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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
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6 弾丸列車


満洲帝国。南満州鉄道京濱線、哈爾濱駅。午前。


ファーンという独特の汽笛を響かせると、満鉄の特別急行あじあ号は定刻どおりに哈爾濱駅を出発した。音はエアフォンで、従来のアラームベルの鐘の音に代わるものだ。時速150kmも可能なパシナ牽引のあじあ号は、空気抵抗を減らすためにベルも交換してある。今日の機関車はヘルメット型と呼ばれる新型パシナだった。


「快適だね、岡君」

「ええ、ずいぶん改良されました」

「そうなのかね」

「前は揺れがひどかったんですよ」

「そうかね、感じないが」

「機関車も流線型ではなかったんです」


それまでパシシやパシロが牽引していた京濱線のあじあ号にもパシナ型を投入できるようになった。同時に、3等客車を1両減らして新設計の1等客車に替えた。その真新しい1等個室にいるのは、ウィーン大学哲学部民族学科の教授だったシュミットと教え子の岡正男博士である。



満鉄が誇るパシナ型蒸気機関車は動輪直径が2mで、馬力もあり速度も出せるが重い。新京と哈爾濱間は元の北満鉄路であり、売却までソ連は保守整備を怠っていた。線路も鉄橋も軟弱のままでは、重い列車の高速運転は無理だった。改軌後も2度にわたって補強改良工事を行い、ようやく新型の機関車や寝台車を運行できるようになったのである。


「ピウスツキ氏の遺児に会えるとか」

「はい。他にもバチェラー氏」

「アイヌ人の民族認定か」

「それだけではありません」

「これほどの待遇だ。文句は言わんよ」

「先生には言語学の立場で」

「ほう。学問らしくか」



民族研究所総務部長の岡は、一昨年までウィーン大学日本学研究所の所長だった。2年ぶりの再会に、満州里まで出迎えた。シュミット教授は、専攻の言語学では実証的な研究と理論に定評がある。しかし、民族学では理論の構築にちょっと乱暴なところがあった。アンシュルスに批判的で、スイスに亡命した。今はフリブール大学の教授である。


「学会というには怪しい者もいるが」

「民研設立と調査行では陸軍に世話になりまして」

「まるでどこかのドイツみたいだな」

「げふん」

「ソ連には攻め込まんでくれよ」

「えっ」

「帰る前にハルビンに滞在したいのだよ」

「あ、それですか」



怪しい者とは地政学者のハウスホーファーのことだろう。かつて武官として日本に駐在していたハウスホーファー少将はれっきとした大学教授だが、トゥーレ協会のメンバーでもある。今回の国際学会は人類学が主題だが、民族学や言語学はもちろん、宗教史や神話地理と幅広い。


「ポーランド、チェコ、エストニア・・」

「東欧からの移民は多いですね」

「いまどき、彼らには会えんからな」

「はあ」

「生きているユダヤ人の学者たちだ」

「えっ」



昨年まで12時間半かかった哈爾濱から大連までは、パシナ型機関車と鉄路改良で10時間半まで縮まった。哈爾濱発は午前10時であるから大連には午後8時半に着く。神戸行きの日満連絡船は一日一便で、毎日正午発だから旅客は大連に一泊することになる。


「大連から神戸までは4日か」

「はい、明日の朝は散歩でも」

「早くならんか?」

「ゆっくりとしてほしいのです、先生」

「ふむ」

「大連には教会や修道院もあります」

「そうだな」



今回の国際学会の幹事を務めている岡は、シュミット教授の招聘には反対だった。1868年生まれだから74歳になる。スイスから北海道へは片道で一月の旅程であり、それも体にきつい鉄路が主だ。しかし、文部省の上の方にはこだわりがあったらしい。そして、本人も乗り気だった。米国の学者たちと会えるからだ。


「ああ、少将閣下だが」

「は、はい」

「地政学者だから空を飛ばすのはまずいぞ」

「地下司令部も軍事施設も一目で見抜かれる」

「なるほど」

「元駐在武官だから、無理を通そうとするだろう」

「先生、その少将閣下ですが」

「え」

「奥さんがユダヤ系と聞きました」

「「・・・」」








帝都東京。夜。


吉野新太郎は新橋の料亭で、陸軍省兵務局長の田中少将から酌を受けていた。横で笑っているのは石井軍医少将だ。ほかにも、陸軍省の軍事課長に戦備課長、鉄道連隊の参謀がいた。今宵は吉野の快気祝いである。


