内閣が容共的でして」

「そうでなければ、ソ連を支援するなど」

「英国もあれですがね」

「げふんげふん」

「民主党と共和党の妥協が急速に進んでいます」

「参戦は近い。さてと」

「独伊と手を切る頃合だ」

「まあ、英米についた方が間違いない」

「間違いはあるのだが、間違いにならない」

「正しいと強弁する力があるからな」





挿絵(By みてみん)


会議は本題に入った。議長の東條首相は律儀に、国策遂行要領を1つ1つ検証、確認する。一は問題ない、日中和平条約を締結した。二の高度国防国家は、陸海軍が現状を報告した後、首相が国内の産業交通などにも言及する。三は進行中で、これも問題ない。


そして四は、日米交渉の結果である。一昨年失効した日米通商航海条約は新しく締結された。同様に、日英通商航海条約も締結された。これで新国策遂行要領四項目は、すべて満たされたことになる。あとは、このまま進むだけだ。


「要領の完遂を認めます」

「「やれやれ、終わったな」」

「これで大本営は解散だ」

「首相、それでいいかな」

「一応、決をとりたいのだが」

「わかった、賛成」

「「異議なし」」

「長い間、お疲れ様でした」




大本営政府連絡会議は終わり、幹事と書記は帳面を閉じた。面々はまだ席を立たずに、思い思いに茶を飲んだり、煙草を吸ったり、雑談を交わしたりする。今回の大本営が置かれたのは昭和12年11月だったから5年近い。感慨の深い者は多かった。



「防共協定はどうなります」

「英国はそのままでいいと」

「米国はどうです」

「英国が説得したようです」

「どういうことだろう」

「コミンテルンとソ連は一体だぞ」

「英米の見方は違うのだろう」

「なにか企んでいるのか」



昭和11年11月に日独で調印された日独防共協定は共産インターナショナル、すなわちコミンテルンの脅威に対するものだった。英国はその内容を承知である。当時、重光が加盟を誘っていたからだ。本文にも附属議定書にもソ連の字句は出てこない。唯一、秘密附属協定にソ連を敵国視する記述があったが、これは昨年、5年間の延長を調印する際に破棄された。



「ともかく、独伊との国交は許容された」

「触らぬ神に祟りなし。そっとしておこう」

「外務省としてはそうはいきません」

「「またあ」」

「英米大使に回答を求めました」

「え、やったのか」

「はい。暗黙の了解でした」

「すると」

「保険でしょう、保険料は帝国が払う」

「「まあ、よかろう」」



三国同盟を抜けて米英と通商条約を復旧した日本は、連合国に組すると見られていた。だが、外務省は独伊との断交に言及したことはない。米国からソ連への支援船団は妨害されることがなかった。米国が中立国義務違反ならば、日本も似たようなものである。しかし、独伊からの積極的な非難声明はないし、大使も公館もそのままだ。米英ソとも独伊とも外交を展開する重光外相の手腕を、全員が評価していた。



「日米同盟はどうなる」

「日英米三国で秘密議定書を作成中です」

「ほほう」

「しかし、同盟は終戦後でしょう」

「ソ連の軍事同盟国とは同盟を結べない」

「終戦で、米ソ同盟は解消されるのか」

「「おっ」」

「考えたことがなかったな」

「外務省は検討を始めております」

「さすが」



日本の立ち位置は先の大戦のそれに近くなった。米英に組するのは望むところだったが、連合国にはソ連がいた。しかも、枢軸軍の攻撃を一手に引き受けているから、ソ連の発言権はかなりのものだろう。共産主義と武力革命を国是とする国とは同盟は結べない。國躰を危うくする。政府は米英から参戦の要請があれば前向きに検討することにしていたが、ソ連と肩を並べて独伊と戦うことは、あと数年は無理だ。国民世論が許すまい。


「前の大戦時とは欲しいものが違うが」

「参戦するとなるとどの戦線へ」

「ソ連がな」

「必ずしも戦う必要はない」

「それはそうだが」

「参戦だけではない」

「戦艦の貸与や船団護衛」



対米開戦を避け得たが、米英と友好関係を築いたまま、平和裏に日本は欧州大戦の終結を見れるのか。また、その後も平和を維持できるのか。まだまだ見えない。外務省によると、米英は参戦と対ソ支援の再構築に忙殺されているという。日本へなんらかの要請が来るとしたら、それが一段落してからだろう。この先、米英ソが苦戦すれば、参戦要求もあり得る。


