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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
46/59

3 戦訓


帝都東京、首相官邸。朝。


閣僚懇談会で、首相は外相に声をかける。


「重光さん、松井閣下を交代させたい」

「もともと日中和平までの話でした」

「うん、限界が来る前がいいと思ってね」

「それがいいです。激務が続きました」

「豊田さん、後任は海軍から頼みます」

「え、そうか。そうなのか。よしよし」


豊田海相は上機嫌で承知する。このところ、豊田だけでなく全海軍がご機嫌である。



先月の3作戦は情報局から発表されている。上海事変や米国内の暴動も報道された。だから新型戦艦のことも国民は知っている。ついに、大和と武蔵の巨砲で太平洋から米国艦隊を追っ払った。結果だけを見て、そう信じている国民は多い。事実はまったく違うのだが。しかし、総選挙対策としては一番効いたらしい。議会は、東條首相の望む勢力分布になった。


そして、海軍の株が大きく上がった。軍艦という目に見える強さは特別である。大和と武蔵がその主砲で撃滅したのが中共軍というのも、国民の胸にすっと入った。やはり、支那撤兵や対米妥協にはわだかまりがあったのだろう。和平交渉には譲歩が欠かせないと理解できても、頭のどこかには屈服という文字が残る。それを、戦艦の主砲が吹き飛ばしてくれたのだ。



「賀屋蔵相、どうなりました」

「山下陸相、収支のことですね」


陸相は蔵相に聞く。3作戦に動員した兵員は陸軍の方が圧倒的に多かった。さらに、相当数の新兵器や秘匿兵器を使い捨てている。上海事変には海軍で対応できたからよかったものの、この先を考えると、至急に整備すべき兵器は多岐にわたり、常備しておく弾薬も大量となる。


「大丈夫です。試算表は黒字ですよ」

「よかった。では」

「消耗兵器は補充してください。更新でもいい」

「午後にも経理局長をやりますので」

「どうぞどうぞ」

「安心しました」

「礼は松井閣下へどうぞ。上乗せが凄い」

「そうなのですか、賀屋さん」

「重光さん、条件もいい。即金が増えてます」

「ひょっとして早まったかな」

「「げふんげふん」」







帝都東京、教育総監部。午後。


大会議室では、幹部らが集まって戦訓を評議していた。3月の防衛総軍特別演習の戦訓をまとめている最中の4月に、え号、ら号、ふ号の3作戦が発起した。教育総監部が作戦に携わるわけではないが、無関心ではいられない。作戦完了後に戦訓をまとめて教育や訓練に反映するのは、教育総監部第一の仕事である。



教育総監部の各兵監と参謀に加えて、陸大や陸士の校長も出席していた。会議は安達本部長が進める。結論を急がず議論を尽くす。論争が起きると土肥原総監が口を出したが、鎮めようとはせず、むしろ煽る。視点を変えた反論を募った。どうやら土肥原は予習を完璧に行なってきたらしい。


朝からはじまった議論は課題をどれにするかで紛糾し、昼前にようやく優先課題2つが選択された。紛糾した事由は、要素の切り分け方であった。まったく違う分野の課題と思えた戦訓が、実は同じ要素の集まりであり、現れ方が違っただけとされた。20余りの戦訓は4つに絞られた。さらに、教育総監部の所掌範囲が考慮される。



「やっと昼飯か」

「いやいや、こんなに頭を使ったのは久しぶりだ」

「そうだな、陸大以来か」

「なんだか頭がふらふらする。低血糖か」

「俺もだ。頭に血が巡らんというやつだな」

「なんだと。では、まずはリポDだ」

「「ごくごく」」



食堂から帰って来た幹部たちの席には、ガリ版の冊子が置いてあった。午前中の議論の中から、2つの課題に関するものだけを拾い出したらしい。筆記をやっていた副官らが昼飯抜きで作り上げたものだろう。


咥え煙草で冊子をめくる幹部らの表情はさまざまだ。やれやれとほっとした顔は、議論に夢中でメモも取れなかった者たちか。反対に、うんざりしつつ語句を確かめている者も何人かいる。彼らにはわかっていた、午後の議論ではこれと同じことは言えない。



