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LN東條戦記第3部「売国宰相」  作者: 異不丸
第4章 昭和17年5月
45/59

2 陥落


フランス領モロッコ、カサブランカ。夕方。


ペタン首相は、一昨年6月の敗戦後に首都をフランス中部の町ヴィシーに移し、国家元首に就任した。モロッコ、アルジェリア、チュニジアを含む、フランス植民地のほとんどがヴィシー政府を支持していた。


モロッコは大西洋と地中海の両方に海岸線を持ち、カサブランカは大西洋側にあった。新聞計画では、連合国反攻の緒戦予定地とされていた。


「物騒ですね」

「なに、まだまだ先だろう」

「いくら米国でも1年はかかるさ」

「それに、まだ参戦もしていない」

「米国はフランスの友邦だ」



米国人が経営するその店はカフェアメリカンと名乗っていた。酒場とレストランのほかにカジノもあった。様々な国籍、人種、民族の客たちが来る。


「さすがにイギリス人はいませんね」

「英国はわが政府を承認していない」

「ほかの国々は変わらないのに」

「それどころか、アルジェリアを襲撃してきた」

「まだ降伏して10日でしたわ」


「あのやり口、まさに敵国」

「チャーチルだけは許せん」

「ドゴールはロンドンにいた筈だ」

「なぜ止めなかったのでしょう」

「あれも信用できん」

「「ううー」」



黒人ピアニストが、まずい雰囲気を変えようと曲を弾き始めた。イントロの低音が弾む。ずん、ずん、ずん、ずん。高音のメロディが始まる。ぴんぴぴーん。


「おっ」

「あら」

「今日も来ているのか」

「いいぞ」

「「マドモアゼル!」」


テーブルの1つから東洋人の女性が立ち上がると拍手がおきた。彼女はピアノの側まで歩き、振り向くと歌いはじめる。その声は高く澄んでいた。


「アー、ラモー・・」


「「やんや、やんや」」

「うまいものだ」

「なかなかの美人ですわ」

「このところ毎日だな」

「ああ、バカンスらしい」


「サム、ありがとう」

「こちらこそ、マドモアゼル」


歌いおわった女性はピアニストに礼を言う。そして客に微笑んでみせてから、テーブルに戻る。店は立て込んで来た。まもなく、バンドもはじまるだろう。



「姐御、さすがですね」

「あら、ちゃんとお世辞もできるじゃない」

「えー」

「あっはっは」

「ボス、いつもは歌わないんですよ」

「お嬢さまと呼ばれないとか」

「ほんとのことだもの」

「あっはっは」


「今日は遅いわね」

「今度はアメリカ人ですか」

「いいじゃない」

「移り気なんですから」

「悩める殿方を放っとけないの」

「お嬢様がですか」

「あっはっは」



「あの将軍はどうしたんです」

「逃げられたのよ」

「姐御から?信じられない」

「ケーニグ将軍は族長から逃げたんですよ」

「ユーミ、余計なことを」

「わわ、ばらしたんですね」

「モロッコはベルベル人の本拠ですよ」

「それそれ」


「だって床下手なんだもの」

「きゃっ、大胆」

「あっはっは」

「アルジェにもパリにもいます」

「逃げ切れないです」

「将軍は今、どこにいるんです」

「安心しろ、警察署の中だ」

「「あ、署長」」



空いた椅子に座ったのは植民地警察のレノ署長だった。私服である。


「ワインでよろしいですか、署長」

「いつもありがとう。ユーミちゃん」

「えへへ」

「クロキ、護送されて来た第1歩兵旅団が解放される」

「ほんとか、レノ」

「モロッコ駐留軍に合流することが条件だ」

「元の鞘か」

「太平洋から来た准旅団もいたが」


「准旅団なら外人部隊か」

「ケーニグ司令官が引率して送り届ける」

「そういう段取りか」

「俺もフランスのために働いてるさ」

「よくイタリア軍が承知しましたね」

「ユーミちゃん、俸給分は仕事するのだよ」

「そうか、ランボルギーニおじさまね」

「「あっはっは」」



そのイタリア人事業家のランボルギーニ氏が来店すると、レノ署長は立ち上がり、二人揃って二階へあがっていった。店の経営者であるリックの事務所と居室が二階にあった。


「やばいよ、お姐さん。乗り込んでいったわ」