「名残惜しいな」

「賀屋蔵相、平和時にしかできないことがあるのです」

「作戦軍を抱えていると統帥だけで手一杯」

「そういうものですか」

「支那事変で総力戦態勢が留守になっていた」

「一度兵站をじっくり見直さないと」

「緊張感のある平和ですね」

「うまいことをおっしゃる」

「さすがは蔵相」

「「あっはっは」」








南米。コロンビア、カルタヘナ沖。昼。


第三図南丸の第三無線室は中甲板にある。上甲板の下で、改造前は採油工場があった。今でも半分は採油工場のままで、残りの半分が特務作戦用の兵員居住区である。武器装備や高速機動艇は後部におかれている。増設された中央船橋に第三作戦室があり、直下の鯨油槽が重構造に改造されていた。最も工数と工期がかかった、西村式潜水艇の格納庫である。



「気持ちいいものじゃない」

「どうしてですか、早瀬中佐」

「そこの海水が溢れると沈没でしょう」

「ここがいっぱいになったぐらいでフネは沈まん」

「私たちは溺れます」

「喫水や海位は計算してあるだろう」

「先生は平気なんですか」

「あはは、わたしは漁師だ」

「板子一枚ですか。そうだ、蓋をしよう」



本船の指揮官である早瀬中佐の目の前には黒々と開いた四角い縁があった。中では海水がたぷんたぷんと波打っている。その下は船底の穴を通して海中と繋がっていた。横に鎮座している西村式潜水艇は頭上にあるクレーンで吊り上げられ、海中へと下ろされる。早瀬の隣には、潜水艇の設計者である西村氏がいた。船舶司令部付の軍属で、佐官待遇である。


「どうでした、戦果は」

「見込みどおり、スペインのガレオン船」

「やはり、慰労と気晴らしは効きますな」

「はい、見違えるようです」

「それで、お宝は」

「金貨だけで1000万枚」

「もう数え終わったのですか」

「いや。ざっと、推定です」



第三無線室のす号機やら号装置などの一連の水中音響兵器は7年にわたる陸軍の研究の成果だが、西村式潜水艇あってのものだった。水中での音波伝播は深度によって違い、大深度での変化は著しかった。その知見は深度300mでの実験ではじめて得られた。海軍の伊号潜水艦でさえ100mがやっとだから、この深度までの実測値を持つのは帝国陸軍だけだ。


「他にも宝石やらなんやら」

「もう十分ですかな」

「え」

「深村さんと音響実験に戻りたい」

「まだ一隻です」

「そんなに帝国の財布は厳しいのか」

「げふん。聞こえません」

「おっと。言いません」

「「何も見えません」」



その海軍の深村少佐は隣の整備室にいた。お宝を勘定している増田小隊の見張りだ。拳銃を抜いて構えている。他に、農林省と逓信省の役人も交代で番につく。なにせ、一生どころか七生でもお釣りが来るお宝だ。妙な気を起こすのは誰でも同じだから、お互いに見張り合うしかない。


「ひぃふぅみぃ」

「ひゃくにじゅうさん、ひゃくにじゅうよん、ひゃくにじゅうろく」

「待て、そこ!」

「また片岡か。これで5回目だ」

「もう撃ちましょう」

「ひぃー」

「勘弁してください。片岡は数字に弱いのです」

「技手が数値に弱いわけはないでしょう」

「ひぇ」


「増田小隊に替えはいないのです」

「うむ、まあ、それはわかる」

「片岡の目にはカラカスの夜が映ってるのです」

「それは、わたしも同じだ」

「だからお願いします」

「うん、まあ」

「しかし、ちっとも進まんぞ、これでは」

「片岡を外します」

「よし。では裸になれ」



お宝でいっぱいの整備室を出入りする時は、階級・官位に関わらず裸になることが要求される。文字通り、褌も外す。まさか尻の穴は覗かないし、腹を割くこともないが、レントゲン投影があった。裸になった片岡は出口の側の暗室に入る。電信兵が島津製作所謹製の防電撃防護型X線装置を操作していた。片岡が指示に従ってゆっくりと体を回すと、バリウム蛍光板に影が投影される。


「曹長どの、エッキス線は体によくないんですよね」

「そうだ、片岡。俺はそろそろ交替の時間だ」

「早いとこ、終わらせましょう」

「もちろんだ。ん?」

(ぎく)

「あ、片岡は金歯だったな」

「そうです、えへへ」

「いいぞ、おわり」

(しめしめ)







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