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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
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4 変心


米合衆国、ワシントン府、米国国務省。午後。


会談の冒頭、ハル国務長官は吉田大使に謝罪した。


先月のデトロイト暴動において、黒人を煽ったのは日本政府ではないかと、FBIが報告した。それを聞いて、吉田は猛然と抗議していた。帝国は善良な国民しか渡航させない、外国で政治活動を行なうような不逞の輩は帝国政府自ら始末すると。


着任早々に引田安一ら十数人の在米邦人を本国へ送還したことを、ハルは知っていた。安易に責任転嫁することは、FBIの任務放棄ではないか。延安事件を聞いているだろう。獄中のナカネを死なせては、米国官憲の威信に関わるのではないのか。そう言って、ハルは司法長官を問い詰めた。


「いや、誤解が解ければよろしいのです。長官閣下」

「大使閣下。容れていただいて感謝します」

「どこかで行き違いがあったのでしょう」

「合衆国刑務所への侵入はご遠慮くださいね」

「まさか。そんな腕も度胸もありませんよ」

「「あっはっは」」



会談は本題に入る。


ハル4原則の領土主権の尊重、機会均等、内政不干渉、太平洋の現状不変更を日本が承諾してからすでに久しいが、日米通商条約の締結はまだできていない。何か障害があるのか。蘭印進駐の留保ではないかというのが日本政府の推測だったが、それも英国の蘭印進駐でなくなった。


「他に懸案がありますか、国務長官閣下」

「米日間の貿易は急速に拡大しています」

「しかし、条約締結がないと民間は不安です」

「よくわかります。大統領の指示がありました」

「良いニュースでしょうか」

「米日条約を早急に締結するようにです」

「おお、それは。素晴らしい」


「そこで、詰めておきたいことがあります」

「どうぞ」

「満洲国における機会均等です」

「日本は可能な限り友邦に助言、説得します」

「米国は中国におけるそれと同等がほしい」

「それはなんとも」

「日本は保証できますか」

「結果責任ですか」

「むろんです」



吉田は熟考する。支那からの撤収はできても、満州からの撤収は不可能だ。一時期は規模縮小や段階的撤収も議論されたが、南満洲油田が発見されて状況が変わった。特に海軍は頑なだった。はじめて自前の油田を持つことが出来たのだ。米国からの技術や設備で、開発は急速に進んでいるらしい。


しかし、ら号作戦の目的達成によって海軍は軟化する筈だ。なにしろタラカンの石油は、そのまま航空燃料に使えるほど優良らしい。問題は陸軍、いや帝国の安全保障だった。満洲は対ソ最前線であり、いざという時の縦深でもある。満洲をソ連と同盟している米国に渡せば亡国である。



「米国企業の満洲進出は、帝国にとっても喜ばしい」

「それでは」

「だが、お国はソ連と軍事同盟の関係にある」

「対ソ支援を止めよといわれるか」

「とんでもない。内政不干渉は原則です」

「ほっ」

「帝国はお国との同盟を模索しています」

「前にも言いましたが、人種無差別は困難だ」

「満洲の機会均等と人種無差別に関して新提案ができます」

「おお。やはり、吉田大使閣下は最良の交渉相手です」



吉田には予感があった。朝鮮を分離しようとする首相が何も考えていない筈がない。今年になって、関東軍と陸軍省の会議、梅津総司令官と東條首相の会談は何回も開かれ、進展しているという。これまでの外相の訓令電にも、満洲市場への米国参入を制限するものはなかった。


吉田は頭の中でこれから言うことを反芻する。同時に、米国が軟化した理由も考える。英国のチャーチル首相だ。一向に参戦できない米国に業を煮やして、自ら乗り込んできたのは先月だった。太平洋艦隊が比島へ行かずに、真っ直ぐパナマへ向かったのはその影響だろう。



重光外相の踏み絵の計はあたったらしい。英国は日本と交渉しようと踏み絵に応じた。応じたどころではない、蘭印は踏み潰されてしまった。それはつまり、チャーチルのルーズベルトに対する怒りだ。日本を懐柔せざるを得ないまでに追い詰められた大英帝国の憤怒が米国を軟化させたのだ。


といっても、英国のそれは演技が過半である。日本にとっては瓢箪から駒だが、英国にとっても嘘から出た真というのが実際だろう。ルーズベルト大統領はまんまとその演技に騙されたようだ。しかし、冷静を保っている閣僚もいる。目の前のハル国務長官もその一人だ。