「総監、はじめます」

「やってくれ、安達本部長」

「最優先戦訓は、命令伝達系統と情報伝達系統の分離」

「通信の問題だそうだ、通信兵監」

「いや、命令伝達だぞ。陸士校長」

「げふん」



軍の命令系統とはすなわち指揮系統であり、上級司令部から下級司令部へ編成どおりとなっている。そして、通信系統もそれに沿って整備・設定される。当然ながら、敵の情報や戦場の地勢天候も、この通信系で伝達される。防特演の後半ではあちこちで輻輳が起きた。それで顕在化したのは、情報伝達が命令伝達を阻害するという問題であった。


進撃路や兵力配置の指示、変更など戦術命令を届けるべき通信系が、過負荷で機能不全に陥ったのだ。それは、敵発見や距離・方位などの情報発信に回線を占拠されてしまったからだ。優先順位や報告部隊は指定してあったが、緊急情報は特例とされていた。



「最も顕著だったのは、状況ボ09の直後です」

「「そりゃ、あんな想定したら」」

「げふんげふん」

「えー、赤軍艦載機による空襲は十数か所に同時でした」

「敵機を発見したら報告するのは当然」

「小隊指揮班や中隊本部までも」



状況ボ09によって同時多発に緊急事態が発生した。前線各所はこの情報を伝えようと一斉に通信へ殺到し、その結果、回線が過負荷となってしまった。有線は不通と待ちが不連続に起こり、情報の時系列である因果関係が崩壊した。原因情報より先に結果情報が到着して、混乱に拍車をかけたのだ。


完全不通の方がましだったかもしれない。復旧するにあたっては、一旦は回線を全不通にするしかない。しかし、そのためには発信停止の命令を伝えなければならない。有線は混乱で使えないので、無線となる。同じ周波数帯域なら大出力の方が勝る。しかし、それでは受信できたのかどうかの確認ができない。



「無線を下り専用、有線を上り専用と使い分けた部隊があった」

「有効な工夫と思う。復唱と確認もか」

「いや、そこまではさすがに」

「命令はともかく、情報に復唱と確認が要るのか?」

「あったがいいだろうが、報告様式を整備するのが先決だ」

「うむ。命令は、誤解の余地がないように洗練されてある」

「そうだ。形容詞や修飾語は禁じてある」

「しかるに、情報に関しては、明確、簡素、だけだ」


「そもそも、歩兵や工兵が敵機を見極め出来るのか」

「そこだ。通常の歩兵部隊が発信すべき事項ではない」

「爆撃を食らったぐらいは、大隊本部から見える」

「損害報告だけでいい」

「よし、そこまで」

((ほっ))

「本部長、まとめてくれ」

「はっ。情報伝達系統の使用には権限と許可を要します」

「いいだろう」

((たった1行か))



安達は次の論題を示す。分離の方法論だ。


「物理的な分離が最上です」

「そうだが、どの単位までだ」

「無線機や電話機を複数にするなら通信兵も複数要る」

「小隊では無理だ。中隊でも負担になる」

「もともと小隊には持たせておらん。流動的な戦場では」

「肝心の戦闘がおろそかになる。伝令と信号でいい」


「小隊指揮班と中隊本部には通信兵車が配備される筈だが」

「総監、一式兵車改通信型は新式の南方連隊だけです」

「捜索大隊は強行偵察だから、情報発信は本来任務だ」

「通常の歩兵大隊は戦闘が任務だから不要だろう」

「機動歩兵中隊は戦車中隊の目でもある」

「戦車は視界が狭いからな」



「う~む」

「どうしました、総監」

「待て。え~と」

「「・・・」」

「ここまでを、本部長」

「はい。命令系と情報系の両方を有するのは大隊本部までとする」


「任務の内容により、情報系通信機と権限が中隊以下に付与される」

「それだ」

「「ええ」」

「追加。通信兵車の通信機と通信手は車に固有とし」

「必要に応じて、情報発信の権限と共に付与される」

((4行になったぞ))



そこで、土肥原が兵站思想での分離を提議した。『必要なところに必要なものを届ける』、あるいは『届けたいところに届くが、届けたくないところには届かない』、そういう通信系統ができないものか。自律的な機能が組み込めれば最上だ。