「まだまだよ、ユーミちゃん」

「ボス、行かなくていいんですか」

「これは署長の仕事だ」

「って、私服ですよ」

「だから、仕事なのよね」

「姐御。今夜は無理ですよ、きっと」

「失意の殿方には惹かれるものよ」

「これだ」

「ぶいぶい」

「あっはっは」







ドイツ、ベルリン。在独満洲国公使館。夜。


参事官室では、星機関の幹部が会合を開いていた。

機関長の星野一郎参事官、公使館嘱託の三好次郎と杉本佐武朗の三人である。


「なんとか間に合いました」

「ああ、ガザラ前面から突破できる形勢だった」

「アリエテ師団がビルアケムに向かったのは」

「ベルベル人の駱駝騎兵に対応するためだった」

「5千人も集まれば脅威だ」

「遊撃戦になると厄介です」

「英国の傭兵と思い込んだのだな」

「あの状況では無理もない」


「奇抜なことを思いつく」

「黒木機関ですね」

「守備していた自由フランス軍も即時降伏」

「そりゃ、トブルクに伊艦隊」

「国境には独空軍の降下猟兵」

「完全に退路を断たれた上に」

「新しい敵の登場」

「大混乱するのは必然ですね」

「司令官も正気ではいられない」



三人は煙草に火を点けると深く吸い込む。三好がシュナップスのグラスを配る。三人とも一気にあおった。


「「ふーっ」」

「ふ号船団が支那海に入った翌日」

「ビルアケムが降伏」

「ドゴールが仏印進駐歓迎を声明して」

「ドクー仏印総督が中立宣言」

「そして日本軍がサイゴン上陸」

「仏印国境に集結したタイ陸軍の撤収」

「その頃、太平洋艦隊はパナマ沖」


「よくも、回ったものだ」

「D機関長の要求は無茶でした」

「向こうは上海やデトロイトもだ」

「「たいしたものです」」

「真に恐れ入ったのは」

「「はい」」

「1つ2つがずれても全体は崩れない」

「「あああ」」



星野が頷くと、三好は3つのグラスになみなみと注いだ。一気にあおる。


「「ぷはーっ、はっ」」

「ドゴールの発言は滅茶苦茶でした」

「かなり混乱していました」

「絶妙のタイミングでもあった」

「あっはっは」

「どうしました、参事官」

「たまたま白素で逝ってただけだ」

「「やはり」」


「誰も気にしちゃおらんよ、ドゴールなんて」

「そうですね」

「チャーチルもルーズベルトもな」

「はい」

「だが、感づいたようだ」

「「ええ、しかし」」

「ドゴールはあれだが、優秀な部下もいる」

「なるほど」



「それで、われらが統領は」

「占星術師がローマに招かれました」

「リビアへ飛ぶようです」

「実地検分か」

「ま、見落とさないでしょう」

「アリエテ師団は、キレナイカ残留」

「それだ。うまくいった」


「ロンメル将軍の怒りは治まったか?」

「まだまだ。あちこちに電報を打ってます」

「無理もない、エジプトへの道はがら空きだ」

「英8軍が全滅したのですから」

「捕虜が5万だが、行方不明も数千人」

「伊軍が掃討中です」

「駱駝騎兵を使ってな」



「伊軍はリビア領内に留まる」

「エジプト進撃を独軍だけで」

「それでも2個師団、3万出せるか」

「アレキサンドリアは無理だろう」

「英海軍が絡むとややこしくなる」

「伊海軍もそこまで持たない」

「戦艦は4隻ともドック入りが必要だ」

「大活躍だったからな」


「夏季攻勢は決まったかな?」

「そろそろ空軍を東部戦線に返さないと」

「ま、ロンメルには因果を含めて」

「1回きりの越境侵出と昇進」

「そんなとこだろう」

「さて、もう一杯いただいて」

「寝ますか」

「むしろ気絶したいよ」

「「あっはっは」」







中華民国、上海市、長江口。在中国日本大使公船。


松井大使の公船は、3週間ぶりに上海市に入港しようとしていた。


第3次上海事変が終息してから10日、ようやく日本政府は上陸に同意した。それは、上海や中国に権益を持つ列強各国間の妥協が成立したということである。日本は中国に権益はないし、上海市にも邦人はいない。しかし、列強各国は事変収拾の国際委員会へ日本の参加を求めた。それは、実質的に事変を終結させたのは大日本帝国だからである。帝国海軍は渡洋爆撃や大口径艦砲射撃にと、まさに大活躍した。