「帝国は満州国の独立を保障する立場にあります」

「むろん、承知です。米国も満洲の独立を保障できる」

「「・・・」」

「長官、ちょっと」

「え、ああ、そうですね」


吉田は上着のポケットから葉巻を出してみせる。ハルは頷くと、隣の部屋へとうながす。この先は微妙な話で、筆記録を残すのはまずい。



「どれくらいの規模を考えておられるか」

「最小で1個旅団、およそ1万名」

「多いですね。満洲の治安は安定していますが」

「上海も直前までは何の不安もなかったのです」

「共産党の浸透は大きく、共産軍も強大だった」

「満洲国はソ連に囲まれている」

「共産主義が脅威だと。もしやソ連を」

「失言でした。撤回します」

「げふん」

「中共の残党が逃げ込んだかもしれない」

「それはあり得ますが」


吉田は思う。米国は上海事変によほど懲りたらしい。デトロイト暴動の背後にも共産主義者がいた可能性が高い。少なくとも国務長官は主義者が脅威だと感じているようだ。これと大統領の指示の2つは、格別の収穫だな。



ハルはこれまでの成果を述べて、懸案を挙げた。日米交渉は佳境に入る。そして、大統領は英国首相の術中にはまって変心しつつある。結論は明らかだ。米国は日本と妥協したい。少なくとも、欧州大戦が終わるまでは。いよいよ大日本帝国の値段を決めてもらう時だ。


「長官、2つの新提案についてご説明したい」

「聞かせてください、大使」








米合衆国、ペンシルベニア州、ハリスバーグ市。夕方。


サスケハナ川に面したボートハウスの一室で、山藤重一は山崎従次と会っていた。


「チャーチル滞在中にデトロイトで暴動はまずかったね」

「そう、狙ったようなタイミングだったね」

「誰が、何を狙ったのだろうか」

「さあ」

「うふふ」

「うふふふふ」

「「あっはっは」」

「「かんぱ~い」」



デトロイト市で起きた暴動の発端は、白人と黒人の口論だった。新聞計画の一千万動員で白人と黒人の比率を言い争っていたらしい。口論はすぐに不公平と不平等についての互いのものさしの違いに及ぶ。さらにグループ同士の論争へと騒ぎが大きくなったのは、市の住宅政策が絡んでいたからだ。


デトロイトは自動車産業の街であり、大規模な工場がいくつもあった。米国が対英・対ソへの支援を開始してから1年間で、人口はおよそ35万人増えた。そのうち5万人が黒人で、ほとんどが貧しい南からの流入だった。隆盛する軍需で高給が約束されると信じたからである。しかし、黒人に対しての賃金は安く、住宅は貧弱で高価だった。



既住のデトロイト市民は仕事や家、土地、そして教会までも奪われるのではないかと、新参の黒人を見て恐怖した。それまで工場の中では白人と黒人が別々の区画で働いていた。住み分けである。しかし、その週からは、同じラインの隣り合わせで従事するように変えられた。明らかに黒人たちは領域を侵して来た。


市住宅部では白人用と黒人用の2つのプロジェクトを認可していた。黒人用の住宅は黒人が優勢な地区に計画された。ところが、連邦政府の住宅局が介入して、黒人用住宅が白人地区の中に建設されることになった。既存の白人住民は猛反対したが、建設は進められた。その日は、最初の入居の日にあたっていた。



「すでに黒人への賃貸反対運動は2月からあった」

「ピケの解除には州兵も動員された」

「なぜ連邦政府住宅局は市の住宅部を無視したのだろう」

「労働者への住宅供給は大統領の公約だからね」

「すると、住宅局の職員や」

「軍需生産の計画担当者が」

「怪しいねぇ」

「もう、真っ黒だよ」

「民生の方が影響力は大きいんだ」


「ニューヨークでも起きた」

「ハーレムか」

「黒人兵が絡んでいるから深刻だよ」

「戦争どころじゃないな」

「いや、それが戦争こそ解決策だと」

「ルーズベルト大統領が?」

「むしろ、チャーチルだろう」

「いざ参戦となると何か起きるね」

「ああ、昨年のスクープもそうだ」



英国首相と米国大統領の首脳会談の主題は、もちろん欧州大戦への米国参戦だった。その前に解決すべきは太平洋とアジアだ。二人とも日本が重要なキーであることは一致していたが、解決案は真逆だった。