「総監、今までの議論と重複していませんか」

「そうか?」

「命令系は中隊まで、可能であれば小隊まで」

「そのとおりだ」

「兵站思想で分離するのは情報系ですが」

「そうだ」

「必要なところとは情報系通信機を持った部隊です」

「なるほど」

「届けたくないところには通信機を置かなければよい」

「それも1つの考えだ」

「え」



「例えるならば、ラヂオ放送だな」

「「あ」」

「輜重兵監が言うのは放送だ。一方的な」

「防諜は考えるとして、基本はそれです」

「張り付いていないと聞き逃すぞ」

「あっ、そうか」

「聴きたくない番組や不用なニュースであっても」

「聞くしかないし、暗号の場合は復号をしてみないと」

「電文様式でしょうか」

「そこも踏まえて、自律的と言っておるのだが」

「ああ」

「では、発信元が複数の場合は」

「えっ、複数の放送局ですか。それは」

「上下だ。本部長、まとめてくれ」



「はっ。1つ、情報伝達系統は一方的放送式と相互応答式の2列とする」

「「そうか!」」

「2つ、情報伝達系統の電文には荷札をつけるものとする」

「「ええ、荷札」」

「3つ、荷札には、送信元と送信先、周波数、暗号形式を含む」

「「なるほど」」

「4つ、情報系電文には重要度に応じた防諜対策を要する」

「だいたいはいいが」

「いま少しの工夫が必要ですね」


「そういう余地を残してやるのが気配りというものだ」

「あはは、そうですね」

「では、通信兵監部で構想を練ってくれ」

「はい」

「そういう顔をするな。理学工学の知見が必要なのだよ」

「はっ」

「構想の基本は兵站思想においてくれ」

「了解しました」



もちろん、教育総監部が通信系統の構成や組立を行なうわけではない。大構想とは、目的や機能の羅列、運用時の模式図とか、そういったものだ。つまり要件である。実現、あるいはその可否は、技術研究所を持つ兵器行政本部に回すことになる。








アメリカ合衆国、ワシントン府。午前。


ワシントン市内のホテルで、吉田大使は米国要人らと会談していた。3回目となる今日の参加者は4人だ。


「吉田大使、お元気そうで」

「お久しぶりです、前大統領閣下」

「貴重な図書の寄贈に感謝します」

「お役に立てば岳父も喜びます」


「伯爵はお元気ですかな」

「おお、元気ですとも。前国務長官閣下」

「6つ違いなのですよ」

「とても、そうは見えませんね」

「「あっはっは」」


現職の陸軍長官であるスティムソンを、吉田はわざと前職名で呼んだ。共和党員でありながら民主党政権に入閣した彼への気配りだ。他の3人も共和党の党員だ。といっても、それぞれ政見や主張は同じではない。



前大統領のハーバート・フーヴァーは、吉田が最初に接触した相手だ。世界恐慌時には失業者や公社を救済したのだが、党是に縛られて私企業・民間経済には介入しなかった。自国主義であり英国への軍事援助には消極的だ。ナチスドイツとソ連を嫌悪している。


上院議員1期目のロバート・タフトは第27代大統領の息子であり、フーヴァーが商務長官の時の部下であった。共和党保守派であり、ニューディール政策に反対、外交では不干渉主義だ。対英支援にも反対の立場である。


パリ講和会議時の米代表団法律顧問だったジョン・ダレスは辣腕の弁護士である。国際法の専門家として政府の要職も務めていて、現大統領夫人の盟友だった。反共主義者である。


今日はじめて会合に加わったヘンリー・スティムソンは、フーヴァー前大統領の下で国務長官を4年、その前は比島総督や陸軍長官を務めている。全体主義に反対の立場から、対英支援、対独参戦に積極的だ。吉田を含めた出席者の中で最年長者である。



リンカーンの党、共和党は南北戦争の北軍として勝利して以来、合衆国を主導してきた。伝統的な政策は、奴隷解放、高関税維持の保護貿易による企業優遇であるが、外交政策は孤立主義であった。1932年の大統領選挙では、フランクリン・ルーズベルト候補に敗北し、民主党と地位が逆転した。


その後、共和党は保守派と革新派に分裂した。争点は、内政におけるニューディール政策の許容、外交における孤立主義の是非だった。世界恐慌と欧州大戦の影響だ。一方で、民主党も党内の対立が目立ってきていた。ルーズベルト現大統領の政策は、民主党内でも急進的、革新的すぎるらしい。



「日本には、コミンテルンに対するLLがあるとお聞きした」

「LL?ああ、戦訓ですね。いかにも、あります」

「お聞かせ願えますか」

「もちろんです。すべてお話しましょう」

「ありがたい」

「なにしろ、帝国は国を乗っ取られるところだったのです」

「それは・・」






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