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夕方。首相公邸。
参謀次長の本間中将と軍務局長の栗林少将が案内されたのは、洋間だった。
暖房の効いた部屋で、首相と外相が椅子に座ってお茶を飲んでいた。
本間と栗林は、会釈をして席に着く。
「酒が入る前に本題を済まそうか、参謀次長」
「はっ。お願いします、首相」
「防衛総軍特別演習には各国の駐在武官を招く」
「米英もですか?」
「米国も英国も、ソ連もだ」
「ソ連もですか!」
「うむ」
「それは政府の決定ですか」
「そうだ」
「そう決定された理由をお聞きしたい」
東條首相と重光外相が顔を見合わせる。
「政府としては、帝国が平時に戻ったことを喧伝したい」
「合わせて、外交儀礼により各国との友誼を深めたい」
「なるほど」
「え、了解なのか」
「理由はご尤もです。が、承服できません」
「そうか、なぜだ」
「軍機と士気の2点です」
米ソ両国は、陸海軍の仮想敵国である。その米ソに対抗するために演習を行って軍を練る。演習は、練度や実力を計るだけではない。新戦術と新兵器を、実戦を想定した演習に投入して、その効果を試す。
兵器はそれだけでも軍機だが、その運用戦術はさらなる軍機だ。まして新兵器・新戦術ともなれば、決して実戦投入まで知られてはならない最重要の軍事機密である。
それらを、仮想敵国の軍人を招いて観察させるとは、まさしく国を売るに等しい行為だ。演習中の将兵は、敵国の軍人にすべてを晒すことになる。いざという時、有利に戦えるところも不利になるだろう。
それまでの血を吐く教練は何だったのだ。1秒でも長く生き残り、一人でも多くの敵兵を殺傷する。ひとたび出征すれば、死ぬ覚悟なのだ。しかも、ソ連は、何度も戦って夥しい戦死者を出した敵国ではないか。
士気も何もあったものではない。
重光外相は応じる。
「まったく理解する」
「「!」」
本間と栗林は、鋭い視線で外相を見つめた。
これまでなら、とうに首相と外相は斬られているだろう。帝国陸海軍の不利を承知で外交を優先するというのだ。叛乱が起きてもおかしくない。それほどのことを、重光は要請していたのだ。
しかし、今、参謀次長も軍務局長も冷静に話を聞いている。政府と陸軍との間で会話が成立しているのだ。
それだけでも、東條内閣はたいしたものなのだな。
重光は思う。が、顔色は変えずに続ける。
「駐在武官に何をどう見せるかまで、政府は関与しません」
「そうですか。なるほど」
「外務省としては、陸軍が強健であればあるほど外交がやり易いのです」
「では、ある程度は披露せよと」
「そこまでは言いません。陸軍省に一任は変わりない」
「首相もそれでよろしいですか」
「うむ。わしも陸軍軍人だから考えるところはある」
「「・・・」」
「しかし、ここは陸軍大臣と陸軍省に一任する」
「そういうことでしたら、了解します」
「「そうか!」」
「はい。防衛総軍特別演習には、米英ソを含む各国駐在武官を招待します」
「「うん、うん」」
防衛総軍特別演習の詳細は、まだ計画中である。特別陣地攻防演習の規模とされていたから、統監は教育総監となるだろう。場所は北海道。参加兵団は、防衛総軍総司令部の一部と北部防衛司令部の隷下部隊だ。
北海道に侵攻する敵軍を、北部防衛軍が迎撃するという想定だ。防衛総軍の特色から、演習は空戦が中心になると思われた。そして、各国駐在武官が観戦するという要目が、ここに今、加わった。
しばらくの静寂の後に、それまで沈黙していた栗林少将が口を開いた。
「暑いですね、ちょっと」
「ああ、少し手を加えてな。暖房と電源を地下に新設した」
「そうなのですか」
「調整がうまくいってないようだな、失敬するよ」
そう言って、東條首相は軍服のボタンを外す。
「そういうことでしたら」
「では、すみませんが」
外相と軍務局長も上着を脱ぎ始めると、参謀次長も続く。
「なるほど。これか」
「どうしました、参謀次長」
「いやあ、独り言です。失礼」
四人は、上着を脱いでシャツ姿になった。
テーブルの上の茶碗は片付けられ、汗をかいたビール瓶とコップが置かれる。
「「「ごくり」」」