「あの欠勤が怠業の始まりだったな」

「はい。太原ではよくありました」

「副官は第1軍司令部にいたのだったな」

「はい。複数同時欠勤は2つのどちらかです」

「組織的怠業でないとしたら」

「勤務先が攻撃目標なのです」


「実質、え号作戦は一日で終わりましたが」

「蒋介石の懇願で、翌日にも第2次爆撃」

「延安が陥落したのが月曜日です」

「各国領事館での欠勤が目立ったのが火曜日」

「ちょっと早すぎますね」

「延安からの指令ではないというのか」



「え号作戦や延安強襲と関連があったのでしょうか」


松井大使と奥田副官の話を脇で聞いていた水田大尉が口を挟んだ。関東軍機動第2連隊の任務は敵領内での後方撹乱と破壊工作である。


「大尉はそっちの専門だったな。聞こうか」

「はっ。主力が渭水を渡って延安に入るまで6日間」

「うむ、中国第1戦区軍の進軍は遅すぎた」

「それで、1回きりの爆撃を第3次まで続けたのです」

「組織的怠業を決行するならば、この時機です」

「延安が陥る前でないと無意味か」

「海軍の水偵が集結中の中共軍を発見したのは木曜日」


「奥田中尉、事変前の国共両軍の配置図はあるか」

「はっ。ここに」

「上海周辺が空白なのは両軍の暗黙の協定によります」

「天津租界と上海租界を戦場にすれば、後が面倒だ」

「どちらが勝利しても、外交上はマイナスです」

「外国権益の返還要求どころではなくなる」

「見分した中共軍の兵力をおいてみます」

「揚子江対岸の江蘇省に5万、地続きの浙江省に4万」

「南京を目指していたのか!」



水田大尉は艦載機の偵察行に同乗していた。海軍搭乗員が陸兵の動きを見極めるのには限界があったのだ。その時、水田は違和感を感じた。上海市周辺に終結した中共軍は再編された新四軍とみられた。軍長は陳毅、政治局員は劉少奇で、兵力は10万強であった。


「劉少奇が新四軍を再編するのは2回目です」

「鮮やかな手腕だな」

「空白の上海市周辺を徴募地として選んだのでしょう」

「6百万以上いるし、都市部は浸透しやすい」

「延安府では南部に兵力が集中していたと聞きます」

「出撃する計画があったというのか。迎撃ではなく」

「八路軍が延安を出撃して渭水、黄河、中原へ進軍」

「国府軍主力を河南省にひきつける」

「そして留守になった南京を新四軍が攻撃」


「中尉、延安で見つかった毛沢東の死体は10近いと」

「はい、11、12があってもおかしくありません」

「そうじゃない、どうしてそこまで執拗に探す」

「拘っているのは米国のようです」

「松井閣下、周恩来は昨年末から行方不明ですが」

「おっと、そう来たか」

「周恩来、劉少奇、陳毅の三人はフランス留学組です」

「そのとおり、同期といってもいいな」

「以上であります」

「うむ、ありがとう。たいへん参考になった」



中共軍集結を発見した翌日、怠業は租界内のホテルや商店にも広がっていた。夜には略奪が始まり、治安を担当する工部局警察と衝突して暴動となる。自国民の保護に出動した各国駐留軍とも衝突が起きた。武装した暴徒もおり、発砲と銃撃が交差する。第3次上海事変のはじまりである。


上海市のフランス租界と共同租界には3万名以上の外国人が居住していて、彼らを守るために各国は軍隊を駐留させていた。米軍4500人を筆頭に1万の全駐留軍が出動し、租界内の治安を回復するのに日曜日までかかった。その時、中共軍は上海市至近まで迫っていた。



松井は、水曜から大使館を閉館とし、支那海に出て東京と連絡を取った。艦隊の偵察機には通常より遠くまで飛ぶように指示した。重光外相は矢継ぎ早に訓令電をよこした。松井も方面軍司令官まで務めた陸軍大将である。事態の急変には慣れていたが、電文内容には驚くしかなかった。


土曜日の夜、重光に予告されていた上海領事団会議の代表が公船にやって来た。領事団は、日本に軍隊の派遣を要請した。松井は東京の指示通りに焦らした。大日本帝国は中国にも上海にも特別の権益がない、中国政府を頭越しに、外国領事の要請で軍隊を派遣することは出来ない。米国領事が興奮して叫ぶ中で、しかし英国総領事は事務的に交渉を進めた。



「日曜未明に、海軍基地航空隊が渡洋爆撃」

「午後には、大和と武蔵が艦砲射撃」

「夕方には陸戦隊2万が上陸、展開」

「比島から米国陸軍が到着するまで立派に支えました」

「その間、わしは米英と出兵経費の交渉をしておった」

「「閣下!」」

「わしはあの時、国を売ったのだな」

「「そんなことはありません!」」


「ならば、兵隊を、同胞を売ったのか」

「「・・・」」

「すまんな。詮無いことを」

「閣下、一杯飲まれてはどうですか」

「ありがとう、できれば」

「はい」

「気を失うぐらい強い酒にしてくれ」

「「・・・」」






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