「これは恐縮です、田中閣下」

「いやあ、顔色がいい」

「石井閣下のおかげです」

「なに、初期だったからね」

「まあ、ぐぐっと」

「あと2年も放っておいたら命取りだ」

「ぶっ」

「大丈夫だ、飲みなさい」

「は、はい」



吉野は46歳、愛知の中学を中退して南満州工業高校と旅順工科大学で機械科を修めた。満鉄の技師として機関車の設計に携わり、パシナを半年で設計したのは37歳のときであった。満鉄の機関車は吉野の設計によるものがほとんどで、今は鉄道部工作課長である。


先月、吉野は千葉の鉄道連隊司令部に呼ばれた。関東軍に納めた無給水で厳寒地を走れる特殊機関車、ミカク型復水蒸気機関車の改良の件だった。しかし、吉野は会議の途中で不調を覚え、そのまま陸軍病院に担ぎ込まれた。そして、2週間も入院していたのだ。



「電気機関車も設計されましたね」

「ジテ型は、ディーゼルエレクトリック方式でして」

「集電装置を積めば電気機関車でしょう」

「はい、まあ」

「広軌幹線をご存知ですね」

「鉄道省が建設中の弾丸列車」

「あんなもん、利権の賜物だ」

「えっ」

「各界の妥協の産物で玉虫色」

「はあ」

「開業時は狭軌、電化もわからん」

「しかし、それは」



東海道本線や山陽本線では輸送量が限界で、近い将来に貨客を捌ききれなくなる。それは、4年前の昭和13年の鉄道省幹線調査分科会の結論だった。早いところは昭和18年、遅い区間でも昭和25年までにはパンクするという。そこで広軌幹線の工事は一昨年から始まったが、全線開通予定は昭和29年だ。


もともと広軌に比べると、狭軌は輸送量で劣る。全国の狭軌を広軌化しようとしたのは鉄道院初代総裁の後藤新平で、最初の閣議決定は明治43年である。それを議会で3度も廃案に追い込んだのは政友会だった。そして、昭和の広軌幹線も軍部の反対にあって難航している。



「ま、どうぞ」

「はあ、どうも」

「互換性のない狭軌と広軌が混在しては使いづらい」

「ぶっ」

「電化して変電所がやられたらお陀仏だ」

「げふんげふん」

「そう言って反対したのは軍です」

「はい、いえ」

「今回は途中で口を出しません」

「開始する前に言っておきます」

「ああ」


「立体交差ではなく、全線高架」

「全線電化。動力集中か分散かはお任せします」

「交流か直流かもですね」

「人体は交流には耐えられる」

「電力は独自に用意されると」

「主体は水力発電、補助に火力」

「複線で運転速度は時速150km以上」

「200kmはいくだろう」

「あのう、ひょっとして」

「なにか」

「広軌幹線とは別の軍用幹線ですか」

「さよう」



田中の合図で、鉄道連隊の参謀が地図を出す。日本全図に書き込まれた赤線は始点が東京府の立川、終点が山口県の岩国で、ほぼ最短距離をとっていた。駅と思しき大きな赤丸は、長野県の飯田、岐阜県の関、京都府の亀岡、岡山県の津山、広島県の三好だけだった。途中に小さな赤丸がいくつかあるが、緊急時の停車場ないし操車場であろう。



「名古屋も京都も大阪も止まらない」

「幹線だからね。支線で結べばいい」

「山岳のど真ん中を通すのですか」

「軍用貨物が中心だ」

「貨物の積替えがありますが」

「コンテナというものがある」

「米国で見ました」

「専用の運搬車両や起重機も?」

「わかります」


「武器弾薬を運ぶ。まさに弾丸列車だ!」

「「うんうん」」

「なにしろ危険物だ。揺れも振動も最小にな」

「病院列車として手術室もほしいし」

「まさか」

「いや本気だ、本土決戦だ」

「えええ」

「広軌だからそのまま満州でも使える」

「はあ」



どうも、陸軍の弾丸列車は本土防衛のためらしい。上海での大和の艦砲射撃は吉野も聞いていた。戦艦の主砲の射程は40kmを超えるという。となれば、東海道本線は使えないし、本州沿岸の平地もだめだ。



「空母艦載機がありますが」

「敵空母が来れば、日本全土が空襲圏内だ」

「ではトンネルですか」

「そうなるかな」

「用地買収はどうされます」

「地下に持ち主はいない」

「換気だけではありません、空気抜きが要ります」


「滞留すると抵抗が増大します。騒音も」

「その地図の緑色が陸海軍と国の用地だ」

「え、こんなに」

「全部とはいかんが、十分だろう」

「長は十河さんを考えている」

「島親子は入れない」

「満鉄にはいい人材がいます」

「かまわんよ、丁重に誘うか」

「兵役にして鉄道連隊に入れる」



吉野と満鉄鉄道部工作課は、ほとんどの車両の設計と試製を1年で行なっていた。その短期開発力が買われたらしい。それはありがたいが、工作課長の立場もあるし、今の生活基盤は大連にあった。