チャーチルは、条約によって日本の行動を縛ることが可能であると説いた。日露戦争当時から政治家として見てきて、条約を遵守し契約に律儀なことを知っていた。ルーズベルトは、日本の戦争能力を奪って無力化することに固執した。



6歳年上のチャーチルは、日英同盟という成功した先例をあげて説得した。最初は、米日の間にまで入ろうとは考えていなかった。しかし、英国海軍の劣勢を鑑みると、もう待てない。駐日大使の助言を容れたのはそれだ。日本へ靡く英国を、米国は座視できない。そこをチャーチルはついた。


蘭印問題を納得させ、太平洋艦隊の戦艦は一隻残らず大西洋に回航させた。ところが、今度は米国国内で事件が起きる。人種暴動は珍しくないが、軍需産業の中心地デトロイトと、金融の中心地ニューヨークで起きたとなると、別格だ。チャーチルは帰国を延ばした。そこへ、上海事件のニュースが入る。



「あれかな、好事魔多し」

「いや、策士策に溺れる」

「英国は米国との線引きもやった」

「中国、比島、太平洋は米国の領域」

「仏印、蘭印、マレー、支那海は英国」

「その上で、蘭印と日本の仲介を英国がする」

「問題ないね」

「なら、上海事件は米国が解決しないと」


「しかし、国内の暴動で決断が遅れる」

「現地では比島からの来着を待てない」

「上海へは、比島より日本が近い」

「マニラから上海は、1840km」

「大村から上海なら840km」

「渡洋爆撃の実績もある」

「南京ぐらいは一またぎ」

「「あっはっは」」



上海への派兵を日本に依頼しようとした矢先に、日本の仏印進駐の意図が明らかになった。仏印は英国の領域だ。このところ、タイと国境紛争が頻発していた。昨年12月に日本が撤収したあと、また不安定になっていたのだ。


上海事件への助勢を頼むには仏印への日本軍上陸を認めるしかない。ヴィシー政府を不承認とした英国政府には不愉快なことだが、決断するしかなかった。仏印ドクー総督の中立宣言は渡りに舟だ。チャーチルは嬉々として、駐日英国大使へ訓令電を打った。



「結局、チャーチルが日本を引きずり込んだ」

「五十歩百歩。ソ連だって日本だって」

「英国の影響力は中国に残る」

「香港を米国に譲ったとしても変わらない」

「米国は、植民地反対の立場だ」

「天下三分の計だね」

「大和と武蔵があんなに近いところにいたとは」

「よくD機関長が知っていたね」

「前の晩も豊田海相は水交社で飲んでいた」

「八重か」


「それにしても、大統領は日本を敵視するよね」

「ソ連への入れ込みも相当なものだし」

「一時は日独にも一定の評価があった」

「共産主義の防波堤としてね」

「そこだね。米国のソ連評価が変わった」

「英国が同盟したからだろうか」

「いや、米国政府内と大統領自身」

「中国へ進出するには、帝国は脅威だろう」



ルーズベルト大統領の中国観は母親サラの影響らしい。サラの実家のデラノ家は中国貿易で財をなしたから、大統領が親中であるのはおかしくない。問題はソ連観だ。民主党も共和党も反共である。合衆国の価値観と共産主義は一致しないからだ。ルーズベルトの容共や親ソは異常である。



「デラノ家の貿易業の主力商品はアヘンだ」

「阿片利権を潰したのは甘粕さんだ」

「陸軍阿片に米英は絡んでなかった筈」

「いや、海軍の方だ」

「それで日本憎しとなったと」

「米国が尖鋭化したのは5年前だ」

「大統領自身は外交に疎い」

「民主党員にしてはね」


「ローマ法王も反共では日本支持」

「カトリックは民主党支持層に多い」

「大統領は浮いている」

「閣内か政府の誰かだろう」

「民生だね」

「やはりコミンテルンか」

「だいぶ浸透している」

「わかっているのかな」

「共和党は気づいたらしい」



重一はR号作戦を担当している。共和党との接触も重一の担当だった。


「英国情報部が動いている」

「へえ、気をつけなきゃ」

「今のところ、米国での対決はない」

「むしろ援けてやろうか」

「対独勝利後のこともあるしね」

「それそれ」

「じゃあ」

「「かんぱ~いい」」







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