「満鉄を辞めて来いと言われるのですね」

「早い話がそうだ」

「いずれ、満鉄自体の存続は危うい」

「米国資本が満州に乗り込んでくる」

「ああ、聞いています」

「事業面の主体はGN鉄道、ご存知ですな」

「であれば、満鉄のほどんどが」

「換骨奪胎されると」

「上司やご家族と相談されるといい」

「・・・」







帝都東京、陸軍省。午前。


山下陸相は大臣執務室で、中村次官、栗林軍務局長の報告を聞いていた。


「そうか、二式兵備は揃ったか」

「はいっ。量産は順調です」

「よくやった。座ってくれ」

「「はっ」」


山下は執務机を立ってソファに移る。副官にお茶を頼み、煙草に火を点けた。今年、皇紀2602年制式兵備のほとんどは南方連隊と島嶼連隊向けで、一部が防衛総軍向けであった。開発試作だけではない、量産態勢の目途が立ってはじめて制式化と呼称する。航空本部、兵器本部、機甲本部の各技術部は、本省の兵器局や整備局から厳しく指導されていた。



「三八の曳光弾は大きいな」

「はい。これで軽機も昼夜分かちなく」

「減装弾も廃止しましたので、補給も一本」

「二式小銃と二式実包だな」

「弾頭と薬莢の形状研究は続けます」

「よし」



陸軍の主兵は歩兵であり、歩兵用小銃が兵備の最優先である。上陸時や密林内での戦闘を考慮して三八式騎銃を採用した南方連隊と島嶼連隊だが、軽機関銃が問題だった。分隊単位で配備される軽機は、歩兵銃と同じ実包を使うのだが、これまで曳光弾がなかった。夜間の運用において大きな障害であった。


しかし、ようやく開発できた。夜討ち朝駆けを本意とする陸軍歩兵にあっては、これは大いなる力となる。さらに馬の骨を砕くことを念頭に形成された実包の形状も、今日の戦闘の実際や軽機関銃の作動機構に合わせて改良が研究されている。三八式は明治38年式なのだ、そろそろ呼称を変えてもいいだろう。



「徹甲弾も実用化されました」

「重金属か、輸入できればわけはない」

「これで二式中戦車も」

「早々と制式化してどうなるかと思ったが」

「上々です、成績は」

「それでなくては困る。なにせ高い」


「まだ装甲が」

「贅沢を言うな、軍艦の装甲板だぞ」

「海軍が普通鋼板のフネを混ぜて来まして」

「当たりもあるではないか」

「それは、まあ」

「もともと、二式は緊急避難だ」

「「四式こそ主力です」」



来年度、皇紀2603年の制式兵備は北方連隊向けだった。三式兵器は満州での対ソ連戦用になる。今ある7.7ミリの九九式小銃を軸として、軽機、重機、自走砲、自動貨車、通信機が中心だった。航空機と戦車は四式へ先送りだ。その前に、帝国工業の標準化と平準化を完了させる。



「三式の眼目は発動機だ」

「いよいよ二千馬力です」

「どこまでいけるか」

「進出してくる米国との競争です」

「梅津さんには悪いが、あと1年だ」

「部品の検査通過率が7割に近づきました」

「ぴんとこないが、すごいことなのだな」


「真空管などの電装部品も含んでいます」

「これまでは平均を引き下げていました」

「電装に限っては2倍の向上です」

「工手や技手ではなく工員の作業です」

「これで組立完成品の通過率が8割超えれば」

「戦略的分業と下請再配置が可能になります」

「うん、うん」







アメリカ合衆国、ワシントン府。午後。


共和党下院議員のジャネット・ランキン女史のオフィスに、とふ子はいた。


「あの子、いってしまったわ」

「ローラは強い子です。それに婚約者もいます」

「あなたは日本人だったわね」

「はい、日満の知人友人に手紙を出しました」

「よかったわ、ありがとう」

「わたしは行きません」

「どうしたの?」

「ここにいたいのです」

「あなたにも自分の人生があるのよ」

「知りたいことがいっぱいあります」

「困った子ね、ほんとに」

「ごめんなさい。一緒にいさせて下さい」

「ううん、いい子よ」






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